アデスタを吹く冷たい風

「アデスタを吹く冷たい風」(トマス・フラナガン/著 宇野利泰/訳 早川書房 2015)

原題は“The Cold Winds of Adesta”
ハヤカワ文庫の1冊。
日本で独自に編纂され、1961年にハヤカワ・ミステリとして刊行。
本書はその、待望の文庫化とのこと。

短篇集で、収録作は以下。

「アデスタを吹く冷たい風」
「獅子のたてがみ」
「良心の問題」
「国のしきたり」
「もし君が陪審員なら」
「うまくいったようだわね」
「玉を懐いて罪あり」

最初の4編はテナント少佐もの。
ほかは単発。

テナント少佐ものの舞台は、《共和国》と呼ばれる独裁国家。
15年前、将軍(ジェネラル)がクーデターを起こし、元首におさまっている。

テナント少佐は、旧王国時代は憲兵隊長だった。
前途有望な軍人だったが、クーデター時に将軍側につかなかったため、その地位を剥奪された。
また、旧軍隊では将校だったらしい。
らしいというのは、記述があいまいで、読んでもよくわからないからだ。

少佐は、傲慢で無遠慮。
顔はカミソリを当てず、軍服のボタンは半数以上もはずれたまま。
長身痩躯で、片足が義足のため、足を引きずるようにして歩く――という人物。

「アデスタを吹く冷たい風」
表題作にして密輸もの。
アデスタの峠道を通り、銃の密輸がおこなわれている疑いがある。
テナント少佐は、哨舎の責任者であるボレナス少尉とともに、酒の輸入業者ゴマールを検問。
しかし、トラックの積み荷は葡萄酒だけだった。

密輸された銃は、旧王国が将軍に降伏する前に、山中に埋蔵してきたもの。
埋蔵された銃は、一個連隊分ほどもある。
「むかしのわが軍の銃を、われらの祖国を滅ぼすために使用させることはできぬ」
と、テナント少佐。

テナント少佐は、現在の独裁体制を良しとしているわけではまったくない。
かといって、騒乱が起こるのを望んでいるわけではない。

独裁国家の場合――いやそうとはかぎらないかもしれないが――、体制側が悪事に加担していることがある。
そのため、犯罪をみつけても裁くことがむつかしい。
その落としどころがどう書かれるのか。
これが、テナント少佐ものを読む愉しみ。
もちろんそればかりでなく、どう密輸がおこなわれていたのかという謎ときも、またうまいものだ。

「獅子のたてがみ」 The Lion‘s Mane
4人の審問官と、将軍の使命を受けた1人の査察官により、テナント少佐は審問を受ける。
少佐は、上官である憲兵隊長のモレル大佐から、スパイ行為に従事していたアメリカ人、ロジャーズ博士を射殺するように命令を受け、それを実行したのだった。

モレル大佐は、その勇猛さと、ふさふさとした黄色い髪から、《獅子》というあだ名がつけられた人物。
革命後、元はテナント少佐がついていた憲兵隊長の地位に、いまはモレル大佐がついている。

テナント少佐は、射撃の名手であるラマール中尉にロジャーズ博士暗殺を指示。
アメリカの医療施設に勤務するロジャーズ博士は、研究の結果である医療上の統計データにかこつけて、軍備についての情報を送り続けていた疑いがある。

ロジャーズ博士の暗殺は、博士が宿直を終え、早朝、病院から帰ってくるところを狙え。
そうモレル大佐より指示があった。
が、病院で殺すのはひと目がありまずい。
そこで、テナント少佐は、ロジャーズ博士の自宅で、博士を暗殺することにする――。

すでに起こったことの内容が、審問により明らかになっていくという趣向の話。
国の体制に従いながら、どう自分に意思をつらぬくか。
テナント少佐の悪辣さがきわだつ一篇だ。

また、本作にはアメリカ領事と、数年来この国で暮らすロジャーズ博士の同僚、コートン博士との会話が随所にはさまれている。
このカットバックが、非常に効果をあげている。

「良心の問題」 The Point of Honor
ブレーマンという男が、以前ドイツ軍に抑留されていた男によりピストルで殺された。
男は、召使たちの手でとりおさえられた。
召使たちは、ブレーマンの主治医であるコートン医師を呼び、ついで憲兵に知らせた。
憲兵は、金庫が破られているのと死体を発見し、犯人を拘禁した。

ブレーマンは消化器系を悪くしており、毎日大量のインシュリンを注射する必要があった。
また、ブレーマンも収容所に5年間抑留されていた。
そのため、ブレーマンの右腕には数字の刺青があった。
戦後、ブレーマンは《共和国》に亡命。

ところで、ブレーマンを殺したのは、フォン・ヘルツィッヒ大佐という人物だった。
ヒトラー親衛隊(SS)の、特殊部隊の指揮官で、全ヨーロッパがさがしていた人物。
ヘルツィッヒ大佐には、その拳の上にSSと、2文字の刺青があるという。
コートン医師があらためると、ヘルツィッヒ大佐にSSの文字はない。
が、皮膚を移植した痕がある。

ヘルツィッヒ大佐は、《共和国》内にも友人が多い。
そのため、大佐の処遇が問題となる。
大佐のことはアメリカも捜していたと、《共和国》の隠蔽体質にコートン医師は立腹。
ここにいたり、大佐がなぜコートン大佐を連れてきたのかがようやくわかることに。

前出のコートン博士――この作品ではコートン医師と表記されているけれど、きっと同一人物だろう――が再登場。
話の感じからすると、テナント少佐とコートン医師は初対面のようだから、「獅子のたてがみ」より以前の話なのかもしれない。

「国のしきたり」 The Costoms of the Country
これも密輸もの。
「アデスタを吹く冷たい風」では、峠道が密輸の経路だったが、こちらは鉄道。

隣国から、《共和国》のD県の中心都市に入ってくる唯一の鉄道を検閲するのが、バドラン大尉の任務。
実直なバドラン大尉の指揮により、検閲は非常な実績を上げている。

このバドラン大尉のもとへ、大尉の上官であるチョーマン旅団長とテナント少佐が出向いてくる。
ある物資が密輸されるという情報をつかんだのだ。

結果として、テナント少佐は密輸品を発見。
しかし、このシリーズの常として、密輸は体制の腐敗とかかわっていた。
テナント少佐は、そちらのほうもみごとな手腕で解決する。

ただ密輸品を発見するだけでなく、ストーリーにもうひとつ底がある。
その解決もあざやか。
本書で1編選ぶとしたら、この作品にしたい。

「もし君が陪審員なら」 Suppose You Were on the Jury
以下は単発もの。

弁護士のオリヴァ・アメリイは、裁判で無罪を勝ちとったばかり。
しかし、陪審員の評決に釈然としないオリヴァ弁護士は、食事の約束をしていた友人のランドル教授を相手に、今回の裁判の話をする。

被告人はカルヴィン・ラッドといって妻殺しの容疑をかけられた男。
妻のクララは、危険をかえりみず深夜のセントラル公園を散歩するのが好きで、そのあげく、ある日ナイフで刺されて殺されてしまった。
そして、その時刻、その近所でカルヴィンをみたという証人が何人かあらわれた。
が、カルヴィンはアパートから外にでていないという――。

また、オリヴァ弁護士は陪審員につたえなかったが、カルヴィンには見逃すことができない過去があった。
というのも、殺されたクララは、カルヴィンの3人目の妻であり、前の2人も何者かに殺されていたのだ――。

すれた読者であれば、途中でオチがわかってしまうかもしれない。
奇妙で皮肉な味わいの作品だ。

「うまくいったようだわね」 This will Do Nicely
「もし君が陪審員なら」同様、都会を舞台にした、奇妙で皮肉に富んだ味わいの作品。
アパートのみが舞台なので、ひと幕ものの芝居のように読める。
冒頭の一文はこう。

《ヘレン・グレンデルは、夫を殺すとすぐに同家の顧問弁護士ティモシィ・チャンセルを電話で呼んだ。》

チャンセル弁護士は、ヘレンの殺された夫であるアレックの友人。
よく2人で、古い犯罪について語りあっていた。
アレックは古代英語の教授であり、犯罪関係の書籍の収集家。
ヘレンは、アレックやチャンセル弁護士より20歳ほど年下で、40をでたばかり。

で、呼びだされたチャンセル弁護士は、ヘレンを無罪にするために、自殺にみせかけられないか、死体をどう運搬したらいいか、いっそ強盗に襲われたことにするかなどと頭をひねることに。

ヘレンが最初からこの結末を考えていたのか、いまひとつわからない。

「玉を懐いて罪あり」 The Fine Italian Hand
著者のデビュー作。
解説によれば、この作品で作者は、「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」(EQMM)の第4回年次コンテスト最優秀新人賞を受賞し、デビューしたのだとのこと。
また、この作品は「北イタリア物語」のタイトルで、「密室殺人傑作選」(早川書房 1985)にも収録されているという。

舞台は15世紀。
北イタリアにある、傭兵隊長(コンドッティエーレ)モンターニョ伯の居城。

ボルジア家とモンターニョ伯は、同盟を結んでいるあいだがら。
イタリア全土統一のため、なおフランス王の後援を必要とすることから、ボルジア家は宝玉をフランス王に献上することに。
モンターニュ伯の居城で、フランス王から派遣されたヴィールフランシュ候に渡す予定だったのだが、この宝玉が消えてしまう。

モンターニョ伯とヴィールフランシュ候は、酒宴ののち、連れだって宝物室の穴倉に降りていったのだが、警固の兵がひとり殺害され、もうひとりは負傷、そして宝玉は消え去っていたのだった。

宝物室の入口は階段のみ。
もうひとつ扉があるが、そちらは断崖絶壁。
名をノフリーオという負傷した警固兵は、生まれついて耳が聞こえず、話せず、かつ文盲。

そこで、モンターニョ伯はヴィールフランシュ候と、調査におもむいてきたボルジア家の使者の前で、事件をえがいた絵をみせながらノフリーオを訊問する――。

この作品は、ボルジア家から派遣された使者の視点で書かれている。
使者の名は隠され、作品の最後で明かされる。

さて。
全体として。
全作品とも、真相が明かされることだけでは終わらない。
真相が明かされたあと、登場人物がどういう行動をとるかというところまでストーリーが伸びていく。
むしろ、真相が明かされてから物語がはじまるといってもいいくらい。

この作風のためだろうけれど、事件を記述していく手つきがさりげない。
あんまりさりげないので、ときおり曖昧模糊とした印象を受ける。
古びた訳がそれに輪をかけている。
要は、なにが書いてあるかよくわからない。
理解に苦しむ。
読み手自身に、真相をさとらせる書きかたをしているためだろうけれど、それにしても。

解説によれば、本書はハヤカワ・ミステリ復刊希望アンケートで、1998年(ハヤカワ・ミステリ45周年記念)と、2003年(50周年記念)の2度に渡り、1位を獲得したという。
これは本書が、読者に再読をうながすところがあるということの結果ではないだろうか。



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