山田風太郎による司馬遼太郎評

――山田風太郎は、司馬遼太郎のことをどう見ていたのか。

と、いうことがなんとなく気になっていた。
先日、「風山房風呂焚き唄」(山田風太郎 筑摩書房 2008)というエッセイ集をぱらぱらやっていたら、「挫折した人間としてとらえる」という、司馬遼太郎の「真説宮本武蔵」(講談社文庫)についての書評が収録されているのをみつけた。

「徳川初期の、五人の豪傑の物語り。むろん作者は、この豪傑たちの講談的武勇伝を避けて、それぞれ豪傑にはちがいないが、彼らを挫折した人間と見て描いている」

「この時代の武将を、のちの儒教道徳の眼鏡を通して見ることの、誤っていることはいうまでもないが、さればとて現代の作者が顔を出すと、海音寺潮五郎氏の「ぼくはこう見る」式の史伝となる。作者はそれを避けて、同時代の人間に、彼らの人間像を語らせる手法をとっている」

「作風には凛呼としたものがあり、清爽なものがある。ただ対象が豪傑であるためか、やや大ざっぱなところがないでもない」

作品の内容から、手法、その作風まで、勘所を押さえて間然とするところがない。
さらに、「作家を何々派と動植物的に分類するのは私はきらいだが」と、前置きしてこうもいっている。

「時代小説を推理小説式に、大ざっぱに本格派と変格派にわけると、この作者は、やはりオーソドックスな本格派に属する人のように思われる」

どう見ていたのかという疑問は、「よく見ていた」と答えるほかない。
この書評が書かれたのが1962年というのも驚く。
並なみならぬ眼力だ。

ついでながら、この本には「露伴随筆」(岩波書店 1983)についてのエッセイも収録されている。
現代露伴を読むひとはそうたくさんはあるまい、それは読めるひとがいないからだと嘆息して、こう続けている。

「作品は歳月の間に淘汰されて、いいものだけが残るというのは真実ではない。淘汰されて悪貨ばかり残るのは、作品だけでなく、読者もまた然りなのである」

ミもフタもない。
あんまりミもフタもないので、思わず笑ってしまった。
あんまりものが見えるひとは、ミもフタもなくなってしまうのかもしれないなあ。

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