「鳴るは風鈴」「耳学問・尋三の春」

「鳴るは風鈴」(木山捷平 講談社 2001)

副題は「木山捷平ユーモア短編集」。
収録作は以下。

「玉川上水」
「耳かき抄」
「逢びき」
「鳴るは風鈴」
「コレラ船」
「下駄の腰掛」
「山つつじ」
「川風」
「柚子」
「最低」
「御水取」

解説は坪内祐三。

ジャンルとしては、私小説になるのだろうか。
エセーというには、こしらえものの感じが強い。
「御水取」など、3人称で書かれたものもあるけれど、私小説的な印象は変わらない。

ユーモア小説にもいろいろある。
構成の妙で読ませるものもあれば、個性的な登場人物で読ませるもの。
本書の場合、文章の、ことばの選びかたでくすぐるというタイプ。
こういう小説によくあるように、〈私〉はいつも困惑し、屈託している。
そんな〈私〉がつかう、もってまわったいいまわしがすこぶる面白い。

例として、「逢びき」の冒頭を引用してみよう。

「ちかごろ、若い男女の間には、デートという行為がはやっているそうである。どうやら逢引の一種のことらしい。参考のために、私は今日、近くの都立公園の入口に佇(た)って、そのデートなるものを観察してみた」

「デートという行為」といういいまわしが可笑しいし、「観察してみる」というのが妙だ。
「参考のために」なんて意味不明。
ところどころ、読み手がつまぐくように配置されたことばがじつにうまい。
こう引用していても、つい笑ってしまう。

構成がとてもゆるいのも、また読みやすい。
だいたい、回想でエピソードをつないでいく。
「逢びき」の場合だと、疎開先の田舎での出来事を思い出す。
あと、本書におさめられた作品の特徴としては、色っぽい話が多いというところだろうか。

著者は敗戦後、苦労して満州から引き揚げてきたのち、田舎で疎開生活を送った。
その体験は〈私〉にも反映している。
それを軽みをおびた文章で記していく。

〈私〉は東京にでたくて仕方がない。
が、夫の体調を心配する妻にとめられて、家にいるよりほかなくなる。
ある日、〈私〉は町の本屋にいくことを決意。
そのときの、〈私〉と奥さんのやりとりはこんな風だ。

《「おい、今日、おれは、町に行ってくる」
 と、ある朝、私は内心おどおどしながら細君に自己表示してみた。
 「へえ。なにしにですか」と細君がいった。
 「どうも、田舎にいると、進歩に遅れるような気がする。一つ東京の新刊雑誌でも、二三冊購読してみようと思うんだ」
「それは、そうね。行ってらっしゃいよ。気晴らしにもなりますわ」
「そうだよ。気晴らしになるから、銭をくれ」
「いくらですか」
「そうだなあ。百円もあればいいだろう」
 細君は気前よく、どこにしまってあるのか知らないが、百円札を出してくれたので、私は勇躍、兵隊シャツに身をかため、三里の道をてくてく徒歩で町へでかけた。》

不安になってきた。
この引用で、木山捷平作品のおかしみがつたわるかどうか。
でも、木山捷平作品の面白さはことばづかいにあるのだから、それを知ってもらうには引用するよりほかない。
あとは、本書にあたってもらうよう祈るのみだ。

ところで、いいかげんなことに、上記の引用は、どの作品のものだったか忘れてしまった。
本はもう図書館に返してしまったので、確かめられない。
だいたい、私小説は同じ趣向の話ばかりだから、作品ごとのけじめがつかない。
どの作品からの引用でも大差がないのではないかと、ここでは開き直っておこう。

いままで読んだ小説に、似たような味わいのものがあっただろうか。
そう考えて、ロシアの作家が書いた「かばん」という小説を思い出した。
木山作品の味わいに似ている気がするけれど、どんなものだろう。

さて、本書があんまり面白かったので、手元にありながらずっと読んでいなかった「耳学問・尋三の春」(旺文社 1979)を読んでみた。
これも短編集で、収録作は以下。

「うけとり」
「子におくる手紙」
「一昔(ひとむかし)」
「出石城崎(いずしきのさき)」
「尋三(じんさん)の春」
「抑制の日」
「山ぐみ」
「氏神さま」
「幸福」
「春雨」
「玉川上水」
「耳学問」
「竹の花筒」

解説は、小坂部元秀というひと。
それから、巻末に作者の妻、木山みさをさんによる年譜がついている。

「鳴るは風鈴」とくらべると、いじましい話が多い。
ユーモラスな、軽みのある小説は、年をとらないと書けなかったということだろうか。
2冊読んだだけではなんともいえないけれど。

本書のなかでは、表題作である「尋三の春」「耳学問」が印象に残った。
「尋三の春」は再読。
以前、「現代日本のユーモア文学3」におさめられているのを読んだことがある。
今回再読して、やっぱり名作だと再確認。

「耳学問」は、ソ連占領下における満州は新京(長春)での生活を記した回想記。
〈私〉はやっぱり途方に暮れていて、手元不如意で、滑稽で、いじましい。
けれど、状況が状況だけに、いじましさが普遍的なものを帯びている。

タイトルは、〈私〉が懸命におぼえたロシア語から。
そのロシア語は、「ヤー、ニエ、オーチエン、ズダローフ」。
「私は病気です」というほどの意味。
当時、42歳の〈私〉は、ソ連の捕虜収集を逃れようと、この一文をおぼえた。

「私は元来、坐骨神経痛の痼疾(こしつ)があって、重労働には堪えられない身なので、もしも捕虜の召集がきた時には、国際信義にもとづいて、一身上の具合を、清く正しく、弁明しようと思って、こういうロシヤ語を覚えこんだのである」

この「耳学問」は、毎日新聞の平野謙による文芸時評にとりあげられ、作者の出世作となったそう。
これは、「鳴るは風鈴」と「耳学問・尋三の春」両方の解説に書いてある。
その評の一部が解説に載っているから、孫引きしてみよう。

「…昨今のかまびすしい日ソ交渉のニュースの中にこのささやかな作品をすえてみると、その周囲だけ空気が静かに澄んできて、ああ、これが小説作品なんだな、と改めて読者も納得せざるを得ないだろう」

作者は、平野謙の評がよほどうれしかったらしい。
日記に全文写したあと、こう記しているという。

「平野氏の評をよみながら今日ほど心たのしいことはなかった」



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