かばん

「かばん」(セルゲイ・ドヴラートフ 成文社 2000)

訳はペトロフ=守屋愛。
解説は沼野充義。
装画、塩井浩平。
装丁、山田英春。

作者は、旧ソ連出身の亡命ロシア作家。
1941年に生まれ、1978年に亡命、ニューヨークで文筆活動を続け、同地で1990年没した、と作者紹介。

本書は短編連作集。
収録作は以下。

「序文」
「フィンランド製の靴下」
「特権階級の靴」
「ダブルボタンのフォーマルスーツ」
「将校用ベルト」
「フェルナン・レジェのジャンパー」
「ポプリン地のシャツ」
「冬の帽子」
「運転用の手袋」

タイトルの「かばん」とは、亡命するときにもってきたスーツケースのこと。
そのなかにあった品じなについて語るというのが本書の形式。
すべて1人称の〈ぼく〉の視点から書かれた、自伝的小説。

さて、ロシア文学というと、なにやら重厚長大なイメージがあるけれど、本書はそうではない。
「かばん」なんていう、さりげないタイトルをつけた作者らしく、終始ユーモラス。
いつも途方に暮れている〈ぼく〉が、旧ソ連の社会体制のまえで、さらに途方に暮れてしまう様子が、簡潔な、軽みのある文章でえがかれている。

例として「序文」の冒頭を引用してみよう。

《外国人ビザ登録課であの女はぼくにこう言った。
「出国するみなさん、スーツケース三つってことになってます。そういう決まりなんです。本省の特別命令ですから。」
 反論なんて無意味だった。だけど、ぼくはもちろん反論した。
「スーツケースたった三つ!? 荷物を一体どうしろというんです」
「たとえば?」
「たとえば、ぼくのレーシングカーのコレクションはどうなるんです?」
「売り払ってください」と役所のおばさんは軽く切り返してきた。
 それから、ちょっぴり眉をひそめてつけ足した。
「なにか不満なら、申立書を書いてください。」
「いえ、満足です」とぼく。
 刑務所暮らしの後でぼくはすべてに満足していた。》
 ……

沼野さんの解説でもふれられているけれど、普通この場面に「レーシングカーのコレクション」はでてこないだろう。
場ちがいなところが可笑しいし、「刑務所暮らし」の一言が痛ましくも滑稽。

ストーリーの紹介には、「将校用ベルト」をとりあげよう。
徴兵された〈ぼく〉は、1963年の夏、コミ共和国の南方で収容所の警備兵として登録される。
その日、曹長から受けた任務は、「頭のおかしくなった囚人を精神病院に連行せよ」。
なんでも、その囚人はワンワン吠えたり、コケコッコーと泣いたり、調理師のシューラおばさんに噛みついたりしているという。

〈ぼく〉は同僚チチューリンとともに、囚人を連れ、4キロ先の精神病院めざして出発。
病院までは徒歩。
途中、〈ぼく〉は囚人に2ルーブルをあげる。
すると、囚人は「おれの名前はトーリクってんだ」などとといいだす。
頭がおかしくなったというのは狂言だったのだ。
でも、トーリクは自分が精神錯乱だったことを思い出しては、四つんばいになったり、唸り声をあげたりする。
そんなトーリクに、〈ぼく〉は力を無駄にしなくていいと忠告してやる。

林のなかに入ると、腰をおろし、みんなでウォッカを。
歓談が続いたかと思うと、突然、同僚のチチューリンが酔っ払ってしまい、ピストルをとりだす。
〈ぼく〉はなんとかチチューリンをなだめ、ピストルを遠ざけることに成功するが、ベルトのバックルの一撃をうけて、おでこから流血。
トーリクがシャツの袖をちぎって、それを包帯がわりに巻いてくれる。
で、おいおい泣きながら歩くチチューリンと、ピストルをもった精神異常の囚人と、包帯を巻いたへとへとの〈ぼく〉が歩いているところ、軍のパトロールが通りがかる。
……

喜劇的状況はまだまだ続くのだけれど、このくらいに。

この本には、ユーモラスさに加えて親しさと呼べるものがある。
距離的にも時間的にもはなれたところから故郷のことを思いえがいているためだろう。
不条理な状況を追憶でくるむのに、亡命文学がひと役買っている。
もちろん、個人の資質によるところも大きいことは、〈ぼく〉の書かれかたをみても明らか。
こんな作者の作品は、ソ連崩壊以後、爆発的に読まれたそう。

作者と作品の魅力は、解説に充分いいつくされている。
沼野さんは、コーカサスのガルシア=マルケスと呼ばれているアブハジア出身の作家、ファジリ・イスカンデルにドヴラートフについてたずねたところ、こんな答えが返ってきたと書いている。

「あるとき、ひどく気が滅入っていることがありました。何をすべきか、どうしたらいいかわかりませんでした。その夜、机に向かうと、たまたまですが、ドヴラートフの本を手にし、彼の短篇をひとつ読んだのです。すると気持ちがすっと楽になりました。これはですね、すごいことですよ、芸術作品が人になんらかの調和を取り戻してくれる、ということは(……)。これこそが、ドヴラートフの驚くべき才能だと思います」(楯岡求美訳)。

もうひとつ。
ドヴラートフの友人であり、ニューヨーク在住の亡命ロシア批評家アレクサンドル・ゲニスが、「もしもドヴラートフが生きていたら、今日のロシアで文学上の権威になっていたでしょうか?」という質問にさいし語ったということばを抜書きしておきたい。

「権威であることと、愛読されるということは、二つの別のことなんです」

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