やさしく極める“書聖”王義之

「やさしく極める“書聖”王義之」(石川九楊 新潮社 1999)

「とんぼの本」の一冊。

先日、喫茶店に入ったら、店の壁に「蘭亭叙」が飾ってあった。
「蘭亭叙」は“書聖”王義之が書いたもので、よく習字のお手本につかわれる。
習字を少ししたことのあるひとならだれでも知っているもの。

「これ、書いたことある」
と、一緒にいたひとにいうと、
「「蘭亭叙」ってよく聞くけど、なんなの?」
と、訊かれて返答に窮した。
習字の手本だとは知っているけれど、それ以上のことはなにも知らない。

そんなことがあったものだから、江戸東京博物館に「蘭亭叙」がきたと知ったときは、いそいそと出かけていった。
平日の午後にいったのだけれど、ガラスケースにおさめられた「蘭亭叙」には、おばさまがたがスクラムを組むようにして見入っている。
しょうがないので、隙間からチラッとのぞく。
よし、これで「蘭亭叙」はみた!
鑑賞したというより、視認したという感じだけれど、とにかく見たということに。

展覧会では、時代的に王義之以降の書が多数展示されていた。
様式がきまると、あとは精密さの度合いが上がっていく一方になるという、どのジャンルにも起こる現象は、書道にもいえることらしい。
なんというか、うにゃうにゃしてくる。
人間業とは思えないような端正な字もあらわれる。

そんななか、ものすごくいいかげんに書かれた「蘭亭叙」があった。
なにもかもどうでもいいという感じ。
だれが書いたのだろうと思ったら、八大山人だった。
(これは余談だけれど、八大山人についててっとり早く知ろうと思ったら、司馬遼太郎の「微光のなかの宇宙」におさめられている文章がいいと思う)

さて、「蘭亭叙」はみた。
つぎは、なにか解説書が読みたい。
で、前置きが長くなったけれど、王義之についてカンタンに書かれた本はないかとさがしたら、この本にいきあたった。

著者は、高名な書家で書史家。
Q&A方式で、王義之の生涯や、書の歴史、日本への影響などが記されている。
「とんぼの本」のシリーズなので、図版も多数。
ただ、話の途中で、図版があいだに入ってくることがあり、そうなると読む気がそがれることも。

本書によれば王義之は4世紀、中国の六朝時代のひと。
東晋で重きをなした名門の一族の出。

驚くのは、王義之の真筆は一点も現存していないのだそう。
王義之の作品といわれるものは、すべて後世の複製品。
(だから、展覧会の「蘭亭叙」も、3つある複製品のうちのひとつがやってきたということだった)

「蘭亭叙」の原本がなくなったのは、唐の第2代皇帝、太宗李世民(たいそうりせいみん)のせい。
太宗は、王義之のマニアで、国中から遺作をあつめ、宮中において大量の複製をつくらせて、ひとびとの書の手本とした。
いわば、王義之を書聖にした立役者。

太宗は名高い「蘭亭叙」もほしがった。
「蘭亭叙」は代々王義之の子孫につたえられ、唐のはじめには僧である弁才がもっていた。
太宗の所望にたいし、弁才は、「昔みたことがあるが、その後の乱世でいまは行方不明だ」としらを切るのだけれど、太宗の命をうけた監察御史の奸計にあい、盗まれてしまう。

「蘭亭叙」を手に入れた太宗は大喜び。
自分が死んだら、一緒に墓に埋めろといいのこした。
太宗死後、それは実行され「蘭亭叙」の原本はこの世から消えてしまったという。

すべてが複製品だとすると、そのなかでもどれが王義之の真筆に近いのかという話が当然でてくる。
著者の石川さんが真筆に近いと考えているのが、「姨母帖」(いぼじょう)、「初月帖」(しょげつじょう)、「寒切帖」(かんせつじょう)など。
当時の役人が書いていたのと同じ、素朴な書法をのこしたもの。

「この《姨母帖》や《寒切帖》こそが、まさに現在私たちが書と呼ぶ芸術の始まりの姿だと言ってよいでしょう」
と、石川さん。

つまり、王義之という人物は、紙に筆と墨をつかって字を書くという書道芸術のはじまりと、その理想を仮託された、シンボル的存在なのだ。

石川さんは、王義之の書の内容にも言及している。
王義之の手紙は、日常のことをこまごま書いた、めめしい感じのものばかり。
しかし、そこには画期的な意味があったという。
それは、それまで政治文書オンリーだった東アジア世界にはじめてあらわれた、政治の枠をはみだす、人間の喜び哀しみが記された文章だった。
もちろん、六朝時代の時代感情も反映してのことにちがいない。

展覧会で見逃した、「蘭亭叙」についての訳と解説も載っている。
蘭亭というのは、地名。
王義之の呼びかけにより、そこに一族知人らがあつまり、曲水の宴をおこなった。
曲水の宴というのは、小さな流れに盃を流し、その盃が自分のまえをすぎるまでに詩をつくるという遊び。
詩がつくれなければ、罰として盃を飲み干さなくてはいけない。

このときできた詩をまとめたのが「蘭亭集」といい、王義之が序文として記したのが、「蘭亭叙」。
訳文を読んでみると、なんだか無常観が濃い。

「…人の生き方は無限に異なり、静動も同じではないとはいえ、その境遇が喜ばしく得意の時には、誰しも自分に満足し、老いがすぐそこに迫っていることにさえ気がつかない」

昔の人が感慨を催した理由は、わたしたちと変わらず、後世のひとたちがわたしたちを見るのも、いまのわたしたちが昔のひとを見るのとおなじだろう。
ゆえに、ここにあつまった者たちの名を列記し、その作品を収録する。
世が異なり状況が変わっても、感動の源はおなじだろう。
後世の読者も、きっとこれらの作品に心をうごかしてくれるだろう。


この無常観と、素朴さを残す書法のためか、日本で王義之は大いにうけた。
王義之の書を、自分たちの書に反映させるのは平安初期の三筆(空海・嵯峨天皇・橘逸勢)のころからという。
ここで、著者は面白い指摘を。

「彼らは、私の考えでは、楷書に代表されるようなあまりにも政治的で人工的な中国文化(唐文化)に違和感をいだいた、最初の日本人だったのです」

「これ以後の日本の書道史は、楷書の歴史を欠いた形で歩んでゆくことになります」

どうも、われわれは王義之に仮託された感受性の延長線上にいるらしい。

とばしてしまったけれど、この本のなかでは、書の成り立ちも解説していて、この部分がいちばん分量が多い。
これもまた、早わかりでとても面白かった。

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