リサイクルブックにいった話(承前)

続きです。

会場はたいへんなひとごみ。
バーゲンなみか。
いや、それ以上かも。

会議室のような部屋に、長机がおかれ、その上に本を入れたダンボールがずらりとならんでいる。
お客はだれもかれも非常な集中力を発揮して本に見入っていて、ほかのことなど眼中にない。

ベビーカーでなかに入りこんでしまったお母さんが、
「通してくださーい」
と、叫んでいるけれど、だれも聞く耳なんかもたない。

「この子の親御さんはいらっしゃいますかー」
と、声を張り上げているのは、職員のかた。
阿鼻叫喚の光景だ。

ぼけっとしていないで、阿鼻叫喚にとびこむ。
図書館のリサイクルブックでありがたいと思ったのは、並んでいる本が一度図書館のフィルターを通っていること。
だから、見るにたえないような本はそうない。
それから、分類ごとに分けられているのもありがたい。

見回っていたら、横田順彌さんの「日本SFこてん古典」(早川書房 1981)をみつけた。
全3冊ぞろいなんて、はじめて見た。
きっと、借りられなかったんだろう。

かなり心がうごいたけれど、この3冊はとてもかさばる。
いいひとにもらわれるんだよと、しばしの思案ののち別れる。

これでスイッチが入り、俄然、熱をこめて本を精査。
みつけたのは、たとえばこんな本。

「幻獣の書」(タニス・リー 角川書店 1992)
「きみの血を」(シオドア・スタージョン 早川書房 1971)
「ある魔術師の物語」(ヒラリイ・ワトスン編 早川文庫 1980)
「生きている小説」(長谷川伸 中公文庫 1990)
……

机の下にも本を入れたダンボールがおかれ、そこから職員のかたが机のうえにどんどん補充していく。

日本世界を問わず、名作全集が山積み。
これはたぶん、ご家庭でいらなくなったものだろう。
捨てるにしのびなく図書館でひきとってもらったけれど、さすがに図書館にその手の本はあるにきまっているから、こうしてリサイクルにだされたものにちがいない。
文学全集は、いまやご家庭のお荷物だ。

端本だったけれど、日本思想大系まであったのにはびっくりした。

リサイクル本は、図書館のバーコードのところにリサイクルと書かれたシールが貼ってある。
もう図書館の本ではありませんよという印。
ところが、本のなかに別の市のリサイクルシールが貼られた本がまぎれこんでいた。
いったいどこからきたものやら。

ひとまわりして余裕がでてくると、ほかのお客の行動も目に入るようになってくる。
薄っぺらい美術全集をごっそりかかえて、壁ぎわで選別している女性がいる。
バーゲンで習いおぼえた技だろうか。

いかにも転売目的というひとも目につく。
本を部屋のそとにもちだしては、もどってくる。
「勝海舟全集」によりかかり、携帯電話でしゃべっているひともあやしい。

とにかく本をつかみ、天の部分が焼けてないか確認するひともいる。
このひとは、ひどい臭いを発していた。
それにも負けず、このひととダンボールのとりあいを演じるひとも。
果敢だ。

児童書の会場は別室。
いってみたら、なにも残っていなかった。

会場には正味30分もいただろうか。
よろよろになり退散。
こんなにはげしい世界だとは思いもよらなかった。
つぎくるときは覚悟してこよう。

帰り道、「日本SFこてん古典」のことが何度も脳裏をよぎる。
重くとも手に入れるべきだったか。
またしても、後悔の種を増やしてしまったか。

後日。
「幻獣の書」を読了。
官能的なファンタジーで、とても面白かった。
ただ、最後のページがとれてなくなっていた。
ただでもらってきたものだから、文句もつけられない。
おかげで、いまだに最後のページを読めないでいる。

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