タナカの読書メモです。
一冊たちブログ
川の王さま オオサンショウウオ

児童書。
「ドキュメント地球の仲間たち」というシリーズの一冊。
まず驚いたのは、4ページの、おじさんがオオサンショウウオをかかえている写真。
でかっ!
オオサンショウウオは大きいとは聞いていたけれど、こう写真で見るとびっくりだ。
このオオサンショウウオは、体長127センチ、体重20.5キロ。
こんなのが川にいたら、逃げ出してしまう。
おじさんがうれしそうなのが妙におかしい。
本書は、オオサンショウウオについての本。
児童書のありがたさで、豊富な写真がうれしい。
オオサンショウウオについては、天然記念物だくらいの知識しかなかった。
かってに、山の中の渓流にすんでいるのだろうと思っていたのだけれど、写真でみるかぎり、けっこう民家のある小川めいたところにいるらしい。
動物園というのは、動物を飼育してお客に見せるだけでなく、調査や研究もしている。
安佐動物公園では、オオサンショウウオの調査をはじめて35年というからすごい。
人工繁殖にも成功している。
でも、まだまだわからないことだらけ。
年齢も、寿命もよくわからない。
安佐動物公園で生まれた子どもが、17歳9ヶ月で卵を産んだので、どうもそれくらいで大人になり、100歳くらいまで生きるよう。
それから、オスメスの区別もよくわかっていない。
繁殖期には見分けがつくのだけれど、その時期は3ヶ月くらいなので、あとの時期はわからないという。
本の後半は、保護活動についての話。
人工繁殖の成果を生かし、巣穴を設置したり、堰をオオサンショウウオが登れるものにつくり変えたり。
子どものころ読んだマンガ「釣りキチ三平」に、オオサンショウウオがでてくる話があったのだけれど、オオサンショウウオの分布は西日本だけなのだそう。
三平くんの住む秋田県にはいないらしい。
また、白土三平のマンガによれば、オオサンショウウオはなかなか美味しいらしい。
さすがに、この本にそんなことは書かれていないけれど、でもちょっと気になるところ。
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ごきげんいかががちょうおくさん

裏表紙に「4才から」と書いてある、幼年童話。
松岡享子訳、河本祥子(さちこ)絵。
どうぶつ村でくらす、がちょうおくさんの日々をえがいたもの。
ぜんぶで短篇というか、短いお話が6つ。
がちょうおくさんは、早合点で、お人好しで、忘れっぽくて、空想家の、サザエさんみたいな人物。
とくに面白かったのは、第3話、「やねのうえのさんにん」。
屋根の上でカサをさし、大きなお皿をもってすわっているがちょうおくさんを、りすおくさんが見かける。
声をかけると、
「屋根の上でおひるを食べたらどうかしらって思ったもんだから」
と、がちょうおくさん。
カサは日よけのため。
なに食べてるの。パンとチーズ。ミルクほしい? というわけで、りすおくさん、ミルクをもっていってあげる。
がちょうおくさんにお昼をすすめられて、りすおくさん、一瞬とまどう。
屋根の上でものを食べるなんて、ちょっとばかみたい。
でも、腰をおろしていただく。
つぎにあらわれたのが、イチゴの入ったかごを下げた黒猫さん。
デザートもっていってあげようか。というわけで、黒猫さんも仲間に。
以後は、屋根の上と下で、さまざまな攻防がくりひろげられる。
まずは、うさぎさんのうちの子どもが3人。
屋根に上がりたそうだが、そんなに食べものはないし、転げ落ちたら大変。
黒猫さんがうまく子どもたちの興味をそらす。
つぎは、ぶたさん。
がちょうおくさんが声をかけようとしたところ、りすおくさんがとめる。
ぶたさんがきたら、食べものはあっというまになくなってしまう。
黒猫さん、これを食べながらうちに帰るといいよと、ぶたさんにイチゴを投げ渡す。
どうしてぼくがうちに帰らなきゃいけないんだ、とぶつぶついいながらもぶたさん退場。
つぎはふくろうの老婦人。
うさぎさんのお見舞いにいくところで、焼きたてのチョコレートケーキをもっている。
ぜひ屋根の上にきてほしいが、思慮深い老婦人はきっぱりと断る。
「どうして屋根なんかにあがったの?」
「急にそう思っただけなの」
屋根に上がる充分な理由がない、と老婦人去っていく。
「充分な理由なんかないよね」と、黒猫さん。
「ないわ」と、りすおくさん。
なんだかおかしくなり、3人は笑って笑って笑いころげました。
これで終わってもいいと思うのだけれど、ラストにもうひとひねりある。
もうすこし余韻がほしかったのかも。
ぜんたいに、がちょうおくさんの世間づきあいが書かれているので、女の子むきかもしれない。
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ゆうれいは魔術師

児童書。
訳は渡邉了介。
絵はピーター・シス。
シド・フライシュマンは高名な児童ものの作家。
訳者あとがきによれば、1920年ニューヨークに生まれ、カリフォルニアのサンディエゴで育つ。
高校卒業後マジックショーの一座にくわわって全米をまわり、第二次大戦中は海軍に入隊。
戦後、サンディエゴ州立大学で文学を学び、記者や編集者などをしたあと作家に。
本人いわく、「奇術師として戦争にいった私が、なにかの呪文でもかけられたのか、四年後には作家として帰ってきた」。
フライシュマンといえば、児童文学ではポール・フライシュマンも有名。
じつは、ポールはこのシド・フライシュマンの息子だとのこと。
有名だけれど読んだことのないひとの本など星の数ほどあるけれど、この作者のもそう。
それが、なんの気なしに読んでみたら、面白くて一気に最後まで読んでしまった。
舞台は南北戦争のころのアメリカ。
主人公はみなしごの、タッチという男の子。
おじさんに会いにニューハンプシャー州のクリックルウッド村まで馬車でむかっていたところ、馬車の屋根に幽霊があらわれる。
これが郷土の有名人、魔術師のグレイト・シャッファローの幽霊。
さて、おじさんのウィグルフォース判事は村いちばんの嫌われ者。
タッチの遺産をだましとろうとする。
孤児院に入れるぞとおどされたタッチは、グレイト・シャッファローの幽霊にたすけをもとめるのだが…。
とにかく、むだなものがなにひとつない。
登場人物の役割とその関係は明快だし、各章の終わりは必ず次章へのヒキが。
タッチの遺産問題と、ウィグルフォース判事に宿屋を狙われている「赤カラス」亭のサリーを軸として、張り巡らされた大小の伏線がぴたぴたと決まる。
なにより、ストーリーをまえに駆動させる力がすごい。
会話も地の文も、すべてストーリーを進めるために機能している。
つぎの一筆をどこにおこうかなどと迷った形跡もまるでない。
難をいえば、あまりにもこなれすぎているということくらいか。
すばらしい職人技だ。
この、いっさいむだのないストーリーテリングは、いかにもアメリカの児童文学という感じがする。
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お年玉殺人事件

絵は東元光児(とうもとこうじ)。
児童書。
現代ミステリー短編集5。
短篇が4つおさめられている。
都築道夫さんは、おどろくほどフラットな小説を書く。
ふくらみに欠ける、というより、意図してふくらみを消しているよう。
コマがひとつ欠けていて、ほかのコマを上下左右にうごかして、正解の図柄をだすパズルがあるけれど、読んだ印象はそれに近い。
「退職刑事 五七五ばやり」(1988)
元刑事の父が、刑事の息子から事件の話を聞いて謎を解く、「退職刑事」ものの一篇。
殺された男が、10日間連絡がなかったら警察にとどけてくださいと、恩師に手帖を預けていた。
そこにはいくつかの俳句が。
はたしてこの俳句は、被害者がのこしたダイイング・メッセージなのか。
俳句がなにかの暗号なのではないかと思うと、まったくちがうという、あきれた作品。
よくこの作品を収録したなあ。
「お年玉殺人事件」(1989)
マンション、メゾン多摩由良(たまゆら)に住む、滝沢紅子シリーズの一篇。
紅子の一人称。
父は元刑事で、いまはこのマンションの警備主任。
紅子をふくむ、今谷(いまだに)少年探偵団と名乗る近所の面々が、事件を解決する。
冒頭、以前父に世話になったというひとから、気の早いお年玉を送るという電話が。
直後、警備室に死体。
気の早いお年玉とは死体のことだったのか…。
問題篇と解決篇がある作品。
この作品、途中でツイストがかかる。
登場人物たちが頭をひねっていると、犯人が自供してきてしまうのだ。
で、犯人は、殺した男に脅されており、その男もべつの男に脅されていたと、話は転がっていくのだけれど、しかし妙なことするなあ。
「密室大安売り」(1974)
翻訳家青山富雄宅に居候している、なまけ者の外国詩人キリオン・スレイものの一篇。
以前、キリオンを犯人あつかいしてしまった三宅信太郎が、リターン・マッチを挑んでくる。
殺人事件があったバーで、、三宅の先輩の新聞記者から事件の話を聞き、おたがいの推理を披露しようという趣向。
殺人がおこったのは、バーのトイレ。
トイレにはカギがかかり、バーには刑事がいて、バーにおりる階段にも刑事がいた。
三重密室状態での事件。
これは最初提示された謎が、最後とかれるというノーマルな作品。
ノーマルなものがこの作品だけというのも、すごい話だ。
「メグレもどき」(1980)
名探偵に扮して事件に首を突っ込む、茂都木宏が主人公の「名探偵もどき」の一篇。
茂都木は奥さんの蘭子さんとともにスナックを経営していて、語り手はこの蘭子さん。
電話帳を読んではメモをつけている男が、もう一週間も店にくる。
この謎を解くために、茂都木はメグレ警視に扮してあとを追うが…。
この電話帳の謎が、のちにあらわれる事件とつながらない。
ふつう、つなげやしないかと思うが、作者はそうはしないのだ。
フラットな印象は、こんなところからくるのかも。
あと、都築道夫さんの文章に特徴的なのは、句読点の多さ。
西村京太郎さんとならぶのではないか。
この句読点の多さは、語り口調の文体からきたものではないかと、かってに想像している。
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トリュフとトナカイ

絵は金子真理。
これは児童書。
現在刊行中の「現代ミステリー短編集」の第5巻。
このシリーズ、ラインナップが面白い。
赤川次郎、阿刀田高、有栖川有栖、泡坂妻夫、都築道夫、仁木悦子、松本清張、森博嗣、光原百合、森村誠一、といった顔ぶれ。
子ども向けなので網羅的にはなるだろうけれど、それにしてもバラエティに富んでいる。
編・解説は山前譲さん。
泡坂妻夫さんの作品は好きだ。
なかでも「亜愛一郎シリーズ」。
でも、読んでいない作品もたくさん。
この本に収録されている4編も知らなかった。
「開橋式次第」(1979)
医戸警察署長、吹田一郎の一家が開橋式によばれた、その朝から物語はスタート。
吹田家は大家族で、朝からてんやわんや。
開橋式によばれたのは、5代の夫婦が欠けずにそろっているのがめでたいということから。
マイクロバスで式場にいく途中、以前迷宮入りになった事件の死体発見場所にさしかかるが、そこに以前とおなじ状況のバラバラ死体が…。
主語がよく省略された、リズムのある文章。
終始ユーモラスな調子の、作者らしい一篇。
「金津の切符」(1983)
倒叙もの。
切符コレクターが、因縁ある鼻もちならない友人にコレクションをケチつけられ殺害におよぶ。
切手、和時計、切符などのコレクションのうんちくに感心。
「トリュフとトナカイ」(1993)
大学職員六原地平が、美食で釣り、戸塚右内のスカウトに成功。
戸塚先生、子どもころ山でトリュフをとって食べていた。
それを聞き、日本でトリュフは自生しないといいだしたのが、シェフの島富夫。
3人は戸塚先生の郷里にトリュフをさがしにいくことに。
そこで事件に巻きこまれ…。
列車消失トリックあり。
「蚊取湖殺人事件」(2003)
問題編と解答編がついている。
スキーにきた美那と慶子。
慶子はけがをしたあげく、インストラクターにからまれるが、土地の代議士の息子という財津に助けられ、小田桐外科に。
そこには、2代目松本清張と名乗って治療費を値切ろうとしている長沼という男がいた。
翌日、蚊取湖の氷上に長沼の死体が…。
4編とも、それぞれ趣向がちがう。
いろんな作品を収録しようとこころがけているよう。
個人的には「開橋式次第」がいちばん。
「亜愛一郎シリーズ」でおなじみの、犯人の奇妙な動機を補強するための、補強線とでもいうべきものが縦横無尽に張られている。
子ども向けに編集された本は、てっとり早く読めるのがいい。
くわえてこのシリーズは、作者の作風に手軽に接せられるところが魅力だ。
絵はだいぶ厚い本になってしまっているけれど、ほんとうはもっと薄いです。
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パディントン街へ行く
「パディントン街へ行く」(マイケル・ボンド 福音館書店 2006)。
いままで「くまのパディントン」シリーズは7巻までしかなかったのに、突然福音館文庫で8巻目が出た。
で、読んでみる。
内容はあいかわらず。
パディントンがなにかへまをしでかして、でも最後にはうまくいくというもの。
今回は結婚式の案内係になり、やっぱりへまをして、新婦に「クマ!」などといわれている。
可笑しい。
ほかには、ゴルフをしたり、給仕人になったり、医者になったり…。
それから、パディントンは出身地を聞かれると、これまたあいかわらず、「暗黒の地ペルーです」とこたえている。
これも可笑しい。
いかにも子どもがやりそうなことをパディントンがやるところが、このシリーズの面白さかと思う。
いままで「くまのパディントン」シリーズは7巻までしかなかったのに、突然福音館文庫で8巻目が出た。
で、読んでみる。
内容はあいかわらず。
パディントンがなにかへまをしでかして、でも最後にはうまくいくというもの。
今回は結婚式の案内係になり、やっぱりへまをして、新婦に「クマ!」などといわれている。
可笑しい。
ほかには、ゴルフをしたり、給仕人になったり、医者になったり…。
それから、パディントンは出身地を聞かれると、これまたあいかわらず、「暗黒の地ペルーです」とこたえている。
これも可笑しい。
いかにも子どもがやりそうなことをパディントンがやるところが、このシリーズの面白さかと思う。
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よくいうよ!シャルル
「よくいうよ!シャルル」(ヴァンサン・キュベリエ くもん出版 2005)。
フランスの児童書。
前作「バスの女運転手」がめっぽう面白かったので、これも読んでみる。
主人公の名前はベンジャミン。
じじむさくてお人好し、かなりマイペースのクラスメイト、シャルルが事故でけがをしてしまい、おうちにノートなどとどけにいくはめに。
シャルルのご両親は年寄りで神経質。
廊下が汚れないようにと、ぞうきんを足の下にしき、すべるように歩く。
いっぽう、ベンジャミンの家もいろいろ事情があり、このことがシャルルとの交流に反映していく。
「バスの女運転手」では、語り手の事情はそうでてこなかったけれど、今回はベンジャミンの事情がでてくる。
そのぶん味は複雑。
でもこのひとの作品は、なにより元気な語り口が楽しい。
訳は伏見操。
すごい。
フランスの児童書。
前作「バスの女運転手」がめっぽう面白かったので、これも読んでみる。
主人公の名前はベンジャミン。
じじむさくてお人好し、かなりマイペースのクラスメイト、シャルルが事故でけがをしてしまい、おうちにノートなどとどけにいくはめに。
シャルルのご両親は年寄りで神経質。
廊下が汚れないようにと、ぞうきんを足の下にしき、すべるように歩く。
いっぽう、ベンジャミンの家もいろいろ事情があり、このことがシャルルとの交流に反映していく。
「バスの女運転手」では、語り手の事情はそうでてこなかったけれど、今回はベンジャミンの事情がでてくる。
そのぶん味は複雑。
でもこのひとの作品は、なにより元気な語り口が楽しい。
訳は伏見操。
すごい。
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フラッシュ
「フラッシュ」(カール・ハイアセン 理論社 2006)。
カール・ハイアセンは好きな作家。
トリッキーな推理小説、というかエンタテインメントな小説を書く。
このひとの書く作品の道具立てはいつもおんなじ。
舞台はきまってフロリダ。
いつも自然保護がらみ。
やたらと特攻精神にあふれたキャラクターたちが、ストーリーにツイストをかける。
本書は「ホー」につづくハイアセンのヤングアダルト小説第2弾。
主人公のノア少年が、留置所にいる父と面会するところから物語はスタート。
父のペインが捕まったのは、カジノ船を沈めたため。
カジノ船はビーチに汚水をたれ流していたのだ。
ところが、お父さんはカジノ船の悪事の証拠はつかんではいなかった。
例によって先走ってしまった。
そこでノアは、父の頼みを聞き、カジノ船の悪事を法廷で証言してくれるひとのところへ交渉しにでかけるが…
ノアの家族が、みんな家族思いなのが気持ちがいい。
後半、ノアの作戦が功を奏すが、物語はそれでは終わらない。
これがいかにもヤングアダルト小説という感じがする。
物事は、そうそうパッと決着がついたりしないのだ。
「ホー」はクリアしなければならない困難のバーが、ラスト近くで突然下げられたような感じがしたけれど、「フラッシュ」はその点うまくいっていると思う。
大人向けのハイアセン作品には、いつもスキップというレギュラー・キャラクターが登場する。
この「フラッシュ」では、スキップによく似たおじいちゃんがでてくる。
最初、ついにヤングアダルト小説にもスキップがあらわれたと思い、びっくりした。
このおじいちゃんがとても格好いい。
このひとを受け入れられるかどうかで、この本の評価は分かれるかもしれないなあ。
訳は千葉茂樹。
このひとが訳をしている本には、ほとんどはずれがないといっていいと思う。
カール・ハイアセンは好きな作家。
トリッキーな推理小説、というかエンタテインメントな小説を書く。
このひとの書く作品の道具立てはいつもおんなじ。
舞台はきまってフロリダ。
いつも自然保護がらみ。
やたらと特攻精神にあふれたキャラクターたちが、ストーリーにツイストをかける。
本書は「ホー」につづくハイアセンのヤングアダルト小説第2弾。
主人公のノア少年が、留置所にいる父と面会するところから物語はスタート。
父のペインが捕まったのは、カジノ船を沈めたため。
カジノ船はビーチに汚水をたれ流していたのだ。
ところが、お父さんはカジノ船の悪事の証拠はつかんではいなかった。
例によって先走ってしまった。
そこでノアは、父の頼みを聞き、カジノ船の悪事を法廷で証言してくれるひとのところへ交渉しにでかけるが…
ノアの家族が、みんな家族思いなのが気持ちがいい。
後半、ノアの作戦が功を奏すが、物語はそれでは終わらない。
これがいかにもヤングアダルト小説という感じがする。
物事は、そうそうパッと決着がついたりしないのだ。
「ホー」はクリアしなければならない困難のバーが、ラスト近くで突然下げられたような感じがしたけれど、「フラッシュ」はその点うまくいっていると思う。
大人向けのハイアセン作品には、いつもスキップというレギュラー・キャラクターが登場する。
この「フラッシュ」では、スキップによく似たおじいちゃんがでてくる。
最初、ついにヤングアダルト小説にもスキップがあらわれたと思い、びっくりした。
このおじいちゃんがとても格好いい。
このひとを受け入れられるかどうかで、この本の評価は分かれるかもしれないなあ。
訳は千葉茂樹。
このひとが訳をしている本には、ほとんどはずれがないといっていいと思う。
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マルコとミルコの悪魔なんかこわくない!
「マルコとミルコの悪魔なんかこわくない!」(ジャンニ・ロダーリ くもん出版 2006)読了。
訳は片岡樹里。
これも児童書。
ロダーリはイタリアの高名な児童文学者。
以前、このひとの「二度生きたランベルト」(平凡社 2001)を読んだことがあるのだけれど、これはあんまり肌にあわなかった。
しかし、ここのところ、このひとの本が立て続けにでる。
ならいま一度、と思い読んでみた。
結果は……
面白い!
この本は短編集。
マルコとミルコを主人公とした物語が7つおさめられている。
マルコとミルコはふたごの兄弟。
ふたりともカナヅチ(イタリア語だとふたりの名前と語呂が合うのだそう)をもっている。
マルコはもち手が白のカナヅチ。
ミルコはもち手が黒のカナヅチ。
このカナヅチは、「ブーメラン・カナヅチ」。
投げると、もどってくる。
ふたりは根気よくカナヅチをしつけたのだ。
このナンセンスな前提を受け入れれば、あとは口のへらないふたごの痛快な活躍を楽しめばいい。
あるとき、ふたりで留守番しているところにガスの修理屋がくる。
「ガスの修理屋さんだなんてあやしいね」
「どうせ、あっちこっちの家をまわって盗みをしてるんだろう」
と、ふたり。
はたして、修理屋はほんとうに泥棒。
でも、ふたりのカナヅチにやられてあえなく降参。
警察にでもどこにでも電話してくれ。
「おじさん、考えがころころ変わりすぎるんじゃないの」
「もう少し自分の考えをしっかりともちなよ」
ふたりは家のなかのいらないものをどんどん泥棒にもたせる。
趣味の悪い置物や絵や引き出物や教科書など。
「つぎくるのは2年後くらいがいいかな」
こんなふたりにも弱点がある。
これがまた、カナヅチなみにナンセンス。
ふたごの両親が、ふたご以上に食えない人物なのもよかった。
作品に安定感をあたえている。
訳は片岡樹里。
これも児童書。
ロダーリはイタリアの高名な児童文学者。
以前、このひとの「二度生きたランベルト」(平凡社 2001)を読んだことがあるのだけれど、これはあんまり肌にあわなかった。
しかし、ここのところ、このひとの本が立て続けにでる。
ならいま一度、と思い読んでみた。
結果は……
面白い!
この本は短編集。
マルコとミルコを主人公とした物語が7つおさめられている。
マルコとミルコはふたごの兄弟。
ふたりともカナヅチ(イタリア語だとふたりの名前と語呂が合うのだそう)をもっている。
マルコはもち手が白のカナヅチ。
ミルコはもち手が黒のカナヅチ。
このカナヅチは、「ブーメラン・カナヅチ」。
投げると、もどってくる。
ふたりは根気よくカナヅチをしつけたのだ。
このナンセンスな前提を受け入れれば、あとは口のへらないふたごの痛快な活躍を楽しめばいい。
あるとき、ふたりで留守番しているところにガスの修理屋がくる。
「ガスの修理屋さんだなんてあやしいね」
「どうせ、あっちこっちの家をまわって盗みをしてるんだろう」
と、ふたり。
はたして、修理屋はほんとうに泥棒。
でも、ふたりのカナヅチにやられてあえなく降参。
警察にでもどこにでも電話してくれ。
「おじさん、考えがころころ変わりすぎるんじゃないの」
「もう少し自分の考えをしっかりともちなよ」
ふたりは家のなかのいらないものをどんどん泥棒にもたせる。
趣味の悪い置物や絵や引き出物や教科書など。
「つぎくるのは2年後くらいがいいかな」
こんなふたりにも弱点がある。
これがまた、カナヅチなみにナンセンス。
ふたごの両親が、ふたご以上に食えない人物なのもよかった。
作品に安定感をあたえている。
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のんきなりゅう
「のんきなりゅう」(ケネス・グレアム 徳間書店 2006)読了。
訳は中川千尋。
立て続けに児童書を読む。
ケネス・グレアムは児童文学の古典「たのしい川べ」を書いたひと。
このひとの作品も読んだことがなかったので、新刊がでたのをいい機会だと読んでみる。
訳者あとがきによれば、この本はグレアムの文章そのままではないそう。
さし絵をかいたインガ・ムーアと出版社が、文章を刈り込んだ版の翻訳とのこと。
さて内容。
ある羊飼いの男の子が一匹の竜と出会う。
この竜のキャラクターがいい。
竜は文学趣味があり、あらそいごとはきらい。
のんきで、ものぐさ。
しかもお調子者。
「ご近所のかたもきみのように気さくなひとばかりだといいのだが」
なんてしゃべる。
しかし、なにしろ竜は目立つ。
村人の噂の種になり、ついに退治をしに聖ジョージがやってきて…
さし絵はすべてカラー。
絵は緻密だけれど、親しみがありユーモラス。
絵と文章のバランスがとてもいい。
「絵は原書のものをすべて生かしつつ、長めの文章がよみやすい縦組みの児童文学の体裁にしました」
と、訳者あとがきにあるけれど、その作業は報われたように思う。
物語はオフビートでとても楽しい。
ほとんどパロディだけれど、ちゃんと話がまとまっているところが好みだ。
なにごとも一面的でなく、それをひと筆でさらっと書いている手際がまたみごと。
あと、村人のあつかいが辛辣。
児童書にも皮肉を効かせるのがイギリス風というものだろうか。
訳は中川千尋。
立て続けに児童書を読む。
ケネス・グレアムは児童文学の古典「たのしい川べ」を書いたひと。
このひとの作品も読んだことがなかったので、新刊がでたのをいい機会だと読んでみる。
訳者あとがきによれば、この本はグレアムの文章そのままではないそう。
さし絵をかいたインガ・ムーアと出版社が、文章を刈り込んだ版の翻訳とのこと。
さて内容。
ある羊飼いの男の子が一匹の竜と出会う。
この竜のキャラクターがいい。
竜は文学趣味があり、あらそいごとはきらい。
のんきで、ものぐさ。
しかもお調子者。
「ご近所のかたもきみのように気さくなひとばかりだといいのだが」
なんてしゃべる。
しかし、なにしろ竜は目立つ。
村人の噂の種になり、ついに退治をしに聖ジョージがやってきて…
さし絵はすべてカラー。
絵は緻密だけれど、親しみがありユーモラス。
絵と文章のバランスがとてもいい。
「絵は原書のものをすべて生かしつつ、長めの文章がよみやすい縦組みの児童文学の体裁にしました」
と、訳者あとがきにあるけれど、その作業は報われたように思う。
物語はオフビートでとても楽しい。
ほとんどパロディだけれど、ちゃんと話がまとまっているところが好みだ。
なにごとも一面的でなく、それをひと筆でさらっと書いている手際がまたみごと。
あと、村人のあつかいが辛辣。
児童書にも皮肉を効かせるのがイギリス風というものだろうか。
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