さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ディル・エル・カマル

2019年07月25日 | 海外旅行
ベイト・エッディーン宮殿の見学を終えて、通り過ぎてきたディル・エル・カマルに戻りました。まず昼食をとってから見学を行いました。



広場のいっかくには、ファハルッデインの建てたモスクがあります。

ファハルッデインは、17世紀に急峻な山岳地帯と狭い海岸線に散らばっていた人々をまとめて現在のレバノンの基礎を造り、ディル・エル・カマル村に宮殿を置きました。オスマン帝国からの独立をはかり勢力を拡大しましたが、オスマン帝国に攻め込まれて、イタリアのフィレンツェに逃れ、そこでルネサンス活動を目の当たりにします。オスマン帝国のスルタンの交代に乗じてレバノンに戻り、繊維産業やオリーブ栽培と製油技術の改良に努めました。彼の産業育成政策は成功し、絹やオリーブ油の交易で発展し、勢力を現在のシリア、ヨルダン、イスラエルの一部まで拡大しました。しかし、彼の勢いとヨーロッパコネクションに危機を感じたオスマン帝国によって、1635年にファハルッデインは処刑されてしまいました。



ミナレット。



モスクの内部。メッカの方向を示すミフラーブやミンバル(説教壇)が見られます。



本日の礼拝時間が電光掲示してありました。上に1440.7.18.とあるのはイスラム歴(ヒジュラ暦)の日付のようです。





広場には、元大統領カミール・シャムーンの像が置かれていました。彼は、フランス植民地時代から頭角を現し、独立後の長きに渡りキリスト教徒を指導しましたが、レバノン内戦の間に政治的影響力を失いました。



広場には泉が設けられていました。



この泉の水を飲むと「幸せな再婚ができる」と言われているようです。あまり見られない効能です。





ユースフ・シャハーブ宮殿に入りました。



ユースフ・シャハーブ宮殿の中庭。



ここは建物の片隅を通過しただけでした。



崖下に見える奇跡のマリア教会に向かいました。



奇跡のマリア教会の前庭。



塔の上にマリア像が飾られていました。



前庭に置かれていた聖母子の飾り。



この教会については伝説が残されています。
かつてこの谷の向かいの山からドゥルーズ派の領主がこちらを眺めていたところ、一筋の光がこの村に当たっていました。領主は部下に命じて原因を確かめさせました。もしイスラム教に関係したものならモスクを、キリスト教に関係した物があれば教会を建てると決めました。その場所からは、十字と月の女神が彫られた岩が出てきたので教会が建てられました。

教会の側面にその岩がはめ込まれています。



これが、十字と月の女神のシンボルのようです。

村の名前のディル・エル・カマルは、ディル(教会)、カマル(月)という意味で、この伝説に由来しています。



教会内部。



祭壇には聖母子像が飾られていました。



聖人像が飾られていました。



もう一つの礼拝所。



洗礼盤のようです。



壁のレリーフは隠し扉になっています。内戦中は、この扉の奥に数千人が隠れたそうです。



ディル・エル・カマルの見学を終えてシュトゥーラに向かうと、少し先で城風の建物が見えてきました。



これは、ムーサ城です。「俺は、海賊王ならぬ城主になる」と一念発起して、自力で60年をかけて作った城です。

立派に見えるお城ですが、よく見ると城壁や塔のスケールが小さくなっています。



ムーサ氏は亡くなっているようで、現在は博物館として公開されています。





地元では人気の観光地になっているようです。



ムーサ城の裏手。

この後は、レバノン山脈を越してベカー高原の中心地のシュトゥーラに向かいました。
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