ベカー高原に到着してシュトゥーラのホテルに入る前に、アンジャル遺跡を見学しました。
アンジャルは、8世紀のウマイヤ朝による都市ですが、当時には技術が無かったため、ビザンチン朝の技術者に依頼して建てられました。アンジャルは、ダマスカスとの交易の都市として発展しました。なお、アラブ人の造ったものとしては、レバンにおける唯一の世界遺産になっています。
列柱の残る通りが延びています。
遺跡の概略図ですが、南北にカルド大通り、東西にデグヌマス大通りが設けられています。なお、入り口は北側にあります。
少し高台になっている奥には、大宮殿が見えています。
通り沿いには、歩道や商店の跡が見られます。
カルド大通りとデグヌマス大通りの交差点部には、テトラピオン(四つの塔)が設けられています。
かつては四隅に設けられていましたが、現在では一つの塔が残されているだけです。
四本の柱に支えられた美しい塔です。
交差点部から南方面の眺め。
交差点部からの西方面の眺め。
カルド大通りをさらに南に進んでいきます。
大宮殿へと向かいます。
大宮殿の残されている壁面や柱からも、かなりの規模であったことがうかがわれます。
大宮殿の柱。見上げる高さです。
振り返り見たテトラピオン方面。
モスクの跡のようです。
入り口方向に戻っていきます。
彫刻の見られる石材が展示されていました。
浴室も残されていました。
ローマ遺跡のテルマエと同じ造りです。
イスラム世界で見られるハマムは、ローマ文明のテルマエの影響のもとに発展したように思えます。それに対しローマの風呂文化を引き継がなかった中世ヨーロッパは、風呂にも入らず臭そうで文化程度が低く思ってしまいます。
入り口に戻ってきました。
アンジャル遺跡の見学を終えて、シュトゥーラのシュトゥーラパークに入りました。
シュトゥーラパークには二泊しましたが、なかなか良いホテルでした。
朝の風景。
プールも設けてありましたが、泳いでいる者は見かけませんでした。
ホテル前の大通り。
この地方の中心地のようで、スターバックスやマクドナルドもありました。
すぐ近くにはスーパーマーケットもあり、土産の菓子などの買い物ができました。ただ、入り口が判りにくく、最初の晩には入り口を見落としてしまいました。同じホテルに泊まる人は要注意です。
アンジャルは、8世紀のウマイヤ朝による都市ですが、当時には技術が無かったため、ビザンチン朝の技術者に依頼して建てられました。アンジャルは、ダマスカスとの交易の都市として発展しました。なお、アラブ人の造ったものとしては、レバンにおける唯一の世界遺産になっています。
列柱の残る通りが延びています。
遺跡の概略図ですが、南北にカルド大通り、東西にデグヌマス大通りが設けられています。なお、入り口は北側にあります。
少し高台になっている奥には、大宮殿が見えています。
通り沿いには、歩道や商店の跡が見られます。
カルド大通りとデグヌマス大通りの交差点部には、テトラピオン(四つの塔)が設けられています。
かつては四隅に設けられていましたが、現在では一つの塔が残されているだけです。
四本の柱に支えられた美しい塔です。
交差点部から南方面の眺め。
交差点部からの西方面の眺め。
カルド大通りをさらに南に進んでいきます。
大宮殿へと向かいます。
大宮殿の残されている壁面や柱からも、かなりの規模であったことがうかがわれます。
大宮殿の柱。見上げる高さです。
振り返り見たテトラピオン方面。
モスクの跡のようです。
入り口方向に戻っていきます。
彫刻の見られる石材が展示されていました。
浴室も残されていました。
ローマ遺跡のテルマエと同じ造りです。
イスラム世界で見られるハマムは、ローマ文明のテルマエの影響のもとに発展したように思えます。それに対しローマの風呂文化を引き継がなかった中世ヨーロッパは、風呂にも入らず臭そうで文化程度が低く思ってしまいます。
入り口に戻ってきました。
アンジャル遺跡の見学を終えて、シュトゥーラのシュトゥーラパークに入りました。
シュトゥーラパークには二泊しましたが、なかなか良いホテルでした。
朝の風景。
プールも設けてありましたが、泳いでいる者は見かけませんでした。
ホテル前の大通り。
この地方の中心地のようで、スターバックスやマクドナルドもありました。
すぐ近くにはスーパーマーケットもあり、土産の菓子などの買い物ができました。ただ、入り口が判りにくく、最初の晩には入り口を見落としてしまいました。同じホテルに泊まる人は要注意です。