さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ティール その1

2019年07月17日 | 海外旅行
シドンの街の見学を終えてティール(現在はスール)にやってきました。ティールは、紀元前10世紀ころに、シドンを抜いて最も栄えたフェニキア人の都市国家になりました。なお、カルタゴはティール出身の女王ディドーによって建国されました。紀元前332年、アレキサンダー大王の東征に対しフェニキア人の中では唯一激しく抵抗し、要塞化されたティールの島に立てこもりました。これに対し、アレキサンダー大王の軍は海上封鎖の上、海岸と島を結ぶ道を造り、7ヶ月を費やしてティールを陥落させました。その後、セレウコス朝シリアやローマ、アラブ軍、十字軍などに占領されてその遺跡が残っています。

ティールの遺跡は、陸の遺跡と海の遺跡の二つに分かれますが、まず陸の遺跡から見学しました。



入場口付近はビザンチン時代のものです。



道の脇には墓石が乱雑に転がっていました。





彫刻の見られる石棺。



石畳みの奥には、セプティミウス・セウェルス帝の凱旋門が見えていました。

石畳が斜めに組まれているのは、馬車が走るのに対して強度を増すためのようです。



建物の跡も残されていました。



モザイクも残されていました。





再建中の建物もありました。



石棺の蓋でしょうか。一面に彫刻が施されていました。



拡大してみると羽の生えた男児のようです。クピド(キューピット)のように見えます。



モザイクの床。





セプティミウス・セウェルス帝の凱旋門。左に付属する小さな門は、歩行者用の門のようです。



セプティミウス・セウェルス帝の凱旋門の先はローマ時代の遺跡になります。石畳も良く保存されています。ビザンチン時代の石畳とは違った組み方になっています。



石畳の脇には円柱と水道橋の橋げたが並んでいました。



左が水道橋になります。



遺跡の南側には原っぱが広がっていますが、これはかつての競技場です。ベンハーの映画などで有名な戦車競技が行われました。2万人が収容されて、ローマ帝国で二番目の大きさだといいます。



メインの観覧席のようです。



競技場の南の端まで歩きました。ゲートと観覧席が残されていました。



南のゲート。ここから歓声のもとに競技者が入場したのでしょう。



競技場の外側からの眺め。



競技場の中央にも遺構が残されていました。青いシートは、モザイクの保護のためのようです。



これは浴場跡のようです。



オベリストも立てられていました。



モザイクを眺めながら入り口に戻りました。



この後は、海の遺跡に向かいました。
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