さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 シドン その1

2019年07月12日 | 海外旅行
エシュムーン神殿の見学を終えてシドンの街に向かうと、巨大なモスクが見えてきました。

シドンは、暗殺されたハリーリ前首相の出身地でスンニ派のイスラム教徒が多いようです。



海沿いの道を走ると、十字軍の建てた「海の要塞」が見えてきました。



海の要塞の見学前に、入り口の正面にあるファラフェルの店で味見をすることになりました。



人気の店で、次々に揚げていました。



ファラフェルは、ソラマメやひよこ豆をペースト状にして揚げたものです。熱々のコロッケといった感じです。美味しく頂きました。



ソースをつけたり、野菜と一緒に食べます。



ひと休みの後、海の要塞に入りました。



シドンは、南部の中心地として、紀元前12~10世紀にはフェニキア人の都市国家として、交易によって繁栄しました。紀元前6世紀からのペルシャ時代時代には、シリア、キプロス、パレスチナを版図としたペルシャ第五の州都として黄金時代を迎えました。その後も沿岸部の重要拠点として、ローマ、十字軍、トルコの侵攻を受けることになりました。

第一回十字軍のボードゥアン1世によってシドンは1110年に陥落されますが、1187年にはサラディーンがベイルートやアッコとともに奪い返し、その勢いでエルサレム征服を果たしました。1228年に十字軍はシドンを奪い返しますが、サラディーンがそれを見越して陸地の城塞をことごとく破壊していたため、フェニキア人がメルカルト神殿を建てていた小島に要塞を建てました。



現在は陸地と橋でつながっていますが、これはビザンチン時代に整備されたものです。



要塞の入場口。



アーチ上部には、彫刻が残されていました。



左から、ライオン。



槍を構える兵士。



ライオン。



シドンの市街地を振り返ったところ。



壁には、ビブロス遺跡の十字軍の要塞でも見られたのと同じに、ローマ時代の柱が埋め込まれていました。



要塞内に入ると、広場を囲んで二階部が設けられていました。



二階部から広場を見下ろしたところ。正面に見える塔は、立ち入り禁止になっていました。



要塞の入り口部。



市街地と橋。



岸辺に設けられたレストランでは、パーティーが開かれて大音量の音楽が流されていました。



市街地側に戻って、浜辺から見た海の要塞。

十字軍の歴史を考える上で興味深い古城ですが、シドンの街を守るには小さすぎて、なんとか拠点を設けたといったところです。

続けてシドンの街を見学することになりました。
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