さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ウィーン その3

2011年10月18日 | 海外旅行
シェーンブルン宮殿に続いて、ベルヴェデーレ宮殿を訪れました。

ベルヴェデーレ宮殿は、トルコ軍からウィーンを救ったオイゲン公の夏の離宮として造られました。上宮と下宮に分かれており、上宮はオーストリア絵画の美術館、下宮はオイゲン公の居室や中世美術の展示室があります。



バロック様式の宮殿が、池に影を映しています。



ベルヴェデーレ宮殿にも多くの観光客が集まっていますが、ツアーによっては外観の見学だけですましてしまうものもあるようです。



上宮には南側から入場しましたが、北側に回り込むと、下宮越しにウィーン市街地の眺めが広がりました。



シュテファン寺院の塔も見えています。



上宮と下宮の間には美しい庭が広がり、スフィンクス像が飾られています。



宮殿内に入りましたが、写真撮影はここまでになりました。クリムトの絵をめざして二階に上がります。

以下の画像は、クリムトについての本からのものです。



ベルヴェデーレ宮殿は、オーストリア絵画が展示されていますが、クリムトのコレクションで知られています。

とりわけ有名なのは、この「接吻」。

20年ぶりの再会です。当時は、今ほどの人気はありませんでした。

クリムトは、代々の彫金家に生まれましたが、絵画の才能があることから工芸美術学校に入学し、公共装飾の世界に足を踏み入れます。ちょうど、ウィーンの城壁を撤去してリンクを作る時代になっており、復古趣味の歴史主義的建造物を次々に建てる時代で、室内装飾の仕事をこなしていくことになります。

装飾家として名声を得ていたクリムトでしたが、ウィーン大学の壁画でトラブルが生じたことをきっかけにして、保守的なウィーン美術家組合を嫌った芸術家達によって1897年に結成されたウィーン分離派の初代会長に収まることになります。

クリムトは、作曲家のマーラー夫人になるアルマをはじめ多くのモデルと恋愛関係におちますが、この絵はエミーリエ・フレーゲとの愛から生まれました。

黄金色の背景は、中世ビザンティン美術の影響と言われますが、この世のものでない聖なる光を現します。二人が崖の縁で抱き合うのは、楽園の終わりを表しています。

この「接吻」には、多くのデッサンや秀作が残されています。もとは女性が立っていたものが、この絵ではひざまずくように描かれており、一体感や恍惚感が増しています。

ガイドは長々と説明を続けていましたが、二人の恍惚の世界に浸ることにしました。



「接吻」と向かい合うように置かれている「ユディットとホロフェルネス」

ユディットは、エルサレム近くの街ベツリアに攻め入ろうとするアッシリアの将軍ホロフェルネスに寝返ったふりをして信用させ、彼が寝込んだ際にその首をはねて、街を救ったという聖書外典中の女性。なまねかしい、恍惚の表情には、「ファム・ファタル(宿命の女/魔性の女」的女性観が反映されています。

好きな絵です。



ソニア・クニプスの肖像

ウィーンの有力者の妻を描いたもので、黒地にピンクのドレスを着た姿が浮かび上がっています。

クリムトは、正方形のキャンバスを好んで使いましたが、この絵でも安定感を与えています。



フリッツァ・リードラーの肖像

装飾的な背景の中に写実的な女性が描かれています。



「芥子の野」

クリムトというと金地に官能的な女性を描いた絵を思い浮かべますが、風景画も多数描いています。

正方形のキャンパスを用い、奥の木に視点が集中するように描かれています。



「アダムとイヴ」

クリムトの絵は、晩年に再び変化し、金の多様を避けるようになります。



「花嫁」

クリムトの遺作になった絵で、一部が未完成になっています。

女性に囲まれている男性は、クリムト自身と言われています。男性の視線の先には、裸体で足を広げた女性に向けられていますが、女性の顔は描かれていません。



シーレ作「家族」

クリムトに知り合うことによって画家として志した画家にシーレとココシュカがいます。二人の絵は、クリムトの晩年の絵に逆に影響を与えることになります。



クリムトは、自画像は描きませんでした、写真は残されています。官能の画家クリムトというイメージに反した、のんだくれのおっさんという雰囲気ですね。猫が好きだったようですが、藤田嗣治と違って絵に猫は登場しません。

なお、2012年はクリムトの生誕150年となり、クリムト・イヤーということでウィーンでは盛り上がりそうです。

ベルヴェデーレ宮殿では、宮殿とクリムトの作品を楽しみましたが、今回もブルックナーの最後の住まいを見ることはできませんでした。ウィーンには、また訪れる必要があります。
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