ウィーン観光では、朝一番にシェーンブルン宮殿に向かいました。
シェーンブルン宮殿の前には、すでに大勢の観光客が集まっていました。
シェーンブルン宮殿は、ハプスブルグ王朝の歴代君主が夏の離宮として使ってきました。
皇帝レオポルド1世がヴェルサイユ宮殿をしのぐ大宮殿の建築を命じましたが、財政難によって規模は縮小され、結局、女帝マリア・テレジアの命によって現在の形に整えられました。
宮殿の壁はテレジア・イエローと呼ばれる薄黄色に塗られていますが、これは金を塗ろうとしたものの、財政難のために断念し、似た色を選んだことによります。
入場時間は決まっていて、少し先であったため、まず庭の見学をしました。
花壇に彩られた庭の先には、丘があり、その上には、1775年に建てられたグロリエッテと呼ばれる、プロイセンに対する戦勝記念の建造物が置かれています。
花壇も良く手入れされています。
丘の麓には、ネプチューンの泉があります。
残念ながら、時間が無く、今回はグロリエッテまで上がることができませんでした。
宮殿を庭から眺めたところ。
庭と宮殿の取り合わせはヴェルサイユ宮殿と似ています。
建物の上には、ハプスブルク家の紋章である双頭の鷲が飾られていました。
時間が来たので、宮殿に入場します。
この先は、写真撮影禁止となったので、宮殿の売店で購入したガイドブックや絵葉書からの写真を載せていきます。
シェーンブルン宮殿には、1441室の部屋数があるといいますが、見学コースは、27室を見学できるインペリアルツア-と、さらに加えて全39室を見学できるグランドツアーとに分かれます。幸い、グランドツアーで見学することができました。
胡桃の間
高価な胡桃材が壁に貼られていることから胡桃の間と呼ばれています。フランツ・ヨーゼフ皇帝は、謁見のために使いました。
フランツ・ヨーゼフの執務室
胡桃の間とは違って質素で堅実な内装になっています。エリーザベト皇后の肖像画が飾られています。
エリーザベト皇后の書斎
現在は取り払われている、階下の私室に通じる階段があり、自由に外出できたといいます。
エリーザベト皇后の化粧室
容貌体形を保つため、美容と体操が彼女の日常生活の中心でした。
皇帝夫妻の寝室
皇帝夫婦がこの部屋を使ったのは、結婚後数年だったようです。
マリー・アントワネットの部屋
フランス女王になったマリー・アントワネットと子供を描いたゴブラン織りが飾られていたことに名前は由来します。
フランツ・ヨーゼフ皇帝時代には、皇帝一家の食事室として使われました。
鏡の間
マリア・テレジア時代の行事用サロンとして整備されました。
6才のモーツァルトが女帝に謁見し、クラブサンの御前演奏を行ったのも、このホールと言われています。
少年モーツァルトがあやまって寄木の床に滑って転んだ時、王女マリー・アントワネットが彼を助け起こしたところ、モーツァルトが「あなたはよい子だね。ぼくと結婚しようか」といったという話が残されています。
大きなローザの間
ここからは西川棟から中央棟に変わります。部屋の飾りに楽器が加えられていることから、マリア・テレジアの時代には音楽演奏に用いられていたようです。
大ギャラリー
長さ43m、幅10mで、宮殿での舞踏会やレセプションが開かれました。天井はフレスコ画で飾られ、壁の鏡が奥行きを増しています。当初はロウソクの照明でしたが、1901年には電化工事が行われました。
広間の半分は修復中でしたが、半分の見学でも豪華な気分を味わうことができました。
小ギャラリー
大ギャラリーと並行して装飾され、マリア・テレジアの時代には家族的な催しに使われていました。
中国の小部屋
密議の間として小規模な会議に用いられていましたが、18世紀に始まった東洋趣味の影響で中国の工芸品が運び込まれ、中国製の漆の装飾版で飾られました。
セレモニーの間
皇帝フタンツ1世の謁見の際の控えの間や家族的なセレモニーの間として使われました。壁には、マリアテレジアの息子のヨーゼフ2世とパルマ公女イザベラとの結婚式の際の教会での式や正餐、晩餐などの絵が飾られています。
駿馬の間
1852年のスタイルに基づく元帥の正餐が再現されています。
青い中国のサロン
ここからは東棟で、皇帝フランツ1世(マリア・テレジアの夫)の部屋が始まります。中国製の高価な壁紙が飾られています。
漆の間
漆の間は、皇帝フランツ1世の急逝後に、マリア・テレジアが夫を偲ぶ部屋として改装したものです。嵌め込まれている中国製の黒漆のプレートは、本来はヨーロッパ向けの屏風でした。
磁器の間
マリア・テレジアの遊戯室兼仕事部屋として内装されました。飾られている中国風の墨絵の手法で書かれた絵は、皇帝フランツ1世と子供たちが作成したものです。
百万の間
百万の間という名前は、高価な紫檀の化粧版を用いていることに由来します。紫檀の寄木細工の化粧版にインド及びペルシャで描かれた細密画がはめ込まれています。
現在この部屋は修理中で、数点の細密画が見られるだけでした。
ソフィー女大公の書斎
フランツ・ヨーゼフの母君のために内装された部屋です。バイエルン出身のソフィー女大公は、エリーザベトの伯母にあたりますが、二人の仲は最後まで悪いままでした。このいきさつは、ミュージカル「エリーザベト」に描かれていますね。
マリア・テレジアのベッド
このベッドは、マリア・テレジアの両親のカール4世夫妻のために注文されましたが、マリア・テレジアが相続してシェーンブルン宮殿に運び込まれました。日常的な使用ではなく、洗礼などの際の儀式の際に使われました。
シェーンブルン宮殿は部屋数も多いため、それぞれが興味深いといっても、ガイドの説明を聞いているうちに頭が混乱してきました。個人参加で、先にガイドブックを買い求めて、それを読みながら歩いた方が、しっかりと頭に入るのかもしれません。
シェーンブルン宮殿の前には、すでに大勢の観光客が集まっていました。
シェーンブルン宮殿は、ハプスブルグ王朝の歴代君主が夏の離宮として使ってきました。
皇帝レオポルド1世がヴェルサイユ宮殿をしのぐ大宮殿の建築を命じましたが、財政難によって規模は縮小され、結局、女帝マリア・テレジアの命によって現在の形に整えられました。
宮殿の壁はテレジア・イエローと呼ばれる薄黄色に塗られていますが、これは金を塗ろうとしたものの、財政難のために断念し、似た色を選んだことによります。
入場時間は決まっていて、少し先であったため、まず庭の見学をしました。
花壇に彩られた庭の先には、丘があり、その上には、1775年に建てられたグロリエッテと呼ばれる、プロイセンに対する戦勝記念の建造物が置かれています。
花壇も良く手入れされています。
丘の麓には、ネプチューンの泉があります。
残念ながら、時間が無く、今回はグロリエッテまで上がることができませんでした。
宮殿を庭から眺めたところ。
庭と宮殿の取り合わせはヴェルサイユ宮殿と似ています。
建物の上には、ハプスブルク家の紋章である双頭の鷲が飾られていました。
時間が来たので、宮殿に入場します。
この先は、写真撮影禁止となったので、宮殿の売店で購入したガイドブックや絵葉書からの写真を載せていきます。
シェーンブルン宮殿には、1441室の部屋数があるといいますが、見学コースは、27室を見学できるインペリアルツア-と、さらに加えて全39室を見学できるグランドツアーとに分かれます。幸い、グランドツアーで見学することができました。
胡桃の間
高価な胡桃材が壁に貼られていることから胡桃の間と呼ばれています。フランツ・ヨーゼフ皇帝は、謁見のために使いました。
フランツ・ヨーゼフの執務室
胡桃の間とは違って質素で堅実な内装になっています。エリーザベト皇后の肖像画が飾られています。
エリーザベト皇后の書斎
現在は取り払われている、階下の私室に通じる階段があり、自由に外出できたといいます。
エリーザベト皇后の化粧室
容貌体形を保つため、美容と体操が彼女の日常生活の中心でした。
皇帝夫妻の寝室
皇帝夫婦がこの部屋を使ったのは、結婚後数年だったようです。
マリー・アントワネットの部屋
フランス女王になったマリー・アントワネットと子供を描いたゴブラン織りが飾られていたことに名前は由来します。
フランツ・ヨーゼフ皇帝時代には、皇帝一家の食事室として使われました。
鏡の間
マリア・テレジア時代の行事用サロンとして整備されました。
6才のモーツァルトが女帝に謁見し、クラブサンの御前演奏を行ったのも、このホールと言われています。
少年モーツァルトがあやまって寄木の床に滑って転んだ時、王女マリー・アントワネットが彼を助け起こしたところ、モーツァルトが「あなたはよい子だね。ぼくと結婚しようか」といったという話が残されています。
大きなローザの間
ここからは西川棟から中央棟に変わります。部屋の飾りに楽器が加えられていることから、マリア・テレジアの時代には音楽演奏に用いられていたようです。
大ギャラリー
長さ43m、幅10mで、宮殿での舞踏会やレセプションが開かれました。天井はフレスコ画で飾られ、壁の鏡が奥行きを増しています。当初はロウソクの照明でしたが、1901年には電化工事が行われました。
広間の半分は修復中でしたが、半分の見学でも豪華な気分を味わうことができました。
小ギャラリー
大ギャラリーと並行して装飾され、マリア・テレジアの時代には家族的な催しに使われていました。
中国の小部屋
密議の間として小規模な会議に用いられていましたが、18世紀に始まった東洋趣味の影響で中国の工芸品が運び込まれ、中国製の漆の装飾版で飾られました。
セレモニーの間
皇帝フタンツ1世の謁見の際の控えの間や家族的なセレモニーの間として使われました。壁には、マリアテレジアの息子のヨーゼフ2世とパルマ公女イザベラとの結婚式の際の教会での式や正餐、晩餐などの絵が飾られています。
駿馬の間
1852年のスタイルに基づく元帥の正餐が再現されています。
青い中国のサロン
ここからは東棟で、皇帝フランツ1世(マリア・テレジアの夫)の部屋が始まります。中国製の高価な壁紙が飾られています。
漆の間
漆の間は、皇帝フランツ1世の急逝後に、マリア・テレジアが夫を偲ぶ部屋として改装したものです。嵌め込まれている中国製の黒漆のプレートは、本来はヨーロッパ向けの屏風でした。
磁器の間
マリア・テレジアの遊戯室兼仕事部屋として内装されました。飾られている中国風の墨絵の手法で書かれた絵は、皇帝フランツ1世と子供たちが作成したものです。
百万の間
百万の間という名前は、高価な紫檀の化粧版を用いていることに由来します。紫檀の寄木細工の化粧版にインド及びペルシャで描かれた細密画がはめ込まれています。
現在この部屋は修理中で、数点の細密画が見られるだけでした。
ソフィー女大公の書斎
フランツ・ヨーゼフの母君のために内装された部屋です。バイエルン出身のソフィー女大公は、エリーザベトの伯母にあたりますが、二人の仲は最後まで悪いままでした。このいきさつは、ミュージカル「エリーザベト」に描かれていますね。
マリア・テレジアのベッド
このベッドは、マリア・テレジアの両親のカール4世夫妻のために注文されましたが、マリア・テレジアが相続してシェーンブルン宮殿に運び込まれました。日常的な使用ではなく、洗礼などの際の儀式の際に使われました。
シェーンブルン宮殿は部屋数も多いため、それぞれが興味深いといっても、ガイドの説明を聞いているうちに頭が混乱してきました。個人参加で、先にガイドブックを買い求めて、それを読みながら歩いた方が、しっかりと頭に入るのかもしれません。