
美術史博物館には、ところ狭しと絵画が並べられています。閉館時間も迫っていたため、足早にひと回りしました。

クラナッハ作「アダムとイブ」

これもクラナッハ作の絵
クラナハの描く人の顔は描いた画家の個性が強いものですが、引き付けられます。

ルーベンスの絵も、ひと部屋が与えられ、大作がそろっています。

ルーベンス作「幼子キリストとヨハネ、二人の天使」

ルーベンス作「毛皮をまとうエレーヌ・フールマン」
ルーベンスの二番目の妻を描いたもので、画家の死後売却することを禁止され、本人に寄与されることを遺言で言い残した、画家自身が特別な愛着を持った作品です。

フェルメール作「絵画芸術」
30数点しか残されていないフェルメールの作品のうちでも代表作のひとつに挙げられる作品です。
日本でもフェルメールの人気は高く、数点が展示されるような展覧会は大混雑になりますが、ここでは、誰もいない静かな環境でじっくりと絵と向かい合うことができました。

レンブラントの自画像
レンブラントは、生涯100枚以上の自画像を描いたといいます。

中央はホルバイン作「聖母子」

観客も少なく、静かに絵と向かい合い贅沢な時間を過ごすことができました。
中央は、ジョルダーノ作「大天使ミカエルと叛逆天使たち」

スペインの宮廷画家ベラスケスが描いた王女マルガリータの3枚の肖像画は、名画揃いの美術史美術館の中でも見どころになっています。
フェリベ4世の時代、存亡の危機にあったスペインでは、当時絶大な勢力を誇っており、神聖ローマ皇帝を輩出していたオーストリアとの婚姻はどうしても成就させなければならないものでした。そこで、マルガリーテはオーストリア皇帝の許婚となり、彼女の成長過程をおっての肖像画が、ウィーンに成長記録の役割で送られました。
1666年、15才の王女マルガリータは、ウィーンの11才年上のレオポルド1世のもとに嫁ぎます。マルガリーテは、愛された結婚生活を送りますが、6年後に21才の若さで亡くなってしまいます。
、

「薔薇色の衣装のマルガリータ王女」
3才の王女を描いたもの。

「白いドレスのマルガリータ王女」
5才の王女を描いたもの

「青いドレスのマルガリータ女王」
8才の王女を描いたもの。

「マリア・テレーサ王女の肖像」
マルガリータ以外のスペイン王家の家族の肖像画もハプスブルグ家に送られていました。
マリア・テレーサ王女は、マルガリータの母違いの姉で、22才の時にフランスのルイ14世の妃となりました。レオポルド1世は、マリア・テレーサの方との結婚を望んでいたともいいます。
マルガリータとの結婚によってオーストリアはスペインの継承権を得たと考え、一方、フランスはマリア・テレーサとの結婚によって同じく継承権を得たと考えました。これによって、後にスペイン継承戦争が勃発することになります。

「王子フェリペ・プロスペロ」
マルガリータの弟です。

「皇太子バルタサール・カルロス」
マルガリータの兄です。

アルチンボルド作「四季・夏」(左)と「四大元素・火」(右)

「四季・冬」(左)と「四大元素・水」(右)
アルチンボルドは、緻密に描かれた果物、野菜、動植物、本などを寄せ集めた、珍奇な肖像画の製作で世に知られています。当時の権力者は、珍しいコレクションを自慢しあって自らの権力を誇示しましたが、この絵もその目的にかなったということになります。

ラファエロ作「ベルヴェデーレの聖母(牧場の聖母)」
フィレンツェ滞在中に、ルーブル美術館所蔵の「美しき女庭師(聖母子と幼児聖ヨハネ) 」の前年に描かれた傑作。
ラファエロの作品は、まず鮮やかな色彩が目に飛び込んできて、絵とともに解説を見るとラファエロ作だと知ることが多いですね。

ブリューゲルのコレクションも、美術史博物館ならではのものです。

「バベルの塔」
ブリューゲルが描いたバベルの塔は二点あり、この美術史博物館とオランダ・ロッテルダムにあるボイマンス=ファン・ブーニンゲン美術館に所蔵されています。
美術史博物館の絵は、空に届く塔を建築中の活気に満ちた様子が描かれているのに対し、オランダのものは、赤い空に覆われ工事は中断して荒廃した姿が描かれています。

「雪の中の狩人」

「謝肉祭と四旬節の喧嘩」

「農家の婚礼」

「農民の踊り」

「ベツレヘムの嬰児虐殺」
この絵を見ると、雪の中の農村風景のように見えて、どこに殺害場面が描かれているのか判りません。ブリューゲルは、子供の殺害場面を描いていたのですが、残忍さを消すため、後世の画家が荷物や犬などに上書きしてしまいました。このことは、絵のX線撮影や、息子が描いた模写絵で確かめることができます。
美術史博物館では、見落とした作品もあり、もう少しゆっくりと見学したいものでした。

クラナッハ作「アダムとイブ」

これもクラナッハ作の絵
クラナハの描く人の顔は描いた画家の個性が強いものですが、引き付けられます。

ルーベンスの絵も、ひと部屋が与えられ、大作がそろっています。

ルーベンス作「幼子キリストとヨハネ、二人の天使」

ルーベンス作「毛皮をまとうエレーヌ・フールマン」
ルーベンスの二番目の妻を描いたもので、画家の死後売却することを禁止され、本人に寄与されることを遺言で言い残した、画家自身が特別な愛着を持った作品です。

フェルメール作「絵画芸術」
30数点しか残されていないフェルメールの作品のうちでも代表作のひとつに挙げられる作品です。
日本でもフェルメールの人気は高く、数点が展示されるような展覧会は大混雑になりますが、ここでは、誰もいない静かな環境でじっくりと絵と向かい合うことができました。

レンブラントの自画像
レンブラントは、生涯100枚以上の自画像を描いたといいます。

中央はホルバイン作「聖母子」

観客も少なく、静かに絵と向かい合い贅沢な時間を過ごすことができました。
中央は、ジョルダーノ作「大天使ミカエルと叛逆天使たち」

スペインの宮廷画家ベラスケスが描いた王女マルガリータの3枚の肖像画は、名画揃いの美術史美術館の中でも見どころになっています。
フェリベ4世の時代、存亡の危機にあったスペインでは、当時絶大な勢力を誇っており、神聖ローマ皇帝を輩出していたオーストリアとの婚姻はどうしても成就させなければならないものでした。そこで、マルガリーテはオーストリア皇帝の許婚となり、彼女の成長過程をおっての肖像画が、ウィーンに成長記録の役割で送られました。
1666年、15才の王女マルガリータは、ウィーンの11才年上のレオポルド1世のもとに嫁ぎます。マルガリーテは、愛された結婚生活を送りますが、6年後に21才の若さで亡くなってしまいます。
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「薔薇色の衣装のマルガリータ王女」
3才の王女を描いたもの。

「白いドレスのマルガリータ王女」
5才の王女を描いたもの

「青いドレスのマルガリータ女王」
8才の王女を描いたもの。

「マリア・テレーサ王女の肖像」
マルガリータ以外のスペイン王家の家族の肖像画もハプスブルグ家に送られていました。
マリア・テレーサ王女は、マルガリータの母違いの姉で、22才の時にフランスのルイ14世の妃となりました。レオポルド1世は、マリア・テレーサの方との結婚を望んでいたともいいます。
マルガリータとの結婚によってオーストリアはスペインの継承権を得たと考え、一方、フランスはマリア・テレーサとの結婚によって同じく継承権を得たと考えました。これによって、後にスペイン継承戦争が勃発することになります。

「王子フェリペ・プロスペロ」
マルガリータの弟です。

「皇太子バルタサール・カルロス」
マルガリータの兄です。

アルチンボルド作「四季・夏」(左)と「四大元素・火」(右)

「四季・冬」(左)と「四大元素・水」(右)
アルチンボルドは、緻密に描かれた果物、野菜、動植物、本などを寄せ集めた、珍奇な肖像画の製作で世に知られています。当時の権力者は、珍しいコレクションを自慢しあって自らの権力を誇示しましたが、この絵もその目的にかなったということになります。

ラファエロ作「ベルヴェデーレの聖母(牧場の聖母)」
フィレンツェ滞在中に、ルーブル美術館所蔵の「美しき女庭師(聖母子と幼児聖ヨハネ) 」の前年に描かれた傑作。
ラファエロの作品は、まず鮮やかな色彩が目に飛び込んできて、絵とともに解説を見るとラファエロ作だと知ることが多いですね。

ブリューゲルのコレクションも、美術史博物館ならではのものです。

「バベルの塔」
ブリューゲルが描いたバベルの塔は二点あり、この美術史博物館とオランダ・ロッテルダムにあるボイマンス=ファン・ブーニンゲン美術館に所蔵されています。
美術史博物館の絵は、空に届く塔を建築中の活気に満ちた様子が描かれているのに対し、オランダのものは、赤い空に覆われ工事は中断して荒廃した姿が描かれています。

「雪の中の狩人」

「謝肉祭と四旬節の喧嘩」

「農家の婚礼」

「農民の踊り」

「ベツレヘムの嬰児虐殺」
この絵を見ると、雪の中の農村風景のように見えて、どこに殺害場面が描かれているのか判りません。ブリューゲルは、子供の殺害場面を描いていたのですが、残忍さを消すため、後世の画家が荷物や犬などに上書きしてしまいました。このことは、絵のX線撮影や、息子が描いた模写絵で確かめることができます。
美術史博物館では、見落とした作品もあり、もう少しゆっくりと見学したいものでした。