![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/5f/b26d87ab16045c7c8b5c113f69a70a83.jpg)
ドナウ川を見下ろす丘の上にブラチスラヴァ城があります。
入り口の門をくぐって坂道を登っていきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/0e/c83b0c7be7e874c3d10eaf2a7dce0169.jpg)
ブラチスラヴァ城が姿を現しました。ウェブ上の以前の写真を見ると薄茶色をしていますが、最近修復が終わって真っ白な姿を見せていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/56/7f145a843ee5e82d364897ae65ef29e6.jpg)
もう一つ門をくぐります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/39/13c4b6ffa74bef5e524373250f6d33b9.jpg)
城の4隅に塔が立っているので「ひっくり返したテーブル」とも呼ばれています。城の正面広場からでは、4隅の塔を入れた城の全体像は撮れません。麓の街から見上げた方が、「ひっくり返したテーブル」の愛称を実感できます。
ブラチスラヴァ城は、9世紀の大モラビア王国時代に宮殿が作られ、17世紀になって、オスマントルコの侵入に備えるため4つの塔が追加・改築されて現在の姿になりました。
ブラチスラバ城がもっとも栄えたのは 18世紀のマリア・テレジアの時代で、宮廷として相応しいようバロック風に改築され、マリア・テレジアは義理の息子であるアルベルト・テッシェンにハンガリー総督としての地位及びこの住まいを与えました。マリア・テレジア自身も居城として 1760から80年まで使用しました。
現在は、内部は改築中で見学はできません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/5a/1f915f771e5698eb5c628f652f009b56.jpg)
城の前に立っている騎馬像は、大モラヴィア王国の支配者であった「Svatopluk」です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/37/7e58659d07f9b8733494000e58abc5dd.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/38/ca1385a1f5c0d94b748df4a02a65e0f8.jpg)
城内には入れないので、広場からドナウ川の眺めを楽しみました。
川にかかる橋には、UFOの塔が立てられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/95/9f6bae95986da907a2f229426a994231.jpg)
ブラチスラヴァは、スロヴァキアの首都ではありますが、その位置は国の西端にあたり、ドナウ川の向こうの丘はオーストリア領です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/94/c82defa036b81f3db2dfd318aa0849bd.jpg)
ブラチスラヴァ城への登り坂の取り付きには、スロヴァキアの大統領府があります。道路脇にあります。
スロヴァキアは、日本にほとんど知られていない国ですが、2011年10月のニュースでは、スロヴァキアの議会の決定に関するニュースが注目をあびることになりました。
ギリシャの経済破綻によるユーロの危機を回避するための追加支援は、加盟国による全会一致が必要になりますが、スロヴァキアが最後の議決国になり、しかも否決される事態になりました。小国スロヴァキアがユーロの運命を左右することになり、しばらくこの国の政局に目が離せなくなりました。、
入り口の門をくぐって坂道を登っていきます。
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ブラチスラヴァ城が姿を現しました。ウェブ上の以前の写真を見ると薄茶色をしていますが、最近修復が終わって真っ白な姿を見せていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/56/7f145a843ee5e82d364897ae65ef29e6.jpg)
もう一つ門をくぐります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/39/13c4b6ffa74bef5e524373250f6d33b9.jpg)
城の4隅に塔が立っているので「ひっくり返したテーブル」とも呼ばれています。城の正面広場からでは、4隅の塔を入れた城の全体像は撮れません。麓の街から見上げた方が、「ひっくり返したテーブル」の愛称を実感できます。
ブラチスラヴァ城は、9世紀の大モラビア王国時代に宮殿が作られ、17世紀になって、オスマントルコの侵入に備えるため4つの塔が追加・改築されて現在の姿になりました。
ブラチスラバ城がもっとも栄えたのは 18世紀のマリア・テレジアの時代で、宮廷として相応しいようバロック風に改築され、マリア・テレジアは義理の息子であるアルベルト・テッシェンにハンガリー総督としての地位及びこの住まいを与えました。マリア・テレジア自身も居城として 1760から80年まで使用しました。
現在は、内部は改築中で見学はできません。
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城の前に立っている騎馬像は、大モラヴィア王国の支配者であった「Svatopluk」です。
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城内には入れないので、広場からドナウ川の眺めを楽しみました。
川にかかる橋には、UFOの塔が立てられています。
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ブラチスラヴァは、スロヴァキアの首都ではありますが、その位置は国の西端にあたり、ドナウ川の向こうの丘はオーストリア領です。
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ブラチスラヴァ城への登り坂の取り付きには、スロヴァキアの大統領府があります。道路脇にあります。
スロヴァキアは、日本にほとんど知られていない国ですが、2011年10月のニュースでは、スロヴァキアの議会の決定に関するニュースが注目をあびることになりました。
ギリシャの経済破綻によるユーロの危機を回避するための追加支援は、加盟国による全会一致が必要になりますが、スロヴァキアが最後の議決国になり、しかも否決される事態になりました。小国スロヴァキアがユーロの運命を左右することになり、しばらくこの国の政局に目が離せなくなりました。、