さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ウィーン その7

2011年10月22日 | 海外旅行
王宮の中も撮影禁止のため、ガイドブックからの写真になります。

謁見のための控室

フランツ・ヨーゼフ皇帝は、毎週二回謁見を行いました。民間人も許可され、男性は燕尾服、軍人は制服、女性はドレスに帽子着用が求められましたが、それを準備できない人のため、各地の民族衣装も認められました。国民のあらゆる地方の各階層の人々が集まったといいます。



謁見の間

皇帝は立ったまま謁見を受け、1日100人以上の謁見を受けて、個々の謁見時間は数分であったようです。



会議室

ここでは、皇帝が議長を務めた大臣会議が行われました。

壁際には、皇帝の母ゾフィー女大公の胸像が置かれています。



ゾフィー女大公は、生涯、政治的助言者として息子を補佐し続けました。

息子の嫁のエリザーベトと対立し、エリザーベトがウィーンを離れて放浪の旅に出る原因になります。ミュージカル「エリザベート」では、完全な敵役になっていますね。



フランツ・ヨーゼフの執務室

皇帝は、早朝の4時から夕方の5時まで書類の処理に取り組み、朝食と昼食もこの執務室でとりました。

皇帝にとっては、ここが個人的空間である居間でもあったので、家族のポートレートが飾られています。



部屋着姿で、長い髪を解いて胸元で結んでいる絵は、とりわけ皇帝のお気に入りの絵だったといいます。



美しい肖像画ですが、少し深読みをする必要があります。

19世紀頃までのキリスト教の影響下では、長い髪は女性の罪の象徴とされたといいます。そのため、女性が人前で髪をほどくことはあり得ず、寝室でのみ、その豊かな髪を開放することが許されていました。ほどかれた髪は、現在よりも、セックスアピールとして受け止められていたようです。

この二点のプライベートな絵を執務室に飾り付けることによって、皇帝はシシイに対する愛を思い起こしていたのでしょうね。



皇帝の寝室

持ち運び可能なベッドをはじめ、簡素な家具が置かれています。



フランツ・ヨーゼフの大サロン

このサロンでは、身内の来訪者をここで迎えましたが、エリーザベト皇妃の部屋と続いており、皇妃の死亡以後は使われませんでした。



エリーザベト皇妃の居間兼寝室

この部屋は、マリア・テレジアの時代にはロココ様式で内装されていましたが、エリーザベト皇妃のためネオロココ様式に乾燥されました。



皇妃の化粧及び体操室

エリーザベト皇妃が日常生活の大半を過ごした場所です。

室内には、木製の体操器具が置かれており、大サロンへの出入り口の上には吊り輪が取り付けられています。皇妃のためには、もっと大きな体操室も設けられていましたが、今は無くなっています。



エリーザベト皇妃のトイレ

水洗トイレになっています。



皇妃の衣装室

画家ベルグルが、マリア・テレジアの委託で風景がを描いています。



エリーザベトの大サロン



エリーザベトの小サロン



大きな控えの間



赤いサロン(プーシェの部屋)

これらの部屋は、アレクサンドル皇帝の部屋とも呼ばれます。

名前は、ロシアの皇帝アレクサンドル1世が1815年のウィーン会議中にこれらの部屋で過ごしたことに由来します。

アレクサンドル・アパトメントと呼ばれる一連の部屋は、エリーザベトのディナールーム、応接室として使われました。

内装は18世紀のもので、19世紀の家具が置かれています。



ディナールーム

フランツ・ヨーゼフの時代のディナーセットが置かれています。

公式の会食はフランス料理が中心で、最初は必ずコンソメスープで始まり、次いでカキ料理、サラダ、魚料理、肉料理が続き、デザートとチーズが締めくくりになりました。通常7種類から11種類の料理が出たといいます。

ウィーン市内の王宮は、日常的に使われていたため、シェーンブルン宮殿と比べると、華やかさには少し劣るものの、シシィの生活の一端がうかがわれて、興味深いものでした。
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