早ちゃんの近況

東日本大震災の被災者の皆様に心からお見舞い申し上げます、皆様の安全と一日も早い復旧をお祈り申し上げます。

横笛教室

2008年09月30日 | みさと笛教室
毎週火曜日は横笛教室に通っています、相も変わらずロングトーンが出来ません、又右手の指使いが難しいです、第2関節部で穴をきっちとふさぐ事が重要で少しでもずれると綺麗な音が出ません、先週は中国に行っていて練習が出来ず又帰国後も疲れて横笛の練習が出来ず完全に元に戻った感じがします。
何とかオクターブ(ドからうえのド)の往復をスムース吹けるようにと宿題を出されました。
自宅での自習が重要です、解っているのですが実行が出来ません、困ったものです。




LSD (眉山一周プラスJR府中駅往復)

2008年09月28日 | マラソンの練習
中国旅行の疲れが未だ取れません、本来ならばNNR(鳴門・賑やか・ラン)に参加するべきですが、多分鳴門の坂道に沈没?しそうで諦め、一人でマイコース?へ出掛けました、疲れが酷く再々休憩の体たらく、何とかヘロヘロ状態で自宅にたどりつきました。

詳しくは・ブックマーク「風に吹かれて何処までも走ろう」をご覧下さい。
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鳥居龍蔵博士の足跡を訪ねて:6日目

2008年09月24日 | 徒然なるままに
【鳥居龍蔵の足跡を訪ねて】
瀋陽~大連~関西空港~徳島

この旅もいよいよ最終日を迎えました、ホテルから瀋陽故宮へ向かい観光・見学を致しました、世界文化遺産です。
清朝の初代・2代の皇帝の住まい&執務の場です、広大な敷地に数多くの建物が現在も残されています。



「瀋陽故宮の宮殿です」



「瀋陽故宮の宮殿前で一寸すまして」



「旅行社の方が記念の写真を撮ってくれました・勿論有料です」

続いて、遼寧省博物館を見学しました、実は今回で4回目ですが前回以前は何の予備知識も無く見学しましたが、今回は契丹の王国「遼」を中心に少しは勉強してきましたので、興味深く見学する事が出来ました。



「遼寧省博物館です」

バスで瀋陽桃仙空港へ、空港の近くで中国最後の食事(昼食)を戴き空港へ向かい関西空港へANA948便に搭乗しました、大連でトランジット後、中国から出国手続き、一路関西国際空港へ、予定より20分程早めに到着し入国手続きも順調でしたので、徳島行きリムジンバスに1便早く乗れましたので、10時に徳島へ帰ってきました。
今回の旅を企画して戴いた、鳥居龍蔵記念館の皆様に感謝致しております。
中国・内モンゴル自治区には植林ボランティア隊員のメンバーとして何回も行っていますが、今回は中国の歴史に触れて、大変勉強になりました、本当に有難う御座いました。

鳥居龍蔵博士の足跡を訪ねて:5日目

2008年09月23日 | 徒然なるままに
【鳥居龍蔵博士の足跡を訪ねて】
朝陽~瀋陽

今日も良い天気、モンゴリアンブルーの空が眩しい、宿泊先のホテルの窓から二基の仏塔が見えました、多分あの仏塔を観光するのかな?と思っていましたらその通りでした。
先ず、市街地の通り沿いに立つ南塔を見学しました。



「朝陽の南塔です」

交通量が多いのに信号機が無い大通りを横切って、ラマ寺の山門を潜って北塔へ、広場に佇む北塔は美しい。



「ラマ寺の山門です」



「朝陽の北塔です」



「ラマ寺の山門から見た南塔です」

博物館を見学しました、仏舎利を見ましたよ!



「朝陽の博物館です」

博物館を見学後、北塔の2階に上がらせて貰いました、素晴らしい景色でした。



「北塔の2階から見た南塔です」

ラマ寺を見学する予定でしたが、残念ながら修復中の為見学出来ませんでした、昼食後、瀋陽へ向けて出発しました。
高速通りを順調に進み、のどかな田園風景を眺めながら、バスの中で疲れて居眠りをしている間に瀋陽の郊外につきました、日本企業の広告看板が多く見られました。
いよいよ瀋陽の市街地へ、片側5車線の大通りは車で埋め尽くされていました。

途中、鉄道の瀋陽駅をバスから見ました、旧満州鉄道の奉天駅です、東京駅をモデルにして建設されたようです。



「煉瓦作りの瀋陽駅です」

その後、瀋陽の町でショッピングセンター・百貨店・スーパーマーケットへ出掛けました、大勢の人で賑わっていました、日本ブランドのデジタルカメラだ大人気で売り場は人だかりが出来ていました。
宿泊したホテルは旧満州鉄道が作った「大和ホテル(現在名は遼寧賓館)」に初めて宿泊しました、今にしてみればこじんまりしたホテルですが、外観&内装とも趣きが有って今でも人気ホテルだそうです、特に1階の宴会場が素晴らしかったです、満州時代は有名な歌手や役者さんの公演が有った様です。



「遼寧賓館の外観です」



「瀋陽市の文化財?」



「宴会場です・素晴らしい!」

鳥居龍蔵博士の足跡を訪ねて:4日目

2008年09月22日 | 徒然なるままに
【鳥居龍蔵博士の足跡を訪ねて】
林東~朝陽

今日も良い天気です、青空(モンゴリアンブルー)が眩しい、先ず市街地に近い「北塔」を見学しました。



「市街地を見守る様に立つ北塔です」

その後、遼上京博物館を見学しました、朝早いにも係わらず入館させて戴きました、館長さんのご好意に感謝致しました、館長さんは鳥居龍蔵博士の事は良くご存知でした、館内に鳥居龍蔵博士を紹介するパネルが掲示されていました。



「遼上京博物館です」



「鳥居龍蔵博士の紹介パネルです」

バスで山の中腹にそびえ立つ「南塔」へ向かいました、青空をバックにそびえ立つ仏塔は威厳が有りました、風に吹かれ風鐸のカラン・カランと響く音に心癒されます。



「青空をバックにそびえる南塔です」

続いて「祖陵」を見学しました、小高い山の中腹に向かって階段の参道が整備されていましたが、だらだらと続く登りは厳しいですね。



「巨大な御影石で作られた石棺?」



「この坂道(階段)を登って来ました」

その後、中国・内モンゴルの草原をバスに揺られて大移動、放牧の羊や駱駝を眺めながら本日のいえ今回のツアーのメインイベントの白塔へ向かいました。
しばらくバスに揺られうつらうつらしていましたが、昨年4月に見た景色の様な気がしていたら、はるか彼方に白塔(仏塔)が見えてきました。



「モンゴルの大草原にそびえ立つ白塔です」



「白塔をバックに一寸すまして見ました」

展示室も見学しました、収蔵品や改修時のパネルも展時されていました。



「白塔改修時の様子を説明しているパネルです」



「真下から見上げた白塔です」

今から100年前に交通インフラも整備されていない時代に、ご夫婦で乳飲み子を抱え馬車で現場を調査された鳥居龍蔵博士ご夫妻の熱意に頭が下がります。

白塔見学後朝暘に向かいました、シラムレン河をバスで渡りましたが、今は高速道路が造られ当然立派な橋が造られていますが、鳥居龍蔵博士夫妻が訪問時は当然橋など無く、馬車で渡河するために何日も足止めされて苦労していたそうです。



「鳥居龍蔵博士夫妻が苦労して渡河した、シラムレン河です」

途中からとんでも無い悪路になりました、高速道路の建設現場を横目で眺めいると、突然の大渋滞に後から解った事ですが、対向の大型貨物車が荷崩れを起こし道路をふさぎ通行不能状態になって約1時間あまりのタイムロス、やっとの思いで朝暘のホテルについた頃は日付が変わっていました。



「朝暘のホテル・朝陽燕都国際酒店です」

鳥居龍蔵博士の足跡を訪ねて:3日目

2008年09月21日 | 徒然なるままに
【鳥居龍蔵博士の足跡を訪ねて】
赤峰~大板~林東

赤峰市内の赤峰学院:紅山文化研究所を訪問し、紅山遺跡から発掘された膨大な展時品を見学しました、残念ながら展示室は写真撮影禁止でした。



「展時品の写真:発掘された「玉(翡翠)」で作られた龍の装飾品」

赤峰学院の先生の御案内で、紅山遺跡の発掘現場を見学しました、鳥居龍蔵博士もこの場所で発掘をされたそうです。





「紅山遺跡です」

赤峰市内に戻り、赤峰博物館を見学しました、収蔵品を拝見しましたが、徳島の鳥居龍蔵博物館にも同等の収蔵品が展時されているようです、博物館でも昼休みが有ってゆっくり見れませんでした、迷惑そうにされました、お国柄ですね。



「見学した赤峰博物館です」

赤峰市から大板鎮に移動し、大板の巴林右旗博物館を見学しました、素晴らしい収蔵品に驚きました、しかし写真撮影禁止でした、博物館の屋上から町並みを見ました、ラマ寺や王府を見る事が出来ます。



「博物館の屋上から見たラマ寺です」

大板の町並みを見ながら、ラマ寺を見学しました、閉館時間が迫っていて、ラマ僧が機嫌が悪く、さっさと帰れと云う態度でした、我々が出て行くとすぐに門を閉ざされました。







「ラマ寺です」



「大板の王府跡です、修復中で見学は出来ませんでした」

その後、遼上京遺跡を見学、今は城壁の一部が辛うじて残っているだけで、宮殿跡は石碑が建っているだけでした。



「こんもり見えるのは城壁の一部です」



「広大な遼上京遺跡の内部です」



「宮殿跡の石碑の前で皆さんと、すっかり日暮れになりました」



「林東の宿泊先・京西賓館です」




鳥居龍蔵博士の足跡を訪ねて:2日目

2008年09月20日 | 徒然なるままに
【鳥居龍蔵博士の足跡を訪ねて】
北京~赤峰

北京空港から国内線で赤峰へ移動、30人乗りの小型ジェット機でフライト時間約1時間、座席は通路を挟んで2列と1列まるでマイクロバスです。



「赤峰便に搭乗するところです」

約1時間後、無事赤峰空港に到着しました、小型機ですが揺れなくて快適なフライトでした。



「真正面から見た機体です、玩具の様です」



「赤峰空港のターミナルビルです、新築の様です」

空港で赤峰学園の徐先生の出迎えを受け、専用バスでカラチン王府へ、鳥居龍蔵博士ご夫妻が教鞭を執ったところです、膨大な敷地と沢山の建物に圧倒されました。



「正面の入口」









「展示館で見た写真・右から2人目が鳥居龍蔵博士夫人きみ子さんです」

建物の雰囲気は北京や瀋陽の故宮の様な佇まいです、あまり広すぎて訳が解りませんでした。



「宿泊先の赤峰賓館です」

鳥居龍蔵博士の足跡を訪ねて:1日目

2008年09月19日 | 徒然なるままに
【鳥居龍蔵博士の足跡を訪ねて】
徳島~関西空港~北京

台風13号が接近する中、何とかすり抜けて関西国際空港へ向かいました、徳島から6名の皆さんが参加、関西国際空港で兵庫県から参加の2名の方と無事合流し、予定通りANA159便に搭乗し北京空港に予定通り到着しました。



「北京空港の内部です、綺麗にリニューアルされていました」

現地美人ガイドさんの案内で北京大学へ向かいました、北京大学では岡内教授(早稲田大学から出向・徳島大学にも在籍)の御案内で北京大学内の「考古博物館」を見学しました。

大学構内に入場するにはセキュリティチェックが厳しく、サインとパスポート番号の記入と提示を求められました、現役の学生さんも全員学生証を提示して入校していました。



「北京大学東門の前です」

校内の道路で青いラインを発見、訪ねると北京オリンピックのマラソンコースだそうです、意外と狭い道路に驚きました、テレビ観戦では解らないものです。



「青いラインが目印のマラソンコースです」

岡内教授の案内で広いキャンパスを歩き「考古博物館」を見学しました、膨大な展示品、流石北京大学です。



「北京大学考古博物館です」

北京大学の正門を見学、通称「赤門」です、筆跡は故毛沢東主席だそうです。



「北京大学の赤門です」

大学内を散策しました、まるで公園です、市民の憩いの場になっているようです、ベンチに座って大勢の学生さんが勉強されていました。



「大学のシンボル・給水塔です」

その後、鳥居龍蔵博士が滞在していた宿舎を見学に向かいました、北京大学の前身の燕京大学で鳥居龍蔵博士は教鞭を執っていました。



「多分、この家で有ろうと云う事で・・・」

夕食後、ホテルにチェックイン、三回目の宿泊先「新北緯飯店」部屋は以前と比較して随分綺麗になっていました、オリンピックを控えて改装したようです。
夜、皆さんと天安門広場を観光しました、夜の天安門広場は初めてですが、週末はライトアップされてとても綺麗でした。





「同行の皆さんと一緒に、天安門をバックに記念撮影」

北京には何回も滞在しましたが、この様な青空を見たのは初めてです、矢張りオリンピック効果ですかね。



「青空に映える・新北緯飯店です」

鍼灸院の治療

2008年09月18日 | 徒然なるままに
午前中「きしもと鍼灸治療院」で鍼治療をして貰いました、お蔭様で足首の調子が元の状態に戻りつつ有ります、座骨神経痛からきている様です、来週の治療日の予約をして帰宅しました。
明日から、中国・内モンゴル自治区へ出発します、しばらくブログは更新出来ませんが、帰国後写真を交え更新します、皆さんお楽しみに。

損害保険代理店試験の監督業務

2008年09月17日 | 徒然なるままに
久し振りのアルバイト、損害保険代理店試験の監督業務に従事しました、濃紺のビジネススーツを着用し、滅多にはかないビジネスシューズは窮屈です、9月中はネクタイの着用は免除されて少し楽です。



「試験会場・玄関の案内看板です」



「試験前の試験会場の様子です」


今日のテストは代理店業務の経験者の皆さんが、レベルアップを目指し上級の資格取得を目指して受験されています、真剣な取り組み姿勢が感じられ心地良い緊張感が有りました。

2時間の試験も無事何事もなく終わりました、皆さん全員の合格を願っています。

鳴門・大塚スポーツパーク

2008年09月16日 | マラソンの練習
鳴門地区の練習会に参加しました、夕暮れが早くなり綺麗な満月?に見守られ楽しく走れました、自己ノルマ10キロ超も達成し満足の練習でした、足首痛も大分快復してきました。
詳しくは、ブックマーク「風に吹かれて何処までも走ろう」をご覧下さい。
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