おやじ特別便

ひまじんおやじの日常

ワシは半額になった

2016-02-20 13:31:58 | 日記

【今日の ワシの値段】

本日ガン保険の契約状況確認文書が郵送されてきた。

火災保険といい、この保険といい、時々「保険契約ご確認」の通知が届くが

これは、契約者(ワシ)に確かめてほしくて高い金を出して郵送しているのではなく

会社として契約時点の住所に、本当にこいつが住まいしてるかを確かめるためである。  と思う。

だから郵便さんが配達した時点で役目は終わっている。

そんなことは分ってはいるが、一応開封して中を確かめる。

  

下の方の「死亡保険金」欄を見ると65歳未満が100万円、

ワシは65歳を超えているのだから50万円

加入した時には、65歳なんて遥か彼方の遠い未来であり、半分になってしまうことなど実感が湧かなかったが

「過ぎていたんだー」・・・・・「半分なんだー」・・・・「ワシの命は50万円なんだー」と

これを見てひときわ感慨深いものがあった。

◆おそらくこれを読んでくれているであろう「あなた いったい どうして・・・・」ブログの主は

たぶんワシよりもご高齢。「65歳なんてまだまだですよ」とお思いだと想像する。

そう、そうなんですよね、命の値段が半分になったからって人生はこれからですよね。

科学館のケイコさんにも叱られそうである。

頑張って人生を楽しみますです。ハイ

 

【今日の コメントのお返事】

宮城のカナちゃんから先日の「やくざ言葉の先生」にコメントが来た。

いつも愛読していただき感謝であります。

◆その先生は、余裕がなかった、なさすぎたのですねえ。今の若い教師は、研修でかなり指導されているので、できる人が多いんだけど。そういう場での対応は、うまくできないのかな。まあ、人間性といってしまえば、それまでかも?

そうなんですよいまどきの若い人は(いまどきの若い人などと言いたかないが)立派な人が多いことも事実

ワシの職場の同僚も賢くて尊敬に値する人がいます。

でも、そういった人々よりもワル若人が目立ってしまうので、ついついね悪口を書きたくなっちまうのです。

でも、でも、電車通勤の時に女子高生の会話を聞いていると男言葉が普通に聞こえて来るのも事実。

 

♥ 昨日電車から降りる時手袋を落とした。後ろの男子高校生が拾って小走りに持ってきてくれた。

だから「丁重に」お礼を言いました。「どうもありがとうございました」

良い若い衆が多いことも事実。

 


右折?左折?直進?

2016-02-19 19:44:46 | 日記

【今日の 人それぞれ】

職場の真ん前の交差点にこのような看板がある。

不妊治療の看板ではないぞ。

その下の2枚の看板の事だ

拡大するとこれ

この看板は交差点の隅切りに建っている建物の外壁についている。

左の看板は何やら英語だかフランス語で、どうやら床屋さんの看板らしい。

下の方に「交差点左折後すぐ右折100m先」の方向指示が。

右の看板は〇〇眼科「信号右折200m」と表示が。

これをどのように解釈するのか、というのが今日のブログの趣旨。

つまり解説をすると

Aの車は〇〇屋へ行くには、ワシの考えでは悩んだ末に右折する。連れ合いの考えでは悩まず直進する。

Bの車はワシも連れ合いも同じ、右折する。

どうも両者に違いが出てしまう。もう一度実際の看板を見てみると

分りにくいなあ、いや、案内版自体が小さいことはこの際別においてだよ。

全国各地でこのようなまぎらわしい看板が多いと思うが

良い子のみんなはそう思ったことがあるかい?


やくざ言葉の先生

2016-02-18 19:53:21 | 日記・エッセイ・コラム

【昨日の やくざ言葉】

と言うと、「ヤベー」といまどきの女子高生も言っているなあ、の反響がありそうだが、この話はもっと深刻。

昨日、用事で科学館へ行った話はすでに書いた。

 

◆静岡駅で電車を降りて改札を抜けるとき、一番左側の改札を小学生の長い列が同じように抜けている。

ああ、社会見学だ、ひょっとしてワシと同じところ、科学館へ行くのかしら、と思っていた。

社会見学、好きだったなあ、この小学生達もウキウキしているのであろうなあ、楽しいもんなあ。

突然、引率の先生が列の中の一人の生徒に対して「〇〇、こんなことしてどうすんだよう、てめえそれでも〇〇かあ、〇〇しろ」

と怒鳴っている。まるでやくざ。

(実は言葉を全て記憶してブログに備えたのであるが、齢のせいか忘れちまったのだ。だから一字一句正確ではない。)

ワシは驚いたのなんのって、先生、あの子が何をしたのか知りませんけれど、駅のコンコースでそんなに大声で、しかも他に言い方があるでしょうに

もっと優しい言葉で注意したほうがいいと思いますよ。

 

◆ここまで読んで、良い子のみんなは当然コワーイ男の先生と思ったと思う。

ところがギッチョンチョン、齢の頃なら二十五・六の若い女の先生であったのだ。

ワシは別に女性差別論者ではないけれど、女先生がやくざな男言葉を使うのはどうかと。

そういう風潮はいつの間にか、じっと社会に溶け込んでくるのである。

 

◆宮城で先生をやってるカナちゃんとみっちゃん。ご意見ありますか?

 

【昨日の 丁寧言葉】

科学館の用事の次にワシは銀行へ行った。ある手続きのためだ。

窓口のオネイサンはそれはそれは丁寧に、ワシが申請書に記入している間「ここへご住所を」「この欄はお電話番号を」と一回ずつ指さし指示をしてくれた。

名前を記入しその上の欄のところ、「おくりがな」を書いてくださいと指さし指示をした。

ワシは心の中で「こいつ間違っている、おくりがなではなく振り仮名だぞ、こいつ送り仮名の意味を知らねえな」と思ったのでフリガナを書いてからおもむろに

ワシ:「まことに失礼ながら『送り仮名』とは漢字の後に書くひらがなのことですよ」

銀女:「あ、そうですよね」

ワシ:「だからこの欄は『ふりがな』というべきですよ。」

銀女:「ですから『おふりがな』ですね」

わし:「ああ、『おふりがな』と言ったんだ、ワシは『おくりがな』と聞き間違えました、それは失礼をしました」

 

おいおい、丁寧にすればいいかもしれないが、いくらなんでも「おふりがな」は無いんじゃないかええ。

「おふりがな」 初めて聞いた。

 

 

 


映画「オデッセイ」

2016-02-17 19:52:51 | 日記

【今日の 映画鑑賞】

科学館に臨時の用事があり午前中から家を留守にした。

その用事は午前中で済み、午後は銀行に回る。金利引き下げの影響が大きくてどうしよう?と思ったが

ワシの5億円の定期預金は引き出してきた。それの重いことったら。

というくだらない話はやめにして

3時10分からの映画「オデッセイ」の鑑賞をしてきましたよ。

マット・デイモン主演、監督はあのエイリアン、ブレードランナーのリドリー・スコット

 

火星探査中のチームに嵐が襲い掛かるところから話は始まる。

その嵐の最中に、死んだと思われて火星に一人取り残された主人公(マット・デイモン)が生き残るため、あらゆる手段を尽くすと言ったお話。

通信手段は無し、酸素も食料も限られている、その状況の中で自分だけの科学の知識で生きていかねばならぬ。

さてどうする?

 

途中からNASAとの通信が可能となり、それ以降は火星と地球とで知恵を出し合い、帰還するための工夫をしてゆくのだが

ワシは昔見た映画「アポロ13号」を思い出した。これは実際にあった話でこれを読んでいる年配者の方々は良く覚えていることだろう。

月着陸船アポロ13号が事故から地球に生還する話であるが

この映画は、それのSF版火星版である。

老人料金1100円は元を取った。良かったぞ。

オフィシャル・ホームページはこちら

 

◆ついでに報告すると

1月6日号で(それはこちら)映画スターウォーズを見に行ったが、吹き替え版だったのでその日はすごすご帰ってきたと書いたが

スターウォーズはその後一人で見に行きましたよ。

証拠の写真は

これも金額以上の面白さでした。まだの人はぜひ。・・・・まだやっとんのかいな・・・・

 


限界集落の橋

2016-02-16 19:20:19 | 日記

【今日の 土木の現場】

あまり仕事の関係は書かないようにしているのだが

こんなワシでも考えるところあってここに記すことにする。

 

ワシの前の席のシュンちゃんが担当する橋梁補修の現場について行った。

まあ先輩としてか同僚の別の目か単なる野次馬としてかそれは「不問」

職場のオフィスから車で約1時間、距離にしてざっと27km、駅まで8分の便利な住まいのワシにはおよそ考えられない人里離れた山中にその橋はある。

 中央に白幕で囲ってある物が橋である。橋の下10mは渓流になっていて覗き込むと怖い。

1975年3月竣工の銘板が付いているから今年で41歳の鉄の橋だ。

その間一度ぐらいは再塗装をしたかもしれないが、今塗装の補修をするとまた20年ほどはそのまま立派に使える橋である。

この橋の右側に1件の住家がある。そして道をさらに上って行くとドン突きに数件の集落があるが現在は1軒だけ人が住んでいるという。

つまり、この橋を利用している世帯は2軒。

ここで数百万円の費用をかけて橋の長寿命化を図っても、今後どれほどの年月その人たちの役に立つのであろう。

しかし今一人でも川の向こうに生活者がいるのなら工事をし、安全が当たり前の橋にしていかなければならない。

公共とはそういうものである。

その人たちにお金を払って、もっと便利なところに住んでもらったら税金も使わなくても済むのに

という人々もいる。

ここで産まれ生活し、子供を育て、そして死んでいく。そんな市民の気持ちを大事にしたい、お金がかかっても良いじゃないか、社会とはそういうものだ。

ここの人たちが中山間という名の国土を守って来たし、出来る限りこれからも国土を守って行って欲しい。

でも、その後はどうなるのであろう。無人の住家はいずれ朽ち果て山に帰って行く。

山はそれからどうなるのであろうか。