おやじ特別便

ひまじんおやじの日常

ズワイガニ

2014-12-31 07:50:38 | 日記

【今日の いただきもの】

突然のいただきもの

ズワイガニ丸ごと冷凍2杯、札幌東から直送

ワシが蟹好きと知っての贈り物か

元旦まで待てないから早速大晦日の夕飯で蕎麦と一緒に食べるのだ。

1日しか違わないから誤差の範囲だ。

いっただきまあす。

送り主さんありがとう。


ウニモグだあ!

2014-12-28 13:58:21 | 日記

【今日の 多目的動力装置】

毎年この暮れに出版される、スパイ小説とミステリー小説を買いに本屋に行く。本の値段が高くなっているぞ。文庫本のミステリー小説の方は1冊1200円もする。上下巻で2400円だ。定年ジジイには懐に、とってもこたえる物となった。買ったけれどもね。

で、帰ろうと駐車場に行ったら、ワシの車の隣の区画に見慣れない車が置いてある。4つの車輪が付いていなければ車とは思えないものだ。

うーんウニモグって書いてある。ウニモグはワシの好みの車で、いつか大金持ちになったら、広い牧場を買って大型バックホウと大型トラクターとこのウニモグとで「遊びたい」とヒソカに希求しているのである。(子供かあんたは)

パチリ、パチリと写真を撮っていたら持ち主が現れた。「写真を撮らせていただいてます」「ああどうぞ」「ウニモグなんですねえ」「そうですよ、1953年型で日本ではこの1台しかありません。日本中から見に来ますよ。ヤナセのディーラー車でした」

と、いつも聞かれるのだろうと思われる慣れた説明をざっとして、颯爽と高い座席に乗り込み去っていくのであった。

「一つどうですか運転してみます」とは言ってくれなんだ。言われれば一も二もなく尻尾振って付いて行っちゃいそうな、よだれ垂らしたワシではあるが。

◆ウニモグはその高い機動性と、客の希望に沿った用途になんでも合わせられる汎用性と、頑丈で故障しない信頼性を備えた多目的な作業車として進化してきたし、これからも進化していくだろう。ウニモグとは多目的動力装置のドイツ語の頭文字を合わせたものだ。

震災対応車である。何だか分らないが、なんでもくっつけちまったようだ。

これが現在の基本的な車両の姿(だとおもう)

電車だって引っ張ちゃうのだ。(JR東海ではこれを軌陸車と呼んでいるようだ。軌道も道も走れることから)

下の写真はワシの愛車。

荷台に積んでいるのは、フランス・マトラと言う重機械(航空宇宙・兵器)メーカがかつて参戦したF1のエンジン。V型12気筒。ジャッキー・スチュワートだかジャッキー・イクスだかジャン・ピエール・ベルトワーズだかが使ったエンジンだ。(余談)

2つの模型は大事にしていて、孫など価値の分らんモンには絶対に触らせない。

ああ、いつかウニモグ買いてえ。

買ったとたんに、スピードが出ないだの、高速道路は走れねえだの、重いだの、2人しか乗れんだの、ギアの枚数が多すぎるだの、PTOのレバーが林立していて運転に邪魔だの、スーパーの駐車スペースは狭すぎるだの言うと思うよ。

夢は夢。現実は厳しいもんですぜ旦那。

 

 


低燃費車の違和感

2014-12-27 06:59:19 | 日記

【今日の オジイの証拠】

以前は高馬力、高トルクの車が一番偉い、高性能のあかし。

でかい車に乗りたい。(ワシはそんなに大きな車を欲しがるほどバカではなかったが)と言うのが一般的であった。

近頃の高性能は「燃料を食わない」が一番の目標。あれよりもこの方が0.5km/l燃費がいいからこれにするか

極端な話、自動車選択の大きなファクターに燃費があるような感じだ。

特に軽4輪自動車がその傾向が激しい様子。

「火花散る軽自動車燃費」・・・・・・ガソリンエンジンだけに「火花」な。

ワシの職場も近頃の軽自動車のリース車が増えている。と言うか大概の車が軽だ。

乗ってみると、とっても違和感がある。「気持ち悪い」

年齢の大きい人ほど「気持ち悪い感」が高い様だ。

ワシは考えた。

◆考察

その主な原因は「アイドリングストップ」である。信号赤で止まるたんびにエンジンが止まっちまう仕組みのことだ。

ブレーキを離すと「ギギー」とスターターモーターが回りエンジンが再始動する。

古い人間はこれまでクラッチ付の変速ギア手動選択式、つまりマニュアル車に長く乗っていた。(それしかなかったから)

だから交差点で発進するときクラッチ操作を誤るとエンジンストール。つまりエンストを起こしてしまう。

これは運転が下手の証拠。助手席から「はい、1点減点ね」という声がかかる。エンジンを再始動することは非常に恥ずかしいことなのだ。

これがDNAにしっかりと記録されているのが古い人間だ。発進の度にエンジンの再始動なんて「舌かんで死んでしまいたい」

だけんど、生まれてからオートマチックギア車しか乗っていない若い人は、エンストなどほとんど経験していないと思う。DNA記録が無いのである。

ワシなど、スターターのギアが、エンジンクランク軸に直結したリングギアに「飛び込む」ときに少しずつ双方のギアが削れて行くさまを想像してしまい「身を削られる思いで、はらはら」としてしまうぞ。

電力を大量に喰うからバッテリーも心配だし。

「踏切では渡り終えるまでギアチェンジをしないこと、もし踏切途中でギアが絡んだりすると車が停止して、ちょうど来た「汽車」に衝突するおそれがあるから」と教わったオジイであるのだから。

車が止まっているときにはエンジンを使わないので、止めるのが合理的結論だとは思いますがね。フン

 

 

 


ポケットティッシュ

2014-12-25 19:38:39 | 日記

【今日の 買い物】

ポケットティッシュは買うもんじゃない、貰うもんだと思っていた。

一昨日の忘年会の帰り道、川越し市駅のホームで寒さに震えていたら

すっかり鼻風邪をひいてしまった。昨日、今日とマスクをしていたが鼻汁が止まらない。

普段ズボンの後ろポケットに予備ティッシュを持ってるのだが、あいにく今朝に限って持っていない。

通勤の電車の中のマスクの中でワシは「洟垂れ小僧」になっていたのである。マスクのおかげで乗客には見つかっていないが

これが透明なマスクだったら一生の笑いもんだ。

駅に着くとさっそく売店に飛び込んで「ポケットティッシュは売っているか」と聞いた。

・・・・・・・・・

売ってるんだ。・・・・・知らなかった。

これがワシの人生初のポケットティッシュ購入証明。

何とクリネックスである。6個入りで129円也。

クリネックスはワシの知る限り日本で最初にティッシュというものを売り出した由緒ある会社である。(違うかなー)

それまでは便所のしりふき紙を使っていた。ハナガミしかなかったのであるぞ。

今、裏を見れば「日本製紙グループ、日本製紙クレシア㈱」となっているが

当時は「十条キンバリー」と言った会社と記憶している。

1964年に発売されたとある。(ネットですぐに調べられるのだ)

クリネックス様をワシの洟汁ごときに使うなぞ、恐れ多くてもったいないことでございます。


獅子文六 娘と私

2014-12-24 16:48:24 | 日記・エッセイ・コラム

【今日の 古い小説 】

本屋で懐かしいものを見つけた。今日のタイトル通り 獅子文六の「娘と私」である。

ちくま書房がどこでどう考えたのか知らないが、今年の11月10日に初版として発行されている。

この小説は昭和28年1月から3年半にわたって雑誌「主婦之友」に連載されたものである。

また、NHK朝の連続テレビ小説の第1作目を飾る記念すべき作品である。昭和36年4月から1年間にわたって放映された「私小説」である。

その頃ワシは小学校5年生であるにもかかわらず、なぜか楽しみにしていて毎日観たのである。今と違ってビデオもなくBSもない時代であるがワシはどのようにして朝のテレビ(白黒テレビな)を見ていたのか・・・それは分からない。

さて、小説の方だが、記憶は定かではないが、成人してからだと思うが、父の書棚にあるそれを見つけて読みふけった。すでに新潮文庫になっていたのではないかと思う。

◆まだ”再”読書も「まえがき」の段階であるが、その「まえがき」のあらすじは以下のとおりである。

獅子文六(私)がフランス人の夫人と結婚して帰国し、間もなく娘を産むがほどなくしてフランス人の妻は病を得、帰国する。

残った私は未亡人の叔母や、同じく夫を亡くしたばかりの姉に娘の養育を頼むが、一人身になって自由気ままな暮らしを営む姉・叔母に拒絶される。その後一人で娘を育てて行くのだが・・・・・・・・・

◆ワシは明治人も現代人も女性は強く、死別されると夫からの束縛が無くなって自由気ままに生きて行くのだなあと今更ながら感じた。

ところでこの表をご覧あれ。

これは川越し市の今年3月末日の人口年齢別・男女別の表である。下(横)のスケールが1歳ごとの年齢、左(縦)が人口である。青線が男、赤線が女。

産まれてから、つまり0歳からある年齢まで一時的に例外の年があるが、ほぼずっと男の人口が多い。つまり男が多く産まれてくるのであろう。

しかしある年齢から男が減って女の人口が相当数増加する(イヤ減少しない)ことが分る。

表の右端を拡大すると・・・・

人口のピークを越すと、当たり前だが右肩下がりとなる。死ぬからである。

このピークから男女数が逆転するのである。しかもだんだんと離隔が大きくなっていく。

御婦人方には朗報である。バアサン達が元気なことがこの表で証明された。

このピーク年齢はなんと!64歳である。トホホ。

◆父は生き方下手、たいしてかわいがってもらった記憶もない、幼いころに養子に貰われ、最期は歩行も不自由になり、寝たきりになった。不遇な生涯を送った人であるが文学だけは好きであった人だ。

生涯獲得金額はとっくに父を超えたが、読書量はいまだに父を超えていない。