おやじ特別便

ひまじんおやじの日常

長い休みだから床にワックスを

2019-04-29 14:31:04 | 日記

【今日の  とは言ってもこちとら毎日が休暇】

昔々のお話、ワシらがまだ若かったころ。

床にワックスを掛けるのは春と秋、つまり気候が穏やかな頃の年2回だった。

 

ああ、あれから幾星霜。

寄る年波には誰も勝てやしない。今では数年に一度の大家事となってしまった。

居間の床だけでも大仕事である。巨大な食卓テーブル、重いテレビジョンとその台、ソファー、などをえっちらこっちらと別の部屋に運んで

なんもない床にすることから始まる。(ピアノを除く)

掃除機をかけてから洗剤の液で雑巾がけ、そして、その洗剤を取るために今度は水拭き、

そして再び掃除機がけ、(これは細かなゴミをワックスに入れ込んでしまわないようにのこと)

床が乾燥してからワックスを掛ける。ここまででたいてい体が参ってしまう。

ワシらはワックスは2回掛け。(馬鹿だね)

ワックスが乾燥して表面が固化するまで床に乗れないので、その間買い物などの用事に出かける。

そして家具たちを元通りに戻すのだがこれが大変。

せっかく大苦労してきれいな床を作ったのに,家具を置くために床に傷、などまっぴらだ。

一夜明けて、今朝は腰が痛てえ。

でもね、残るはキッチンと廊下と階段と2階の部屋。

めげずに徐々にやっていこう

時間はたっぷりあるのだから。

 

 

 

 


タイガー計算機を修理した

2019-04-26 17:18:54 | 日記

【今日の 修理】

前回の続き

何を隠そう、前回紹介した時には実は、長年の不稼働にて全く動きが悪く、ハンドルその他固まっていたよな状況であったのだ。

前回のブログではそのようなことは言わずに、写真では一切分からないを幸い、おとぼけで皆さんにご紹介をしたのであった。

どうもすみませんでした。

だからスムースに計算ができるように、機械の各部が抵抗なく回るように直すことにした。

うごかなければただのオブジェじゃん。

カバーを外すとこうなっている。ワシの頭ではどこをどうすれば動きが良くなるのか

ましてや計算の出来る理屈などトンと分からない。

裏側はこうなっている。ここら辺は昔の足踏みミシンを思い出す。

ミシンだっても、なぜ縫えるんかは不明である。エヘン

表へ引っ張り出して、ひたすらブレーキクリーナー(油脂類を溶かす溶剤が入っているスプレー、しかも圧力が強力)でシュウシュウするのみ。

もちろん回しながらだ。そのうちに何とか動くようになってきたぞ。

更に細かく見ていくとプラスチックパーツに割れているところがある(2か所)

長年使用で、どうしても力が掛かるところのプラはダメージがあるのだ。

勿論これらは例の補修材(プラリペア)で元通りに直すのだ。

上面ケースの左側が壊れていて比較的大きなプラスチック部分が無くなっていた。

計算には支障は無いがこれも直す。  

ありあわせの3mm厚さのプラスチック板を現場に合わせて切って

悲しいがここにはふっくらと曲率がある。あてがったプラバンは平面。

紫外線で固化するパテ(近頃は良いものがあるなあ、しかも、昔と違って素人でも、こんな田舎でも手に入るのだ)

このパテのお世話になろう。

 

はい、直りました。

艶も良いようで・・・

裏側はこんなだ・・・・見えないから良いのだ。これで

かくして数日かかったが

修理完了だ。

ついでにコンパウンドで磨いてピッカピカの新品同様に。(大いに誇張です。これをフェイクブログという。)

調べたらこのタイガー計算機は大本寅治郎という大阪の製鋼所の主が大正12年に発明したという。

欧米の特許も取ったという。

その後、関東大震災の復興特需や太平洋戦争の軍部からの注文、戦後の復興期の需要などで大いに使われたという。

しかし昭和39年トランジスタを使った電卓、41年にはIC,44年にはLSI(大規模集積回路)電卓が出てきた。ついに

昭和45年このタイガー手回し計算機は惜しまれつつその製造を完了したのであった。

ワシの持っている計算機はこの45年型である。つまり最後の計算機であった。値段は3万5千円

昭和35年から3代のモデルチェンジを重ねて値段は35年のまま。

ワシの修理技術のおかげで再び計算ができるようになったこれは

ワシが死ぬまで手元に置いとくんかいな。

その後はどうなるか・・・・・・・泣くなワシ。

 


タイガー計算機(シリーズ古いもの)

2019-04-21 13:46:29 | 日記

【今日の もう知る人の人口が・・・・・】

ワシが自分で一定の給料を取るようになった頃は、計算はもっぱらこれらだった。

一番上のでかいツラしているブツは今日の主役のタイガー計算機

機械式手回し計算機である。

その下は右側2つはソロバン、算盤と漢字は表記する。サンをソロと発音するんだ。

左の白いメモリが細かそうに振ってあるのは計算尺。これは過去にブログった。

技術屋は計算尺ぐらい使えんとダメや。

いつの間にかすべてが過去ものになり下がった。

今日は機械式計算機のことをしゃべろう。

右側にハンドルがあり、これを右に回したり左に回したりすることで4則の計算ができる。

つまり、足す・引く・掛ける・割る・である。

緑色の湾曲したパネルに白いノッチがあり、これを下に引くことで数字を入力する。今右から2列目のノッチを5付近にスライドしてある。

つまり50を入力したということ、右側のハンドルを右回転すると50を一回下の数字の窓に置くことになる。

2回回すと50を2回置くことになる。お分かりだと思うがこれで50×2という計算ができる。答えは100である。

つまり掛け算は足し算である。何回もするだけ。だということだ。分かるかなあ?。

そうすると

割り算は引き算であることもわかるよなあ。

つまりハンドルを左に回せば良い。分かるかなあ?。

ノッチのある所が入力した数値(この場合1234と入力した)

下に左と右に数値の窓があり、左に1234とハンドルで一桁ずつ加えて

下の右の窓に掛け算の答えが出る。

1234掛ける1234 答えは1,522,756となっておる。

置数は

この計算機が、ワシらの部門には係に一台あてあったように思う。

加減も出来なくはないがソロバンに比べると非常にめんどくさい。

このためこのタイガーでするのは掛け算と割り算だ。

ワシが測量の仕事をするときにはこれと、その他対数表という分厚い数字が集まった辞書みたいなのがあってソロバンで乗除の計算をしたぞ。

大学出てから土木の積算とか、構造物の応力の計算とかをするのだが、このタイガー計算機が大きな働きをしていたのだ。

とは言ってもワシが仕事をしだしたときにはこのタイガーも終焉を迎えていたのだ。絶滅危惧種

1課に一台ほどの希少さでキャノンの電計算機がありましたぞ。

昔のラップトップパソコンほどの大きさで(つまり机の半分を占めるほど)一応キー入力だが表示は蛍光管が各桁に揃っていて、

一本の蛍光管には一文字表示、だから一桁に奥行き10本の蛍光管が詰まっている。

つまり0は手前に、9はうーんと向こうに映っている。赤字で美しかったぞ。

8桁も表示するのだから80本の蛍光管が必要だった。躯体が大きくなるわけだ。

ワシは今年度の科学館の出し物にこれを考えている。(これってタイガー計算機のことですよ)

何か面白いアイデアが出てくるといいなあ。

最後にとっておきの話。

この機械式計算機は何と、平方根が開けるのだ。

つまりルート2は1.414(ひとよひとよにひとみごろ)とか、ルート5は(フジサンロクニオームナク)など

それがどうした?ってか、どうもありません、100円ショップで売ってる計算機で出来ますもんね。

 


言葉は生きている

2019-04-18 16:39:34 | 日記

【今日の 昔はこうは言わなかった】

今日は寺院の話ではありません。

挨拶の話です。

 

ワシが働き始めたころ、残業する社員を横目で見ながら帰宅する時は何といったか?

「お先に失礼しまーす」ではなかったか。

 

官庁に勤めていたころは、ここがほかの職場と違うのか知らないが

「さようなら」でした。

最初の頃はさようならに違和感を覚えたが、考えてみれば「さようなら」は正式の挨拶である。

徐々に慣れていって、ずーっと「さようなら」でとおっていた。

でもね、いつの頃だったか全く分からないが、若い人から「お疲れさまでした」と言われるようになった。

日本人全体が言うようになったのと時を合わせて、わが市も近隣の自治体と合併したころである。かと思う。

一日働いて帰宅するのだから「お疲れさま」もまあ良いか。

頑固ジジイなワシは絶対に「お疲れさま」とは言わないで退職した。

ところがこの「お疲れさま」が非常に使い勝手のいい言葉なのだろう、何につけても

「お疲れさま」と言われるようになった。

最も違和感を覚えるシーンは朝だ、朝から「お疲れさま」と挨拶を受けると、だんだんと腹が立つようになってきた。

おいおい、朝から疲れているように見えるんかい。

いいえ、私はそういった意味なくあなたにただの挨拶として言っているのですが、ダメですか?

バカヤローぼーっと生きてんじゃねえよ!!

朝の会議で最初に言うんじゃねえよ!!このばかちん!!

先日孫たちと川に散歩に行って財布を拾った。川岸の砂利にベトッと濡れていたので気持ち悪かったが

見つけちゃったものは仕方がない、しかも孫もいる、散歩は目的地を変更して駅前の交番に行くことにした。

孫の社会勉強だ。

手際の全く悪い女性警官に手続きをしてもらって、拾ったことの証明書の入った封筒を戴いてきた。

これがそれ。

昔ならば最初に「取得物件預書」と書いてあったと思うところに

「おつかれさまでした」の表示

別に疲れていねえよ。

それでも、書きたいならば

「ご苦労様でした」でしょ。

そしたらワシは「いや市民の義務ですから」と言っちゃうな。

これを読んで気になった方がいるんでないかい?

財布の中身はどうなっていたか?

健康保険証や銀行カード、Tカード、各種ポイントカード、ガソリンカード診察券など結構たくさんのカード。

現金は50万・・・・・どころか一円も入ってはいなかった。

たぶん盗んで現金だけ抜いて川に捨てた、と推理するが、孫たちにはそういわずに「川に落とした財布からお金だけ流れちゃったかもね」。

教育的に立派なジジイだと思うよワシャ。


寺院とはなんだ

2019-04-17 16:17:37 | 日記

【今日の 火事】

フランスはパリのシテ島にある、ノートルダム大聖堂が火事で焼けたが

ワシはこれまでここの建物の呼び名はノートルダム「寺院」だとばっかし思っていた。

寺院ではないんか?

ワシの記憶違いだと困る(どうせあんたは常に記憶があいまいじゃん)ので、新村出先生に聞いてみよう。

広辞苑第二版(昭和55年9月  古っ)を開いてみた。少し字が小さくて読みにくいが見てくれや。

鉛筆の先:各地に建てられた旧教「寺院」と書いてある。

寺院がいつか聖堂になったのね、じゃあ、他に、

サン・ピエトロ寺院とか、サクレクール寺院とか、ロンドンのウェストミンスタ―寺院とかは

どのように呼ぶのか。

明治のころに日本人が海外(主に欧米)のことを勉強した時に「間違えちゃいました」なのかなあ.。