【今日の ニッポン】
ワシは子供の頃若乃花(昔の、初代の、朝潮と戦った頃の、若秩父がいた頃の)が好きだった。
大人になって、相撲の仕切りの回数の多さにうんざりして、いつしか「相撲なんてスポーツじゃない、あれは興行だ」と思うようになり、一切見なくなった。
その後、故千代の富士の圧倒的な強さが好きになったが、それはそれ、相変わらず相撲など見なかった。
ところが、ここ数年あれほど嫌いだった相撲をTVで観戦するようになった。各取り組みをしっかりと観ていると相撲にすべてを掛けてきた人生が垣間見えるようになり、力士とその裏側にいる家族や部屋の人々も見えてきた。
引退した舞の海や翔猿、炎鳳、朝の山、遠藤、若貴景、並べだしたらきりなくいるぞ。
これはワシが年を取って来たからかもしれない。
その中でワシが常々感心することがある。それは勝っても心の中はともかく非常にクールなたたずまいのことである。
ただし、横綱白鳳だけは喜怒を出すのを止められない。相撲道の基本を理解していない、のか元々そういった性格なのか。品がない。朝青龍もそうだった。
お相撲に限らず一対一で戦い、勝ったものと負けたもののいる世界で、たまたま勝っただけである。その時の負けた相手方の気持ちをおもんばかることが大事じゃとワシは思っている。
喜びは後でかみしめる又は発散すればよいではないか?
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そこで、
日本発祥の柔道はどうか。
世界のジュードーになった瞬間から肉食人種のものとなってしまった気がする。
今度のオリンピックでも、タタミの上で勝者が雄たけびを発するのがとっても不愉快じゃ。
お前が負けたら悔しくてたまらないだろうに、敗者となったら、今までこの舞台で勝つためにこれまでの人生を捧げて来たのに負けるなんて。とんでもなくクヤシーことである。
ワシにはそんな機会も力も無いけれど見ている限りそう思う。
だいたい近代オリンピック発祥の功労者であるピエール・ ド・ クーベルタンは「参加することに意義がある」と言った。
すべての参加者の皆さん、その言葉を忘れてはいませんかっちゅうの!
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報道も報道でニッポンの金メダルの行方ばかりを追っている。
1936年、オリンピックベルリン大会で、NHKアナウンサーの河西三省が競泳女子200m平泳ぎに前畑秀子が優勝した時のラジオ実況で「前畑がんばれ」を連呼した。
勿論わしはこのエピソードを先生から聞いて「これはダメな実況の典型だ」と教えられた。報道は日本びいきすることではなく全体の様子を報道することであると。
子供の頃の言葉や考え方は70歳超えの一人の人間のものの考え方・行動までをも規制する。
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だから今、TVでニッポン主体の報道をする。つまり、「ニッポン ガンバレ」的な報道をすることは、どうしても聞きづらいものとなる。ゆえに腹が立つ。
百歩譲って狩猟・肉食欧米人のするスポーツの、勝った時の雄たけびは我慢もしよう、せめて柔道だけは精神も世界に広められなかったのかと残念でしようがない。
オリンピックのある度にそう思うのだ。つまり2年に一度
いやいや、オリンピックでなくても野球しかりゴルフしかりであります。
こういった風潮はどこの国でもそうなのかしら。田舎の国だけ?