【今日の 無事に帰宅】
松代PAで夜明けを迎えました。
ここ、松代は今から50年以上前に小さな地震が収まらず、一日に600回も地震を感じた日もあるほどで、当時大問題になったと記憶がある。
以下松代地震観測所のHPからコピー
【1965年8月3日(昭和40年)に始まったとされています(すべての地震のエネルギーを合計するとM6.4相当)。死者はありません。
最大の地震は、1966年4月5日17時51分 M5.4
有感地震は、6万回を越え、1日当たりの有感回数の最大は585回(2.5分に1回、以前は661回としていたが、これは午前9時から翌日の9時までの回数で現在は0時から24時までの回数)、無感地震を含めると6780回(約13秒に1回)を数えました(1966年4月17日)。
繰り返し起きた地震のため善光寺三門(重要文化財)の下層軸部が破損し、応急補強されていましたが、平成大修理(平成14年~19年)で本格修理が終了しました。
その後、無感地震を含めた総回数は、既に74万回を超え、現在も1日に1回程度は起きています。 】
群発地震の他に、ここは戦時中の大本営がいざ米軍に攻め込まれた時の避難場所として、ひそかに整備されていたところである。
その他、松代城やら城下町の名残を伝える古い武家屋敷もあったりして、ちょっと観光したいなあと当初予定したのだがPAに車中泊したせいですべてパスね。
静岡目指して高速を走る。
姥捨と言うPAに寄ってみる。うばすて、と読むかと思うと違う、おばすてと読む。
おばすて?あの ”おばすてやま” の姨捨かい?なにかイメージが悪い。(姨捨の皆様ゴメン)
大したPAでもないだろうと勝手に想像して入ったところがこれ!!
なに?ステキじゃん。💛 シンプルイズベストな、建物じゃん。💛
土産などの陳列も上品で、心をくだいている様子が手に取るようだ。
ここから望む景色もGooだぞ。信州って風景だ。ワシは好き。💛
PA隣接の農地では今まさにリンゴの収穫
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諏訪湖SAで諏訪湖を眺めたりして。
ここに来るとなぜか琵琶湖を望む名神高速の大津SAを思い出すのだ。同じ感じがするやん。
こちらが少し規模が小さいけども
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それでもなあと、山梨に入ったところで高速を降りて国道20号を韮崎方面に行く。これは甲州街道だ。
上は、道の駅「信州蔦木宿」
下は道の駅「はくしゅう」
前回寄った時には、サントリー白州ディスティーラリー(ウイスキー工場)が近くのせいか、、ペットボトル入りの水の大判振る舞いにあずかった。今日は何もなし。そうそうくれんだろう。
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国道20号から再び中央自動車道に入って(須玉IC)
韮崎の先(これはしゃれではありません)双葉ジャンクションから「中部横断自動車道」に入る。
この、清水と中央高速を結ぶ高速道路はだいぶ出来てきたが、走ってみれば下道の、ワシが好きな国道52号と全然違って残念な高速道路である。そのわけは・・・
ほぼ全線が橋である、在来の町を突っ切る状況なので、高架道路はやむを得ないにしても、ちったあ土盛りの所も無けりゃあ、木も植えてないし、だから緑もない、色気のない道だよ。
甲州と駿州境の山越えの手前で高速道路は途切れて下道(国道52号)に降りる。
降りた先は国道300号、つまり本栖湖と身延町を結ぶ道路であった。
ここから先は身延町、南部町と懐かしの52を通って
清水宍原?付近から新清水ICに入り一路漁村市へ、である。
ここでめんどくさい奴のめんどくさい意見
★なんで新清水インターチェンジという名称にしたのか不満。清水市街地に静鉄新清水駅がある。こんな山ん中に”新”だなんて。そりゃあ新しいから新、悪いけどそれは違う、いつまでも新しいことは無い。
もしも、ワシがつけさせてもらえるならば”北”だ。
北清水ICの方がピタリだと思うがどうかね。
第二東名の新静岡ICも北静岡ICでどう?
新静岡ってゆうとセノバと思ちゃうぞ、セノバは鷹匠町だけんどもこれは古い人間の言か?★
と御託を並べている間に車は漁村市ICに到着。スーパーで夕飯の材料を仕込み、無事我が家に帰宅しました。
長い旅の長いブログはこれでお終い。ありがとうございました。
次回は平凡な暮らしのブログに戻ります。