ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

船井幸雄さんのこと(前)

2014年02月27日 | 日記
ほなさんの商売の先生と、そのむかし昔よく比較
された「船井幸雄」先生のことを、知り合いの高
橋邦治さんが今月の「一言メッセージ」として書
かれましたのでご紹介します。

最初に高橋さんは経営コンサルタントながら、シ
ングルハンデのゴルファーで、出張にも、9番ア
イアン一本だけ持って行き、暇な時間があると、
練習場で打つというほど熱心な方で大した腕の持
ち主です。

高橋さんは船井総研から独立した、元社員であり
ますから、船井幸雄先生は社長であると同時に
経営コンサルタントとしての師匠でもあったそう
で、船井総研がコンサルティング会社として世界
初、株式上場をした1988年に社員としてその場に
居合わせるという幸運を得ています。

一方、ほなさんの先生は、上場することもなく生
業として、その一生を終えました。
今、飛ぶ鳥を落とすジャパネットの高田社長は、
なぜ上場しないのか?という社員からの尤もな問
いに対し、
「そんな窮屈なことするより、やりたいことを気
 兼ねせずにやりたいと、皆は思わないか。」
というようなニュアンスを語っておられます。
ほなさんの先生も同じことを考えていたのだと思
います。

そういうところから、ほなさんなども上場という
道を選んだ船井先生が何をしゃべるのか、という
興味があり、講演会や本なども少し読みましたが、
今回、高橋さんがそのいきさつを書いておられま
すので、長くなりますが抜書きいたします。
  (一言メッセージ②2014年3月号)より

「 船井総合研究所は、1988年10月1日大証2部に上場しまし
 た。そのとき、正真正銘資産ゼロでした。当時誰も考えられない資産
 ゼロで、しかも世界で初めてコンサルタント会社として、上場したの
 でした。資産は(僕を含めて?)人だけでした。

  1981年のことです。大阪から東京までの新幹線のなかでのでき
 ごとです。隣に座られた方と何かのきっかけで話が弾み、東京駅まで
 語り合ってきたのです。そして下りる際に名刺交換をしたのです。
 そのときです。その隣の方が『あなたは何をされている方ですか』と
 問われたそうです。師匠は答えました、『コンサルタントです』と。

  その時その方がはっした言葉は、『そうですかコンサルタントです
 か、もしあなたがコンサルタントと分かっていたら、私はあなたと話は
 しなかったです』という内容だったそうです。その理由を尋ねました。
 『コンサルタントという商売は、いかわがわしいからです』

  そこで師匠は、『どうしたら認めてもらえますか、話をしていただけ
 ますか』と聞いたのです。その方の答えは、『上場して社会から認知
 されることですね』でした。それが上場の引き金になったのです。
 因みにその方は、当時10行あった都市銀行の常務だったそうです。」
コメント
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