ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

ダフリ病

2007年02月04日 | 日記
うなるドライバーと申しても、しょせん「34」という
普通の女性並みのヘッドスピードしかない。
でも「48」を誇る方とも、飛距離の勝負ができること
を知り、勇気をもらった。要は、芯にあたるといいのだ。
『こちとら「34」だい!なめんじゃねぇ!』てなもん
でね。

それにもまして忌々しいのは、ダフリ病の芋掘りの跡。
午後のハーフは、スタートホールが「12」(パー
5)、「9」(パー3)となり、多くはダブルスコアの
8打。自分の口から「8(エイト)マン」といって茶化
してみても、恥ずかしさは変わらなかった。

ダフリ病はこわい。「トップ」病ならまだ球のうわっつ
らに当たり、たとえ10ヤードでも前に進むが、ダフリ
病菌が深化(この当て字で間違い?)すると、球の手
前、数10センチも向こうに穴ができ、球にかすりもし
ないのだ。球をよけ、地面にしきりと穴を掘り、証拠の
跡を残すまで止めない。そのためボールは掘り出した土
で覆われ、泥を拭う作業が必要になる。

このダフリ病に犯されたほなさんが、もし上級者用のア
イアンを使うなら、クラブが土に突き刺さったまま、抜
けなくなることだろう。
その様を通りすがりの人がみたら、戦死者を葬った急場
しのぎの目印か、またまた、八墓村の呪われた記念碑に
見えたことだろう。(呪われているのは事実です。)

この病気に犯されていることに、ほなさんはずっと気付か
ないできた。いや、ダフリ病だったことは認めよう。それ
は知っていた。が、練習場でいつも練習してきたすべてが
例外なく「ダフッて」いたことまでは知るよしもなかった。

練習場で「ナイスショット」と感じたあの時までもが、ほ
んとうはダフッていたのだ。グリーンのマット上では、少
しぐらいのダフリは、初心者には気付けなかった。たまに
出るナイスショットの手ごたえに、つい独りウットリ気分
に浸っていたのだ。

あの充実感は、ウソだった。-----フェアウエイからの攻め
、ユーティリティーの5番を使った瞬間に判ったのだ。ダフ
ッたグラブヘッドは大きくバウンドし、フェアウエイにある
ボールを飛び越して大空振り。顔から火が出る、恥ずかしさ
でいっぱいになった。思わず、周りをみる。メンバーが驚愕
の表情をしていた。
このときやっと気付く、ダフリ病に最初から犯されていたこ
とを。
年が明けてから熱心にやった練習のすべてが、ダフリの練習
だったのだ。

失敗の練習をいくらやっても、うまくなるはずはない
--->きわめて当たり前のことに、ウーンと唸り天を仰いだ。
午前中暑いくらいだった気温が、ぐっと下がってきたのか、
体がブルッと震えた。