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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の夏のイベント(2012年7・8月号)

2012年08月07日 | 大森町界隈あれこれ イベント

kan-haru blog 2012 和太鼓演奏のふれあいこどもクラブ  更新動画を追加Ⅱ版2014.8.7   
      
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○ 大森町サマーフェスティバル2012
今年も大森町商店街恒例のサマーフェスティバル2012が最高気温の中、大森町共栄会主催で、城南信用金庫、さわやか信用金庫、大東京信用組合の共賛で、7月29日の日曜日に開催されましたので、見てきました。

 大森町サマーフェスティバル2011パンフレット

サマーフェスティバル2012は、例年通り大森町商店街通りに、縁日・ゲーム、ライブやブラスバンド演奏、よさこいソーランと和太鼓演奏ならびにくすのき連の阿波踊りなどの催しが行われ、今年はうちわが配われましたが、それ以上の暑さが影響してか、人の出足はいま一つの感じで、年々少なくなっている様です。

 大森町サマーフェスティバル2012(:大森町サマーフェスティバルで通行止めの商店街通り、:大森町サマーフェスティバルの露天)

今年の演芸は、大東京信用組合前の仮設舞台での最初の出演は大森学園ブラスバンド部の演奏と、さわやか信用金庫先の空き地でよさこいソーラン(大森第3小児童)と和太鼓(ふれあいこどもクラブ)の演奏が同一時間の14時から行われましたが、空き地の観衆の方が親と子供関係の友達が見に来るため、やや多い様に感じました。また、16時からは恒例のThe234ポップスバンドのライブ演奏が行われました。

 大森町サマーフェスティバル演芸(:大森学園ブラスバンド演奏、:ふれあいこどもクラブ和太鼓演奏、:The234ポップスバンドのライブ演奏)

大森町サマーフェスティバルのエンディングは阿波踊りです。18時に東邦医大通りから出発する平成2年度に発足し、40回に迫る年間出演の大御所のくすのき連の阿波踊りが、大森町商店街通りを練歩き、熟達した演技の踊りを見なければサマーフェスティバルは終わらないのです。なお、今年の阿波踊りには、地元の「大森町阿波踊りの会」の踊りが加わり、一般の大人も子どもも自由に参加して踊りました。

 「大森町阿波踊りの会」の自由に参加の阿波踊り(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

サマーフェスティバル2012の動画は、さわやか信用金庫先の空き地での和太鼓(ふれあいこどもクラブ)の演奏と、大東京信用組合前の仮設舞台でのThe234ポップスバンドのライブ演奏を撮影し、さらに、「大森町阿波踊りの会」の輪に参加して踊る一般の人を映してあります。

大森町サマーフェスティバル2012・07・29大森町商店街通り


[クリックすると、和太鼓、ライブ演奏および大森町阿波踊りの会の輪の阿波踊りが見られます。]

動画をご覧頂けない方は、「大森町サマーフェスティバル2012・07・29大森町商店街通り」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.7

○ 大森三丁目連合町会盆踊り大会
今年の大森三丁目連合町会盆踊り大会は、1昨年まで開催していた大森西交通公園に戻り、8月3、4日の午後7時から開催されましたので、3日に見に行きました。

 大森三丁目連合町会盆踊り大会(左・中・右写真拡大)

会場には、模擬店も出て日中の酷暑も、日暮れとともに涼しい風になり絶好の盆踊り日和となりましたが、残念ながら踊りに参加する人が少なく、寂しい盆踊り大会でした。

 大森三丁目連合町盆踊風景(左:露天、中:盆踊りの輪、右:盆踊り参加者席)

○ 大森西三丁目大寿会第一クラブ定例会・誕生会
7月18日に諏訪神社諏訪会館(大田区大森西2-23-6)で、大田区老人クラブ連合会大森西三丁目大寿会第一クラブの7月期の定例会・誕生会が12時より開催されましたので出席しました。定例会は副会長の司会により、開会の辞で開始され、会長の挨拶後誕生者の紹介があり、乾杯を行いお弁当を食べながらの歓談です。

 役員挨拶(左:副会長の司会で定例会の開始、中:会長のご挨拶、右:誕生者と紙芝居の紹介など)

昨年、大変と好評であった八幡長寿会の松木様の自作、自演の紙芝居を、今年も公開して貰いました。紙芝居の演題は「豊田佐吉」で、慶応3年に遠江国の貧農の大工の家に生まれ、18歳のころ発明で役立とうと決心し機織機の改良を始め、明治23年に「木製人力織機」を発明し、明治30年に人力織機を改良し「木製動力織機」を発明して、明治40年に動力織機製造を目的として豊田式織機株式会社を設立した人で、自動織機を生んだ豊田佐吉の偉人伝物語でした。

 公演2回目の参加者に人気の紙芝居(左上:会長の拍子木により紙芝居の開始、中上:参加者に人気の紙芝居公演、右上:紙芝居の演目は「豊田佐吉」、左下:熱演の八幡長寿会の松木様、中下:豊田佐吉の説明熱演が続く、右下:紙芝居の自作の絵も素晴らしい)

紙芝居の後に懇親会となり、恒例の余興が行われ合唱、カラオケと和やかに過ごしました。

 合唱・カラオケの演芸タイム(・中・右写真拡大)

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大森町界隈あれこれ 第4回大田区加工技術展示商談会 モノづくりソリュウションフェア2012

2012年06月28日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2012 第5回大田区加工技術展示商談会会場   
      
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大田区加工技術展示商談会
第5回大田区加工技術展示商談会が6月15日に大田区産業プラザPIO(大田区南蒲田1-20-20)1階大展示ホールで、開催されましたので見てきました。

 第5回大田区加工技術展示商談会ガイド

大田区加工技術展示商談会は、大田区、公益財団法人大田区産業振興協会および大田区工業連合会の主催で毎年開催され、次に示す事業内容の優れた加工技術を持つ大田区の企業メーカーと団体102社が一堂に会し、大田区のモノづくり産業育成の展示会です。

 大田区加工技術展示商談会参加企業の事業内容

PIO前の京急蒲田駅前交差点の、国道15号線(第一京浜)を渡る横断歩道と旧多摩堤通りから国道15号線への直進及び右折が、「蒲田連続立体交差事業」により2月29日から使用できなくなり、横断(自転車を含む)は歩道橋のみとなりました。

 大田区加工技術展示商談会会場の大田区産業プラザPIO(写真拡大)

展示会場の出展ブースは、入り口の右側に受付があり、その前方の会場中央には出展企業掲示の案内板があり、左右には3段5列の展示ブースと、展示ブース間の前中央部には商談用のテー
ブルと椅子が配置してあります。

 会場受付および出展企業案内板(:大田区加工技術展示商談会受付、:出展企業案内板)

展示ブースのレイアウトは、左方の5列の青色ブースの小間1から51番と、右方の奥列の小間52から55番までが除去加工業の出展コーナーです。奥の5列目のコーナーとその前の3、4列のピンク色ブースの小間56から81番までが成型加工業企業出展コーナーで、その前列の紫色ブースの小間82から94番までが付加加工業企業出展コーナーで、最前列の緑色の小間95、96から番までが表面加工業企業出展コーナー、および97から102番までがその他の企業出展コーナーで配置されています。出展者一覧(←ここをクリック)

 第5回大田区加工技術展示商談会会場ブース案内図

展示会場の見学は、会場左方の除去加工業の手前の小間10から1番へと見て行きました。
除去加工業のブース1番の赤塚刻印製作所は、手掘りによる精密刻印・彫刻技術の製品で、大田区唯一の工匠の彫刻師による確たる貴重な技術による製品を作成しています。
大田区加工技術展示商談会2012では、工匠の企業が17社出展しています。工匠とは、従業者数3人以下の企業で活躍している腕利きの職人の方に焦点をあて、「大田区ものづくり優秀技能者(大田の工匠100人)」として、5年間で100人の方を表彰することにより、その技能の継承及び後継者の育成に資することを目的としています。

 会場左コーナー除去加工業の会場1~10展示ブース(:会場10~1ブース、:会場1~10ブース、:ブース1精密刻印・彫刻加工の赤塚刻印製作所)

除去加工業の2列目の小間11から20番へと見ると、ブース番号13番のオリエンタル工芸社は、監視盤・管理盤・操作盤や、表示灯・案内灯・看板の加工・組立を行っています。同社は、日本工学院で開催の「蒲田 いまと昔展」の展示会(「大森町界隈あれこれ 「蒲田いまと昔展」(梅ちゃん先生番組展)を見て大森・蒲田の昔を探るその1~3」参照)で、大田区産業経済部 観光課からの依頼で、「梅ちゃん先生」のグッズ品を出展しています。
また、ブース番号16番の菊和製作所は、エンジニアプラスチックの板材・丸材から精密部品の切削加工を行っています。

 会場左コーナー除去加工業の会場11~20展示ブース(左上:会場20~11コーナー、中上右上左下:ブース13かご操作盤製品のオリエンタル工芸社、中下:梅ちゃん先生グッヅ(オリエンタル工芸社)、右下:ブース16プラスチック切削加工の菊和製作所)

会場左方の残りの除去加工業コーナーは、後方に第3列から第5列のブースがあり、小間21から51番までの企業が展示しています。

 会場左方の3~5列の小間番号21~51の除去加工業ブース(:会場21~30ブース、:会場31~40ブース、:会場41~51ブース)

この除去加工業ブースの中に、ブース番号23番の小林孝計測器では、ナノファイバーテクノロジーに依るエレクトロスピニング方式で、ナノファイバー製造装置とナノファイバーの製造を行っています。ブース前では東工大の先生が、容器に一杯の大量な綿の様なナノファイバーを前にして、その性質の実験を見せて特徴を説明しおりました。ナノファイバーのサンプルを少量頂いてきました。

 ブース23番のナノファイバー製造の小林孝計測器(:ナノファイバー製造の小林孝計測器、:容器に一杯の綿の様なナノファイバー、:頂いてきたナノファイバー)

ブース番号26番のシナノ産業では、プラスチックの板材・丸棒から精密機械部品を切削で製作しています。

 ブース26番のシナノ産業(写真拡大)

会場右方の第5列のブース52から55番は除去加工業コーナーで、第5列ブース56番から第3列ブース81番までは成型加工業コーナーで、同列ブース82番は付加加工業コーナーです。

 会場右方の3~5列の小間52~82のブース(:会場52~62ブース、:会場63~72ブース、:会場82~73ブース)

会場右方の第1、2列のブース83から94番は付加加工業コーナーで、第1列ブース95から96番は表面加工業コーナーで、同列97から102番はその他の企業コーナーです。
また、会場中央奥のセミナー会場では、出展企業のプレゼンテーションが午後14時40分から4コマのセミナーが行われました。第5回大田区加工技術展示商談会の11時と13時30分の特別講演は、4階コンベンションホールで事前登録者のみ聴講できます。

 会場右方の1、2列の小間92~102ブースとプレゼンテーション会場(:会場83~92ブース、:会場93~104ブース、:出展企業プレゼンテーション会場)

大田区加工技術展示商談会前回実績


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大森町界隈あれこれ 「蒲田いまと昔展」(梅ちゃん先生番組展)を見て大森・蒲田の昔を探るその3

2012年05月17日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2012 ラッピングカーに堀北真希の直筆のサイン(NHK HP)  
      
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梅ちゃん先生
NHK連続ドラマの第1作は「娘と私」で、原作が獅子文六で1961年(昭和36年)に放送されました。連続テレビ小説「梅ちゃん先生」は第86作の作品で、脚本が尾崎将也による1945年(昭和20年)戦後の町工場の多い蒲田が舞台で、父親の職業は優秀な医者で、3兄弟の松子と竹夫の末っ子の梅子(堀北真希)がヒロインで、周りから期待されないが医者を目指して進みます。戦後は、医学を学ぶことについて変遷があり、医学専門学校(医専)の入学は昭和21年度が最後となりました。その年に入学した人は、医専自体がなくなるので留年がありません。戦争直後は、周りは焼け野原で食べ物も物資もない時代で、ドラマはどう展開していくのか、同時代を蒲田の隣の大森で過ごした筆者にとっては楽しみです。

 茨城県高萩に造られた梅ちゃん先生蒲田の焼野原セットNHK ONLINEから

4月15日に出先からの帰り道の京急品川駅で、2100形車両にラッピング仕立て早々の「梅ちゃん先生ラッピング」車両が入線していましたので、撮影しておきました。ラッピング電車は8両1編成で,泉岳寺駅~三崎口駅間を4月9日からドラマ放送終了の9月末までの1日約3~4往復し,主に快特として運行する予定ですので、ご覧下さい。堀北真希さんの直筆サイン(TOP写真)は、ラッピング電車の品川方向先頭右側の番組ポスターの上に書かれています。

 梅ちゃん先生京急ラッピングカー(:梅ちゃん先生京急ラッピングカー4月15日、:梅ちゃん先生の京急ラッピングカー出発式(NHK ONLINEから))

梅ちゃん先生番組展
「梅ちゃん先生番組展」の展示は、「蒲田いまと昔展」の展示コーナーの奥で開催しています。会場の壁面には、連続テレビ小説梅ちゃん先生の登場人物に出演の俳優陣のサイン色紙が展示してありますが、残念ながら撮影禁止のため表示できません。

 梅ちゃん先生番組展(写真拡大)

主な登場人物の役名と出演者名(クリックするとNHK梅ちゃん先生の登場人物のHPが開きます)は、ヒロイン下村家の次女梅子(堀北真希)[写真左端]、父建造(高橋克実)[右から3人目]、母芳子(南果歩)[右端]、姉松子(ミムラ)[左から2人目]、兄竹夫(小出恵介)[左から3人目]、祖母正枝(賠償美津子)[右から2人目]、建造の弟/梅子の叔父(立花陽造)、梅子の隣家安岡家の父幸吉(片岡鶴太郎)、安岡家の長男/梅子の幼なじみ信郎(松坂桃李)、信郎の母和子(大島蓉子)などが出演しています。

 梅ちゃん先生下村家の食卓場面NHK ONLINEから

梅ちゃん先生番組展の会場には、出演者が着る衣装が並んで展示されています。衣装は、向かって左から、安岡家の母親和子の衣装、同父親幸吉、同長男信郎、下村家長男竹夫、同梅子の衣装、同姉松子、同母芳子、同父幸吉、同祖母正枝、梅子の叔父立花陽造の順にならべられています。

 梅ちゃん先生のドラマで着る衣装(写真拡大)

梅ちゃん先生番組展の展示会場の左方には、昭和20年代の下村家のバラック建てのセットがあります。当時は、バラックの建築には、木材などすべての建築材は配給制で、申請をとり資材を調達します。それでも資材は一挙に調達できずに、待たされたり、闇で購入したりします。バラックの外壁は木造板張りですが、内壁は無く外板張り1枚の住居です。屋根材は、木端を敷いて葺くトントン葺きが一般であり、窓ガラスなど1枚1枚と分割して配給となるので、全てのガラス戸にガラスの付くのは先のことです。たまたま最近見ていた場面で、梅子が通学する城南女子医学専門学校校舎の不完全な窓ガラスが補充された箇所が出てきましたが、戦後の数年は全く物資不足の時代でした。

 梅ちゃん先生下村家のセット(写真拡大)

展示場の奥には、オープニングタイトルバックに出てくるジオラマが展示してあります。ジオラマは、山本高樹氏の作で、非常に繊細に蒲田の雰囲気を出しています。細部場面の人物や動物、電車に船やお店屋さんなどリアルに表現されています。このジオラマの風景の年代は、昭和30年の後半以降のものです。

 梅ちゃん先生オープニングタイトルバック・ジオラマ1(写真拡大)

ジオラマの川は、呑み川を表現しており、電車は京浜急行を示しています。昭和30年代までは、京浜急行が呑み川鉄橋を渡る風景が見られましたが、現在は、呑み川鉄橋の上は、高架化工事により高架駅ホームの下に隠れております。

 梅ちゃん先生オープニングタイトルバック・ジオラマ2(写真拡大) 

大田区からのお知らせ
大田区では5月6日まで日本工学院の展示ホールで行いました、「蒲田いまと昔展」・「梅ちゃん先生番組展」ですが、大変多くの方に来ていただき、「ぜひまたやってほしい」というご意見をいただきましたので、場所を代えて開催します!
場所は、大田区役所本庁舎3階展示ホールで、期間は平成24年5月11日(金曜日)から平成24年5月30日(水曜日)までの平日で、土曜日・日曜日を除きます。ただし、「梅ちゃん先生」関連のジオラマや衣装等の展示はしておりませんので、ご了承ください。
イベントチラシ(PDF:606KB) ←ここをクリック

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大森町界隈あれこれ 「蒲田いまと昔展」(梅ちゃん先生番組展)を見て大森・蒲田の昔を探るその2

2012年05月15日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2012 昭和27年田園調布駅 
      
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大田区の戦前・戦後と復興期
大田区には、1938年(昭和13年)に転入し、当初は産業通りの事務所の2階の借家に住み、一時期茨城・栃木で学童疎開生活をし、灰燼の焼け跡に引き揚げてガス会社脇の間借り生活を経て、現在は大森町駅近辺の住宅で過ごしています。幼稚園、小・中・高校から大学に通い、1955年(昭和30年)代の復興期には、残業・休日出勤とがむしゃらに働き、世界2位の経済大国になった大田区で人生を送った当事者としては、「蒲田いまと昔展」を見て素直な気持ちにはなれないのです。今後も何時災害に遭うか分らない時代を、これからの世代のために、大森・蒲田の昔の出来事を出来る限り正確に伝えて行かなければならないと感じました。
蒲田いまと昔展の展示会場で、大田区での昔の生活を想い起しながら展示品を見て行きます。

 大田区の戦前・戦後と復興時の情景展示(:ようこそ蒲田への歓迎旗、:大田区の魅力再発見の展示コーナ、:大田区の学校行事、商業と農業写真)

1941年(昭和16年)12月8日に世界大戦に突入し、敗戦が濃厚となった1945年(昭和20年)4月15日の城南空襲(「大森町界隈あれこれ 大森町大空襲から67年 ガス会社、特殊鋼、森ヶ崎一帯を除いて一面の焼け野原その1」参照)と、5月に入り終戦までの17回の空襲により、大森・蒲田では8万戸以上が焼失し30万人以上が住む家を失いました。写真右の中央に薄く見えるのは、戦災被害をまぬかれた、大森ガス会社のガスタンクです。

 大森・蒲田の空爆戦災跡昭和20年(:戦災の矢口東小学校昭和20年5月、:戦災の大森東5丁目谷戸町会昭和20年4月、:大森6丁目の戦災昭和20年4月 石川光陽(大田区史下巻から))

前回ブログその1のトップ写真の大森ガス会社のガスタンクは、5歳で千住から転入した産業通りに面した借家での、物干し台から日常見られるガスタンクは、朝は満タンになり、夕方には消費されて減じたタンクの姿は、大森の戦前・戦中の少年時代のノスタルジアな風景でした。
幸いと、城南空襲では大森ガス会社とその北側にあった日本特殊鋼は、爆撃を避けられ被害を蒙らずに済みました。大森ガス会社は、1908年(明治41年)に建設され営業を開始して、1987年(昭和62年)に閉鎖されるまでは、大森町はガスタンクの見える街でした。
しかし、戦後の復興のため大森ガス会社のガスタンクは、羽田空港の空路の障害となるため大森第1小学校から南方の産業通り際に移転されましたが、今ではガスタンクは撤去され、大森町の光景であったガスタンクの姿は無くなりました。

 かっての大森町はガスタンクの見える街(:東5丁目の海苔業家とガスタンク、:空路障害のため移転したガスタンク、:大森警察署屋上から望む移転したガスタンク)

焦土と化した大森・蒲田も電柱が建ち、商店が並び復興が始まりました。食料品、衣料品などの生活に必要な供給が増加して、配給制度が1950年(昭和25年)から廃止されましたたが、道路などが舗装されていなく、雨が降るとぬかるみになります。戦後、10年が経過しても、駅舎などはバラック建てのままです。現在の京急平和島駅の前身は、学校裏という駅名であり、開業時には環7通りの南側の寄来尋常小学校(現在の大森第1・開桜小学校の前身)の裏に出来たので、付けられた駅名です。

 戦後復興が始まるの大森・蒲田(:復興が始まる蒲田駅東口昭和24年、:京浜急行学校裏駅昭和32年、:駅舎がバラック建ての東急蒲田駅昭和30年(昭和30年代の大田区から))

昔の展示写真を見て行くと、何点かの昔の実物の展示が出展されてありました。実物展示の1つは肥桶です。肥桶をご存知の方は、あまりおられないのではと思いますので説明しますと、昭和20年代以前のトイレは糞尿を瓶にためておく、汲み取り便所でした。糞尿が一杯になると汲み取りやさんが、柄杓で汲み取って肥桶に入れて担いで運び、複数の肥桶を専用のリヤカーで糞尿処理場まで運搬していたのです。昭和30年代の半ばになると、汲み取りの作業がバキュームカーとなり、現在では水洗トイレと進化したのです。

 汲み取り式便所の肥桶(:肥桶、:大江戸博物館で孫が肥桶担ぎに挑戦(2007年)、:肥桶運搬車昭和35年'(大津市歴史博物館から))

昭和時代の中流家庭でのお茶の間洋品には、衣服や小物などを整理する和箪笥と洋箪笥に小物箪笥、家庭用足踏みミシン、卓上電話器、ちゃぶ台、重箱、鉄瓶、食器膳、物入れ、そろばん、筆記具、火鉢、お釜やおひつなどが必需品でした。昭和20年代後半から昭和30年代前半の食事は、肉のおかずはまだ少なく、ご飯はかまどやガスで焚いていました。

 昭和の生活用品(:戦前の中流家庭でのお茶の間用品、:戦前の一般家庭での食事と食事用品、:昭和30年代一般家庭の夜の食卓(昭和30年代の大田区から))

行ってみよう博物館・記念館コーナーでは、大田区の博物館や記念館が紹介されていました。大田区では、大田区ミュージアムマップ(平成23年3月)を発行しており、「大田区ミュージアムマップ」とそのガイドの「大田区ミュージアムガイド」は、大田区役所ホームページ「大田区ミュージアムマップ(民間施設含む)」からダウンロードができます。(「大森町界隈あれこれ 大田区のミュージアム 民間ミュージアム(美術館、博物館)紹介展示会」参照)

 行ってみよう博物館・記念館コーナー(写真拡大)

おおたうまいもの紹介コーナーでは、大田区商連のお店のうまいものが展示してあり、新名物大田区限定品の「東京大田汐焼きそば」の幟が立っていました。また、展示会場の東方にある「梅屋敷商店街」の紹介コーナーもありました。蒲田周辺には19軒の温泉施設があり東京23区内では最多の場所がら、大田区のお風呂屋さんコーナーには、銭湯絵が展示してある他、銭湯の小道具などが並べてありました。

 おおたうまいもの紹介、お風呂屋さんコーナー他(:おおたうまいもの紹介、:梅屋敷商店街紹介コーナー、:大田区お風呂屋さんエリア)

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大森町界隈あれこれ 「蒲田いまと昔展」(梅ちゃん先生番組展)を見て大森・蒲田の昔を探るその1

2012年05月13日 | 大森町界隈あれこれ イベント

kan-haru blog 2012 昭和14年撮影の大森ガス会社のガスタンク
      
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大森と蒲田の昔
現在の大田区内の大森と蒲田の沿革は下表に示す通りです。

 蒲田と大森の沿革

1932年(昭和7年) 10月1日に東京市15区(1978年制定)と、近隣の5郡82町村(荏原郡・豊多摩郡・北豊島郡・南足立郡・南葛飾郡の各全域)を編入して新たな20区を置き、東京35区となりました。新設の大森区は大森町、入新井町、馬込町、池上町、東調布町の区域を指定して設置され、蒲田区は羽田町、蒲田町、矢口町、六郷町の区域をと指定して設置されました。

 旧大森・蒲田区地域町名

1943年(昭和18年) 7月1日に、東京都制が施行され、東京市と東京府が廃止され、東京都35区が設置設置されました。
現在の大田区は、1947年(昭和22年)3月15日に東京都35区制の大森区が蒲田区と合併し、東京都23区制の大田区となりました。

 大田区地域地図大田区ホームページ大田区の公園から

昔の記録
大森・蒲田の昔の姿の情報を一般的な記録として残すことが出来るツールは、コンパクトデジタルカメラで撮影した写真や動画です。しかし、日本にてコンパクトで手軽に写真が撮影できるカメラが大衆化するのは、1970年代です。デジタルデータとして記憶素子に記録するデジタルカメラが一般に登場するのは、1995年あたりからで、今から20年ほど前のことであり、1970年(昭和45年)より前の昔の記録写真は非常に少なく希少的なものです。さらに、昔に使用していた品物というと、壊れたりすると更新して残っていません。世界大戦では、1945年4月15日の東京城南大空襲で大森・蒲田は焼野原(「大森町界隈あれこれ 大森町大空襲から67年 ガス会社、特殊鋼、森ヶ崎一帯を除いて一面の焼け野原その1」参照)となり、物資不足のなか、昔を忍ぶ物は殆ど残っていないのが実情です。
 
 大森町上空の戦災後の航空写真(昭和22年)(再掲)

蒲田いまと昔展
大田区の昔を忍ぶ物の写真、記録書や昔の道具などの保存が少ないなかで展示資料集めが大変である、「蒲田 いまと昔 展~Tribute to カマタ~」の展示会を日本工学院専門学校・東京工科大学主催で、12号館1階 ギャラリー鴻(大田区西蒲田五丁目23番22号)にて、4月1日から5月6日まで開催されましたので、4月30日に見てきました。

 日本工学院専門学校12号館

なお、「蒲田 いまと昔 展~Tribute to カマタ~」では、連続テレビ小説「梅ちゃん先生」番組展の併設展示が行われてていました。

 蒲田いまと昔展パンフレット

同展は、大田区「梅ちゃん先生」推進委員会NHKサービスセンター主催で、NHKの後援で、番組紹介のパネルや、一部再現セットなど、今人気番組の展示がみられました。ドラマ「梅ちゃん先生」は、第二次世界大戦末期の城南空襲により焦土となった東京都蒲田区が物語の出発点で、1945年8月15日の終戦日の前後から放映が開始され、この蒲田いまと昔展と当ブログにはぴったりのドラマなのです。

 梅屋敷駅高架ホームのドラマ「梅ちゃん先生」の写真(写真拡大)

会場の日本工学院専門学校12号館に向かう途中で初めて見た、東京工科大学の巨大な校舎に驚かされ、また、ギャラリー鴻に入り立派なホールの作りにも感心しました。
 
 立派な東京工学院12号館ギャラリー鴻(:蒲田 いまと昔 展会場の東京工学院玄関、:ギャラリー鴻エントランストホール、:ギャラリー鴻展示会場入口)

蒲田 いまと昔 展の会場構成は、6つのブロックで構成されており、入り口を入ると「写真で見る大田区エリア」で、次のコーナーは「大田区昔の生活エリア」から「大田区まち歩きエリア」が続き、隣の大田区関連団体の紹介エリアが休憩所になっています。次の奥のコーナには「見る!味わう!大田区エリア」と「大田区お風呂屋さんエリア」の2つが並んでおり、最後の奥のコーナーが「連続テレビ小説「梅ちゃん先生」番組展」と配置されています。

 蒲田いまと昔展会場図

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大森町界隈あれこれ 大森汐風まつり 旧東海道ミハラ通り・旧羽田街道するがや通り景観事業完成記念その2

2012年04月24日 | 大森町界隈あれこれ イベント

kan-haru blog 2012 獅子頭神輿 更新動画を追加Ⅱ版2014.8.14      
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大森汐風まつり(続)
・大森甚句保存会
東京消防庁音楽隊に続くパレードは、大森甚句研究保存会の大森甚句を唄と踊りのパレードです。大森甚句とは地元大田区に伝わる民謡ですが、大森海岸一帯の漁師の間で海苔取りの唄として唄われてきたものを大森東の茨田芳三氏が七・七・五調の小気味良い調律でまとめ上げたもので、徐々に有名となり広がりつつあります。

 大森甚句保存会パレード(写真拡大)

大森甚句研究保存会.wmv

[クリックすると大森甚句研究保存会パレードが見られます]

動画をご覧頂けない方は、「大森甚句研究保存会.wmv」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.714

・交通安全音頭
続く大森交通安全音頭は、大森警察署と大森交通安全協会女性部による交通安全のPRのパレードです。

 交通安全音頭パレード(写真拡大)

交通安全音頭大森警察署.wmv

[クリックすると大森警察署と大森交通安全協会女性部の交通安全音頭パレードが見られます]

動画をご覧頂けない方は、「交通安全音頭大森警察署.wmv」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.714

・竜踊り
竜踊りは、ミハラ通りの南の内川橋を渡り南東に入ると、昔歌舞伎「浮世塚比翼稲妻」(鶴屋南北作)で有名な旅籠『駿河屋』のあったと云われるするがや通り(旧羽田道)で、その商店会のパレードです。龍踊りの起源は、中国で五穀豊穣を祈る雨乞いの神事に始まったと言われており、龍囃子のラッパは龍の鳴き声、銅鑼(どら)は波濤の音、太鼓、パラパラ、キャンキャン、大鉦・中鉦・小鉦はそれぞれ雨や雷等の音を表現しています。

 竜踊りするがや通り商店会パレード(写真拡大)

竜おどり するがや通り商店会.wmv

[クリックすると竜おどり するがや通り商店会のパレードが見られます]

動画をご覧頂けない方は、「竜おどり するがや通り商店会.wmv」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.714

・阿波踊り

くすのき連は、大田区役所の職員有志でつくる連で、年間50回近くの出演を行っおり、大田区のイベントには殆ど登場しており、本ブログにも多数のイベント記事に掲載している阿波踊り連のパレードです。

 阿波踊り くすのき連パレード(写真拡大)

阿波踊り くすのき連.wmv

[クリックすると阿波踊り くすのき連のパレードが見られます]

動画をご覧頂けない方は、「阿波踊り くすのき連.wmv」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.714

・神輿
汐風まつりパレードのフィナレーは、仲睦会・南睦会・北睦会神輿の揃い踏みで、祭りを盛大にしめました。

 フィナレー仲睦会・南睦会・北睦会神輿パレード(:神輿仲睦会、:神輿南睦会、:神輿北睦会)

神輿 旧東海道仲睦・南睦・北睦.wmv

[クリックすると神輿 旧東海道仲睦・南睦・北睦のパレードが見られます]

動画をご覧頂けない方は、「神輿 旧東海道仲睦・南睦・北睦.wmv」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.714

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大森町界隈あれこれ 大森汐風まつり 旧東海道ミハラ通り・旧羽田街道するがや通り景観事業完成記念その1

2012年04月22日 | 大森町界隈あれこれ イベント

kan-haru blog 2012 江戸時代旧東海道和中散売店の説明板  更新動画を追加Ⅱ版2014.8.14   

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旧東海道ミハラ通り・旧羽田街道するがや通り景観整備事業完成記念の第1回大森汐風まつりが、旧東海道大森まちづくり協議会の主催で4月15日に、式典とミハラ通り(「大森町界隈あれこれ 大森町風景 旧東海道(三原通り) その1」参照)からするがや通りにかけてのパレードが行われましたので見てきました。

 大森汐風まつりパンフレット1

旧東海道大森まちづくり協議会は、ミハラ通りにある大森本町ミハラ通り北商店会、大森ミハラ通り仲町商店会、ミハラ南商店街振興組合とするがや通り商店会の、約1.5キロメートルに及ぶ4商店街が、大手スーパーの進出で商店街を訪れる人は少なくなり、かっては旧東海道の品川宿と川崎宿の間に位置し、旅人の休み場として賑わいをみせていた景観を呼び戻したいと、4商店街が2年前に協議会を立ち上げました。
そして、4商店街が連携して旧東海道をテーマとした景観づくりに乗り出し、江戸情緒あふれる商店街の再現のため、約50店舗がひさしや格子、のれんなどを設置、江戸をイメージした字体で店名が書かれた木製の看板を置くなどの、店舗改装の景観整備事業を、本年3月までに完成させ、その記念の旗揚げが第1回大森汐風まつりです。
景観整備事業1億5000万円の投資額は、東京都と大田区が約9割を助成し、残りを4商店街が負担して店舗を改装しました。この景観事業の完成で、大森本町ミハラ通り北商店会の北山輝夫会長は「旧東海道の街並みの再現を起爆剤に地元客だけでなく、外国人観光客も訪れてくれる商店街にしたい」と話しています。

 大森汐風まつりパンフレット2 

大森汐風まつり
大森汐風まつりの行事は、大森スポーツセンターで午後1時から旧東海道ミハラ通り景観事業完成記念式典が行われ、続いて警視庁騎馬隊を先頭としたパレードが、ミハラ通り北端から出発し、内川南岸のするがや通りを大森東2丁目の三叉路まで行進して祭りを盛り上げました。
当日は出先から平和島で下車し、ミハラ通り中間の仲町連絡所の前に午後1時過ぎに着いて、パレードを見物しました。

 汐風まつりパレードを待つミハラ通り仲町商店会(:汐風まつり仲町連絡所、:汐風まつりで大賑わいのミハラ通り、:仲町商店会景気付けの祭囃子)

・警視庁騎馬隊
パレード先頭は警視庁騎馬隊で、やっと2時を過ぎてから仲町商店会に姿を現し、2頭の白馬に跨る赤と青の交通信号の色を象徴した制服の姿は、観衆の注目をあびて人気を博していました。なお、騎馬隊の歴史は古く、1874年(明治7年)2月に当時警視庁と内務省との間の文書往復や伝令勤務を行っていたのが始まりで、その後、1903年(明治36年)9月に欧州の警察騎馬隊を参考として、警察官15名・馬15頭で正式に騎馬隊が発足しました。1976年(昭和51年)7月には我が国初の女性による騎馬警察官が誕生しました。

 パレード先頭を進む警視庁騎馬隊(:女性騎手の警視庁騎馬隊、:男性騎手の警視庁騎馬隊、:白馬に跨る警視庁騎馬隊)

・大森交通少年団
続くパレードは、交通安全プラカードを掲げた、大森警察署の大森交通少年団の行進です。交通少年団は、東京交通安全協会が中心となって、子どもたち自身が主体となって交通ルールや交通マナーを学び、交通事故防止活動を行う交通少年団が結成されました。

 大森警察署大森交通少年団のパレード(写真拡大)

・大森鳶組合の木遣り
続いての大森鳶組合の木遣りパレードは、毎年成人の日にはしご乗り(「大森町界隈あれこれ 初春の伝統行事 大森土木鳶建設組合恒例のはしご乗り」参照)を池上本門寺などで奉納しており、区民にはお馴染みの建設組合のメンバーによる、木遣を唄いながらの行進です。「木遣り唄」と言えば、消防の出初式などで火消し鳶職達が梯子乗りで合唱することで有名ですが、大森鳶組合と大森消防署は、「震災等大規模災害発生時における消防活動業務の協力に関する協定」を今年1月22日に締結しました。

 大森鳶組合の木遣りパレード(写真拡大)

汐風まつり大森鳶組合木遣り.wmv

[クリックすると大森鳶組合の木遣りパレードが見られます]

動画をご覧頂けない方は、「汐風まつり大森鳶組合木遣り.wmv」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.14


・東京消防庁音楽隊

続いての東京消防庁音楽隊パレードは、隊の先頭に防火・防災に関する科学的知識・技術を身につけ、団体生活や奉仕活動などを通して心身をきたえることを目的に大森消防署が組織した大森消防少年団を先頭に、「東京都民と消防のかけ橋」として日本初の消防音楽隊として1949年7月16日に発足した、63年の歴史ある音楽隊34名の演奏行進パレードです。


汐風まつり東京消防庁音楽隊.wmv

[クリックすると東京消防庁音楽隊パレードが見られます]

動画をご覧頂けない方は、「汐風まつり東京消防庁音楽隊.wmv」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.14

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大森町界隈あれこれ 大田区のミュージアム 民間ミュージアム(美術館、博物館)紹介展示会

2012年03月08日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2012 ミュージアム紹介コーナー     

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大田区ミュージアムマップ
大田区では、大田区ミュージアムマップ(平成23年3月)が発行され、民間ミュージアム共同展示会が大田区役所(大田区蒲田5丁目13番14号)1階展示コーナーで、2月22日から27日まで開催されましたので、同26日に見てきました。
「大田区ミュージアムマップ」とそのガイドの「大田区ミュージアムガイド」は、大田区役所ホームページ「大田区ミュージアムマップ(民間施設含む)」からダウンロードができます。

 大田区ミュージアムマップ

民間ミュージアム共同展示会
大田区のミュージアムには、大田区立博物館・美術館が7館と民間の博物館・美術館が12館あります。民間ミュージアム共同展示会は、ミュージアムマップ掲載の民間ミュージアムのうち、五十嵐健治記念洗濯資料館、昭和のくらし博物館、蒲田切子(グラスフォレスト)、炭ギャラリーおよび第一次南極越冬隊長 西堀榮三郎邸の5館が、大田区役所1階展示コーナーで出展して展示されました。

 大田区役所地図

展示会場の大田区役所の展示コーナーは土・日曜日も開催され、ウイクデーとは展示場所が移されたようです。

 民間ミュージアム共同展示会場の大田区役所(左・写真拡大)

五十嵐健治記念洗濯資料館(下丸子2-11-1)コーナーには、ドライクリーニングの白洋舎創業者五十嵐健治にまつわる品を展示してあり、クリーニングに使用するアイロンの変遷は、炭火アイロンが幕末の頃移入され、洋服の普及とともに流行りだし、炭火を中に入れる「火熨斗」や炭火で熱して使う「鏝」は古くから使われてきました。

 五十嵐健治記念洗濯資料館の展示コーナー(左:白洋舎の誕生、右:さまざまなアイロンとコテ)

昭和のくらし博物館(南久が原2-26-19) コーナーには、1933年(昭和8年)に製造されたシンガーの足踏みミシン、1965年(昭和40年)代に着られていた洋服や戦前の日常の着物を出品し、懐かしい昭和の庶民の暮らしが再現されています。戦前から戦後の着もの地は銘仙が殆どで、1955年(昭和30年)頃まではこのような着物で職場に通っていました。1965年(昭和40年)代の外出着は、上が無地でチェックのスカートが一般で、スカートと共布のベルトのデザインに工夫をこらしていました。

 昭和のくらし博物館の展示コーナー(左:昭和30・40年代の着物と洋服、右:戦前・戦後の日常の品々)

蒲田切子(グラスフォレスト)(仲六郷1-9-15) コーナーには、水滴の文様である水鏡に大正・昭和の蒲田のイメージを重ねた切子細工のグラスの江戸切子が出展していました。蒲田切子は、「魅力ある日本のおみやげコンテスト2012」で「日本の持つ品位や品格を感じられる」として観光庁の「ラグジュアリー・ジャパン賞」を受賞しました。

 蒲田切子(グラスフォレスト)の展示コーナー(左:蒲田切子、右:蒲田モダン水鏡)

炭ギャラリー(南久が原2-5-3) コーナーには、炭の総合燃料商社の増田屋が、新しい炭文化を発信するために、備長炭から茶の湯炭、火鉢や炭のオブジェを展示しています。

 炭ギャラリーの展示コーナー(左:炭の総合燃料商社の増田屋、右:炭のオブジェ)

第一次南極越冬隊長西堀榮三郎邸(鵜の木1-20-1)コーナーには、第1次南極越冬隊隊長を務めた西堀榮三郎氏が持ち帰った、南極昭和基地周辺で採取されたザクロ石片麻岩と玄武岩が展示されています。見学者には、ザクロ石片麻岩を持たしてくれて、かなりの重量に驚かされます。

 第一次南極越冬隊長西堀榮三郎邸の展示コーナー(左:南極の石のザクロ石、右:南極の石の玄武岩.)

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カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ イベント総目次2011~2012年版イベント総目次2010年版イベント総目次2006~2009年版
<前回 大森町界隈あれこれ 第16回大田工業フェア 中小企業を中心に工業技術や新製品を紹介する展示商談会
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大森町界隈あれこれ 第16回大田工業フェア 中小企業を中心に工業技術や新製品を紹介する展示商談会

2012年02月06日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2012 抽選会で当たった株式会社エステックの黒猫スキャット   

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おおたく産業プラザ(←ここをクリックでアクセス図を表示)(大田区南蒲田1-20-20)では、区内企業への産業振興の一環として開催する自主企画展の大田工業フェアが、2月2~4日まで開催されましたので2日に見てきました。

 大田工業フェア招待券

大田工業フェア
「おおた工業フェア」は、主催が大田区、(公財)大田区産業振興協会、(社)大田工業連合会で、後援が経済産業省関東経済産業局、東京都、(独)中小企業基盤整備機構関東支部、東京商工会議所大田支部、日刊工業新聞社で、協賛が(一般社)日本機械学会、(公社)精密工学会、(社)発明協会、(社)プラスチック成型加工学会、(公社)砥粒加工学会、型技術協会などの多数の学会、団体や自治などが参加しての工業フェアです。

 おおた工業フェア案内(左・中・右写真拡大)

工業フェアの目的は、高度技術の集積地である大田区の中小企業を中心に、様々な工業技術や新製品を紹介する展示商談会です。工業フェアも第16回と回を重ね、各方面からの注目度も高まり、新たな外注先を求める企業の方々が多く来場します。工業フェアに出展する対象企業は、自社の得意技術や技能を武器に新たな取引先や市場開拓を目指す企業や、研究開発した技術や製品の売込みを目指す企業、産学交流による成果の商品化を目指す企業等です。

 大田工業フェアガイドブック

・1階大展示ホール展示
1階大展示ホール会場は、おおたく産業プラザのエントランスを入るとすぐ左に入場記帳のテーブルがあり、入り口を入ると入場登録受付です。

 大展示ホール

入場登録受付の奥の中央広場は商談・休息スペースでその奥は、ステージです。商談・休息スペースの左側の手前の列の展示企業は、大田ブランドゾーンの19企業が出品の大田名品区コーナーです。大展示ホール出展者一覧(←ここをクリックで表示)

 大展示ホール展示会場1(:ステージ前の商談・休息スペース、:大田ブランドゾーン)

商談・休息スペースの左2列目の展示企業は、機械・装置ゾーンで26番から36番のブースが出品しています。

 機械・装置ゾーン(写真拡大)

企業グループゾーンには、東京都中小企業振興公社ブースを中心として複数の大田区異業種交流会のグループの企業が出品しています。また、このゾーンには大田グループネットワークや大田工連青年部ブースなども出品しています。

 異業種交流グループブース(:東京都中小企業振興公社ブース、:大田区異業種交流グループブース)

なお、1階大展示ホールには、この他大田区中小企業新製品・新技術入賞企業ゾーンや、電気電子・ソフト開発ゾーン、精密切削・各種加工技術ゾーン、機械要素・切削工具ゾーン、樹脂加工ゾーン、海外関連機関ゾーンなどが展示ブースを設けています。

・2階小展示ホール展示
1階のエントランスにある階段を2階に上がると、左側の小展示ホールには、がんばろう!日本ゾーンと広域連携ゾーンのブースが展示している外、ガイドブックコーナーと大田区優工場パネル展示コーナーおよび抽選会場があります。小展示ホール出展者一覧(←ここをクリックで表示)

 小展示ホール

抽選会場で引いたら、トップ写真の株式会社エステックの黒猫スキャットが当たり、カレンダーと共に頂いてきました。黒猫スキャットは、株式会社エステックで販売しています。

 2階小展示ホール展示会場(左上:がんばろう日本ゾーンへの入口、中上:大田区優工場パネル展示コーナー、右上:抽選会場、左下中下右下:小展示ホール展示ブース)

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大森町界隈あれこれ 師走のイベント 大森町商店街ウィンターフェスティバル2011

2011年12月21日 | 大森町界隈あれこれ イベント

kan-haru blog 2011 サンタさんからサンタブーツのプレゼントを貰ったぞ 更新動画を追加Ⅱ版2014.8.19

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今年も師走に入りあわただしくなってきた12月11日14時から、大森町商店街恒例のウィンターフェスティバル2011が開催されました。今年は東日本大震災のためサマーフェスティバルのチャリティイベントと同様に東日本大震災復興支援イベントと銘うって行われました。

 大森町ウィンターフェスティバル2011パンフレット

縁日・ゲーム、和太鼓演奏ならびに明治大学ニューウェーブのジャズオーケストラの演奏が行われ、今年は大田ケーブルネットワークが協力参加してゲームなどが行われました。この大森町ウィンターフェスティバルの一番人気は、さわやか信金前など5か所で行われるサンタクロースからのサンタブーツのプレゼントには、沢山の小児を連れたお母さん達の行列が並び大賑やかとなります。大森町ウィンターフェスティバルで人が集まる人気の場所は、さわやか信金前の食べ物の露天と信金前の空き地での子供のゲームのコーナーです。信金前の焼きそば、磯辺やき、フランクなどの食べ物露天は、大人が行列して売れ行き上々です。

 さわやか信金前のやきそば等の食べ物露天は大繁盛(写真拡大)

信金の対面した空き地のゲームコーナーでは、子供が順番待ちでゲームを楽しんでいます。

 子供に人気の信金前のゲームコーナー(写真拡大)

なお、今年は大田ケーブルテレビが協力参加して、西寄りの和太鼓演奏会場であった空き地にゲームコーナーを設定して、ボールキックゲームに子供が参加してていました。

 大田ケーブルテレビのゲームコーナー(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

また、ゲームコーナーの反対側では、南三陸町歌津漁協女性部泊浜支部が製作した、ホタテキャンドルを販売していました。

 南三陸町のホタテキャンドル販売コーナー(写真拡大)

ウィンターフェスティバルの当日店頭で催しを行っているお店は、ナンカ堂、パナハルス三晃、小坂園、ちよだ鮨、さぼてん、エノモト、なんぶや、セブンイレブン、きりやま、芝浜およびスリーエフの11店が参加しました。

 店頭で催しを行ったお店の例(:さぼてん、:エノモト、:ちよだ鮨)

小坂園の店頭では、大田ケーブテレビのイベントで、豚君が登場して来訪者の人気を集め、興味深く眺めていました。

 小坂園前で大田ケーブルテレビイベントで豚君が登場(写真拡大)

・演芸
大森町ウィンターフェスティバルのオープニングの演芸は、14時からふれあいこどもクラブと地元大田福祉作業所利用者が参加する和太鼓演奏です。

 和太鼓演奏(:大田福祉作業所参加の和太鼓演奏、:ふれあいこどもクラブ年少メンバー、:ふれあいこどもクラブ和太鼓演奏)

ウィンターフェスティバルで定着した人気の演芸は、15時30分から開始の明大バンドのニューウエェーブのジャズオーケストラで、常連の聴衆が集まります。この時期の演奏は、何と云ってもクリスマス曲の演奏で、聞かないと新たな年を迎えられない常連で一杯となります。

 明大ニューウエェーブバンドのジャズオーケストラ演奏(写真拡大)

大森町商店街ウィンターフェスティバル2011明大ジャズコンサートの演奏の、クリスマスソング2曲を撮影しましたので、お楽しみ下さい。

大森町商店街ウィンターフェスティバル2011明大ジャズコンサート.wmv

[クリックすると、明大ジャズコンサートの演奏の、クリスマスソング2曲見られますのでお楽しみください]

動画をご覧頂けない方は、「大森町商店街ウィンターフェスティバル2011明大ジャズコンサート.wmv」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.19

・その他のイベント

大森町ウィンターフェスティバルで毎年行われるイベントには、16時から共栄会館で配るおしるこのプレゼントは年配者に人気です。
なお、今年の特別イベントとしては、キャンドルナイトが17時から東日本大震災の復興を願ってキャンドルを灯しましたが、その時間は残念ながら来客で見られませんでした。

 キャンドルナイトのパンフレット

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(12月分掲Indexへ)
カテゴリー別Index イベント総目次
<前回 イベント 大田区最大のイベント 35万人以上が来場するOTAふれあいフェスタ2011その2
次回 大森町界隈あれこれ 第16回大田工業フェア 中小企業を中心に工業技術や新製品を紹介する展示商談会

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イベント 大田区最大のイベント 35万人以上が来場するOTAふれあいフェスタ2011その2

2011年11月30日 | 大森町界隈あれこれ イベント

kan-haru blog 2011 みこしパレード 更新動画を追加Ⅱ版2014.8.19 
    
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・ベイプラザ会場
水のエリア会場(水のエリア会場図参照ここをクリック)内の、虹のステージ2の奥の飲食コーナー広場Cの先の3階建てビルがベイプラザ会場Dです。

 ベイプラザ会場案内図

ベイプラザ会場1階では、大田区内商店の格安セールの出店17が出展しており、子供たちには大田区ゴルフ連盟によるゴルフ体験コーナーやクイズコーナーなどがあり、いきいき高齢者広場18には高齢者の手作り作品の展示販売が行われていました。

 ベイプラザ会場風景1(左上中上右上:ベイプラザ1階区内商店出店セール、左下:クイズコーナー、中下:子供ゴルフ教室、右下:いきいき高齢者の広場)

ベイプラザ会場2階では、競艇レースのビデオを放映している競艇ふれあいメディアコーナー14があり、大森学園高等学校が展示するテクノワールド15のコーナーには、「サイエンスショー」や「体験コーナー」で楽しめます。

 大森学園高等学校テクノワールドのコーナ-(写真拡大)

また、テクノワールドには、大森学園高等学校が誇るソーラーカーが展示され、子供を運転席に乗車させて写真を撮る光景が見られます。

 大森学園高校の展示ソーラーカー(写真拡大)

その他2階のベイプラザ会場には、都立産業技術高等専門学校が展示する、ロボットと遊ぼう16コーナーがあり、「ロボットコーナー」、「紙飛行機製作コーナー」と「サッカーロボットゲームコーナー」があります。

 ロボットで遊ぼう(:ロボットで遊ぼうコーナー、:風船コーナー、:物作りコーナー)

ベイプラザ会場3階では、東松島市応援ブース10には宮城県東松島市が特産品を販売しており、被災地支援パネル展11では大田区被災地支援ボランティア調整センターが現地支援の活動をパネル展示していました。また、この会場には、区商連大抽選会場12があり、区商連の震災復興支援コーナー9(その1参照)でもらった抽選券で抽選できます。フェスタバザール13では、フェスタ名物のお楽しみ商品が買えます。

 ベイプラザ会場風景2(:東松島市応援ブース、:被災地支援パネル展、:フェスタバザール)

ベイプラザ会場1階に降りて、連絡通路Cを行くとにぎわい買い物ストリート7で、自治体交流コーナーには長野県東御市や秋田県美郷町のコーナーだ出店し、銘酒「大森町」などが売っています。また、区内各団体の相談、体験ブースなどが出ています。そして、競艇場観客席の下を通り、水辺に出ると水のステージ1がある観客席です。水のステージ1があるストリートの入り口側には、ごちそうストリート6があり、飲食露店が建ち並び、好きな飲食物を購入してスタンドに座り召し上がることができる仕掛けになっています。フェスタでは、競艇ボート試乗会が行われ、希望者は予め大田区が募集に応募した人が乗れます。

 水のエリア水辺会場(:ごちそうストリート、:水のステージ1がある観客席、:競艇ボート試乗会)

13日13時10分から、祭り気分を盛り上げる3基のみこしパレードが場内練り歩き、先ずは大田区長の挨拶に始まり、フェスタ会場正面からバス停留場通りを半周して、会場入り口を入り、水のステージ前を通過して、フェスタ会場内を一周すると会場は最高潮です。

 フェスタの祭り気分を盛り上げるみこしパレード(左上:大田区長の挨拶、中上:纏い振り、右上左下:みこしパレードのスタート、中下右下:みこしパレードのバス停留場通りの練り歩き)

フェスタ会場正面からスタートする3基のみこしパレードの練り歩きを撮影しました。

OTAふれあいフェスタ2011みこしパレード.wmv


[クリックすると、3基のみこしパレードの練り歩きが見られます]

動画をご覧頂けない方は、「OTAふれあいフェスタ2011みこしパレード.wmv」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.19

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イベント 大田区最大のイベント 35万人以上が来場するOTAふれあいフェスタ2011その1

2011年11月28日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2011 OTAふれあいフェスタ2011パンフレット 
    
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OTAふれあいフェスタ2011
今年、第22回目を迎える「OTAふれあいフェスタ2011」(主催:大田区、OTAふれあいフェスタ実行委員会)は大田区最大のイベントで、天候に恵まれた11月12日と13日に開催され、区民がつどい、楽しみ、ふれあえる機会を創り出し、区民の連帯意識を醸成する目的で実施しており、羽田空港が国際化されたこともあり、外国人の方々にも多数の参加があり、来場者数は過去最多だった昨年と同数の355,000人が訪れました。
OTAふれあいフェスタが開催される会場は、平和島ボートレース場を中心として、(1)平和島ボートレース場(水のエリア)、(2) 平和島公園(太陽のエリア)、(3)平和の森公園(緑のエリア)、 (4)大森ふるさとの浜辺公園(ふるさとの浜辺エリア)の4会場でイベントが行われます。

 OTAふれあいフェスタ会場図

会場への交通アクセスは、JR大森駅東口4番乗場からと、同蒲田駅東口の無料送迎バス乗り場と水のエリア間および、水のエリアとふるさとの浜辺エリアの無料送迎バス乗り場間を定時間隔で往復運転している他、平和島レジャーランドとJR大森駅東口間その他の定期バスが運行しています。また、京浜急行電鉄の「平和島駅」から徒歩約10分で緑のエリア会場に着きます。

 OTAふれあいフェスタ無料バス乗り場

・水のエリア
OTAふれあいフェスタを1日で4会場見るのには、朝から終日かけてもとても廻りきれません、11月13日には、11時半頃自宅を出て今年も昨年同様に「水のエリア」会場に絞って行ってきました。

 水のエリア会場図

水のエリア会場のゲート付近に着いたのは11時50分頃で、会場入り口の周囲では民謡流しと阿波踊りに参加の踊り手が一杯で、入り口前Aでは大森はやし会の纏振りが行われていました。

 OTAふれあいフェスタ水のエリア入り口付近(:OTAふれあいフェスタゲート、:大森はやし会纏振り)

会場入り口を入るとコーナー9には区商連の震災復興コーナーがあり、商品を購入した人に抽選券を進呈しており、それをベイプラザDの3階にもって行くと抽選ができます。この広場Bには、大森消防団のパトカーに幼児を乗せて記念写真撮影をしたり、子供にジャンボガラポンをさせるイベントなどが行われていました。

 会場内広場Bのイベントコーナー(:会場内9付近のコーナー、:大森消防団パトカー試乗、:ジャンボガラポン)

会場広場Bの右側には、2つあるステージの1つの虹のステージコナー2があり、ここでは11時から終日演芸が行われており、入場時間滞在中にはSweet Polynesia、東京ベイフラガール、バクザン夫婦ヤ松本あゆみなどが出演していました。

 虹のステージコナー2(写真拡大)

虹のステージ2の奥のDコナーの食料・飲み物の販売広場では、丁度昼時にあたり沢山の見物客が売店に群がり飛ぶように売れており、飲食するテーブル席は満席です。

 昼時で多数の入場客が飲食販売ブースに群がる(左上:昼時にあたり飲食コーナーに群がる入場客、中上:早々と飲食物を入手したグループは和気あいあいと歓談、右上:おにぎり屋ふくちゃんの店も売れ行き好調、左下:横手の焼きそば屋さんも行列して購入、中下:長崎名物角煮まんじゅうの売れ行きも好調、右下:世界遺産石見銀山5周年の売店も売れています)

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大森町界隈あれこれ 秋のイベント 恒例の大田区老人クラブ連合会文芸作品展と大寿会第一クラブ定例会

2011年11月11日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2011 展示作品 
    
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大森町恒例の秋のイベントには、コラボ大森のぽれぽれECO祭り、みはら通り・するがや通りの旧東海道ふる里まつりや、大森ふるさとの浜辺公園でのふるさとまつりなどが開催されました。また、大田区全体の秋のイベントには、老人クラブの文芸作品展が開催されました。

○ 大田区老人クラブ連合会第25回文芸作品展
本年の大田区老人クラブ連合会主催の第25回文芸作品展は、東急多摩川線下丸子駅前の大田区民プラザ(大田区下丸子3-1-3)地下階展示場で11月7日から9日まで開催されましたので、7日に見てきました。

 文芸作品展会場大田区民プラザ(:下丸子駅踏切から見た大田区民プラザ、:大田区民プラザエントランス、:文芸作品展案内板)

文芸作品の展示は、大田区民プラザ地下のホールに写真・絵画・書道・手芸品などと多様な作品が展示され、大田区老人クラブ連合会の総数157クラブの大半が参加して、回を重ねる度に出展クラブの数が増えており、そのためクラブ単位の展示面積は制約があり展示場の幅は75cmです。

 文芸作品展展示場風景(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

それぞれの展示コーナーには、日ごろ作品に励んだ力作が、所狭しと並んで出展してあり、作品毎の出来栄えを丹念に見るには展示物が豊富です。

 日頃の成果の展示作品1(写真拡大)

展示出展の各老人クラブによって特徴が見られ、先生格またはリーダーの指導により、同一の作品を展示するコーナーや、クラブ員各自の思い思いの成果物を出品しているところなど様々です。

 日頃の成果の展示作品2(写真拡大)

展示作品は、所属老人クラブに参加している個人の作品ですので、その出来栄えには玄人はだしのものから、個人で全力をあげて生み出した物など様々です。老人クラブの参加メンバーの構成にもよりますが、殆どが女性の参加作品であり、写真や絵画の出品は少ない傾向にあります。

 日頃の成果の展示作品3(写真拡大)

展示作品3の作品写真の左と右は、老人クラブ大寿会第1クラブと第2クラブの出品です。両クラブは隣接のクラブで、仲良しクラブです。ここに、第1クラブと第2クラブ出展物を掲げておきます。

 大寿会第1クラブ展示コーナー(写真拡大)

大寿会第2クラブ展示コーナーは、同第1クラブ展示コーナーが展示場3列目の右端の展示に対応して、同列の左端から2番目に展示されていました。

 大寿会第2クラブ展示コーナー(写真拡大)

○ 大森西三丁目大寿会第一クラブ定例会・誕生会
大田区老人クラブ連合会大森西三丁目大寿会第一クラブでは、10月17日に諏訪神社諏訪会館で、定例会と8、9、10月生まれの方の誕生会を開催しましたので、該当者として出席しました。会長の挨拶後乾杯にて定例会が開始され、誕生月該当の誕生者の紹介があり、お弁当を食べながらの歓談の後、大森警察署生活安全課防犯係 甲斐氏の大森地区の犯罪の話を聞きました。

 大寿会第一クラブ定例会・誕生会(:大寿会第一クラブ会長挨拶、:大森警察甲斐警部の防犯の話、:ひったくり防止カバーの説明)

お話の後は、定例のお楽しみの余興の時間に入り合唱、カラオケ、舞踊と和やかに過ごし定刻に解散しました。

 定例会のお楽しみの余興

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イベント 羽田空港国際化1周年 羽田空港国際線ターミナル駅開業1周年記念イベントその2

2011年11月08日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2011 空港展望場
    
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2010年の羽田空港国際化
2010年9月11日には羽田空港国際線ターミナルが完成し、その記念に「羽田GLOBAL EXPO」(「イベント 羽田空港国際化 羽田空港D滑走路と新国際ターミナル完成の羽田GLOBAL EXPOその1、2」参照)が開催されました。

 国際線旅客ターミナルビル外観20100921(再掲)

同年10月21日は、31年ぶりに羽田空港は本格的な国際空港として国際線旅客ターミナルビルがオープンして、羽田空港D滑走路の供用が開始され国際定期便が就航しました。それに伴い、国際線旅客ターミナルビルと接続した京急線の羽田空港国際線ターミナル駅およびモノレールの羽田空港国際線ビル駅がオープン(「イベント 羽田空港再国際化 新国際線旅客ターミナルビルオープンと京急、モノレール新駅開業その1~3」参照)しました。

 羽田空港国際化によるターミナルビルと京急線・モノレールの新駅の配置図(再掲)

京急線では、2010年の羽田空港国際線ターミナル駅がオープンした10月21日に、終点の羽田空港駅の駅名を区別するため、羽田空港国内線ターミナル駅と改称しました。

 京急国際線ターミナル駅オープン(:国際線ターミナル駅名表示板、:国際線ターミナル駅1番線改札口、:国内線ターミナル駅に変更の元羽田空港の駅名表示板20101021)

東京モノレールでは、2010年の国際線ターミナルが完成するとともに、羽田空港国際線ビル駅開設のため、それまでの線路のルートをS字状に迂回したルートに変更する工事が行なわれ、10月21日に羽田空港国際線ビル駅がオープンしました。

 モノレール線路を迂回し空港国際線ビル駅へ(:迂回前後のモノレール線路、:国際線ビル駅から見たモノレール、:迂回前後のモノレール線路図20101021)

羽田空港国際線ターミナル駅開業1周年
京急では、羽田空港国際線ターミナル駅開業1周年記念祭りと銘打って、10月22、23日に羽田空港国際線ターミナル駅3階コンコースと羽田空港国際線ターミナル内で各種の催しが行われました。また、同21日には、泉岳寺を除く京急線各駅で、「羽田空港国際線ターミナル駅1周年記念切符」を発売しました。
1周年記念切符は、エアメールをイメージした台紙に、各駅からの乗車券が5枚セットになっており、羽田空港国際線ターミナル駅から440円、400円、130円券と、羽田空港国内線ターミナル駅から130円および品川駅から400円の乗車券が入っています。

 開業1周年記念切符 表面と中面

ターミナル駅構内3階コンコースのイベント
羽田空港国際線ターミナル駅開業1周年のイベントは、羽田空港国際線ターミナル駅構内3階コンコースでは、「羽田から行こう我が町PR祭り」と「プラレールひろば」が開催され、イベントには23日に見に行きました。
駅構内3階コンコースには、京急羽田空港国際線ターミナル駅1番線改札口を出て、エレベータホールの裏側の右端のエスカレータに乗ると、3階まで直通で昇れます。エスカレータを降りて左にUターンすると会場です。

 国際線ターミナル駅構内3階コンコース会場

・羽田から行こう我が町PR祭り
先ず、「羽田から行こう我が町PR祭り」は、キャラクターに出迎えられ、羽田から行ける観光都市と鉄道会社が集結しており、我が町の観光スポット、グルメなど魅力を、余すところなく紹介するコーナーでした。協力出展は、東京都、墨田区、台東区、神奈川県、川崎市、横浜市、横須賀市、三浦市、東武鉄道、日光市、西武鉄道、埼玉県などです。

 「羽田から行こう我が町PR祭り」コーナー(左上:会場にはいろいろなキャラクタが出迎え、中上:東武日光市のブース、右上:西武鉄道のブース、左下:埼玉県のブース、中下:台東区のブース、右下:墨田区のブース)

・プラレールひろば
「プラレールひろば」は、我が町PR祭りのコーナーを進むと左側にあり、子供を対象にした、大型のプラレールが展開したスペースで、電車顔出し撮影パネルや、京急こども用制服での撮影イベントなどがありました。

 プラレールひろば(写真拡大)

羽田空港国際線ターミナル内のイベント
大田区は銭湯の多いことで有名であり、銭湯絵などがターミナル4階会場で見られました。

 国際線ターミナル内4階展示場(:国際線ターミナル内4階展示場、:銭湯絵の富士山、:展示物)

ターミナル4階の中央を進み、ステージ・江戸舞台の脇の階段を昇り5階に進むと、物販ブースコーナーがあり食料品や出店のいろいろな産物を販売していました。

 物販ブース(写真拡大)

今回のイベントで、最も集客が多いコーナーはステージ・江戸舞台で繰り広げる芸能に人気があり、芸が始まると舞台の前は見物で一杯の状況でした。

 ステージ・江戸舞台で繰り広げる芸能は観客で満員(写真拡大)

今回の羽田空港国際線ターミナル駅開業1周年記念イベントと、1年前に見た国際線ターミナルのオープンの時と比較すると、江戸小路の江戸の街並みを模倣したショップとレストラン街で若干の待ちで昼食がとれたことと、COOL ZONEのプラネタリウム施設の「Planetarium Starry Cafe」で、1回待ちで入場できました。日曜にもかかわらず、オープン時には、江戸小路の江戸の街並みをまともに歩けず、プラネタリウムの入場も長時間待ちの状態と比べると、雲泥の差です。この内容の1周年記念イベントでは、関心は薄いようです。

 Planetarium Starry Cafeとチケット

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イベント 羽田空港国際化1周年 羽田空港国際線ターミナル駅開業1周年記念イベントその1

2011年11月06日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2011 羽田空港駅名板   

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羽田空港は、2010年9月11日(土)~12日(日)に羽田空港国際化を記念して、「羽田GLOBAL EXPO」を開催(「イベント 羽田空港国際化 羽田空港D滑走路と新国際ターミナル完成の羽田GLOBAL EXPOその1、2」参照)しました。また、同年10月21日には、新国際線旅客ターミナルビルと京急線およびモノレールの羽田空港国際線ターミナル駅が完成して、新駅がオープン(「イベント 羽田空港再国際化 新国際線旅客ターミナルビルオープンと京急、モノレール新駅開業その1~3」参照)しました。
2011年10月は、国際線旅客ターミナルビル、京急空港線羽田空港国際線ターミナル駅、モノレール国際線旅客ターミナルビル駅が開設1周年を迎えましたので、23日に見に行きました。

 京急線羽田空港国際線ターミナル駅開業1周年記念祭ポスター

東京国際空港の小史
羽田空港の開港は、1917年(大正6年)に日本飛行大学校が開かれ、飛行訓練施設が置かれたのが草分けです。1931年(昭和6年)に、現国際線ターミナル地区付近で日本初の国営民間航空専用空港東京飛行場(羽田飛行場)として面積53haに延長300m、幅15mの滑走路が1本で正式に開港しました。1933(昭和8年)年には、立川飛行場の民間航空部門が移駐し、アジア各国へ向けた国際線の運航も活発化して「東京国際飛行場」と呼ばれるようになりました。1938~39年(昭和13~14年)にかけて最初の拡張工事で滑走路を800 m、幅80 mの2本の滑走路に拡張されました。
1941年(昭和16年)の第2次世界大戦の参戦により軍用飛行場として使用され、1945年(昭和20年)の終戦により、アメリカ軍の管理下に置かれ、ハネダ・アーミー・エアベースと呼ばれ、翌1946年には、旧A滑走路(2145m×45m)と旧B滑走路(1650m×45m)が新設されました。
1951年(昭和26年)にサンフランシスコ講和条約が締結され、日本籍の航空機による活動が解禁されて、翌1952年には施設の大部分がアメリカ軍から返還され、「東京国際空港」に改名され、翌1953年には日本の航空会社による国際線定期路線の就航が開始されました。1959年(昭和34年)には旧A滑走路も2550mに延伸されました。、

 羽田空港の変遷1(左:国営民間航空専用空港東京飛行場1931年、右:A滑走路を2,550mに延長1959年 国交省東京空港整備事務所から)

1964年(昭和39年)には航空機のジェット化が急速に進展、旧C滑走路(3150m×60m)が新設され、航空機の大型化・高速・大量輸送時代が到来して1971年(昭和46年) に旧B滑走路が2500mに延伸されましたが、旧A滑走路が使用停止となり発着便の増加が不可能になったため、1978年(昭和53年)の成田空港が開港により中華民国のエアラインを除き全ての国際線が移転しました。

 羽田空港の変遷2(左:C滑走路完成1964年、右:B滑走路延長工事1970年 国交省東京空港整備事務所から)

1993年(平成5年)に、 約29万平方メートルの延べ床面積を持つ新国内線ターミナルビル(第1ターミナルビル)が供用開始され、これにビッグバード(Big Bird)という愛称をつけられ、東京モノレール羽田線が羽田空港第1ビル駅まで延伸しました。2000年(平成12年)には、新B滑走路が完成しました。

 羽田空港の変遷2(左:新B滑走路完成2000年、右:D滑走路が完成2010年 国交省東京空港整備事務所から)

・京急急行線の歴史
京急の空港線の歴史は古く、1902年(明治35年)に、蒲田駅(大正14年に京浜蒲田駅に改称)~穴守駅間(海老取川の手前)で開通し、1911年(明治44)年には羽田海水浴場が開設され、穴守稲荷神社への参拝客に加え、羽田穴守一帯は一大行楽地として栄えました。その後、海老取川を越えた先に新しい穴守駅が設置されて、1914年(大正3年)に羽田駅に改称されました。

 昔の穴森線(左:昔の穴守線(明治40年代)、右:穴守線羽田空港駅開業直後(昭和31年4月20日)京浜急行から)

1931年(昭和6年)に、東京飛行場も開港し、穴守線はますます需要度を増しましたが、1945年(昭和20年)の敗戦によって、東京飛行場は連合軍の占領下となり羽田駅も強制退去命令で営業を休止しました。
GHQからの空港の返還により、空港ターミナルビルが竣工したので、休止中の元の稲荷橋~穴森間の500mの延長工事を1955(昭和30年)12月から始め、翌年4月から運行を開始して初代の羽田空港駅を開業し、稲荷橋は穴森稲荷駅と改称しました。羽田空港駅から空港ターミナルビルまで連絡バスを運行しました。1963年(昭和38年)に穴森線を空港線と改称しました。
その後、1993年(平成5年)に穴森稲荷駅~羽田空港駅間を一時閉鎖して海老取川から先をトンネル化の工事を行い、工事の完成によって新たな羽田駅が再び川を越えた先に設置されました。そして1998年(平成10年)11月には、羽田駅から羽田空港駅(現羽田空港国際線ターミナル駅)までの約3Kmの空港線の伸延工事が完成して、羽田駅が天空橋駅と名称を変え、羽田空港駅が誕生しました。

 初代羽田空港駅開業1998年(左:羽田空港駅開業記念式典1998年、右:初代羽田空港駅 京浜急行から)

・東京モノレールの変遷
1964年(昭和39年)9月に、途中駅なしでモノレール浜松町駅 -(旧)羽田駅間が開業しました。その後、大井競馬場前駅、羽田整備場駅(現・整備場駅)、新平和島駅(現・流通センター駅)、昭和島駅、天王洲アイル駅が順次開業する。
1993年(平成5年)9月に羽田空港旅客ターミナル移転に伴い、羽田駅(現・天空橋駅)を移設し、同時に羽田空港駅(現・羽田空港第1ビル駅)まで延伸開業。羽田駅で京急空港線と連絡開始。羽田整備場駅を整備場駅に改称。
1998年(平成10年)11月に、京急空港線の羽田空港駅延伸開業に伴い、羽田駅を天空橋駅に改称する。
2004年には、約18万平方メートルの延べ床面積の第2旅客ターミナルが完成し、東京モノレールが羽田空港第2ビル駅まで延伸しました。

 東京モノレール空港第2ビル延伸説明図

・D滑走路の新設工事
第4本目の新滑走路の新設工事は、現空港の沖に滑走路(D 滑走路)及び連絡誘導路等の新設、並びに東京港第一航路移設に係わる設計及び施工を行うもので、基本施設として、2,500m の滑走路と誘導路、進入灯橋梁、保安・付帯施設等を整備します。また、現空港と新設滑走路を結ぶ連絡誘導路を整備します。

 新滑走路の新設説明図

2006年度末には調査・準備工事が始まり、2007年には埋立部、桟橋部、連絡誘導路部の組合せ構造による滑走路の築造が一斉に工事が開始されました。

 埋立部、桟橋部、連絡誘導路部の組合せ構造によるD 滑走路

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