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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 区民とつくる地場演劇の会 朗読会「戦争と震災で失われたまち」

2012年09月04日 | 大森町界隈あれこれ イベント
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今年も、区民とつくる地場演劇の会のメンバーで知り合いのFさんから、大田区民プラザで8月12日に朗読を行うとのご案内を頂きましたので、東急多摩川線下丸子に見に行きました。

 朗読案内状

昨年は、会場は大田区民ホールアプリコ展示室と会場が異なりましたが、同様に朗読、講演と大田平和のための戦争資料展(「大森町界隈あれこれ 戦争の記憶風化を憂う 第32回大田平和のための戦争資料展」参照)が開催されましたので、2年続けて見に行きました。
区民とつくる地場演劇の会とは、大田区の文化振興協会の目にとまり支援を受け、江角英明(えすみ えいめい)氏が書いた、地元に伝わる歴史にかかわる芝居台本を基に、1990年に行われた旗揚げ公演活動からスタートした、年齢も個性も幅広い地元の集団で、メンバーのFさんは町会の付き合いの永い方です。過去に、Fさんのご案内で、2007年に大田文化の森での第18回公演(「大森町界隈あれこれ イベント 地場演劇公演『山わろ~呑川へきたかっぱのこと~』」参照)と、2009年12月の大田区民プラザでの20周年公演「蒲田太平記 羽田たいへん記うたかた二十年」を観劇させて頂いております。

朗読
・東北地方太平洋沖地震
今年の朗読は、展示会場の隣の小ホールで、14時から区民とつくる地場演劇の会の出演では、朗読の『失われたまち―蒲田、そして福島』が上演されました。
朗読の内容は、2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震を端緒として、東京電力の福島第一原子力発電所で発生した水素爆発など一連の原子力事故で、福島第一原発から半径20 km圏内は「警戒区域」として立入が禁止となり、放射能汚染で福島県浪江町、双葉町、大熊町などでは、10万人を超える被災者が避難などで無人となった大災害を受けて、復興のめどはたたない「失われたまち」となりました。

 福島第1原発避難区域

また、東北地方太平洋沖地震によって極めて大きな津波が発生して、最高遡上高は岩手県大船渡市綾里湾で確認された40メートルであり、10メートルを越える痕跡高は南北約530キロが確認されており、岩手県、宮城県、福島県の3県の津波による犠牲者は、全1.8万人に及ぶ死者・行方不明者の9割以上となっています。
政府では、福島第一原発事故の対処方針として、避難を解除した福島県双葉郡周辺の12市町村を、2年後に除染して上下水道、道路などの生活インフラを復興させ、5年後に常磐自動車道やJR常磐線などを復旧させる計画であるので、これからも5年間は生活の無いまちです。
福島の朗読は、大切な人の命や暮らし、そして故郷を一瞬にして失うということの残酷さを想い起して、皆に伝えて行くことを亡くなられた多くの方のご冥福をお祈りして捧げられました。

 朗読公演風景1

一方、国の有識者会議では8月29日に、東海、東南海、南海地震などが同時発生するマグニチュード(M)9級の「南海トラフ巨大地震」被害想定などを公表し、それによると在宅者の多い冬の深夜に発生し、東海地方の被害が大きい場合には、死者数は最大で32万3千人となり、そのうち津波による死者は全体の7割の23万人に達すると推定されています。
この死者数は東日本大震災の死者・行方不明者の17倍です。
なお、防災対策による効果も発表され、それによれば深夜に発生した地震の10分後に7割の人が避難を始め、津波避難ビルに逃げ込めれば、津波による死者数は最大で8割減らせるとしています。

・関東大震災
1923年(大正12年)9月1日11時58分に、神奈川県相模湾北西沖80kmを震源としてマグニチュード7.9の大正関東地震が発生して、神奈川県を中心に千葉県・茨城県から静岡県東部までの内陸と沿岸に広い範囲に甚大な被害をもたらし、死亡、行方不明者は10万5千人とされています。
東京都慰霊堂のある横網町公園(墨田区横網)は、陸軍被服廠があったところで東京市が買収し公園として整備し始めた最中で、関東大震災が発生した時には周辺の下町一帯から多くの人が、この造成中の公園を絶好の避難場所とみなして集まってきましたが、地震で発生した火災による熱風が人々を襲い、避難の際に持ち出した家財道具に火が移り、さらに巨大な火災旋風が発生し、人はおろか荷物や馬車までも巻き上げ、炎の中に飲み込んでいきました。その結果、横網町公園に避難した人だけで3万8000人が犠牲になり、遭難死者約5万8000人の遺骨を納める納骨堂(三重塔)や慰霊堂が建てられ、翌1931年には関東大震災の惨劇とそこからの復興を後世に伝えるため、復興記念館が完成しました。

 朗読公演風景3

・東京大空襲
第二次世界大戦の、特に1945年の3月9日夜、アメリカ軍編隊が325機ものB-29爆撃機が出撃し首都圏上空に飛来し、3月10日の東京大空襲では325機の出撃機のうち279機が第一目標である東京市街地への爆撃を開始し、深川地区へ初弾が投下されたのを皮切りに、城東地区にも爆撃が行われ、次いで浅草地区や芝地区に対する爆撃も開始されました。爆撃による火災の煙は高度1万5000mの成層圏にまで達し、秒速100m以上という竜巻並みの暴風が吹き荒れました。この空襲の爆撃のために各B-29には通常の約2倍の搭載量である高性能焼夷弾が搭載されており、爆弾の投下弾量は38万1300発の1783トンにものぼりました。

 大田平和のための戦争資料展風景(写真拡大)

この空襲(「イベント 東京大空襲資料展 64年前の3月10日は無差別爆撃で浅草、本所、深川の下町が大惨禍」参照)では、冬型の気圧配置と強い季節風によって火勢が煽られ延焼が助長され、規模の大きい飛び火も多発し、特に城東地区や江戸川区で焼失区域が拡大する要因となり、これらの地域では焦土と化し、当時の警視庁の調査での被害数は死亡:8万3793人、被災者:100万8005人、被災家屋:26万8358戸とありますが、民間団体や新聞社の調査では死亡・行方不明者は10万人以上と言われています。
横網町公園をはじめ、多くの公園に犠牲者が仮埋葬されており、その後第二次世界大戦で身元不明の遺骨などを公園にある納骨堂を拡張し「震災記念堂」に合祀されることになり、そして1951年に「東京都慰霊堂」と改称されました。

 大田平和のための戦争資料展展示品(:戦中・戦後の懐かしい生活道具、:大東亜戦争時の教科書、:大戦中の各種資料展示)

・蒲田空襲
4月15日には大森・蒲田地区を中心とした城南地域が空襲・機銃掃射を受け死傷者4004人、約22万戸もの家屋が焼失しました。

 朗読公演風景2

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