通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

愛宕神社 広島市東区愛宕町

2012年08月25日 | 広島の話題
↓広島カープと愛宕神社についての関連記事は、こちら↓

カープ必勝祈願 東区・愛宕神社








「今日と明日(2012年8月25日・26日)は、愛宕(あたご)の夏まつりじゃね」

「ここいら(=このあたり)じゃ、にぎやかな祭りじゃのう」

「明日の17時からはビンゴがあるけぇね。今年は行くよ!」

「…?」

「うち(=私)は今年、当たり年じゃけぇね!」

「その話か…」

「今年の盆踊りのビンゴで、自転車を当てたんよ!」

「わかった、わかった…」

「明日の夜にあるビンゴでも、絶対に当てるけんね!!!」

「(無視して)今日は広島市東区愛宕町にある愛宕神社についてじゃ」



愛宕神社の由来

延宝(えんぽう)年間(一六七三~一六八二年)、城東松原地区(現在の愛宕町・松原町一帯)にたびたび起こった大火の厄災(やくさい)、この災禍(さいか)を除くため、京都愛宕神の分霊をお祭りして愛宕堂を建設しました。
神霊は火産霊神(一名迦具土神)で、火の神・火伏の神です。

それとともに、正徳(しょうとく)元年(一七一一年)、この一帯が「愛宕町」となりました。

昭和二〇年原子爆弾によって焼失しましたが、昭和二七年、町内外の有志によって現在の場所に再建されました。

この「愛宕神社」は傍らの愛宕地蔵尊と共に、神仏同居の珍しい神社です。

(神社境内にある看板より)




「広島城の東にあるのが松原地区で、大ざっぱにいうと、今の広島市東区愛宕町は広島駅北口から東の方にあって、南区松原町(まつばらちょう)はJR広島駅のあるあたりじゃの」

「ということは、広島駅は南区になるん?」

「ほうじゃの。広島港も南区宇品(うじな)にあるんじゃ」

「つまり、陸(=JR)も海(=港)も南区にあるというわけじゃね。空(=空港)は?」

「今の広島空港は三原市本郷町(ほんごうちょう)にあるんじゃが、元の広島空港(広島西飛行場。今年の秋に廃港)も広島市西区観音(かんおん)にあったよのう」

「ということは、広島市の中心街にあたる中区には交通の要所がないということ?」

「JRとアストラムラインを結ぶ、仮称・白島新駅(はくしましんえき)は、中区の西白島町(にしはくしまちょう)にできることになっとるんじゃがの」

「話を元に戻して…、江戸時代、松原地区に火事がたびたび起こったけぇ、愛宕堂を建てちゃったんじゃね」

「愛宕神社は、火伏せ(ひぶせ。神仏が霊力によって火災を防ぐこと)や防火に霊験のある神社として知られとるんじゃの」

「火産霊神(ほむすびのかみ)とか、迦具土神(かぐつちのかみ)って、どういった神様なんかいね?」

「日本神話に出てくる、イザナギ・イザナミって知っとるじゃろ?」

「あぁ、余れる処 合わぬ所 生まれ出 神話  ギャラリーヨコタの時に聞いたよ。イザナギとイザナミが交わって、四国や九州、本州やそのほかの島々を生んじゃったんよね」

「日本の国を生んだあと、風や木、野の神という、自然にまつわる神々を生んだんじゃ」

「すごいねぇ」

「ところが、火の神である迦具土神を出産したとき、イザナミの陰部が焼けてしもうたんよ。結局は、これが原因で亡くなってしまうんじゃ」

「迦具土神は火の神様なんじゃね。そういや、火産霊神は、名前の中に「火」という文字が入っとるね」

「亡くなったイザナミは、出雲の国と伯耆(ほうき)の国との境にある比婆(ひば)山に埋葬されたんよ」

「比婆山って、広島県庄原市にある?」

「ほうじゃの」

「知らんかったね」

「島根県安来市(やすぎし)の比婆山であるとも言われとるんじゃ。この話はまたの機会にしとこうかの…」

「愛宕神社が建てられたあと、町の名前が愛宕町になったんじゃね」






愛宕神社


愛宕地蔵尊


鳥居


愛宕神社再建之碑


愛宕神社参百年記念碑



「愛宕神社は正徳元年(1711年)に建てられたけぇ、昨年(2011年)で創建300年になるんじゃね」

「碑の横(向かって左側)には「平成弐拾参年(=平成23年)四月吉日 建之」と刻んであるのう」



本堂


神額



「神額(しんがく)にも「火伏ノ神」と書いてあるね」





訪問日:2011年(平成23年)10月9日





↓愛宕町については、こちら↓

広島市東区 愛宕町内会のホームページ





↓愛宕神社(京都)については、こちら↓

総本宮 京都 愛宕神社





「今日は、広島市東区愛宕町にある愛宕神社について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」

「明日の夜は、ビンゴに行くよ!」

「まだ言(い)いよるで…」
コメント (2)
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東京下町春夏秋冬 夏(その2)

2012年08月24日 | 日記
「スターバックス 東京スカイツリー・ソラマチ東6階店に飾ってある、山本理子さんの作品「東京下町春夏秋冬」を紹介するシリーズ」




「東京下町春夏秋冬」



「今日は、夏の2回目じゃ」






隅田川花火大会

そして夏の風物詩と言えば花火です。隅田川花火大会も毎年多くの人で賑わいます
この花火も江戸時代に大変発展しました




「隅田川といえば花火大会でも有名じゃね」

「花火見物でおなじみの「たまやー」「かぎやー」の掛け声も、ここからきとるんじゃの」

「花火を打ち上げよったのが、玉屋と鍵屋じゃったんよね」

「ところで、隅田川の花火大会の起源って知っとるかいの?」

「そんなの、知らんよね!」



享保17年(1732)の大飢餓で多くの餓死者が出、更に疫病が流行し国勢に多大な被害と影響を与えました。

幕府(8代将軍吉宗)は、翌18年(1733)5月28日(旧暦)犠牲となった人々の慰霊と悪病退散を祈り、隅田川で水神祭を行った。
この時に、両国橋周辺の料理屋が公許(許可)により花火を上げたことが由来とされています。

(「歴史花火資料」第35回 隅田川花火大会 公式ホームページ)




「へぇ、慰霊と悪病退散を祈って始まったもんなんじゃ。旧暦の5月28日って、いつごろになるんかね?」

「旧暦じゃけぇ毎年違うんじゃが、今年(2012年)は7月17日(火)にあたるんじゃ」

「花火を打ち上げるには、ちょっと早いかね…」

「最初の隅田川花火の花火師は6代目鍵屋弥兵衛で、打ち上げられた花火は20発くらいといわれるとるんじゃの」

「たったの20発?」

「今は、約2万発が打ち上げられるというけぇ、文字通り天と地ほどの差があるよのう」

「20発でも、江戸っ子たちは楽しんだんじゃろうね。で、お金は誰が出しちゃったんかね? 幕府?」

「費用は、舟宿(ふなやど)と両国あたりの茶店(ちゃや)などが出したということじゃ」

「茶店は分かるけど、舟宿って何?」

「釣りや舟遊びをする客に船を貸し出しとるところじゃ」

「ということは、花火のときに船を出して儲けたんじゃろうね」

「江戸時代は、春の花見や夏の納涼(のうりょう。夕涼みのこと)にも船を利用しよったそうじゃ」

「スカイツリーは隅田川の近くにあるけぇ、この花火もよう(=よく)見えるんじゃろうね」

「隅田川花火大会の当日(2012年7月28日)、東京スカイツリーの天望回廊(高さ450メートル)と天望デッキ(同350メートルの)が特別営業されて、抽選に当たった約750の人が花火を楽しんだそうじゃ」

「倍率も高かったんじゃないんかね?」

「倍率が186倍じゃったそうな」

「186倍! すごいねぇ」





今回の写真は、山本理子さんの許可を得て使用しています。





↓山本理子さんについては、こちら↓

Riko





↓スターバックス 東京スカイツリー・ソラマチ東6階店については、こちら↓

「東京スカイツリー・ソラマチ東6階店」スターバックス コーヒー ジャパン





↓隅田川花火大会については、こちら↓

第35回 隅田川花火大会 公式ホームページ





↓山本理子さんについての関連記事は、こちら↓

東京下町春夏秋冬 スターバックス 東京スカイツリー・ソラマチ東6階店

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「今日は、スターバックス 東京スカイツリー・ソラマチ東6階店に飾ってある山本理子さんの作品「東京下町春夏秋冬」の、夏(その1)について話をさせてもらいました」

「次は秋じゃけぇの。ほいじゃあ、またの」
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東京下町春夏秋冬 夏(その1)

2012年08月23日 | 日記
「スターバックス 東京スカイツリー・ソラマチ東6階店に飾ってある、山本理子さんの作品「東京下町春夏秋冬」を紹介するシリーズ」




「東京下町春夏秋冬」



「今日は、夏の1回目じゃ」






三社祭と雷門

初夏を告げる祭りとして「三社祭」は盛大に行われます
この三社祭は「浅草寺」と「浅草神社」、お寺と神社が共同で行うちょっと珍しいお祭りです
2012年には三社祭700年を記念して54年ぶりに「船渡御」も行われました




「三社祭って?」

「三社祭(さんじゃまつり)と読むんじゃが、毎年5月に行われる浅草神社(あさくさじんじゃ)の例大祭なんよ。今は、5月の第3金・土・日曜の3日間行われるそうじゃ」

「お寺と神社が一緒で行うお祭りって、本当なん?」



浅草神社は明治に入るまでは浅草寺と一体であり、この時代には浅草寺の祭りとして行なわれていた。
神仏分離によって浅草寺と分離してからは浅草神社単体での祭りとなり発展したが、これは明治に入って以降のことである。

(「三社祭」ウィキペディア)




「江戸時代まで、浅草神社と浅草寺は同じじゃったんよ。ほいじゃけぇ、「お寺と神社が共同で行うちょっと珍しいお祭り」になるんじゃろうの」

「神仏分離(しんぶつぶんり)って、何じゃったっけ?」

「神仏分離令は、明治時代に出された法律じゃの。日本政府は西洋の国にならって「国教」、つまり国の宗教を定めようとしたんじゃ」

「このときは、神道を国教にしようとしたんじゃね」

「神道を国教にするためには、神道(=神社)と仏教(=お寺)を明確に分ける必要があったんよ。それまでは、お寺と神社が一つじゃったところもあったけぇの」

「そういや、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)という動きもあったね」

「民衆の中には、「寺を廃し、仏像を破壊せよ」と、寺をおそって、仏像や仏具を焼いたりする奴もおったんじゃ」

「なんでこんなことになったんかね?」

「江戸時代には、寺請制度(てらうけせいど)いうて、どの家もお寺の檀家(だんか)にならんといけん、という制度があったんじゃ。もともとは、キリスト教の禁止を狙って始まったものなんじゃがの」



僧侶を通じた民衆管理が法制化され事実上幕府の出先機関の役所と化し、本来の宗教活動がおろそかとなり、また汚職の温床にもなった。
この事が明治維新時に過剰なまでの廃仏毀釈を招く事になるのである。

(「寺請制度」ウィキペディア)




「寺の中には、権力を頼りに横暴なことをする奴もおったんじゃろうの。それで、廃仏毀釈のような過剰な反応をしてしもうたんじゃないんかの」

「話をもとに戻して…。ここに書いてある「船渡御」って何かね?」

「船渡御(ふなとぎょ)は、船に神輿(みこし)を乗せて隅田川を渡る行事なんじゃの」

「今年(2012年)は、三社祭が始まって700年になるんじゃね」

「そういう特別な年じゃけぇ、船渡御をされたんじゃの」

「前回、船渡御が行われた54年前の1958年(昭和33年)は、何か特別なことがあったんかね?」

「浅草寺(せんそうじ)の本堂が再建されたんよ。それを記念して船渡御が行なわれたそうじゃ」

「再建ということは、戦争で焼けてしもうたん?」

「1945年(昭和20年)3月の東京大空襲で、本堂や五重塔などが焼けてしもうたそうじゃ」





今回の写真は、山本理子さんの許可を得て使用しています。





↓山本理子さんについては、こちら↓

Riko





↓スターバックス 東京スカイツリー・ソラマチ東6階店については、こちら↓

「東京スカイツリー・ソラマチ東6階店」スターバックス コーヒー ジャパン





↓浅草寺については、こちら↓

あさくさかんのん 浅草寺 せんそうじ





↓浅草神社については、こちら↓

浅草神社





↓山本理子さんについての関連記事は、こちら↓

東京下町春夏秋冬 スターバックス 東京スカイツリー・ソラマチ東6階店

余れる処 合わぬ所 生まれ出 神話 ギャラリーヨコタ

月と海と太陽の神話 旧日本銀行広島支店






「今日は、スターバックス 東京スカイツリー・ソラマチ東6階店に飾ってある山本理子さんの作品「東京下町春夏秋冬」の、夏(その1)について話をさせてもらいました」

「次は夏の2回目じゃけぇの。ほいじゃあ、またの」
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宮島言葉のいろいろ その21 「たいぎい」

2012年08月22日 | 広島弁
「宮島の町屋通りに飾ってある「宮島言葉のいろいろ」を紹介するこのシリーズ」

「第21回目の今日は「たいぎい」じゃ」




たいぎい…疲れた・だるい
(撮影日:2012年1月4日)




「「たいぎい」は、「疲れた・だるい」という意味じゃね」



面倒くさいなどネガティブな意味。
古語の「大儀(たいぎ)」が変化したものと言われる。

(「広島弁」ウィキペディア)




「あー、たいぎいのぉ~」

「お父さんはこの言葉、1日に何回使(つこ)うとるんじゃろうかね?」

「年をとってきたけぇ、よう(=よく)使うんかと思うたら、うちの子どもたちもよう使うとるよのう」

「あー、たいぎい」

「なにか面倒くさいこと(しんどい、疲れた、だるい、つらい、etc)があったら、とりあえず「たいぎい」と言うよね」

「ある意味、便利な言葉じゃの」

「うちは、学校の体育の授業で長距離走がある時には、「たいぎい」を連発しとったけどね」

「ほんま(=本当)にしんどいときは、「やねこい」と言うよの」

「「えらい」とも言うね」

「「ぶちたいぎい」という言い方もありますけぇの」





【今日の宮島言葉】

たいぎい

意味/疲れた・だるい

例文/「かぜひーてたいぎーのー(=風邪をひいてだるいなあ)」



参考文献:
廿日市市商工会議所『宮島本 改訂版 宮島検定テキスト』2008年
『広島県大百科事典』中国新聞社 1982年






↓「たいぎい」については、こちら↓

「どれだけ、つこぉとる?広島弁 『たいぎい』結果発表」ひろしまファンクラブ 第183号 平成21年4月2日(木)発行





↓宮島言葉のいろいろについての関連記事は、こちら↓

宮島言葉のいろいろ その20 「たう」

宮島言葉のいろいろ その19 「ちーと」

宮島言葉のいろいろ その18 「てごうする」






「今日は、「宮島言葉のいろいろ」で「たいぎい(疲れた・だるい)」について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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カウンタック展 広島市交通科学館(その2)

2012年08月21日 | 広島の話題




「今日は、交通科学館の2階に展示してあるカウンタックを順番に紹介していきますけぇの」

「LP500(5000)S、LP400S、LP400、LP500R、ソニアの5台を紹介します」





【カウンタック LP500(5000)S】








ランボルギーニ
カウンタック LP500(5000)S
Lamborghini Countach LP500(5000)S
(1982~1985年)


全長/全幅/全高(mm):4140/2000/1070

重量:1490kg

エンジン性能:
排気量…………4754cc
エンジン型式…水冷V型12気筒DOHC24バルブ
最高出力………375馬力/7000rpm


当時、ランボルギーニのライバルであったフェラーリは、すでに5リッターエンジンの512BBを生産していた。
そのため、より競争力の高いモデルとして、カウンタックLP400Sの排気量をアップして開発されたのがLP500Sである。
これにより、カウンタック開発当初に目指していた5リッターエンジン搭載を実現した。
一見すると400Sとほぼ見分けはつかない。
また、一般にLP500Sと言われるが、ウォルター・ウルフ仕様の特別なカウンタックと区別するためや対北米市場向けに「LP500S」という名称が使われることもある。
生産台数は323台(推定)。

タマ氏所蔵





【カウンタック LP400S】





ランボルギーニ
カウンタック LP400S
Lamborghini Countach LP400S
(1978年~1982年)


全長/全幅/全高(mm):4230/2000/1070

重量:1460kg(車検証記載値)

エンジン性能:
排気量…………3929cc
エンジン型式…水冷V型12気筒DOHC24バルブ
最高出力………375馬力/7500rpm


カナダの石油王ウォルター・ウルフによるLP400のスペシャルカウンタック製造・開発を機に、新型モデルとしてデビューしたのがLP400S(Sはイタリア語でスペチアーレ【英語でスペシャル】の略)である。
1978年~82年の間に237台(推定)が生産された。
その間も改良が加えられていったため、同じLP400Sの中でもインテリアやホイール、車高の違いなど個体差が存在する。
LP400SからLP400の特徴だったルーフのペリスコープ(覗き窓・凹んだ部分)が無くなり、リアタイヤが太くなったことでオーバーフェンダーが取り付けられた。
また、ホイールが5つ穴の通称ブラーボ(BRAVO)ホイールに変更された。


○森氏所蔵




ブラーボホイール





【カウンタック LP400】








ランボルギーニ
カウンタック LP400
Lamborghini Countach LP400
(1974年~1978年)


全長/全幅/全高(mm):4210/1890/1030

重量:1420kg(車検証記載値)

エンジン性能:
排気量…………3929cc
エンジン型式…水冷V型12気筒DOHC24バルブ
最高出力………375馬力/8000rpm所蔵


1971年のジュネーブ・ショーでプロトタイプのLP500を発表し大反響を呼んでから約3年、1974年の秋ついに登場したカウンタック最初の量産モデルがLP400である。
4リッターV型12気筒エンジンを縦に置き、ミッドシップとして重量バランスを高めたレイアウトは、マルチェロ・ガンディーニによる斬新なボディラインやガルウィング式のドアと相まって今までの常識を超えた驚愕のクルマであった。
最高速度は公称で300km/h。
1978年までの間に150台が生産され、カウンタックのシリーズ中最も少ない。

堀田力男氏所蔵





【カウンタック LP500R】









ランボルギーニ
カウンタック LP500R
Lamborghini Countach LP500R
(製造年不明)


全長/全高(mm):4010/1070

最高速度:315km/h

※その他 スペック詳細不明


シャシーナンバー”1120144”。
LP400ベースのスペチアーレ(スペシャル)カウンタックのひとつ。
ブラックのボディにホワイトのウェーブラインが大きな特徴である。
またLP400と比べ、リアタイヤの幅がかなり太くなっているため、リアフェンダーをワイド化している。
このLP500Rはシャシーナンバーから1975年に製作されたLP400をベースにしたものと推測されるが、いつどこでどのような目的で製造されたかなど謎が多い。
日本にはスーパーカーブームの真っ最中の1977年に輸入され、全国各地で開催されたスーパーカーショーで子どもたちの人気を博した。

きっずはあと所蔵





【ソニア】






ランボルギーニ
ソニア
Lamborghini Sogna
(1991年 ジュネーブ・ショー
 1992年 トリノ・ショー 出品)


全長/全幅/全高(mm):4150/2000/1110

重量:1530kg

エンジン性能:
排気量…………5167cc
エンジン型式…水冷V型12気筒DOHC48バルブ
最高出力………455馬力/7000rpm


ランボルギーニ ソニアは、ランボルギーニから提供されたLP5000QVのシャーシとエンジンをベースに日本人デザイナー山崎亮志氏によってデザインされたプロトタイプカーである。
まず1991年のジュネーブ・ショーにショーモデルが出品された。
展示車は翌1992年のトリノ・ショーに向けて製作され、実際に出品された走行可能なモデルである。
ドアはカウンタック同様ガルウィング式となっている。
また、世界初の民生カーナビ「カロッツェリア」のCMに登場し話題となった。

(株)園満 所蔵






「そういや、「カウンタック」という名前は、誰が名付けちゃったんかね?」

「「カウンタック」をイタリア語で綴(つづ)ると、”Countach”になるそうじゃ」

「「カウンタック」というよりは、「クンタッチ」という発音になるんじゃね」



”Countach”とは、ピエモンテ地方(トリノを中心とするイタリア北部の地域)の方言で、「驚き」や「感動」などを表すときに思わず発する言葉で、「クンタッシ!」や「クンタッチ!」という発音の方が近い。
ガンディーニが考えたデザイン案を見たスタッフが思わず口から出た「Countach!」からその名が付いたと言われている。
そしてカウンタックは発表されると人々から驚きをもって迎え入れられることとなった。

「名前の由来」会場に展示してあった説明板より




「うちにはよう分からんけど、そういう風に感じちゃったんじゃね」









訪問日:2012年(平成24年)8月14日





↓広島市交通科学館については、こちら↓

広島市交通科学館





↓広島市交通科学館についての関連記事は、こちら↓

カウンタック展 広島市交通科学館(その1)

あこがれの国産車 ~昭和40年代の名車たち~ 広島市交通科学館

『帰ってきたウルトラマン』で、マットビハイクルとして使われたマツダ車は?






「今日は、広島市交通科学館の2階に展示してあるLP500(5000)S、LP400S、LP400、LP500R、ソニアについて話をさせてもらいました」

「次回は、カウンタック展に展示してある、カウンタック以外の車を紹介しますけぇの。ほいじゃあ、またの」
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