「スターバックス 東京スカイツリー・ソラマチ東6階店に飾ってある、山本理子さんの作品「東京下町春夏秋冬」を紹介するシリーズ」
「東京下町春夏秋冬」
「今日は、秋の1回目じゃ」
相撲
そして江戸時代、忘れてならないのが相撲です
それまで神事として行われてきた相撲が興業として行われるようになり
歌舞伎、吉原と並ぶ三大娯楽として町人に愛されました
浮世絵にも相撲ジャンルが確立しました
「相撲って、秋なん?」
「相撲の季語は秋なんよ。相撲は相撲節会(すまひのせちえ)いうて、奈良時代から平安時代にかけて、宮中の年中行事として七夕の日に行われとったそうじゃ」
「七夕は7月じゃけぇ、旧暦でいうと秋じゃね」
「職業としての相撲が始まったのが江戸時代じゃそうな」
江戸期には都市の発達に伴い大都市のみならず地方都市においても相撲興行が行われ、歌舞伎や人形浄瑠璃などとともに催された。
それに伴い多くの浮世絵師が相撲や力士の錦絵を製作し、力士絵は浮世絵のジャンルとして確立した。
(「相撲」ウィキペディア)
「江戸時代って、どんな力士が有名じゃったんかね?」
「谷風梶之助(たにかぜ かじのすけ)、小野川喜三郎(おのがわ きさぶろう)、雷電為右エ門(らいでん ためえもん)といったところかのう」
「雷電? どっかで来たことがある名前じゃね」
「TVアニメ『勇者ライディーン』(テレビ朝日 1975年~76年)の「ライディーン」は、「雷電」から付けた名前じゃそうな」
「YMO(ワイ・エム・オー。イエロー・マジック・オーケストラの略)にも『ライディーン』(1980年6月発売)という曲があったよね」
元々のタイトルは相撲取りの「雷電爲右エ門」から『雷電』と表記された。
坂本は「『雷電』には東海道五十三次のような浮世絵のイメージがあり、浮世絵が世界に影響を与えたように、自分達の音楽も世界に影響を与えることと重ね合わせた」と発言している。
その後、細野の「アメリカで今『勇者ライディーン』っていうアニメがヒットしている」ので「じゃあ、『ライディーン』にしちゃおう」という発言で「ライディーン」となった。
(「ライディーン (YMOの曲)」ウィキペディア)
↓YMOの「ライディーン」については、こちら↓
「YMO - Rydeen (Official Video) 」You tube
「32年前の曲なんじゃけど、今聞いても全然古く感じんね」
「ビデオの映像には、時代を感じてしまうがの」
「相撲といえば、両国国技館も隅田川の近くにあったよね?」
「ほうじゃの。墨田区の横網一丁目というところにあるそうじゃ」
「横綱(よこづな)一丁目?」
「漢字で書くと間違いやすいんじゃが、横綱じゃのうて、横網(よこあみ)という地名なんよ。江戸時代から続く、由緒ある地名なんじゃそうな」
「へぇ…」
「国技館に話を戻すと、もとは本所回向院(ほんじょ えこういん)の境内にあったそうじゃ」
「なんで、お寺にあったんかね?」
「話せば長くなるんじゃが…。明暦(めいれき)の大火という、江戸城の天守閣を焼いたうえに、10万人もの死者が出るほどの大火事が、明暦3年(1657年)にあったんよ。その時の犠牲者を弔(とむらう)うために建てられたのが、この回向院なんじゃ」
日本の国技である相撲は、江戸時代は主として公共社会事業の資金集めのための勧進相撲興行の形態をとっていました。
その勧進相撲が回向院境内で初めて行われたのは明和五年(1768)のことで、寛政年間を経て文政年間にいたるまで、勧進相撲興行の中心は回向院とされてきました。
やがて天保四年(1833)より当院は春秋二回の興行の定場所となり、明治四十二年の旧両国国技館が完成するまでの七十六年間、「回向院相撲の時代」が続いたのです。
「名所案内」回向院ホームページ
「もとの両国国技館ができるまで、江戸では回向院で相撲が行われとったんじゃね」
「両国国技館の近くに両国橋というのがあるんじゃが、これは明暦の大火の後に架けられた橋なんじゃ」
「江戸幕府は、江戸に攻めてこれんようにいうて、江戸城近くの川にはなるべく橋を架けんかったんよね」
「それもあるんじゃが、大きな川に橋を架ける技術が不足しとったという意見もあるんじゃ」
「隅田川に橋は架かっとらんかったんかね?」
「千住大橋(せんじゅおおはし)という橋があったんじゃが、幕府はそれ以外の橋を架けんかったんよ」
「なるほどね」
「もし隅田川に橋が架かっとったら、たくさんの人が橋を渡って助かったはず、と幕府は考えたんよ。そこで、明暦の大火の後、渡船場のあった柳橋あたりから本所へ「大橋」という橋をかけたんじゃ」
「大橋? 両国橋という名前はそのころはなかったん?」
「もともとは大橋という名前じゃったんよ。この橋が、武蔵国(むさしのくに)と下総国(しもうさのくに)を結ぶ橋じゃということで、俗に「両国橋」と呼ばれるようになって、それがのちに正式名称になったそうじゃ」
「武蔵国といえば、東京スカイツリーの高さ「634(=むさし)」メートルも、武蔵国からきとるんよね」
「隅田川の花火大会も、享保8年(1733年)5月28日から始まった両国の川開きが元になっとるんじゃの」
今回の写真は、山本理子さんの許可を得て使用しています。
↓山本理子さんについては、こちら↓
Riko
↓スターバックス 東京スカイツリー・ソラマチ東6階店については、こちら↓
「東京スカイツリー・ソラマチ東6階店」スターバックス コーヒー ジャパン
↓山本理子さんについての関連記事は、こちら↓
東京下町春夏秋冬 スターバックス 東京スカイツリー・ソラマチ東6階店
余れる処 合わぬ所 生まれ出 神話 ギャラリーヨコタ
月と海と太陽の神話 旧日本銀行広島支店
「今日は、スターバックス 東京スカイツリー・ソラマチ東6階店に飾ってある山本理子さんの作品「東京下町春夏秋冬」の、秋(その1)について話をさせてもらいました」
「次は秋の2回目じゃけぇの。ほいじゃあ、またの」
「東京下町春夏秋冬」
「今日は、秋の1回目じゃ」
相撲
そして江戸時代、忘れてならないのが相撲です
それまで神事として行われてきた相撲が興業として行われるようになり
歌舞伎、吉原と並ぶ三大娯楽として町人に愛されました
浮世絵にも相撲ジャンルが確立しました
「相撲って、秋なん?」
「相撲の季語は秋なんよ。相撲は相撲節会(すまひのせちえ)いうて、奈良時代から平安時代にかけて、宮中の年中行事として七夕の日に行われとったそうじゃ」
「七夕は7月じゃけぇ、旧暦でいうと秋じゃね」
「職業としての相撲が始まったのが江戸時代じゃそうな」
江戸期には都市の発達に伴い大都市のみならず地方都市においても相撲興行が行われ、歌舞伎や人形浄瑠璃などとともに催された。
それに伴い多くの浮世絵師が相撲や力士の錦絵を製作し、力士絵は浮世絵のジャンルとして確立した。
(「相撲」ウィキペディア)
「江戸時代って、どんな力士が有名じゃったんかね?」
「谷風梶之助(たにかぜ かじのすけ)、小野川喜三郎(おのがわ きさぶろう)、雷電為右エ門(らいでん ためえもん)といったところかのう」
「雷電? どっかで来たことがある名前じゃね」
「TVアニメ『勇者ライディーン』(テレビ朝日 1975年~76年)の「ライディーン」は、「雷電」から付けた名前じゃそうな」
「YMO(ワイ・エム・オー。イエロー・マジック・オーケストラの略)にも『ライディーン』(1980年6月発売)という曲があったよね」
元々のタイトルは相撲取りの「雷電爲右エ門」から『雷電』と表記された。
坂本は「『雷電』には東海道五十三次のような浮世絵のイメージがあり、浮世絵が世界に影響を与えたように、自分達の音楽も世界に影響を与えることと重ね合わせた」と発言している。
その後、細野の「アメリカで今『勇者ライディーン』っていうアニメがヒットしている」ので「じゃあ、『ライディーン』にしちゃおう」という発言で「ライディーン」となった。
(「ライディーン (YMOの曲)」ウィキペディア)
↓YMOの「ライディーン」については、こちら↓
「YMO - Rydeen (Official Video) 」You tube
「32年前の曲なんじゃけど、今聞いても全然古く感じんね」
「ビデオの映像には、時代を感じてしまうがの」
「相撲といえば、両国国技館も隅田川の近くにあったよね?」
「ほうじゃの。墨田区の横網一丁目というところにあるそうじゃ」
「横綱(よこづな)一丁目?」
「漢字で書くと間違いやすいんじゃが、横綱じゃのうて、横網(よこあみ)という地名なんよ。江戸時代から続く、由緒ある地名なんじゃそうな」
「へぇ…」
「国技館に話を戻すと、もとは本所回向院(ほんじょ えこういん)の境内にあったそうじゃ」
「なんで、お寺にあったんかね?」
「話せば長くなるんじゃが…。明暦(めいれき)の大火という、江戸城の天守閣を焼いたうえに、10万人もの死者が出るほどの大火事が、明暦3年(1657年)にあったんよ。その時の犠牲者を弔(とむらう)うために建てられたのが、この回向院なんじゃ」
日本の国技である相撲は、江戸時代は主として公共社会事業の資金集めのための勧進相撲興行の形態をとっていました。
その勧進相撲が回向院境内で初めて行われたのは明和五年(1768)のことで、寛政年間を経て文政年間にいたるまで、勧進相撲興行の中心は回向院とされてきました。
やがて天保四年(1833)より当院は春秋二回の興行の定場所となり、明治四十二年の旧両国国技館が完成するまでの七十六年間、「回向院相撲の時代」が続いたのです。
「名所案内」回向院ホームページ
「もとの両国国技館ができるまで、江戸では回向院で相撲が行われとったんじゃね」
「両国国技館の近くに両国橋というのがあるんじゃが、これは明暦の大火の後に架けられた橋なんじゃ」
「江戸幕府は、江戸に攻めてこれんようにいうて、江戸城近くの川にはなるべく橋を架けんかったんよね」
「それもあるんじゃが、大きな川に橋を架ける技術が不足しとったという意見もあるんじゃ」
「隅田川に橋は架かっとらんかったんかね?」
「千住大橋(せんじゅおおはし)という橋があったんじゃが、幕府はそれ以外の橋を架けんかったんよ」
「なるほどね」
「もし隅田川に橋が架かっとったら、たくさんの人が橋を渡って助かったはず、と幕府は考えたんよ。そこで、明暦の大火の後、渡船場のあった柳橋あたりから本所へ「大橋」という橋をかけたんじゃ」
「大橋? 両国橋という名前はそのころはなかったん?」
「もともとは大橋という名前じゃったんよ。この橋が、武蔵国(むさしのくに)と下総国(しもうさのくに)を結ぶ橋じゃということで、俗に「両国橋」と呼ばれるようになって、それがのちに正式名称になったそうじゃ」
「武蔵国といえば、東京スカイツリーの高さ「634(=むさし)」メートルも、武蔵国からきとるんよね」
「隅田川の花火大会も、享保8年(1733年)5月28日から始まった両国の川開きが元になっとるんじゃの」
今回の写真は、山本理子さんの許可を得て使用しています。
↓山本理子さんについては、こちら↓
Riko
↓スターバックス 東京スカイツリー・ソラマチ東6階店については、こちら↓
「東京スカイツリー・ソラマチ東6階店」スターバックス コーヒー ジャパン
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東京下町春夏秋冬 スターバックス 東京スカイツリー・ソラマチ東6階店
余れる処 合わぬ所 生まれ出 神話 ギャラリーヨコタ
月と海と太陽の神話 旧日本銀行広島支店
「今日は、スターバックス 東京スカイツリー・ソラマチ東6階店に飾ってある山本理子さんの作品「東京下町春夏秋冬」の、秋(その1)について話をさせてもらいました」
「次は秋の2回目じゃけぇの。ほいじゃあ、またの」