「今日は9月22日じゃのう…」
「何かある日じゃったかいね?」
「今から30年前の1981年(昭和56)9月22日、日本武道館でのファイナルコンサートを最後にスペクトラムが解散した日なんじゃ」
「うちはよく知らんけど、お父さんはむかしからスペクトラムが好きじゃったね」
「実はわし、スペクトラムをリアルタイムで体験しとらんのじゃ」
「ありゃ、そうじゃったん」
「スペクトラムが解散した後、リーダーの新田一郎がプロデュースしたイメージアルバム『パタリロ!』(1982年)から病みつきになったんよ。ほいで、新田一郎、スペクトラムと時代を遡(さかのぼ)っていく形で聞き始めたんじゃ」
「この前話を聞いたけど、新田さんはキャンディーズのバックバンド「MMP(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)」で活躍されとったんよね」
「スペクトラムは、そのMMPのメンバーを中心に結成されたんじゃ」
新田/マネージャーだった大里さんがアミューズをつくって、誰もタレントがいないから、「ウチに来れば?」ということで行ったんだ。
坂崎/人ん家、メシ喰いに行くんじゃないんだから(笑)。
新田/そうしたら、サザン(・オールスターズ)がデビューして、「バンドってやっぱり楽しそうだな」と思って自分たちもデモ・テープをつくったの。それを机の上に置いておいたら、大里さんが「おまえら、デビューしろ。すぐできるんだろ? これ」とか言われて(笑)。
坂崎/大里さんが?
新田/うん。ただ半分は友達を集めてやってもらっただけで、バンドはできていなかったんだよ。でもそこで「実は…」って言うとノリが醒めると思って、「すぐできます!」とか言っちゃって(笑)。それでデビューが決まったんだよ。
(「坂崎幸之助とJ-POP Friends 1」(株)国民自由社 2008年)
「大里さんというのは、アミューズの創業者にして代表取締役会長の大里洋吉(おおさと ようきち)氏のことじゃ。大里氏はアミューズを立ち上げる前、ナベプロ(渡辺プロダクション)におられて、ザ・ピーナッツやあいざき進也、キャンディーズらのマネージャーを務めとられたんよ」
「アミューズいうたら、サザンを始め、福山雅治、ポルノグラフィティ、Perfumeなどのミュージシャンを抱える大手プロじゃもんね。そのアミューズからデビューされたんじゃ」
「当時はアミューズ自体ができたばかりで、「誰もタレントがいないから」という時代じゃったそうじゃがの」
「新田さんと話をされとる「坂崎」というのは、アルフィーの坂崎幸之助(さかざき こうのすけ)さんのこと?」
「ほうじゃの。アルフィーが「メリーアン」(1983年)でブレイクする前は、坂崎氏はラジオのパーソナリティじゃと、わしゃ思うとったんじゃ」
「トークが上手じゃもんね」
「新田氏の話に戻すと…、本人やHorn Spectrum(ホーン・スペクトラム)名義で、サザンの初期の楽曲に管編曲で参加されとってんじゃ」
「スペクトラムは、いつデビューしたんかいね?」
「サザンがデビューした翌年の1979年(昭和54)8月25日、ビクターからデビューされたんよ。ほいで、ファースト・シングル「トマト・イッパツ」と、ファースト・アルバム「スペクトラム」を出されたんじゃ」
「「トマト・イッパツ」!? へんてこりんなタイトルじゃね」
新田/曲のタイトルにしても「トマト・イッパツ」(デビュー曲)ってさ…何だ、それ、と思うわけ。今、逆の立場だったら思いますよ。「おまえら、いいのか、それで」って。
坂崎/ハハハ
(同上)
「その年の11月1日に、セカンド・シングル「イン・ザ・スペース」が発売されたんじゃ」
「♪イン・ザ・スペース~(山田邦子の声で)」
「この曲は、テクニクスのコンポのCMに使われたんじゃ」
↓「イン・ザ・スペース」については、こちら↓
「SPECTRUM - スペクトラム - IN THE SPACE」You tube
「それにしても新田さんの声はすごいね」
「レコードのライナーに、「男なのにアグネス・チャンみたいな声なんだもの」と書かれとったのう」
坂崎/裏声でうたおうというのは?
新田/ソウルとかファンクとか好きだったから、それを意識していたけれども、もともと歌手が本業じゃないから、だったら誰もやったことないから裏声でうたっちゃえと。そんなに深く考えずにやったら、珍しがられたと。
(同上)
「歌って、踊って、演奏して…。演奏も確かじゃけど、ステージングもすごいね」
「ミラーボールが天井に取り付けてある、というのが時代を感じるのう」
「トランペット、トロンボーンは楽器をくるくる回すし、ギターの西氏は、あんなに回って目が回らんのかいの、と心配になってしまうで」
「そういや、スペクトラムのメンバーを紹介しとってや。うちゃ新田さんとギターの西さんしか知らんのじゃけぇ」
「ほいじゃ、メンバーを紹介しときましょうか」
新田一郎/トランペット・ボーカル
兼崎順一(かねざき じゅんいち)/トランペット
吉田俊之(よしだ としゆき)/トロンボーン
渡辺直樹(わたなべ なおき)/ベース・ボーカル
西 慎嗣(にし しんじ)/ギター・ボーカル
奥 慶一(おく けいいち)/キーボード
岡本郭男(おかもと あつお)/ドラムス
今野拓郎(現:今野多久郎(こんの たくろう))/パーカッション
「ホーン・セクションが3人にリズム隊が5人の、総勢8人じゃ」
「ギターやベースの人が歌を歌いながら演奏するのは見たことがあるけど、トランペットを吹きながら歌うというのは、スペクトラムで初めて見たね」
「セカンド・シングル「イン・ザ・スペース」のB面が「アクトショー(Live Version)」。ファースト・アルバム「SPECTRUM」で1曲目に収録されとる曲じゃ」
「B面という言葉がまだあった時代じゃね」
↓「アクトショー」については、こちら↓
「スペクトラム - ACT SHOW(TV).flv」You tube
「いつも思うんじゃけど、このキンピカ衣装はすごいね」
「衣装代に1,000万円かかったそうじゃ」
新田/あの当時、トータルで1000万円。アミューズ500万、ビクター500万の折半で(笑)。
坂崎/でも宣伝費をかけるぐらいのインパクトはあったでしょう?
新田/そういうこと。だから「元取った!」って喜んでいたよ。衣装が話題になったからメディアには大きく取り上げられたでしょう。「結果的には安い買い物だった、アハハハ」とか(笑)。
(同上)
「それにしても、このパフォーマンスはどう評価してええんじゃろうか?」
「振り付けといい、ライティングといい、カメラワークといい、かなり独特じゃろ。ほいじゃけぇ、「色物系バンド」と誤解されることもあったそうじゃ」
新田/でも「何だ、それ」って言われることを面白がっていたし、衣裳も「バカじゃない?」と言われるのが楽しいんだ。
坂崎/それには音楽的な裏づけが絶対あったからだと思うね。
新田/それは多少、正直言って自信はあった。
坂崎/それがなかったら「こいつら面白い」で終わっちゃう。でもタイトル変だし、衣裳も派手だし、だけども演奏は巧かったから。
新田/音楽を本気で真面目にやっているという自信はあったんだよね。
(同上)
「サード・シングル「F・R・Y」(1980年3月5日発売)のB面が、「ミーチャン Going to the Hoikuen」じゃんよ」
「ミーチャンというのは、アミューズの大里さんの娘なんじゃってね」
「広島限定で言うと、RCCラジオでやっとった西田篤史(にしだ あつし)の「あっちゃんのSay春ing(せいしゅんあいえぬじー)」のオープニング曲に使われとったのう」
↓「ミーチャン Going to the Hoikuen」については、こちら↓
「Spectrum「ミーチャン Going to the Hoikuen」」You tube
「そして、4枚目のシングルが、あの「SUNRISE」(1980年6月5日発売)。スタン・ハンセンの入場曲に使われて、スペクトラムの曲の中で最も有名な曲じゃの」
「曲は知っとったけど、歌詞がついとるとは知らんかった。この曲は西さんがソロをとっとってんじゃね」
「全員でコーラスする部分も多いんじゃがの。個人的には歌詞のこの部分が大好きなんじゃ」
おれたちが行くあとから
目覚めた都市(まち)がつづく
(作詞:山川啓介)
↓「SUNRISE」については、こちら↓
「SPECTRUM - スペクトラム - SUNRISE」You tube
「5枚目のシングルが「夜明け(アルバ)」(1980年11月21日発売)」
「アルバ(ALBA)言うたら、お父さんが持っとる時計じゃん」
「この曲は、セイコーの腕時計「ALBA」のCMソングじゃったけぇの。それ以来、わしの腕時計はALBAなんじゃ」
「あぁ、それでALBAにこだわっとったんじゃね」
↓「夜明け(アルバ)」については、こちら↓
「夜明け(アルバ) スペクトラム」You tube
「そして6枚目、ラスト・シングルとなったのが「Night・Night・Knight」(1981年6月21日発売)」
「ありゃ、ジャケットの写真はステージ衣裳じゃのうて、普段着になっとるんじゃね」
「解散が決まった後に発売されたけん、こういう格好になったんじゃないんかの」
「それでアルバムも「Second Navigation」、つまり「2度目の航海」というタイトルになっとるんじゃね」
↓「夜明け(アルバ)」については、こちら↓
「NIGHT NIGHT KNIGHT (スペクトラム) 」You tube
「渡辺さんの声は色っぽさがあるね」
「で、それから3カ月後の9月22日に解散されたんじゃ」
坂崎/解散コンサート(1981年9月22日)はどうだったんですか?
新田/それは最高ですよ。スペクトラムは売れたくてやったバンドでもなかったし、むしろメンバーはスタジオ・ミュージシャンで、バンドをやる前の方がお金をもっていたし。だからお金目的でもないし、ベスト・テンに入ることが目的もでもなかったし、とにかく「バンドをやりたい」という夢だったんですよ。ただひたすらやって来た、その最後が武道館だった。そのときに目の前にお客さんがいるわけじゃないですか。目の前に自分たちを支持してくれていたお客さんがいるわけだから感無量だよね。そういう終わり方をさせてもらえたということが。
(同上)
「この時、新田さんが「俺たちは3年前、ひとつの夢をえがきました…」と言われたんよね」
今日、俺たちスペクトラムをこの武道館まで連れてきてくれたみんなに、心から感謝します! ありがとう!!
↓スペクトラム ファイナル・コンサートについては、こちら↓
「TOMATO IPPATSU SPECTRUM(at BUDOKAN)」You tube
「(Live)SUNRISE~サンライズ/SPECTRUMスペクトラム」You tube
「1979年8月にデビューして、1981年9月に解散じゃけぇ、2年間しか活動されとらんのじゃね」
「活動した期間は、実質2年半ぐらいじゃそうな」
「その間に、シングル・アルバムとも6枚出しとってんじゃね」
「6枚目のアルバムは解散コンサートを収録したものじゃけぇ、アルバムは実質5枚じゃの」
坂崎/だけど与えたインパクトや存在感は相当あったわけですよ。そういう意味では成功したバンドだと思うんですけど、新田さんから見てスペクトラムというバンドは?
新田/メンバー全員、今になって認識しているみたい。
坂崎/本当?
新田/俺たちがやっていた2年半というのは、本当に駆け抜けたという感じだった。半年に1枚、アルバムを出しているし、ライヴも半年に1回ペース。それで解散ライヴは武道館でしょう。そのときはわかっていないんですよ。でも今、振り返って考えると何かすごいことをやっていたんだなと。それから1981年解散なんで、今年(2001年現在)で20年経っているんですよ。でも全国どこへ行っても「スペクトラム好きでした」「CD持っています」という人がいっぱいいるんだよ。
(同上)
「うちのお父さんは、スペクトラムの影響を完全に受けとるよね」
「影響といえば、うちの娘もこの間、スペクトラムの影響を受けました」
「上の娘が高校の吹奏楽部でトランペットをやらせてもろうとるんじゃけど、ちょっと伸び悩んどるんよね」
「そこでわしが聞かせたのが、「スペクトラム5 SPECTRUM BRASSBAND CLUB」(1981年9月5日発売)の中の「コンクールが近いよ」という曲なんよ」
「吹奏楽部でトランペットを吹いとる男の子が、うまくなりたい一心で毎朝、公園に出かけて、噴水の近くで練習をする…というような内容、といえばええんかね?」
「あれ以来、うちの娘は部活が休みの時、学校のトランペットを家に持って帰って、家や近くの山の上のあたりで練習するようになったんよの」
「とはいえ、家で練習されると音が大きいし…」
「近くで聞くと、「おぉ、トランペットってこんな大きな音がするんじゃ」と思うてしまうよの」
「近所の人から「うるさい!」と文句を言われんかと、内心はヒヤヒヤしとるんじゃけどね」
↓「コンクールが近いよ」については、こちら↓
「コンクールが近いよ」You tube
「スペクトラムに話を戻すと…、CDやDVDは買えば聞いたり見たりできるんじゃが、You Tubeが見れるようになって、スペクトラムが「サウンド・イン”S”」などTV出演した映像が見られるようになったのは、うれしいのう」
↓スペクトラムのTV出演映像については、こちら↓
「SPECTRUM - スペクトラム - A SEED’S A STAR AND TREE MEDLEY」You tube
「SPECTRUM - スペクトラム - LONG TRAIN RUNNIN」You tube
「SPECTRUM - スペクトラム - I’VE GOT THE MUSIC IN ME」You tube
「おぉ、スペクトラムってタキシード姿もあったんじゃね」
「最後になりましたが、ホームページを持っていらっしゃるメンバーの方のアドレスを紹介して終わりたいと思います」
↓吉田俊之については、こちら↓
Tea’s Room
↓渡辺直樹については、こちら↓
渡辺直樹 Solo Bass-Club
↓西慎嗣については、こちら↓
西 慎嗣 公式サイト
↓奥慶一については、こちら↓
Welcome to OR-LAB
↓スペクトラム、新田一郎についての関連記事は、こちら↓
追悼 キャンディーズのスーちゃん
キャンディーズとアミューズと広島と
「今日は、30年前の今日解散したスペクトラムについて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」