「9月19日(月)まで、広島市西区商工センターにあるエクセル5階の泉美術館で、「復興の記憶~広島 戦後の商業史~」という企画展が行われとるんじゃ」
「イズミ創業50周年記念企画展…。あぁ、「イズミ」じゃけぇ「泉」美術館なんじゃね」
「最近は、「イズミ」より「ゆめタウン」じゃのう」
「♪いいもの見つけた~ イ・ズ・ミ」
「おぉ、その歌も久しぶりに聞いたのう」
「で、どんなものを展示しとってん?」
「原爆で焼け野原になった広島市から始まって、戦後復興していく広島の街や人々の様子を、写真や新聞記事、イズミの社内報などで紹介しとってんじゃ」
「へぇ。ほいで、どんな写真が飾ってあったん?」
「例えば、1945年(昭和20)9月の写真で、「食糧御持参の方には「たい(=炊い)」て上げます 旅行者各位」という看板を付けたバラック小屋の店が写っとたんじゃ」
「戦後間もないころじゃけぇ、観光目的の旅行者が広島に来るわけないじゃん!」
「いや、そうじゃのうての…。原爆が投下された広島におる身内の安否を確かめるために、食糧持参で広島に来る方がおられたんよ」
「あぁ、その方々のために、食糧を煮炊きする商売が必要じゃったというわけじゃね」
「1946年(昭和21)7月の写真に、福屋の屋上で「広島復興小唄」の練習をされとる4人の女性が写っとったんよ。フェンスが付いとらん屋上の、それも隅っこの方で練習をされとるけぇ、危のうて、危のうて…」
「福屋いうたら、今の場所に1938年(昭和13)に建てられたんよね。何階建てじゃったっけ?」
「地上8階、地下2階で、当時は「白亜の殿堂」と呼ばれとったんじゃ」
「うーん、そりゃちょっと危険かもしれんね…。ところで、「広島復興小唄」ってどんな歌?」
「調べてみたんじゃが、わからんかった。1956年(昭和31)に撮られた「電飾に浮かび上がる原爆ドーム」という写真を見たときは、びっくりしたのう」
「原爆ドームに電飾をつけて、光らせとった時期があったんかね?」
「閃光電球とストロボのメーカー、ウエスト電気株式会社(現;パナソニック フォト・ライティング株式会社)が、デモンストレーションとして実施されたそうじゃ」
「ふーん。広島県物産陳列館のころは、建物の光が川に映って、きれいじゃったんじゃろうね」
「イズミの広告で何かなかった?」
「1961年(昭和36)11月3日(祝・金)、八丁堀にいづみ1号店がオープンしたんよ。その新聞広告にこう書いてあったんじゃ」
お代金は出口のレジスターでチョッピリいきでチャームなお買い物が楽しめます。
(新聞広告より)
「「レジスター」とか「チャームな」とかって、時代を感じる言葉が並んどるねぇ」
「キャッチフレーズが、「セルフサービスで楽しいお買い物!」じゃったんよの」
イズミ八丁堀店
(現:ヤマダ電機テックランド広島中央本店)
「あれ、この時は「イズミ」じゃのうて、「いづみ」じゃったん?」
「イズミは戦後、復員した山西義政氏が広島駅前で露店を始めたのが始まりなんじゃ。1950年(昭和25)に衣類卸問屋「株式会社山西商店」、1961年に「株式会社いづみ」になって、1980年(昭和55)から「株式会社イズミ」になったんじゃ」
「八丁堀のいづみいうたら、ウィズワンダーランド(WIZ WONDERLAND)じゃね。ウィズは服を買いによう行きよったよ」
「ウィズワンダーランドになったのは、1985年(昭和60)のことじゃ。2004年(平成16)からは、ヤマダ電機テックランド広島中央本店になっとるがの」
「そういや、あの店は何回か改装しとるんじゃろ?」
「計5回ほど増築されて、今の建物になっとるそうじゃ。増築中の広告に、こういうのがあったのう」
八丁堀いずみが もっとグラマーになります
(広告より)
「「グラマー」という言葉も、今や死語じゃね」
イズミ ロゴマークの変遷
「イズミのロゴマークは左から右へ、
1.創業当時
2.昭和49年5月1日より
3.昭和55年6月27日より
4.平成7年より
と、3回変えとってんじゃのう」
「うちが親しんできたロゴは、右から2番目のやつじゃね」
「一番左の緑色のロゴは、すっごい久しぶりに見たのう」
「広島駅前にイズミができたのは、いつじゃったかいね?」
「1967年(昭和42)の3月24日(金)に、八丁堀に続く2号店としてオープンしたんじゃが、その日1日だけで、なんと5万人のお客さんが来られたそうじゃ」
「5万人!! しかも金曜日じゃろ!?」
「写真で見たら、広島駅一帯が、文字どおり人で埋め尽くされとったけぇの」
「広島駅南口のすぐ西側という、最高の立地条件じゃったとはいえ、それだけの人出があったら、身動きできんかったじゃろうね」
イズミ広島駅前店
(現:フタバ図書GIGA広島駅前店)
「当日のイズミの新聞広告の下に、映画の広告が出とったんよ。数えてみたら、広島市内になんと35館の映画館があったんじゃ」
「えっ!? そんなにあったん?」
「わしも信じられんかったが、広島市内にこれだけの映画館があったんじゃの。内訳は以下のとおり」
駅前地区 7館
的場(まとば)地区 5館
中央部地区 14館
タカノ橋地区 4館
土橋地区 1館
横川地区 2館
南部地区 2館
「へぇ、知らんかったねぇ。とはいえ、こんなことに興味を持って調べたんはお父さんくらいじゃろうね」
「ほっとけ!」
エクセル
広島市西区商工センター2-3-1
エクセル入口に貼ってあったチラシ
イズミ創業50周年記念企画展
復興の記憶
広島 戦後の商業史
それでも笑顔を忘れなかった。
焼け野原だった。なにも無かった。
広島駅から見えるはずのない似島が見えた。
生きていくだけで必死だった。
それでも希望は失わなかった。
戸板一枚から始めた露天の商い。
そこには果てしない夢があった。
広島の復興を支えてきた先人たちの
力強い生き様は
私たちの道標でありつづける。
とき
8月19日(金)~9月19日(祝・月)
10時~17時
休館日 月曜日
ところ
財団法人 泉美術館 エクセル5階
入場無料
↓泉美術館については、こちら↓
財団法人 泉美術館
↓イズミ、ゆめタウンについては、こちら↓
イズミ・ゆめタウン WEB
↓エクセルについては、こちら↓
エクセルオンラインショッピング
↓福屋については、こちら↓
広島の百貨店 福屋
↓パナソニック フォト・ライティング株式会社については、こちら↓
パナソニック フォト・ライティング株式会社
↓原爆ドームについては、こちら↓
「原爆ドーム」広島市
↓ヤマダ電機テックランド広島中央本店については、こちら↓
「テックランド広島中央本店」ヤマダ電機
↓レジスターについては、こちら↓
「レジスター博物館」日本NCR
↓フタバ図書については、こちら↓
「店舗詳細」フタバ図書WEB
「今日は、広島市西区商工センターにある泉美術館で開かれている「復興の記憶~広島 戦後の商業史~」について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
「イズミ創業50周年記念企画展…。あぁ、「イズミ」じゃけぇ「泉」美術館なんじゃね」
「最近は、「イズミ」より「ゆめタウン」じゃのう」
「♪いいもの見つけた~ イ・ズ・ミ」
「おぉ、その歌も久しぶりに聞いたのう」
「で、どんなものを展示しとってん?」
「原爆で焼け野原になった広島市から始まって、戦後復興していく広島の街や人々の様子を、写真や新聞記事、イズミの社内報などで紹介しとってんじゃ」
「へぇ。ほいで、どんな写真が飾ってあったん?」
「例えば、1945年(昭和20)9月の写真で、「食糧御持参の方には「たい(=炊い)」て上げます 旅行者各位」という看板を付けたバラック小屋の店が写っとたんじゃ」
「戦後間もないころじゃけぇ、観光目的の旅行者が広島に来るわけないじゃん!」
「いや、そうじゃのうての…。原爆が投下された広島におる身内の安否を確かめるために、食糧持参で広島に来る方がおられたんよ」
「あぁ、その方々のために、食糧を煮炊きする商売が必要じゃったというわけじゃね」
「1946年(昭和21)7月の写真に、福屋の屋上で「広島復興小唄」の練習をされとる4人の女性が写っとったんよ。フェンスが付いとらん屋上の、それも隅っこの方で練習をされとるけぇ、危のうて、危のうて…」
「福屋いうたら、今の場所に1938年(昭和13)に建てられたんよね。何階建てじゃったっけ?」
「地上8階、地下2階で、当時は「白亜の殿堂」と呼ばれとったんじゃ」
「うーん、そりゃちょっと危険かもしれんね…。ところで、「広島復興小唄」ってどんな歌?」
「調べてみたんじゃが、わからんかった。1956年(昭和31)に撮られた「電飾に浮かび上がる原爆ドーム」という写真を見たときは、びっくりしたのう」
「原爆ドームに電飾をつけて、光らせとった時期があったんかね?」
「閃光電球とストロボのメーカー、ウエスト電気株式会社(現;パナソニック フォト・ライティング株式会社)が、デモンストレーションとして実施されたそうじゃ」
「ふーん。広島県物産陳列館のころは、建物の光が川に映って、きれいじゃったんじゃろうね」
「イズミの広告で何かなかった?」
「1961年(昭和36)11月3日(祝・金)、八丁堀にいづみ1号店がオープンしたんよ。その新聞広告にこう書いてあったんじゃ」
お代金は出口のレジスターでチョッピリいきでチャームなお買い物が楽しめます。
(新聞広告より)
「「レジスター」とか「チャームな」とかって、時代を感じる言葉が並んどるねぇ」
「キャッチフレーズが、「セルフサービスで楽しいお買い物!」じゃったんよの」
イズミ八丁堀店
(現:ヤマダ電機テックランド広島中央本店)
「あれ、この時は「イズミ」じゃのうて、「いづみ」じゃったん?」
「イズミは戦後、復員した山西義政氏が広島駅前で露店を始めたのが始まりなんじゃ。1950年(昭和25)に衣類卸問屋「株式会社山西商店」、1961年に「株式会社いづみ」になって、1980年(昭和55)から「株式会社イズミ」になったんじゃ」
「八丁堀のいづみいうたら、ウィズワンダーランド(WIZ WONDERLAND)じゃね。ウィズは服を買いによう行きよったよ」
「ウィズワンダーランドになったのは、1985年(昭和60)のことじゃ。2004年(平成16)からは、ヤマダ電機テックランド広島中央本店になっとるがの」
「そういや、あの店は何回か改装しとるんじゃろ?」
「計5回ほど増築されて、今の建物になっとるそうじゃ。増築中の広告に、こういうのがあったのう」
八丁堀いずみが もっとグラマーになります
(広告より)
「「グラマー」という言葉も、今や死語じゃね」
イズミ ロゴマークの変遷
「イズミのロゴマークは左から右へ、
1.創業当時
2.昭和49年5月1日より
3.昭和55年6月27日より
4.平成7年より
と、3回変えとってんじゃのう」
「うちが親しんできたロゴは、右から2番目のやつじゃね」
「一番左の緑色のロゴは、すっごい久しぶりに見たのう」
「広島駅前にイズミができたのは、いつじゃったかいね?」
「1967年(昭和42)の3月24日(金)に、八丁堀に続く2号店としてオープンしたんじゃが、その日1日だけで、なんと5万人のお客さんが来られたそうじゃ」
「5万人!! しかも金曜日じゃろ!?」
「写真で見たら、広島駅一帯が、文字どおり人で埋め尽くされとったけぇの」
「広島駅南口のすぐ西側という、最高の立地条件じゃったとはいえ、それだけの人出があったら、身動きできんかったじゃろうね」
イズミ広島駅前店
(現:フタバ図書GIGA広島駅前店)
「当日のイズミの新聞広告の下に、映画の広告が出とったんよ。数えてみたら、広島市内になんと35館の映画館があったんじゃ」
「えっ!? そんなにあったん?」
「わしも信じられんかったが、広島市内にこれだけの映画館があったんじゃの。内訳は以下のとおり」
駅前地区 7館
的場(まとば)地区 5館
中央部地区 14館
タカノ橋地区 4館
土橋地区 1館
横川地区 2館
南部地区 2館
「へぇ、知らんかったねぇ。とはいえ、こんなことに興味を持って調べたんはお父さんくらいじゃろうね」
「ほっとけ!」
エクセル
広島市西区商工センター2-3-1
エクセル入口に貼ってあったチラシ
イズミ創業50周年記念企画展
復興の記憶
広島 戦後の商業史
それでも笑顔を忘れなかった。
焼け野原だった。なにも無かった。
広島駅から見えるはずのない似島が見えた。
生きていくだけで必死だった。
それでも希望は失わなかった。
戸板一枚から始めた露天の商い。
そこには果てしない夢があった。
広島の復興を支えてきた先人たちの
力強い生き様は
私たちの道標でありつづける。
とき
8月19日(金)~9月19日(祝・月)
10時~17時
休館日 月曜日
ところ
財団法人 泉美術館 エクセル5階
入場無料
↓泉美術館については、こちら↓
財団法人 泉美術館
↓イズミ、ゆめタウンについては、こちら↓
イズミ・ゆめタウン WEB
↓エクセルについては、こちら↓
エクセルオンラインショッピング
↓福屋については、こちら↓
広島の百貨店 福屋
↓パナソニック フォト・ライティング株式会社については、こちら↓
パナソニック フォト・ライティング株式会社
↓原爆ドームについては、こちら↓
「原爆ドーム」広島市
↓ヤマダ電機テックランド広島中央本店については、こちら↓
「テックランド広島中央本店」ヤマダ電機
↓レジスターについては、こちら↓
「レジスター博物館」日本NCR
↓フタバ図書については、こちら↓
「店舗詳細」フタバ図書WEB
「今日は、広島市西区商工センターにある泉美術館で開かれている「復興の記憶~広島 戦後の商業史~」について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」