通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

台屋の鼻と(広島)駅前橋記念碑

2011年09月25日 | 広島の話題
「??? 「台屋(だいや)の鼻」って何? 「(広島)駅前橋記念碑」と一緒ということは、広島駅の近くにあるんかね?」

「「台屋の出鼻」とも言うらしいんじゃがの。場所は、広島駅の南口から駅前大橋を渡って右折、城南通りを西に進んで駅西高架橋と交差する、上柳橋(かみやなぎばし)東詰交差点あたりじゃ」

「あぁ、ちょっとした緑地帯があるよね。あそこのこと?」

「ほうなんよ」

「京橋川(きょうばしがわ)と猿猴川(えんこうがわ)が分かれるところになるんじゃね」

「「ここは何という名前じゃろうか?」と思うて調べてみたんよ。近くにある秀玉稲荷神社の由緒書を読みよったら、「台奥の鼻(通称デビ)」と書いてあったけぇ、「でび」と呼びよった人もおっちゃったんじゃろうの」




台屋の鼻(上流から見る)


「正面に台屋の鼻があって、右が京橋川、左が猿猴川になるんじゃ」




台屋の鼻



台屋の鼻から上流を見る
(正面は栄橋)




上柳橋東詰交差点から台屋の鼻を見る



「へぇ…。ところで、「台屋」って何? 昔の地名かね?」

「ほうなんよ。昭和40年代まで、このあたりは台屋町(だいやちょう)と呼ばれよったそうじゃ。今の京橋町と的場町あたりじゃそうな」

「うーん、そんな町名、全然聞いたことがないね…」

「わしも初めて聞いたのう」



「で、駅前橋記念碑というのは?」

「その前に質問。江戸時代、広島城から京都や江戸へ向かって行くには、広島城下にある橋を2つ渡って行かんといけんかったんじゃが、その橋はどれか知っとるかいの?」

「京橋川に架かっとる京橋と、猿猴川に架かっとる猿猴橋の2つじゃね」

「正解じゃ。では次の質問。広島駅ができたのはいつか、覚えとるかいの?」

「えーと、確か日清戦争が始まった年じゃったよね…。1894年(明治27)!」

「これも正解じゃ。ほいじゃ最後の質問。その広島駅前に駅前橋ができたのはいつでしょうか?」

「うーん…。広島駅ができた時?」

「ブー。残念、はずれじゃ。広島駅前に駅前橋ができたのは1933年(昭和8)のことじゃそうな」

「へぇ。広島駅ができてから約40年間、駅前には橋がなかったんじゃ」

「広島駅から南に歩いて行くと猿猴橋もあったし、台屋の鼻のすこし上流に、栄橋(さかえばし)が1906年(明治39)に架けられとったんよ」

「ほいじゃけど、駅前に橋がないのは不便じゃなかったんかね?」

「確かに不便じゃったんじゃろうの。駅前橋は地元の要望で架けられたそうじゃ。とはいえ、橋があった場所は今の駅前大橋のあるところじゃのうて、台屋の鼻の近くじゃったんよ」

「駅前からまっすぐ行った方が便利…。ほうか。あのころは今のように自動車で移動する時代じゃなかったもんね」

「当時はここに橋を架ける方が便利がえかったんじゃないんかの」

「原爆の時はどうじゃったん?」

「木造の橋じゃったけぇ、原爆ですっかり燃えてしもうたそうじゃ」




(広島)駅前橋記念碑



同上 正面
(正面上部)駅前橋記念碑




「記念碑の場所の説明をするのを忘れとったが、広島駅南口第三駐輪場のすぐ側、駅西高架橋(駅西歩道橋)の北側にありますけぇの」

「興味のある方は探してみてくださいね」

「わしゃ、何度かあのへんを歩いとるんじゃが、今まで全然気がつかんかったんじゃ」





↓猿猴川についての関連記事は、こちら↓

猿猴川河童まつり 広島市南区段原

旧猿猴橋水管橋






「今日は、広島駅の西側にある台屋の鼻と駅前橋記念碑について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
コメント
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