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頼山陽文徳殿 広島市南区比治山町

2011年09月21日 | 広島の話題
「先日、頼山陽史跡資料館の話をした時に、1931年(昭和6)に頼山陽(らい さんよう)没後100年祭が開かれたという話をしたんじゃが、覚えとるかいの?」

「あぁ、そんな話があったような、なかったような…」

「その記念行事の一環として、頼山陽文徳殿(ぶんとくでん)が1934年(昭和9)に建設されたんじゃ」

「どこにあるん?」

「広電の比治山下電停から、比治山公園に上って行く途中、左手の方にあるんじゃ」




頼山陽文徳殿への階段



「あぁ、ここか…。頼家のお墓がある多聞院(たもんいん)より上にあるんじゃね」

「多聞院に頼家の墓地があるけぇ、この場所に建てられたそうじゃ」

「場所は知っとったけど、行ってみようと思うたことはないね」

「階段に木が生い茂っとるし、雰囲気的に行ってみようとは思わんよの。わしもここを上って行ったのは、今回が初めてなんじゃ」

「で、どんな建物があるん?」




頼山陽文徳殿



頼山陽文徳殿 入口正面



「玄関に広間があって、正面に頼山陽の銅像が飾ってあったそうじゃ」




頼山陽文徳殿 入口に掲げられた看板
「山陽文徳殿」



頼山陽文徳殿 九輪




「九輪(くりん)いうたら、お寺の塔の一番上についとる飾りのことじゃの」

「九輪の形が変わっとるのは、原爆のせい?」

「ほうなんよ。文徳殿の入口は南西の方向に向いとって、爆心地は北西の方向になるんじゃ。ほいじゃけぇ、画面の左側から原爆の爆風が吹いてきたことになるんじゃの。ちなみに爆心地からの距離は1,820メートルじゃ」

「どれくらいの被害があったん?」

「当時の屋根は瓦葺(かわらぶ)きじゃったんじゃが、瓦が飛ばされて窓ガラスが割れ、そのガラスの破片で多くの方が負傷されたそうじゃ」

「多くの方って、たくさんの人がおっての場所じゃないように思うんじゃけど?」

「戦争も終わりのころ、この建物は広島市の戸籍選挙課分室になっとって、市役所から戸籍簿の大部分が移されとったそうなんよ。この建物は焼けずに残ったけぇ、戸籍簿も助かったんじゃ」

「疎開させとって助かったというわけじゃね」

「1946年(昭和21)10月から1949年(昭和24)6月までと、1953年(昭和28)10月から1955年(昭和30)2月までの間、浅野図書館(現:広島市立中央図書館)として使われたそうじゃ」





↓山陽文徳殿については、こちら↓

「山陽文徳殿」“ヒロシマ”をさがそう!~市民とつくる被爆地図~





↓頼山陽についての関連記事は、こちら↓

頼家の墓 多聞院 広島市南区比治山町

頼山陽史跡資料館 広島市中区袋町






「今日は、広島市南区比治山町にある頼山陽文徳殿について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」

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