通でがんす

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谷口織物(旧住友銀行東松原支店) 広島市南区猿猴橋町

2011年09月24日 | 広島の話題
「今日は、広島市南区猿猴橋町(えんこうばしちょう)にある旧住友銀行東松原支店について取り上げようと思うんじゃ」

「あぁ、猿猴橋の東側にあって、谷口織物の看板が出とる建物じゃね。うちゃ、この3軒隣にあった「甘党の店 たむら」が好きで、よう行きよったんよ」

「わしゃ、ここの大判焼き(おおばんやき)が好きじゃったのう」

「うちゃ、クリームあんみつが好きじゃったよ。店内の、古臭い感じも好きじゃったんじゃけどねぇ…」

「えーと、話を元に戻して…。この建物は1921年(大正10)、住友銀行の広島支店東出張所として、レンガ造り2階建てで建てられたんよ」

「あぁ、窓で見ると2階建てじゃね。建物の高さからいって、3階建てかと思うとったよ」




谷口織物(旧住友銀行東松原支店)



同上 正面上部




「最初は、建物に向かって右側(東側)が入口じゃったんじゃと」

「うーん、それは知らんかったね」

「ほいで、1階の左奥には金庫室があったそうじゃ」




旧入口



旧入口の階段



旧入口の屋根飾り




「1929年(昭和4)に、東出張所から東松原支店に昇格したそうじゃ」

「で、原爆が投下された時は?」

「建物は大破、全焼して、西面にある鉄の扉は大きく曲がってしもうたんよ」

「ほうか。爆風はほぼ西側から来たことになるんよね。爆心地からの距離は?」

「爆心地から1,890メートルじゃの。ほいで、住友銀行の広島支店と東松原支店を合わせて、29人の方が即死されたそうじゃ」

「住友銀行の広島支店いうたら、銀行入口の階段に、腰掛けた人の影が残された「人影の石」があったところじゃろ?」

「ほうじゃの。強い光が当たった部分が変質して、強い光が当たらんかった部分が元のまま残ったんよ。それで、強い光が当たらんかった部分、つまり人の影の部分が黒い影のように見えるそうじゃ」

「なるほど…」

「東松原支店は応急修理をして、8月27日から広島支店と合同で営業を開始されたそうじゃ。その後、1948年(昭和23)に広島駅前支店と改称された後、1949年(昭和24)に松原町に移転していったんじゃと」

「その後が衣料品店になったんじゃね」

「1959年(昭和34)に衣料問屋の十和がこの建物を取得した後、1970年(昭和45)に谷口織物(現:谷口)が取得して、呉服屋に改装されたそうじゃ」

「改装いうたら、入口の位置が変わっとったよね」

「それまでの入口を塞(ふさ)いで中央に入口を持ってきて、高い天井を利用して中2階を設けて、屋上を増築されたそうじゃ」

「そういや、イズミの前身となった「山西商店」も広島駅前あたりで商売を始められとってんよね」

「ほうなんよ。写真で見る限り、この建物の北側の方に山西商店があったんじゃ」

「この建物は、いつまで残っとるかね」

「ここは広島駅南口再開発のBブロックになっとって、51階建てと9階建ての2棟の建物が建つということじゃが、今のところはその計画が進みそうな感じじゃないじゃのう」





↓人影の石については、こちら↓

「人影の石」広島平和祈念資料館

「8.6探検隊 (47)熱線で「人が蒸発」本当?」






↓広島駅南口再開発については、こちら↓

「広島駅南口Bブロック市街地再開発事業」広島市





↓猿猴橋町についての関連記事は、こちら↓

旧猿猴橋水管橋





↓イズミについての関連記事は、こちら↓

復興の記憶~広島 戦後の商業史~ 泉美術館





「今日は、広島市南区猿猴橋町にある谷口織物、旧住友銀行東松原支店について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」

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