通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

宇品御幸ビル(旧:中国配電南部変電所) 広島市南区宇品御幸

2011年09月06日 | 広島の話題
「昨日は広島市南区宇品御幸(うじなみゆき)にある神田神社を紹介したんじゃが、神田神社から電車通りに出て北に100メートルくらい行くと、宇品御幸ビルという被爆建物があるんよ」

「ビル? 何に使いよっちゃったん?」

「当時の名称が、中国配電南部変電所。中国配電いうたら、今の中国電力のことじゃ」




宇品御幸ビル(旧:中国配電南部変電所)


「変電所!? どう見ても変電所には見えん建物じゃね」

「戦前から建っとる、ちょいとオシャレなビルです、というても通じるようなデザインじゃのう」

「いつごろ建てられたんかね?」

「1943年(昭和18)2月じゃそうな」

「戦争も終わりころに建てられたんじゃね」

「あのころにしては、きちんとデザインされとる建物じゃと思うで」




説明板


E.R.E.宇品御幸ビル(被爆建物)
(旧中国配電南部変電所)
南区宇品御幸三丁目17番7号(爆心地から3.79キロメートル)

1945(昭和20)年8月6日、原子爆弾の投下により被災しましたが、爆心地から約4キロメートル離れていたことから、鉄筋コンクリート造2階建であるこの建物の被害は、窓ガラスが破損した程度で済み、現在でも往事の姿をとどめています。
この建物は、その後も中国電力(株)宇品変電所として電力の安定供給に貢献し続けてきましたが、1994(平成6)年、新変電所の完成の伴いその用を終え現在に至っています。

株式会社 エネルギア不動産

(説明板より)




「爆心地から離れとったけぇ、窓ガラスが壊れたくらいですんだんじゃね」

「翌日の8月7日には送電を再開して、広島駅前一帯で電気がついたそうじゃ」

「ここでも、広島に電気を送ろうと必死で働いた人がおっちゃったんじゃね」

「半世紀くらいの間、ここは発電所として使われとったんじゃのう」

「ほいで、今は?」

「2008年(平成20)から、1階はイタリア・レストランとして使われとるんじゃ」

「へぇ…。お店の名前は?」

「Sottostazione(ソットスタツィオーネ)」

「イタリア語で、「変電所」という意味じゃん!」

「おぉ、よう知っとるのう」

「へへん! イタリア語は勉強したけぇね。被爆建物が飲食店として使われとるのは、ほかにアンデルセン(旧:帝国銀行広島支店)くらいかね?」

「ほうじゃのう。あんまり思いつかんよのう」

「見た感じ、建物を改造した感じはないね」

「被爆建物の特徴を活かすために、意識してそのまま使われとるそうじゃ」





1階入口

「こうやってみると、ふつうのお店じゃね」




レストラン入口の鍵

「かなりごつそうな鍵が使われとるんじのう」





天井から吊り下げられた滑車

「この滑車で、変電に必要な機械なんかを運びあげちゃったんかね」

「シャッターがあるけぇ、機械の搬入をされたんじゃろうの」




ビルの前の送電線

「鉄骨で作ってあるんじゃね」

「これもむかしからのものが、そのまま使われとるそうじゃ」




ビル裏手





↓宇品御幸ビル(旧:中国配電南部変電所)については、こちら↓

「旧中国配電南部変電所」“ヒロシマ”をさがそう!~市民とつくる被爆地図~




↓中国電力については、こちら↓

中国電力株式会社





↓イタリア・レストラン「Sottostazione(ソットスタツィオーネ)」については、こちら↓

「ソットスタツィオーネ」食べログ





↓アンデルセンについては、こちら↓

「広島アンデルセン」“ヒロシマ”をさがそう!~市民とつくる被爆地図~





↓広島市南区宇品についての関連記事は、こちら↓

神田神社 広島市南区宇品御幸





「今日は、宇品御幸ビル(旧:中国配電南部変電所)について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
コメント
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