「昨日は広島市南区宇品御幸(うじなみゆき)にある神田神社を紹介したんじゃが、神田神社から電車通りに出て北に100メートルくらい行くと、宇品御幸ビルという被爆建物があるんよ」
「ビル? 何に使いよっちゃったん?」
「当時の名称が、中国配電南部変電所。中国配電いうたら、今の中国電力のことじゃ」
宇品御幸ビル(旧:中国配電南部変電所)
「変電所!? どう見ても変電所には見えん建物じゃね」
「戦前から建っとる、ちょいとオシャレなビルです、というても通じるようなデザインじゃのう」
「いつごろ建てられたんかね?」
「1943年(昭和18)2月じゃそうな」
「戦争も終わりころに建てられたんじゃね」
「あのころにしては、きちんとデザインされとる建物じゃと思うで」
説明板
E.R.E.宇品御幸ビル(被爆建物)
(旧中国配電南部変電所)
南区宇品御幸三丁目17番7号(爆心地から3.79キロメートル)
1945(昭和20)年8月6日、原子爆弾の投下により被災しましたが、爆心地から約4キロメートル離れていたことから、鉄筋コンクリート造2階建であるこの建物の被害は、窓ガラスが破損した程度で済み、現在でも往事の姿をとどめています。
この建物は、その後も中国電力(株)宇品変電所として電力の安定供給に貢献し続けてきましたが、1994(平成6)年、新変電所の完成の伴いその用を終え現在に至っています。
株式会社 エネルギア不動産
(説明板より)
「爆心地から離れとったけぇ、窓ガラスが壊れたくらいですんだんじゃね」
「翌日の8月7日には送電を再開して、広島駅前一帯で電気がついたそうじゃ」
「ここでも、広島に電気を送ろうと必死で働いた人がおっちゃったんじゃね」
「半世紀くらいの間、ここは発電所として使われとったんじゃのう」
「ほいで、今は?」
「2008年(平成20)から、1階はイタリア・レストランとして使われとるんじゃ」
「へぇ…。お店の名前は?」
「Sottostazione(ソットスタツィオーネ)」
「イタリア語で、「変電所」という意味じゃん!」
「おぉ、よう知っとるのう」
「へへん! イタリア語は勉強したけぇね。被爆建物が飲食店として使われとるのは、ほかにアンデルセン(旧:帝国銀行広島支店)くらいかね?」
「ほうじゃのう。あんまり思いつかんよのう」
「見た感じ、建物を改造した感じはないね」
「被爆建物の特徴を活かすために、意識してそのまま使われとるそうじゃ」
1階入口
「こうやってみると、ふつうのお店じゃね」
レストラン入口の鍵
「かなりごつそうな鍵が使われとるんじのう」
天井から吊り下げられた滑車
「この滑車で、変電に必要な機械なんかを運びあげちゃったんかね」
「シャッターがあるけぇ、機械の搬入をされたんじゃろうの」
ビルの前の送電線
「鉄骨で作ってあるんじゃね」
「これもむかしからのものが、そのまま使われとるそうじゃ」
ビル裏手
↓宇品御幸ビル(旧:中国配電南部変電所)については、こちら↓
「旧中国配電南部変電所」“ヒロシマ”をさがそう!~市民とつくる被爆地図~
↓中国電力については、こちら↓
中国電力株式会社
↓イタリア・レストラン「Sottostazione(ソットスタツィオーネ)」については、こちら↓
「ソットスタツィオーネ」食べログ
↓アンデルセンについては、こちら↓
「広島アンデルセン」“ヒロシマ”をさがそう!~市民とつくる被爆地図~
↓広島市南区宇品についての関連記事は、こちら↓
神田神社 広島市南区宇品御幸
「今日は、宇品御幸ビル(旧:中国配電南部変電所)について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
「ビル? 何に使いよっちゃったん?」
「当時の名称が、中国配電南部変電所。中国配電いうたら、今の中国電力のことじゃ」
宇品御幸ビル(旧:中国配電南部変電所)
「変電所!? どう見ても変電所には見えん建物じゃね」
「戦前から建っとる、ちょいとオシャレなビルです、というても通じるようなデザインじゃのう」
「いつごろ建てられたんかね?」
「1943年(昭和18)2月じゃそうな」
「戦争も終わりころに建てられたんじゃね」
「あのころにしては、きちんとデザインされとる建物じゃと思うで」
説明板
E.R.E.宇品御幸ビル(被爆建物)
(旧中国配電南部変電所)
南区宇品御幸三丁目17番7号(爆心地から3.79キロメートル)
1945(昭和20)年8月6日、原子爆弾の投下により被災しましたが、爆心地から約4キロメートル離れていたことから、鉄筋コンクリート造2階建であるこの建物の被害は、窓ガラスが破損した程度で済み、現在でも往事の姿をとどめています。
この建物は、その後も中国電力(株)宇品変電所として電力の安定供給に貢献し続けてきましたが、1994(平成6)年、新変電所の完成の伴いその用を終え現在に至っています。
株式会社 エネルギア不動産
(説明板より)
「爆心地から離れとったけぇ、窓ガラスが壊れたくらいですんだんじゃね」
「翌日の8月7日には送電を再開して、広島駅前一帯で電気がついたそうじゃ」
「ここでも、広島に電気を送ろうと必死で働いた人がおっちゃったんじゃね」
「半世紀くらいの間、ここは発電所として使われとったんじゃのう」
「ほいで、今は?」
「2008年(平成20)から、1階はイタリア・レストランとして使われとるんじゃ」
「へぇ…。お店の名前は?」
「Sottostazione(ソットスタツィオーネ)」
「イタリア語で、「変電所」という意味じゃん!」
「おぉ、よう知っとるのう」
「へへん! イタリア語は勉強したけぇね。被爆建物が飲食店として使われとるのは、ほかにアンデルセン(旧:帝国銀行広島支店)くらいかね?」
「ほうじゃのう。あんまり思いつかんよのう」
「見た感じ、建物を改造した感じはないね」
「被爆建物の特徴を活かすために、意識してそのまま使われとるそうじゃ」
1階入口
「こうやってみると、ふつうのお店じゃね」
レストラン入口の鍵
「かなりごつそうな鍵が使われとるんじのう」
天井から吊り下げられた滑車
「この滑車で、変電に必要な機械なんかを運びあげちゃったんかね」
「シャッターがあるけぇ、機械の搬入をされたんじゃろうの」
ビルの前の送電線
「鉄骨で作ってあるんじゃね」
「これもむかしからのものが、そのまま使われとるそうじゃ」
ビル裏手
↓宇品御幸ビル(旧:中国配電南部変電所)については、こちら↓
「旧中国配電南部変電所」“ヒロシマ”をさがそう!~市民とつくる被爆地図~
↓中国電力については、こちら↓
中国電力株式会社
↓イタリア・レストラン「Sottostazione(ソットスタツィオーネ)」については、こちら↓
「ソットスタツィオーネ」食べログ
↓アンデルセンについては、こちら↓
「広島アンデルセン」“ヒロシマ”をさがそう!~市民とつくる被爆地図~
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神田神社 広島市南区宇品御幸
「今日は、宇品御幸ビル(旧:中国配電南部変電所)について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」