通でがんす

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旧猿猴橋水管橋

2011年09月18日 | 広島の話題
「この間、広島市水道資料館に行ったとき、猿猴橋(えんこうばし)の水管橋(すいかんきょう)が飾ってあったんよ」

「あぁ、橋の北側にあったね。あれ、水管橋っていう名前なんじゃ」

「ネットで調べてみたら、水道橋(すいどうきょう)とか、水路橋(すいろきょう)とか言うらしいがの。とにかく、水を送るための橋のことじゃ」



猿猴橋水管橋
(爆心地からの距離 1,810m)

猿猴橋水管橋は、牛田浄水場から宇品へ水道水を送るため、明治30年(1897年)7月に完成し、明治31年(1898年)8月から、主要配水管として使用されてきました。
昭和20年(1945年)8月6日の原子爆弾の爆風にも耐えて、焼け野原となった市内に水を送り届けました。
また、戦後も大型台風で市内に被害が出るなか、大きな被害を受けず、その役割を果たし、不断水を守り続けてきました。

100年以上にわたり活躍してきた水管橋ですが、平成19年(2007年)に老巧化のためその役割を終え、被爆建造物として歴史を後世に伝えるため、その一部をモニュメントとして広島市水道資料館に保存しています。

広島市

(説明板より)



広島市水道資料館に展示してある猿猴橋水管橋



猿猴橋水管橋(奥)と案内板(手前)



猿猴橋の手前(北西)側に水管橋が架かっていた



「あぁ、そうか。猿猴橋のところで水を渡すと、牛田から宇品まで水が送れるんじゃね」

「広島市で最初に架けられた水管橋は、猿猴橋の水管橋と、京橋川(きょうばしがわ)の神田橋(かんだばし)の北西側に架かる水管橋の2つじゃったんじゃと」

「ここを渡すと、広島市内に水を送ることができるね」

「神田橋の方は軍用の水管橋で、広島城内にあった兵営へ送られたそうなんよ。一般市民用の水は、栄橋(さかえばし)の北西側に架かる水管橋で送られたそうじゃ」




栄橋水管橋



同 親柱



「考えてみたら、広島市内には水管橋がたくさん架かっとるよね」

「段原公民館郷土史クラブの『二葉山をめぐる郷土誌』(1990年)という本によると、旧市内だけで水管橋が100近くあるそうじゃ」





↓水道についての関連記事は、こちら↓

広島市水道資料館 広島市東区牛田新町

被爆直後も給水 広島市水道局






「今日は、猿猴橋の北側に架かっていた水管橋について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」

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