通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

キャンディーズとアミューズと広島と

2011年04月25日 | 日記
「今日はキャンディーズのスーちゃんこと、田中好子さんの告別式があったのう」

「テレビのニュースで見よったら、彼女の声でメッセージが流れたんよ。これにはやられたねぇ」



↓スーちゃんのメッセージについては、こちら↓

「スーちゃん肉声メッセージ全文 「幸せな、幸せな人生でした」MSN産経ニュース 2011年4月25日



「東日本大震災の被災者の方を心配して、天国でお役に立ちたいと言われとったよの」

「自分の死を意識しとるときに、他人に対してこれだけの気配りや思いやりができるもんなんじゃね」

「スーちゃんが亡くなった21日は、桑田佳祐や福山雅治のチーム・アミューズ!!のチャリティーソング「Let’s try again」の配信が始まった翌日にあたるんじゃ」

「あの曲はえかったね。うちゃ、ダウンロードしたよ。ほいでも、なんでスーちゃんからアミューズに話が飛ぶん?」

「アミューズを立ち上げた大里洋吉(おおさと ようきち)という方はもともと、渡辺プロでキャンディーズのマネージャーをしよっちゃったんよ」

「あぁ、そういう関係があるんじゃ。それにしても、アミューズって豪華メンバーじゃね。桑田さんの隣に福山さん、上野さんと、NHK大河ドラマの主人公が並んどってじゃけんね」

「アミューズ初期のころからのメンバーいうたら、三宅裕司や富田靖子に、活動休止の爆風スランプなんかがおってじゃの」

「うちゃ知らんかったけど、ポルノグラフィティやPerfume(パフューム)といった広島出身の人もおってんじゃね」

「アミューズ自体が、広島出身の原田真二(はらだ しんじ)を売り出すために作られたんじゃけんの」

「えぇ、ほんま?」



デビュー時の所属事務所アミューズは、現在は大手となっているが、渡辺プロダクションのマネージャーだった大里洋吉(現アミューズ会長)が渡辺プロダクション退社直後に原田を紹介され、原田のために設立したものであった。
アルバム(LP)中心のアーティストのためのプロダクションを経営したいと考えていた大里のところに、原田に最初に接触したバーニングプロダクションとフォーライフが原田のプロモーション・マネジメントを持ちかけた。
「マスメディアを使うにもバーニングでは原田との接点がない、フォーライフではマスメディアとの接点がないということで、ぼくが間に立つことになった」と大里は説明している。

(「原田真二」ウィキペディア)




「1977年(昭和52)の10月、「てぃーんず ぶるーす」でデビューして、翌11月に「キャンディ」、12月に「シャドー・ボクサー」をリリースしてデビューしたのは覚えとるじゃろ?」

「よう覚えとるよね。子ども心に、「男の人が、なんであんな声で歌うんじゃろうか」と思うたもんね」

「さっきも話したように、大里さんはキャンディーズのマネージャーじゃったんよ。大里さんは渡辺プロを退社してアミューズを設立した直後じゃったんじゃが、1978(昭和53)年4月の解散までの半年間、再びプロデューサーとしてキャンディーズに関わっちゃったんよ」

「原田さんは、ほったらかし?」



それで(’78年)4月4日の後楽園球場のさよならコンサートの演出も終わって、僕が原田君のために創ったアミューズに戻ってみたら、彼はしっかり外部の人に「アミューズにいたらキャンディーズみたいなアイドルタレントになっちゃうぞ」と洗脳されてたんです。

(「キャンディーズの解散、原田真二との別れ、そしてサザンオールスターズとの出会い」musicman-NET)




「原田さんはアイドルとして扱われるのは嫌じゃったんじゃろうの。結局はアミューズを辞めて、個人事務所を立ち上げちゃたんじゃ」

「アーティスト志向じゃったけんね。で、アミューズはどうなったん?」

「所属アーチストは、キャンディーズのバッグバンドMMP(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)をやっとったホーン・スペクトラムだけになったんよ。そのころはまだレコードを出しとってんなかったんじゃがの」

「ホーンスペクトラムって、新田一郎の?」

「ほうじゃ。で、原田さんがアミューズを辞めてから2週間後、大里さんはサザンオールスターズに出会ったそうじゃ。ほいでその年の6月に、サザンは「勝手にシンドバッド」でデビューしとってんよ」

「すごい出会いというか、タイミングじゃね」

「アミューズつながりで、サザンの初期の楽曲には新田一郎率いるホーン・スペクトラムが参加されとってんよ」

「あぁ、管編曲に「ホーン・スペクトラム」とか「新田一郎」とか書いてあるよね」

「スペクトラムに「ミーチャンGoing to the Hiokuen」という曲があるんじゃが、そこに出てくるミーチャンが大里さんの娘さんなんじゃ」



↓「ミーチャンGoing to the Hiokuen」については、こちら↓

「Spectrum「ミーチャンGOING THE HOIKUEN」」You Tube



「ん!? この曲はどっかで聞いたことがあるよ?」

「じゃろ? RCCラジオ『あっちゃんのSay春ing(せいしゅんあいえぬじー)』のテーマにも使われとったんじゃ」

「懐かしいね。あっちゃん(西田篤史)は今、RCCテレビで『イブニング・ふぉ~』をやっとってじゃ」

「アミューズと広島の話をしたが、キャンディーズも広島ナタリーのCMをやりよっちゃったしの」

「田中好子さんは、広島の原爆を描いた映画『黒い雨』(1989年)で最優秀主演女優賞をとっとってじゃしね」

「こうやってみると、いろんなつながりがあるよのう」

「いろんなつながりがあるけん、田中さんのように他人に気配りができる人になりたいね」





↓チーム・アミューズ!!「Let’s try again」については、こちら↓

チーム・アミューズ!!



↓「てぃーんず ぶるーす」については、こちら↓

「てぃーんず ぶるーす/原田 真二」You Tube



↓ホーン・スペクトラムについては、こちら↓

「「裕矢のテーマ」新田一郎&ホーンスペクトラム 1977年」You Tube





↓キャンディーズについての関連記事は、こちら↓

「追悼 キャンディーズのスーちゃん」





「今日は、キャンディーズとアミューズと広島と、ということで大里洋吉を中心に話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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ヌルい… (venture)
2011-10-02 22:26:34
こうやってみると、渡辺プロはその強大な権力を利用して、時代を創るまでの芸能路線を築いたけれど、そこから別れたアミューズの方は個性派を気取っているけれど、マニアックでもなく、大衆路線でもなく、ある時代に育った人間(もちろん大里氏)のエゴと自己満足でしかない。
それはビーイングと云う事務所も同じで、ウケるのは一時期だけ。
長髪やら、ヒゲやら、ギターをジャンジャカやってた若者が起業した会社なんて、コアになるものはありませんよ。
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日本。 (venture)
2011-10-03 09:20:24
日本にも良い所はたくさんあるんだけれど、サザンとかユーミンなんか見ていると、完全に洋楽コンプレックスだね。
ジャンルを置き換えてみると、海外の名作でも超大作でもいい。真似しても真似できっこないのに、東宝や東映が同じ路線で映画を作っているのと同じである。
映画を全く見た事がない人間ならビックリするかも知れないが、ある程度以上に映画を見ている人間なら失笑・苦笑モノだ。
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