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頼家の墓 多聞院 広島市南区比治山町

2011年09月20日 | 広島の話題
「昨日、頼山陽(らい さんよう)史跡資料館のことを話したよのう」

「ほうじゃね」

「調べてみたら、頼家の墓が広島市南区比治山町(ひじやまちょう)の多聞院(たもんいん)の境内にあるということなんで、見に行ってきたんじゃ」




多聞院



広島県史跡
頼家之墓(らいけのはか)

指定 昭和15年2月23日
所在地 広島市南区比治山町7-10 多聞院境内

頼家は竹原の出身で、江戸時代後期に『日本外史』を著した頼山陽をはじめ多くの学者が出た学問の家として有名であるとともに、代々広島の教育・文化向上に大きな貢献をしました。
当墓所には、頼一族のうち、頼春水(しゅんすい)・梅■(=風思。ばいし)(山陽の両親)、杏坪(きょうへい)、聿庵(いつあん)、誠軒(せいけん)、古楳(こばい)等、広島で活躍した人々の墓が大小30以上も整然と並んでいます。
中でも春水、梅■(=風思)、聿庵、古楳の墓は、県内でも非常に珍しい円錐体に丸みを持たせたような形をしており、形態的な面でも貴重なものと言えるでしょう。

平成3年10月25日
広島県教育委員会
広島市教育委員会

(案内板より)



頼家の墓 案内板と石柱

(石柱正面)右 頼諸先生之墓
(石柱左側)大正三年六月
(石柱右側)杏坪先生追遠会建之





「ここで、注意をひとつ。「■(=風思)」という字は、「風」偏(へん)に「思」と書いて、「し」と読む文字なんじゃ」

「「旭」という字でたとえると、「九」の部分が「風」で、「日」の部分が「思」になるんじゃね」

「パソコンにない文字なんで、こうやって表現させてもろうとります」




頼春水の墓
(正面上側)春水先生頼君之墓



「頼春水は山陽の父上じゃの」

「頼家は多くの学者が出たそうじゃけど、もとからそんな家柄じゃったんかね?」

「春水の父の惟清(ただすが)は、竹原で紺屋(こんや。染め物屋)をされとったそうじゃ。惟清は子どもたちに学問をさせて、春水と杏坪は広島藩儒(はんじゅ。藩主に仕える儒学者)に、春風(しゅんぷう)は医者になられたんよ。春水、春風、杏坪の3人は「三頼(さんらい)」と呼ばれたそうじゃ」

「春風だけ広島にお墓がないんじゃね」

「春風は父の惟清の後を継いで竹原に帰られたけぇの。墓所は竹原市本町の照蓮寺(しょうれんじ)にあるそうじゃ」

「惟清が子どもたちの教育に力を入れたのは、なんでかね?」

「江戸時代、竹原には塩田があって、それでもうけとったんよ。塩田の経営者たちを中心に文化が生まれ、学問をしようとする空気があったそうじゃ」




頼梅■(=風思)の墓
(正面)春水先生配楳■(=風思)夫人墓



「梅■(=風思)は母上じゃね」

「作家の見延典子(みのべ のりこ)さんが、『すっぽらぽんのぽん ― 頼山陽の母・梅■(=風思) 八十四年の生涯』(南々社)という本を書かれとってんじゃ」

「「すっぽらぽんのぽん」って、すごいタイトルじゃね。常識に凝り固まった人というよりは、自由な生き方をしたような人に感じるよ」

「息子の山陽は脱藩を許された後、京都に行ったんじゃが、梅■(=風思)は山陽に招かれて4回も上方へ行かれたそうじゃ」




頼杏坪の墓
(正面上側)杏坪頼先生之墓



「頼杏坪は山陽の叔父にあたる方じゃね」

「広島藩儒をされた後、1811年(文化8)から、三次(みよし)・恵蘇(えそ)・三上(みかみ)・奴可(ぬか)の代官を、1828年(文政11)から三次町奉行を勤められたそうじゃ」




頼聿庵の墓
(正面)聿菴頼先生之墓



「聿庵は山陽の長男じゃ」

「父親の山陽が脱藩したじゃろ。聿庵はどういう扱いになったんかね?」

「藩の法律に従って、母・淳は山陽と離縁したけぇ、聿庵は祖父の春水に育てられたんよ。ほいで、春水の死後は聿庵が家督を相続し、広島藩の学問所の教授も勤められたそうじゃ」

「能筆家(のうしょか。書道に優れた人)じゃったそうじゃね」

「1849年(嘉永2)、娘に種痘したことでも有名じゃそうな」




頼誠軒の墓
(正面上側)誠軒頼先生之墓



「誠軒は山陽の孫にあたる方じゃ」




頼古楳の墓
(正面上側)古楳頼先生之墓



「古楳は山陽のひ孫にあたる方じゃ」




墓の後ろ側にある円錐



「そういや、山陽の墓はどこにあるんかね?」

「京都市東山区の長楽寺(ちょうらくじ)にあるそうじゃ」

「あぁ、そうか。脱藩の謹慎を解かれた後は、京都に行っとっちゃったんよね」





↓頼惟清については、こちら↓

「県史跡 頼惟清旧宅」きてみんさい竹原




↓頼春風については、こちら↓

「重要文化財 「春風館」頼家住宅 「復古館」頼家住宅」きてみんさい竹原





↓照蓮寺については、こちら↓

「照蓮寺」きてみんさい竹原





↓本『すっぽらぽんのぽん』については、こちら↓

「すっぽらぽんのぽん ― 頼山陽の母・梅■(=風思) 八十四年の生涯」amazon





↓長楽寺については、こちら↓

京都東山 平家物語ゆかりの寺 長楽寺





↓頼山陽についての関連記事は、こちら↓

頼山陽史跡資料館 広島市中区袋町





「今日は、広島市南区比治山町の多聞院にある頼家の墓について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」



■変更履歴
「多門院」は「多聞院」の間違いでした。
お詫びして訂正します。
本文は修正済みです。
(2011年9月28日)


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