「3日後の1月20日、ひろしま男子駅伝(天皇盃 全国都道府県対抗男子駅伝競走大会)があるね」
「おう。今年もゆるキャラの写真を撮ってくるぞ。そういや、今年(第18回大会)から、ユニフォームのデザインが一新されるそうじゃ」
「そこも見どころじゃね」
「ところで、中国駅伝って知っとるかいの?」
「ひろしま男子駅伝の前にあった大会じゃろ? 知っとるけど、見に行ったことはないよ」
中国駅伝(ちゅうごくえきでん)とは、かつて広島県で開催されていた長距離駅伝である。
朝日駅伝、全日本実業団駅伝と並び、日本3大駅伝のひとつであった。
1996年から始まった「ひろしま男子駅伝」の前身の大会とされている。
(「中国駅伝」ウィキペディア)
「中国駅伝は、1931年(昭和6年)から1995年(平成7年)まで、戦争による中断をはさんで、全部で62回行われた大会なんじゃ」
「歴史のある大会じゃったんじゃね」
「歴史があるといえば、今年(2013年)、第89回大会が行われた箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)は、報知新聞社(現:読売新聞社)の主催で1920年(大正9年)から始まったんじゃの」
「へー、新聞社が主催しとったんか。…ということは、中国駅伝も?」
「中国新聞社が主催したんじゃ」
発案したのは、当時の中国新聞記者藤井猪勢治である。
翌年の創刊40周年を控え、この年正月に思いついたという。
(『中国駅伝 25万キロの軌跡』中国新聞社 1995年)
「思いついたはいいけど、実際に駅伝大会を行おうとすると、いろいろクリアせにゃいけんことが多かったじゃろうね」
「今ほど、駅伝やマラソンがメジャーじゃなかったけぇの。頭を悩ませたことのひとつに、優勝チームがどのくらいの時間でゴールするか、ということがあったんじゃ」
「そうじゃね。おおまかな見当だけでもつけとかにゃいけんよ」
「そこで、1928年(昭和3年)のアムステルダム五輪の三段跳びで日本人初の金メダルを獲得した、広島県安芸郡海田市町(現:海田町)出身の織田幹雄(おだ みきお)に相談したところ…」
箱根駅伝で、早大チームは10マイル(約16キロ)を平均57分で走破している
(同上)
「これを基に、優勝タイムを6時間58分と予想したんじゃ」
「中国駅伝って、何キロあったん?」
「1931年2月11日に行われた第1回大会は、福山駅前をスタート、広島市にある中国新聞社前をゴールとする、7区間、73マイル(118.1キロメートル)のコースじゃったんよ」
初期には福山-広島間73マイル駅伝競走と呼んでいた。
中国駅伝の名称は第10回大会からである。
(同上)
「へー、マイルで表示しよったんじゃね」
「今でも、マイルで表示する大会があるよのう」
「第1回大会には、どんなチームが参加しちゃったん?」
「12チームが参加したそうじゃ。ゴールした順に紹介すると…」
1.呉オリンピア
2.広島アスレチック
3.福山師範(1932年廃校)
4.広島一中(現:国泰寺高校)
5.広島連合
6.観音青年
7.広島商
8.西条農
9.尾道中
10.松本商(現:瀬戸内高校)
11.西条郵便局
12.盈進商(現:盈進高校)
「広島連合って、暴走族のようなチーム名じゃね」
「観音青年も、今じゃったら無い名前じゃろうの」
「1位・2位になった、呉オリンピア、広島アスレチックって、どんなチームじゃったんじゃろうか?」
「呉オリンピアは呉海軍工廠を、広島アスレチックは市内の青年団を中心に編成されとったそうじゃ」
大正12年に全呉・全広島の対抗陸上が始まり、両者の対抗意識は強かった。
(同上)
「初期のころは、この2チームが競い合っとったそうじゃ」
「そういや、中国駅伝には、一般・郡市・高校と、3つなかったかいね?」
「第2回大会から、青年団(一般)と学生の2つに分かれた。郡市の部ができたのは、戦後、1954年(昭和29年)の第21回大会からじゃそうな」
「あと、世羅高校の名前がなかったけど…」
「世羅が中国駅伝に初出場したのは、1950年(昭和25年)の第17回大会。学生の部で1位、全体でも3位という記録じゃったそうな。同じ年の年末に行われた第1回高校駅伝で優勝。翌第2回も優勝して、2連覇を果たしとるんじゃの」
↓ひろしま男子駅伝については、こちら↓
天皇盃 第18回 全国都道府県対抗男子駅伝競走大会[ひろしま男子駅伝]
↓ひろしま男子駅伝についての関連記事は、こちら↓
ゆるキャラinひろしま男子駅伝
ゆるキャラinひろしま男子駅伝 2012/その1
「てっぱん」駅伝くん 幻のひろしま男子駅伝
「今日は、ひろしま男子駅伝の前身の大会・中国駅伝について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
「おう。今年もゆるキャラの写真を撮ってくるぞ。そういや、今年(第18回大会)から、ユニフォームのデザインが一新されるそうじゃ」
「そこも見どころじゃね」
「ところで、中国駅伝って知っとるかいの?」
「ひろしま男子駅伝の前にあった大会じゃろ? 知っとるけど、見に行ったことはないよ」
中国駅伝(ちゅうごくえきでん)とは、かつて広島県で開催されていた長距離駅伝である。
朝日駅伝、全日本実業団駅伝と並び、日本3大駅伝のひとつであった。
1996年から始まった「ひろしま男子駅伝」の前身の大会とされている。
(「中国駅伝」ウィキペディア)
「中国駅伝は、1931年(昭和6年)から1995年(平成7年)まで、戦争による中断をはさんで、全部で62回行われた大会なんじゃ」
「歴史のある大会じゃったんじゃね」
「歴史があるといえば、今年(2013年)、第89回大会が行われた箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)は、報知新聞社(現:読売新聞社)の主催で1920年(大正9年)から始まったんじゃの」
「へー、新聞社が主催しとったんか。…ということは、中国駅伝も?」
「中国新聞社が主催したんじゃ」
発案したのは、当時の中国新聞記者藤井猪勢治である。
翌年の創刊40周年を控え、この年正月に思いついたという。
(『中国駅伝 25万キロの軌跡』中国新聞社 1995年)
「思いついたはいいけど、実際に駅伝大会を行おうとすると、いろいろクリアせにゃいけんことが多かったじゃろうね」
「今ほど、駅伝やマラソンがメジャーじゃなかったけぇの。頭を悩ませたことのひとつに、優勝チームがどのくらいの時間でゴールするか、ということがあったんじゃ」
「そうじゃね。おおまかな見当だけでもつけとかにゃいけんよ」
「そこで、1928年(昭和3年)のアムステルダム五輪の三段跳びで日本人初の金メダルを獲得した、広島県安芸郡海田市町(現:海田町)出身の織田幹雄(おだ みきお)に相談したところ…」
箱根駅伝で、早大チームは10マイル(約16キロ)を平均57分で走破している
(同上)
「これを基に、優勝タイムを6時間58分と予想したんじゃ」
「中国駅伝って、何キロあったん?」
「1931年2月11日に行われた第1回大会は、福山駅前をスタート、広島市にある中国新聞社前をゴールとする、7区間、73マイル(118.1キロメートル)のコースじゃったんよ」
初期には福山-広島間73マイル駅伝競走と呼んでいた。
中国駅伝の名称は第10回大会からである。
(同上)
「へー、マイルで表示しよったんじゃね」
「今でも、マイルで表示する大会があるよのう」
「第1回大会には、どんなチームが参加しちゃったん?」
「12チームが参加したそうじゃ。ゴールした順に紹介すると…」
1.呉オリンピア
2.広島アスレチック
3.福山師範(1932年廃校)
4.広島一中(現:国泰寺高校)
5.広島連合
6.観音青年
7.広島商
8.西条農
9.尾道中
10.松本商(現:瀬戸内高校)
11.西条郵便局
12.盈進商(現:盈進高校)
「広島連合って、暴走族のようなチーム名じゃね」
「観音青年も、今じゃったら無い名前じゃろうの」
「1位・2位になった、呉オリンピア、広島アスレチックって、どんなチームじゃったんじゃろうか?」
「呉オリンピアは呉海軍工廠を、広島アスレチックは市内の青年団を中心に編成されとったそうじゃ」
大正12年に全呉・全広島の対抗陸上が始まり、両者の対抗意識は強かった。
(同上)
「初期のころは、この2チームが競い合っとったそうじゃ」
「そういや、中国駅伝には、一般・郡市・高校と、3つなかったかいね?」
「第2回大会から、青年団(一般)と学生の2つに分かれた。郡市の部ができたのは、戦後、1954年(昭和29年)の第21回大会からじゃそうな」
「あと、世羅高校の名前がなかったけど…」
「世羅が中国駅伝に初出場したのは、1950年(昭和25年)の第17回大会。学生の部で1位、全体でも3位という記録じゃったそうな。同じ年の年末に行われた第1回高校駅伝で優勝。翌第2回も優勝して、2連覇を果たしとるんじゃの」
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天皇盃 第18回 全国都道府県対抗男子駅伝競走大会[ひろしま男子駅伝]
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ゆるキャラinひろしま男子駅伝
ゆるキャラinひろしま男子駅伝 2012/その1
「てっぱん」駅伝くん 幻のひろしま男子駅伝
「今日は、ひろしま男子駅伝の前身の大会・中国駅伝について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
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