通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

多聞院 広島市南区比治山町

2011年09月29日 | 広島の話題
「昨日取りあげた興禅寺(こうぜんじ)は、広島新四国八十八ヶ所の第五十三番霊場じゃったんよ。その次の第五十四番霊場にあたるのが、吉祥山遍照寺多聞院(へんじょうじ たもんいん)になるんじゃ」

「多聞院いうたら、頼家のお墓があったお寺じゃね」




多聞院



多聞院 入口




「高倉天皇(たかくらてんのう)が宮島に来られた時、多聞天(たもんてん)の声を聞いて、隠渡(現:呉市音戸町(おんどちょう))にお堂を建てられたのが、多聞院の始まりじゃそうな」

「高倉天皇って誰かいね?」

「後白河(ごしらかわ)天皇の皇子で、母親は平清盛(たいらのきよもり)の妻・時子(ときこ。建春門院(けんしゅんもんいん)とも)の妹・滋子(しげこ)になるんじゃ」

「ということは、清盛から見たら、高倉天皇は甥(おい)にあたるというわけじゃね?」

「ほうじゃの。高倉天皇は1180年(治承4)、宮島を参詣されとるんよ。その6年前の1174年(承安4)には、後白河天皇と建春門院も清盛と宮島に参詣されたそうじゃ」

「天皇がわざわざ宮島に来てお参りするほど、清盛の力が強かったということじゃね」

「時代は下って、天文年間(1532~1555年)。毛利氏の招きで高田郡吉田(現:安芸高田市吉田町)に移ったんよ。その後、広島城築城にともなって、1590年(天正18)には沼田郡新庄村三滝(現:西区三滝本町)に移ったんじゃ」

「興禅寺も、毛利氏について吉田から広島に移って来とったよね」

「最終的には1604年(慶長9)、福島正則によって現在地に移されたそうじゃ」

「で、原爆が投下されたんよね」



多聞院(爆心地から約1.75キロメートル)

原爆の爆風により瓦が全部落下した多聞院本堂には、1945(昭和20)年8月6日夕刻、倒壊・全焼した県庁に替わり県防空本部が置かれました。
翌日、県庁は東警察署に移りましたが、同院は救援物資の受付や、比治山に逃げてきた多数の被爆者などに握り飯の配給を行いました。
爆風で梁を破損した鐘楼は、現在もそのまま保存されています。

(説明板より)




「原爆によって、多聞院の本堂と庫裡(くり)が大破し、山門は倒壊したんよ。ほいじゃが、鐘楼だけは屋根と天井の破損ですんだそうじゃ」

「多聞院のすぐ上にある山陽文徳殿は、広島市の戸籍選挙課分室になっとって、市役所から戸籍簿の大部分が移されとったよね」

「多聞院は県庁の緊急避難先に指定されとったんじゃ。ほいじゃけぇ、8月6日の夕方には県防空本部(県庁)が置かれたんよ。ここから内務省への報告と、救護班の出勤命令がされたそうじゃ」

「あのころ、県庁はどこにあったんかいね?」

「水主町(かこまち。現:加古町)、今の広島厚生年金会館やアステールプラザがあるあたりじゃの」

「県庁の爆心地からの距離は?」

「約1キロ。翌7日に県庁は東警察署に移ったんじゃが、多聞院では救援物資の受付や、握り飯の配給の手配などが行わたそうじゃ」

「東警察署って、どこにあったん?」

「下柳町(しもやなぎちょう。現:銀山町(かなやまちょう))にあったんじゃ。広島銀行の下柳支店(現:広島銀行銀山支店)の建物を借りとられたんよ。東警察署は今、富士見町(ふじみちょう)にあるがの」

「今ある場所とは違うけぇ、場所を整理するのが大変じゃね」



この鐘楼は昭和廿年(一九四五年)八月六日、こゝから約一.七粁北西方向の上空で、巨大な火の玉となった原子爆弾によって破壊されたそのまゝの姿である。
鐘は昭和廿四年八月に死没者二十万人の慰霊と恒久平和を祈念するため再鋳開眼された。
毎朝被爆の時刻午前八時十五分を期して撞き鳴らしている。
鐘には焼けたゞれた広島市の上空に現れた観音菩薩像お護りして下さる弘法大師像、平和を祈る漢詩文、梵字光明真言、ノーモアヒロシマズの英文等が刻画されている。
広島市が平成十年五月被爆の證として永久保存建造物に指定し同年十一月広島市市民局国際平和推進室の援助協力を得て基礎補強工事が施された。

融照記

(説明板より)



多聞院の鐘楼と説明板(手前)



同上 梁



同上 鐘




「多聞院の鐘楼は、奇跡的に倒壊を免れとるんじゃ」

「この鐘楼は、いつごろ建てられたんかね?」

「1934年(昭和9)に建てられたんよ。鐘は、戦時中に金属供出されとったけぇ、原爆が投下された時はなかったんよ」

「今ある鐘は戦後に作られたんじゃね」

「1949年(昭和24)に作られて、観音菩薩像や弘法大師像、”No More Hiroshimas”と刻まれとるんじゃ。ほいで、毎朝8時15分と、朝夕6時に鐘が鳴らされとるんじゃと」




四国と西国の霊場のお砂浄土

このお砂浄土は四国八十八ヶ所と西国三十三所霊場のお砂をいただいて、弘法大師のおみ足をきざんだ蓮華の下に奉安したものです。
このお浄土を踏んで一心にお念佛すれば、各霊場をおまいりしたと同じ浄行が達せられるのです。


佛足石

この佛足石は釈尊の遊行説法(転法輪)をあらわし、この佛足跡を見るものは無始以来の罪業を離れ、障難にもあわずと経典に説かれています。
又足を丈夫にするという信仰からも厚く礼拝されて来ました。

(説明板より)



四国と西国の霊場のお砂浄土と佛足石




「足を丈夫にする…か、行ってみんといけんね」

「毎日1万歩、歩くためか?」

「ダイエットするためじゃけぇね」




毘沙門天本堂



「これは1997年(平成9)に再建されたそうじゃ。ほかにも、こんな物があるんよ」




楠公追慕の五輪塔




鳥魚供養碑






↓多聞院については、こちら↓

「多聞院 鐘楼」“ヒロシマ”をさがそう!~市民とつくる被爆地図~





↓多聞院についての関連記事は、こちら↓

頼家の墓 多聞院 広島市南区比治山町

頼山陽文徳殿 広島市南区比治山町






「今日は、広島市南区比治山町にある多聞院について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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