明治維新後
日本の近代化が始まる
生活様式も変革し
都市も西洋風へと変貌
交通網も整備されてゆく
日本海側の都市で最初に鉄道網が整備されたのは敦賀
日本において鉄道事業が開始されたのは
明治維新の翌年
鉄道ファンならだれでも知っている
新橋-横浜間
日本海側へ線路が敷設された場所は
というと
ここ、敦賀が最初である
そして
明治45年からは
新橋-敦賀間の列車が走り
敦賀港からは連絡船でウラジオストクへ
そして
シベリア鉄道を経由して
パリまで
欧亜国際連絡列車が走っていた
日本海に面した
小さな都市であるが
鉄道との繋がりは深い
当時は、金ヶ崎駅
この鉄道資料館は当時とは全く違う位置に
つるがきらめきみなと博21の一環として建築されたが
建物は
往年の姿を留めているという
日本の近代化が始まる
生活様式も変革し
都市も西洋風へと変貌
交通網も整備されてゆく
日本海側の都市で最初に鉄道網が整備されたのは敦賀
日本において鉄道事業が開始されたのは
明治維新の翌年
鉄道ファンならだれでも知っている
新橋-横浜間
日本海側へ線路が敷設された場所は
というと
ここ、敦賀が最初である
そして
明治45年からは
新橋-敦賀間の列車が走り
敦賀港からは連絡船でウラジオストクへ
そして
シベリア鉄道を経由して
パリまで
欧亜国際連絡列車が走っていた
日本海に面した
小さな都市であるが
鉄道との繋がりは深い
当時は、金ヶ崎駅
この鉄道資料館は当時とは全く違う位置に
つるがきらめきみなと博21の一環として建築されたが
建物は
往年の姿を留めているという
大量運搬が可能という立地上のメリットもあり
古くから知られた場所でした
昔には朝鮮半島から多くの人が敦賀周辺を起点として
~平安時代、国内に入り込んでます(かなりの人数です)
近代になってはヨーロッパへの玄関だったわけですが
現在はその機能も失われてます
車などで街へのアクセス道を走ってみると解るのですが
とにかく山地です
南も北東方面も
西も南西も
山に囲まれてます
それでも
ここまで路線を敷設するほど
重要な土地柄だったという訳ですね
敦賀は大切な漁港でした
今では北海道へのフェリー港として知られる程度ですけどね
歴史に埋もれた過去の事象
掘り下げて探ってみるのが
今一番の楽しみです
街の半分が湾口施設というイメージの街ですが
かつては日本とヨーロッパとの間の玄関都市でした
列車関連の展示はそれほど多くなく
建物も復元
でも
無料の施設なんです
旅行は一大事業だった
なんてことの片鱗を味あわせてもらえる展示がありました
海路は容易で危険
それが当時の常識
反面、ロシア経由の陸路は
安全性が高い
という事もあり
今では忘れ去られた街ですが
ここがヨーロッパとの玄関だったわけです
そう考えれば,この街は太平洋側と日本海側との距離がわりと近くて便利ではありますね。
の玄関口になりますよね。
私事になりますが、ここから何度、新日本海フェリー
で北海道へ渡ったことか^^
そして、こちらは日本海への玄関口、ということは
明治時代にあってはいち早くここまで鉄道が延ば
されていたのですね。色々と知らない歴史がある
ものです^^
そんな歴史がありましたか。
鉄道マニアにとって、
重要な場所なんですね。
以前、ちょっとだけ立ち寄りましたが、
ちっちゃな町ですよね。
100年以上前にはパリへ行くのに
何時間何日かかったのでしょうか。
思いを過去にめぐらさせてくれるところですね。