大正時代
公許の娼家が集まる遊廓があった
名古屋で遊郭といえば
百花と呼ばれた私娼で
大須の北野新地が有名だった
北野新地は長く繁盛したが
名古屋の町の発展と共に風紀上の問題が取り沙汰されるようになり
当時は僻地だった愛知郡中村へ移転
自然と発展した遊郭ではなく
計画的に造られた町だったため
上空から見下ろすと
町は碁盤の目のようになっており
郭の周囲には一間の堀が巡らされ
外から郭が覗けない構造になっている
そんな遊郭のすぐ南にあるのが
この横丁
かつては遊郭を訪れた者たちが
行きに帰りに一杯を楽しんだ場所
中村遊郭と同じく
役目を終えた町の風景がそこにはあった
公許の娼家が集まる遊廓があった
名古屋で遊郭といえば
百花と呼ばれた私娼で
大須の北野新地が有名だった
北野新地は長く繁盛したが
名古屋の町の発展と共に風紀上の問題が取り沙汰されるようになり
当時は僻地だった愛知郡中村へ移転
自然と発展した遊郭ではなく
計画的に造られた町だったため
上空から見下ろすと
町は碁盤の目のようになっており
郭の周囲には一間の堀が巡らされ
外から郭が覗けない構造になっている
そんな遊郭のすぐ南にあるのが
この横丁
かつては遊郭を訪れた者たちが
行きに帰りに一杯を楽しんだ場所
中村遊郭と同じく
役目を終えた町の風景がそこにはあった
今も、夜のお店は営業していそうですね。
さすが100メートル道路を築いた名古屋、
遊郭も計画的な配置でしたか。
最初に駅西から大門あたりは危ないから
近づかないほうが良いと教えられたことを思い出しました。
当時まだ夜は人が多く集まる場所だったようで
この市場もそこそこ繁盛していたのでしょうね。
今は見る影もありません。
こんなところによく訪ねてくださいました。
昔大阪に住んでた頃、やり手ばあさんの誘いに
のって後輩と遊んだ事が懐かしいです
大阪の生野区今里の親戚の家に遊びに行く時
遊郭街を通りすがっていました
どの遊郭もオープンになっていて中を覗き込むことが出来ました。一番の思い出は浴衣のお姐さんが階段を上ってく姿が見え足首がちらりと見えたのが色っぽくて今だに覚えています
あんまり遊郭ってのはわからないですが,もうちょっと早く生まれてたら実感できたのかもしれませんね。^^;
上空から見ると亀甲型の区割りです
はっきりと今でも塀で囲われていたことが判ります
横丁
ほとんど終わった姿をしていました
中村方面は危なかったんですね
名古屋駅からこちらまで歩いたのですが
街の雰囲気が何処となく危険に感じました
冬の休暇で名古屋を歩いてみました
でも、大阪では今でも現役の新地が数箇所残っています
一番有名なのが飛田で次が松島
どちらの新地も今でも現役で数十件の店が営業中です
そして仰るように覗き放題
撮影だけは絶対してはいけないですけどね
たとえば中書島
たとえば橋本
大阪には今でも現役の新地があります
halさんがよく歩かれる場所の近くなら飛田が有名
通過するだけならなんの危険もありません