のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は、埼玉県は川越市、川越大師として有名な「喜多院(きたいん)」です。
人がいっぱいでしたよ。
さっすがに人気施設でしたねー。
特に「五百羅漢」はぼーっと眺めるだけでも楽しいと思います。
ほかにも、この周辺には古い街並みや川越城址、お子様向けの菓子屋横丁など、ぶらり観光には楽しいところでした。
時代は天長七年(830)、平安時代。
淳和天皇の勅命により、「慈覚大師」こと「円仁(えんにん)」によって創建されました。
なお、お手の起源にはもう1つ。
伝説では、仙波(せんば)あたりの海水を「仙芳仙人(せんぽう・せんにん)」という方が法力によって取り除き、仏像を安置したのだとか。
なんでわざわざ海水取り除いちゃったのか知りませんが、そんなんもあるみたい。
ともかく「円仁」はここに本尊「阿弥陀如来」ほか「不動明王」、「毘沙門天」などをを祀り、「無量寿寺」を建立したのでした。
その後、元久二年(1205)は鎌倉時代のこと。
こちらが兵火によって焼失してしまうと、永仁四年(1296)に「伏見天皇」の勅命によって「尊海」僧正が再興。
この際に「慈恵大師」を祀り、五十石を持つ関東・天台衆の中心とされました。
さらに正安三年(1301)では、「後伏見天皇」が東国五百八十もの寺を支配下とする本山に指定したのです。
現在の山号である「星野山」は、その数代後の「後奈良天皇」が与えています。
(※後伏見:九十三代~後奈良:百五代)
長く天皇家と繋がっていたんですね。
なお、戦国時代にも兵火によって焼失しております。
天文六年(1537)で「上杉朝定」・「北条氏綱」の争いは、川越城奪取の時みたい。
(※ちなみに「川越城夜戦」は天文十四年(1545年)のこと)
慶長四年(1599)には「徳川家康」の側近として有名な「天海」が住職となり、寺号を「喜多院」としています。
この結びつきによって川越藩主となった「酒井忠利」に再興を命じ、寺領は五百石に増加。
さらに「徳川家綱」の時代には二百石を追加されるなどその庇護を受け、大寺院となったのでした。
お寺も凄いですが、「喜多院」でのメインはやっぱり「五百羅漢」
”日本三大羅漢”だそうです。
他には鎌倉「建長寺」、大分「耶馬渓羅漢寺」、栃木「徳蔵寺」…ってあれ?
そっちは”日本三大羅漢寺”なのかな。
まぁいいか。
川越北田島の志誠(しじょう)の発願によって、約五十年ほどで作られたようです。
(※天明二年(1782)から文政八年(1825)の間)
これが表情豊かで、見て回るだけでも面白いので必見。
石仏なので写真も撮り放題ですし。
中央には「釈迦如来」、「文殊菩薩」、「普賢菩薩」もおり、なかなか豪華。
全部で五百三十八体あるそうでした。
なお、深夜に羅漢像の頭をなでると、一つだけ必ず温かいものがあるそうです。
それは…亡くなった親の顔に似ている…というような言い伝えが残っていました。
ちとおっかないですね。
お寺には他に「春日局化粧の間」などの重要文化財も多く、「慈眼堂」や最古(寛永十五年)の建造物「山門」など、広い境内で色々と楽しめると思います。
[住所]
川越大師「喜多院」 埼玉県川越市小仙波町1-20-1
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⇒ 日本三大奇襲戦の一つ「河越城夜戦」 [前 中 後]
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※歴史的施設も多く、なかなか面白い土地です。
都内からも近いのでふらりと遊びに行くにも最適。
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人がいっぱいでしたよ。
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特に「五百羅漢」はぼーっと眺めるだけでも楽しいと思います。
ほかにも、この周辺には古い街並みや川越城址、お子様向けの菓子屋横丁など、ぶらり観光には楽しいところでした。
時代は天長七年(830)、平安時代。
淳和天皇の勅命により、「慈覚大師」こと「円仁(えんにん)」によって創建されました。
なお、お手の起源にはもう1つ。
伝説では、仙波(せんば)あたりの海水を「仙芳仙人(せんぽう・せんにん)」という方が法力によって取り除き、仏像を安置したのだとか。
なんでわざわざ海水取り除いちゃったのか知りませんが、そんなんもあるみたい。
ともかく「円仁」はここに本尊「阿弥陀如来」ほか「不動明王」、「毘沙門天」などをを祀り、「無量寿寺」を建立したのでした。
その後、元久二年(1205)は鎌倉時代のこと。
こちらが兵火によって焼失してしまうと、永仁四年(1296)に「伏見天皇」の勅命によって「尊海」僧正が再興。
この際に「慈恵大師」を祀り、五十石を持つ関東・天台衆の中心とされました。
さらに正安三年(1301)では、「後伏見天皇」が東国五百八十もの寺を支配下とする本山に指定したのです。
現在の山号である「星野山」は、その数代後の「後奈良天皇」が与えています。
(※後伏見:九十三代~後奈良:百五代)
長く天皇家と繋がっていたんですね。
なお、戦国時代にも兵火によって焼失しております。
天文六年(1537)で「上杉朝定」・「北条氏綱」の争いは、川越城奪取の時みたい。
(※ちなみに「川越城夜戦」は天文十四年(1545年)のこと)
慶長四年(1599)には「徳川家康」の側近として有名な「天海」が住職となり、寺号を「喜多院」としています。
この結びつきによって川越藩主となった「酒井忠利」に再興を命じ、寺領は五百石に増加。
さらに「徳川家綱」の時代には二百石を追加されるなどその庇護を受け、大寺院となったのでした。
お寺も凄いですが、「喜多院」でのメインはやっぱり「五百羅漢」
”日本三大羅漢”だそうです。
他には鎌倉「建長寺」、大分「耶馬渓羅漢寺」、栃木「徳蔵寺」…ってあれ?
そっちは”日本三大羅漢寺”なのかな。
まぁいいか。
川越北田島の志誠(しじょう)の発願によって、約五十年ほどで作られたようです。
(※天明二年(1782)から文政八年(1825)の間)
これが表情豊かで、見て回るだけでも面白いので必見。
石仏なので写真も撮り放題ですし。
中央には「釈迦如来」、「文殊菩薩」、「普賢菩薩」もおり、なかなか豪華。
全部で五百三十八体あるそうでした。
なお、深夜に羅漢像の頭をなでると、一つだけ必ず温かいものがあるそうです。
それは…亡くなった親の顔に似ている…というような言い伝えが残っていました。
ちとおっかないですね。
お寺には他に「春日局化粧の間」などの重要文化財も多く、「慈眼堂」や最古(寛永十五年)の建造物「山門」など、広い境内で色々と楽しめると思います。
[住所]
川越大師「喜多院」 埼玉県川越市小仙波町1-20-1
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都内からも近いのでふらりと遊びに行くにも最適。