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結論は一つしかない

2020-01-09 | ニュース

 アメリカとイランの紛争や、ゴーン被告の欧米向けの記者会見と大きなニュースがありました。それらのニュースは今後の動向の方がより大きくなりそうなので、まずは3年半前に起きた障碍者19名殺害犯の初公判が行われたことについて書いてみたいと思います。

 被告が19人を殺害した事やそこに至るまでの客観的な事実については、被告側はすべて認めています。その上で弁護側は、犯行当時に措置入院歴があったことや大麻を使用した上で犯行に及んでいる事から責任能力がなかったとして無罪を主張しています。この裁判の争点は、とにかく責任能力の有無以外にはない。死刑か無罪か、どちらかの結論しかない極端な裁判だ。

 「意思疎通が出来ない障碍者は不幸を生み出すのでいらないし金の無駄だ」というネットでの狂人の書き込みみたいな事を本気で信じ込み、わざわざ捕縛した職員に確認しながら意思疎通の出来ない障碍者を殺害している。最後は片っ端から障碍者を殺害して警察に出頭している。

 これだけでも十分に計画的だが、衆院議長に狂信的な手紙を出して精神病で措置入院をして直前には大麻を使用するなど、責任能力を争うような事をわざわざやっている節もあり、犯行全体が極めてち密に計画されて行われたようにも見える。裁判でも突然暴れ出して退廷するということで、責任能力に疑問を持たせるような態度を続けている。

 この裁判のニュースを見ていて感じたのが、オウムの教祖の裁判だった。彼もまともに裁判には向き合おうとはしなかった。それでも判決は死刑であり、刑の執行も行われた。犯罪の結果があまりにも大きすぎると、なかなかに責任能力がないとは言えないというのもあったのだろう。今回の裁判でも恐らくは同様の経過を辿っていくに違いない。

 日本の司法は前例主義であるとともに、ある程度は民意を酌む。そして、司法とはある意味では復讐が出来ない被害者や遺族に代わって犯人に報復するという意味合いもあると私は思っている。そういう意味からも、今回の裁判は死刑以外の結論はないのではないだろうか。逆に一般人を3人殺害して死刑で、障碍者を19人殺して無期懲役ということになったなら、その方が司法に信頼できなくなると思う。

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