2回に分けて、オウムによる大量殺人の実行犯たちの死刑が執行されました。こういう法律がある以上それを執行するのが法治国家だと思うのですが、死刑反対の声や欧米からの批判、そしてまたぞろ法務大臣や安倍内閣批判に結び付ける声へとエスカレートしていくいつもの流れになっていきました。
私は死刑に犯罪抑止力は大いにあると思いますし、被害者の処罰感情とそれに対する日本の歴史的背景を考えても日本に死刑制度はあっていいと考えています。冤罪は論外として、どういうケースで死刑判決を出すのか、それが時代や世論によって基準が動いていいのかという面にこそ議論を尽くしていくべきではないかなと思います。
とまあ、理屈を書いてきましたが、この死刑批判報道で感じる違和感の理由をよくよく考えてみると私には一つの所に行き着きました。それは、事件報道から裁判・判決に至るまではやたら被害者目線で処罰感情を前面に出した報道をしていながら、いざ刑の執行となると法務大臣が殺すみたいな風潮に180°違う報道をしているからというものです。
犯罪がある種のイベント化して、盛り上がっている時には煽りに煽ってエスカレートさせていき、いざ祭りの後で誰かが責任を持たされた時にはその責任を持たされたものを批判する。日本人の一番良くない面が露わになっていると私は感じています。
昨今では報道のワイドショー化が顕著ですが、そういう面でもますますこの手の「盛り上がっている時には煽りに煽ってエスカレートさせていく」というのが更にエスカレートしていきそう。そういうのが戦争への道なんじゃないかと思うのです。





