28日に政府主催で初めて「主権回復の日」式典が行われた。この主権回復の日は、昭和27年に第二次大戦の講和条約であるサンフランシスコ講和条約が発効し、日本の独立が回復した日です。
いわば本当の意味の独立記念日といえる日なのですが、その報道は日本という国が占領下から独立したという意義を報じるよりは、沖縄で「屈辱の日」だとして大勢の人が反対している様子を大きく報道していました。何故「屈辱の日」と言うのかというと、日本本土が沖縄を見放して独立したからだとニュースで伝えています。
ちょっと待ってよと違和感が広がっていく。沖縄を見捨てるもなにも、当時は朝鮮戦争真っ只中、地理的にも最重要地域だったので米軍統治が続けられたもの。占領下の日本に、それを拒否できるはずもないと思う。それを見放したとは言い掛かり。それに、この屈辱とは日本に見放された屈辱ではなくて、切り離されてアメリカ統治にされた屈辱というように本土復帰の頃に言われていたはずでは。
この「屈辱」を声高に言い出したのは、今年から安部首相が政府式典を始めたからなのだろう。しかし、講和条約発効の日こそが本来は現在の日本国が独立した日であり、ほとんどの国と講和して平和日本が独立国となった日。今まで正式な式典が無かった事の方が驚きな気がします。
確かに、沖縄の人が持つ本土の人への複雑な思いというのはあるそうです。本土の人に沖縄の事は分からないとか、沖縄の事を本土に決められることに反発する気持ちがあるというのは、基地問題には関係無くあるということでした。(もっとも、四国ですら橋で繋がるまでは薄っすらですがそういう気分はあったのですから、そういうものなのかもしれません。) そういう気分があるにしても、だからといって殊更ああいう主張を声高に叫ぶことには正直違和感を感じます。
ただ、集会の様子を見ていても、いつもの旗や幟に埋め尽くされて・・・な様子。まるで日米安保かどこかの国の反日集会みたいになってましたが、あそこまで一般市民が必死で反対しているとも見えません。
安保の頃も、当時のニュース映像では日本中が騒然としていた印象ですが、都会の一部左翼活動家や大学でそういう活動を熱心にやっていた人がいたという事。安保闘争も、一般市民的には「毎日の生活でそれどころではない」とか、「アメリカに負けたんだから仕方が無い」とか「軍隊が無いんだからアメリカに守ってもらうしかない」というような感じの現実的で冷静な考え方が主流だったそう。(あとは無関心) 沖縄も騒いでいるのはマスコミだけで、一般市民は冷静で現実的な方が主流なのではないでしょうか。





