映画「最強のふたり」をまた見た。最初のパトカーの追跡を振り切ろうとする、アース・ウィンド&ファイアー 「セプテンバー」のオープニングから軽快な映画です。 粗筋らしい粗筋は特になく、大金持ちだが事故で首から下がマヒした男性と、世話係となった移民である黒人が過ごした日々というもの。2人のやりとりで最後まで見せてしまう。
実話に基づいているというのもあって普通ならお涙頂戴の映画になるのですが、この映画はシリアスなはずなのにむしろコメディのようなユーモラスな印象すら受けます。何故そうなるのかといえば、必ずしも道徳的でなく、この2人が本音を語っているからでではないでしょうか。
車いすの雇い主に「立たないで」と言ったりとか、脚の感覚がないので熱いコーヒーをかけて遊んでみたり。娘の躾で「車いすで轢くぞ」と言ってみたり。前衛的な絵画が41500ユーロもすると、自分で前衛っぽい絵を描いて嘘で11000万ユーロで売りつけたりとか、車いすの雇い主に「どうせ動かない」と言ってみたり、オペラが変だとか拷問だとか。文通相手からの返事を置いて「おやすみ」と去ろうとしたり。そんなブラックユーモアなお互いのやりとりが楽しい。この2人は煙草だってスパスパ吸う。
主人公は映画の中でこう語る。「私に同情していない証拠だよ。どこから来て過去に何をしたかなんて、僕にはどうでもいいことだよ。」 彼は同情されることに耐えられなかったのだ。
黒人の世話係が事情で辞めて、新しく世話係になった人は真面目で煙草もやらない。しかし、そんな日々の全てが主人は気に入らない。結局、今度は友人として会いに来た彼と外出したのが冒頭の場面につながっていく。彼と再び会うことで主人公もまた本来に自分を取り戻す。
最近は差別的表現やハラスメントが細かくて厳しい世の中になっている。煙草にしたって止めるのが当たり前で正義だ。それらが正しい事は分かっている。しかし、あまりにも細かく制限されると抑圧された気分になるのも確かではないだろうか。
身障者と移民の黒人の主人公たちだから、言っても問題にならない台詞たち。この映画を見て感じるある意味での清々しさは、単に人種を超えた友情というのに加えて、「正しさ」に縛られている我々に少しだけの自由を見せてくれているのもあるに違いない。