今朝TVを見ていたら芸能コーナーで、人気バンドの「アジアン・カンフー・ジェネレーション」が、ある学校の卒業式で記念ライブをやったことを紹介していた。その中で、あるメンバーがこんな事を言っていた。「勉強する事は、無駄じゃないかという疑問を持っている人へ。確かに学校で勉強した事(sin、cos等)は社会で役に立たないけれども、大学へいったことでメンバーと出会える事ができた。だから、勉強は無駄じゃないんだ。」
私なんかは、これを聴いてまず「なんて、薄っぺらい奴らなんや。」と思いました。
「勉強して役に立ったのは、たったそれだけかよ。本当にそれだけだったら、勉強は時間の無駄だったよな。別にバンドのメンバーと出会うだけだったら、高い学費を親に出させて大学行く必要ないだろう。」
しかしTVの中のアナウンサーは感心しきりで、中学生たちも一見納得しているようです。先の調査で、日本の学生の「向学心」が他国が7割超であったのに対して3割ほどしか無かったのも頷けます。そりゃそうでしょう、必死で勉強したって「社会で役に立たなくて」「バンドのメンバーと出会えた」ぐらいの役にしか立たないのならば・・・。
私の子供も、「何でこんな勉強するの、因数分解なんて社会出てから使わへんやん。」と聞いてきた事がありました。その時に私はこう答えました。「確かに、因数分解は直接的には役に立たんなあ。でもそんなこと言うんやったら、富士山が日本一高い山やっていう事も役に立たへんのと違うか。」「でも本当に、実際に使う事だけしか知らんかったら、まともに意思疎通でけへんし会話もつまらんで。」「それに一見無駄に見えるけどなあ、そういう無駄な知識が知性やとか品格とかを作っていくんや。それは大事な事なんやで。」「因数分解かて直接には使わんけど、その問題を解くときのものの考え方は社会に出たときに役に立つんやで。」
わが子は、なんだか「また理屈っぽいこと言い出した。」みたいな顔をしていましたが、「富士山が、日本一高い山やっていう事も役に立たへんのと違うか。」というところに納得したのか「それもそうやなあ。」と言っていました。
私の意見が絶対的に正しいとまでは言うつもりはありませんが、「私は勉強する事が、無駄なんてことは無い。」ということは確信しています。