前回のエントリでも触れたが、昨日の日曜日に「ドラえもん のび太と緑の巨人伝」を観に行ってきた。
とりあえず、今回の映画の感想を一言で表すと、「これはひどい」。これしか言いようがない。
「のび太の南海大冒険」以降、F先生亡き後のドラえもん映画には設定の破綻や平坦な展開など不満を覚える点が多かったが、今回はそれどころではない。特に後半は何が起こっているのかさっぱりわからず、それ故にスタッフがこの映画で何を描きたいのか、全く理解できなかった。
「ドラえもん」としてどうこう言う前に、物語としてまともに成立していない作品だと思う。
さすがにこれだけでは根拠のない中傷になりかねないので、もう少し突っ込んで述べてみる(よって、以下ネタバレ有り。ご注意下さい)。
まず、本作の一番の問題点は、全体として一つの物語の体をなしていないところだ。前半の、原作短編「さらばキー坊」を元にした部分から、植物星に行くまでの顛末、王女リーレや「森の民」との交流、地球人絶滅計画、「緑の巨人」の出現、そして植物星との和解と、部分部分では印象的な演出もあったし、特に後半は迫力のある映像も多く観られた。
しかし、その部分部分で続けて観るとストーリーが進行しておらず、たとえば王女リーレの性格一つをとってみても、前半の議会に臨む前には地球進行に対してやる気のない態度だったのに、のび太やキー坊と交流した後の方が好戦的に見えてしまうような不可解な描き方をされており、心の動きが理解できない。
他にも、
・「植物自動化液」が多すぎたのは意味があったのか
・なぜ「緑の巨人」復活にキー坊が必要なのか
・そもそもあれは「巨人」ではなく「巨木」にしか見えない
・タンマウオッチでどうして地球だけ時が止まるのか
・戦争後の廃墟は時系列的にいつの植物星なのか
・結局どこまでが長老の力によるものだったのか
・都会の植物の態度が描写不足で「森の民」との違いがよくわからない
・後半、植物星にいるのか地球にいるのか場面転換が把握できない
・緑の葉っぱのようなアイテムは結局何だったのか
・いきなり不思議パワーでお花畑が生まれるのはどうなっているか
と、思いつくままに疑問点を挙げていっても、きりがない。本作は明らかにSFではないし、だからといって「ファンタジー」の一言で済ませるには意味不明な点が多すぎる。
あげくのはてに、唐突に「宇宙は愛に満ちている」の言葉で締めくくられてしまい「何でいきなり「愛」に話が飛ぶんだ?」と、あっけにとられた。まだ「緑を大切にしよう」なら流れとしてわかるのだが、「愛」の描写は取って付けたように終盤に登場するのみで、話を終わらせるために無理に持ち出してきたとしか思えない。その直前に描かれたお花畑映像と合わせて、悪い意味で宗教がかった感じで気持ちの悪い終わり方だった。
「話が意味不明」という点では、個人的にドラえもん映画の中でワースト1だ。
さらに言えば、本作は「ドラえもん」である必然性すらない作品になってしまっている。
いつもの5人のうち、のび太以外の4人は植物星に行ってからは完全に空気化しており、ドラえもんすらどうでもいい存在だった。本作のドラえもんは、「植物自動化液」を出した時点で役割を終えているのだ。
前半で、大部分の道具を修理のためドラミに預ける描写があったので、これを「道具封じ」の設定として後半では少ない道具で知恵を絞る展開になるのだろうと予想していたが、後半ではドラえもんが活躍する場面は、ほとんどなかった。
これなら、「ドラえもん」と関係のないキャラに差しかえて、キー坊は何か不思議な力で動けるようになった木の子供という設定でも話は成り立つ。「ドラえもん」を観たくて劇場に足を運んだのに、こんな作品を見せられても困ってしまう。
ただ、最初の方で少し書いたが、部分部分の演出には、いいと思った場面はあった。
相変わらず渡辺監督は細かい日常の描写は上手く、のび太とキー坊の交流は原作短編をなぞっているせいもあってか、落ち着いて観る事が出来た。また、好みははっきり分かれるだろうが、動きの面白さにこだわって演出できる人だと改めて思わされた。
本作の出来を見てから考えると、渡辺監督はストーリーの組立が苦手なようなので、しっかりした原作のある作品か、さもなければしっかり脚本が練られた完全オリジナル作品で勝負した方がいいのだろう。本作のような、短編を膨らませた半オリジナル作品には向いていない。「ドラえもん」のキャラを使って「ドラえもん」で無い映画を作るくらいなら、ご自分のオリジナル企画で勝負して欲しいと思う。
そう言えば、今回も芸能人出演者が多かったが、前作ほどには気にならなかった。各人が演じるキャラとイメージがかけ離れてはいなかったし、キー坊以外は全てオリジナルキャラで思い入れがないので前作のように声でキャラのイメージが壊される事もなく、その点では不快にはならなかった。
むしろ、芸能人よりも森の民で多数出演していた子供の声の方が耳障りだった。てっきりテレビで発表された二人だけだと思っていたら、やたらと多くてびっくりした。
と、言う訳で、今回は非常に厳しい事を書いてしまったが、これでも下書き段階と比べるとかなりソフトな表現に書き直している。それほど、私にとって今回の映画はひどい作品だったのだ。今後、これを下回る作品が出てこない事を祈りたい。
最後のおまけ映像によると、来年は「のび太の宇宙開拓史」リメイクになるようだが、個人的に原作も映画も一番好きな作品なだけに、今から非常に不安だ。ロップルやクレムに下手な芸能人が声をあてて欲しくはない。とにかく、今年よりはマシな出来であってほしいものだ。
とりあえず、今回の映画の感想を一言で表すと、「これはひどい」。これしか言いようがない。
「のび太の南海大冒険」以降、F先生亡き後のドラえもん映画には設定の破綻や平坦な展開など不満を覚える点が多かったが、今回はそれどころではない。特に後半は何が起こっているのかさっぱりわからず、それ故にスタッフがこの映画で何を描きたいのか、全く理解できなかった。
「ドラえもん」としてどうこう言う前に、物語としてまともに成立していない作品だと思う。
さすがにこれだけでは根拠のない中傷になりかねないので、もう少し突っ込んで述べてみる(よって、以下ネタバレ有り。ご注意下さい)。
まず、本作の一番の問題点は、全体として一つの物語の体をなしていないところだ。前半の、原作短編「さらばキー坊」を元にした部分から、植物星に行くまでの顛末、王女リーレや「森の民」との交流、地球人絶滅計画、「緑の巨人」の出現、そして植物星との和解と、部分部分では印象的な演出もあったし、特に後半は迫力のある映像も多く観られた。
しかし、その部分部分で続けて観るとストーリーが進行しておらず、たとえば王女リーレの性格一つをとってみても、前半の議会に臨む前には地球進行に対してやる気のない態度だったのに、のび太やキー坊と交流した後の方が好戦的に見えてしまうような不可解な描き方をされており、心の動きが理解できない。
他にも、
・「植物自動化液」が多すぎたのは意味があったのか
・なぜ「緑の巨人」復活にキー坊が必要なのか
・そもそもあれは「巨人」ではなく「巨木」にしか見えない
・タンマウオッチでどうして地球だけ時が止まるのか
・戦争後の廃墟は時系列的にいつの植物星なのか
・結局どこまでが長老の力によるものだったのか
・都会の植物の態度が描写不足で「森の民」との違いがよくわからない
・後半、植物星にいるのか地球にいるのか場面転換が把握できない
・緑の葉っぱのようなアイテムは結局何だったのか
・いきなり不思議パワーでお花畑が生まれるのはどうなっているか
と、思いつくままに疑問点を挙げていっても、きりがない。本作は明らかにSFではないし、だからといって「ファンタジー」の一言で済ませるには意味不明な点が多すぎる。
あげくのはてに、唐突に「宇宙は愛に満ちている」の言葉で締めくくられてしまい「何でいきなり「愛」に話が飛ぶんだ?」と、あっけにとられた。まだ「緑を大切にしよう」なら流れとしてわかるのだが、「愛」の描写は取って付けたように終盤に登場するのみで、話を終わらせるために無理に持ち出してきたとしか思えない。その直前に描かれたお花畑映像と合わせて、悪い意味で宗教がかった感じで気持ちの悪い終わり方だった。
「話が意味不明」という点では、個人的にドラえもん映画の中でワースト1だ。
さらに言えば、本作は「ドラえもん」である必然性すらない作品になってしまっている。
いつもの5人のうち、のび太以外の4人は植物星に行ってからは完全に空気化しており、ドラえもんすらどうでもいい存在だった。本作のドラえもんは、「植物自動化液」を出した時点で役割を終えているのだ。
前半で、大部分の道具を修理のためドラミに預ける描写があったので、これを「道具封じ」の設定として後半では少ない道具で知恵を絞る展開になるのだろうと予想していたが、後半ではドラえもんが活躍する場面は、ほとんどなかった。
これなら、「ドラえもん」と関係のないキャラに差しかえて、キー坊は何か不思議な力で動けるようになった木の子供という設定でも話は成り立つ。「ドラえもん」を観たくて劇場に足を運んだのに、こんな作品を見せられても困ってしまう。
ただ、最初の方で少し書いたが、部分部分の演出には、いいと思った場面はあった。
相変わらず渡辺監督は細かい日常の描写は上手く、のび太とキー坊の交流は原作短編をなぞっているせいもあってか、落ち着いて観る事が出来た。また、好みははっきり分かれるだろうが、動きの面白さにこだわって演出できる人だと改めて思わされた。
本作の出来を見てから考えると、渡辺監督はストーリーの組立が苦手なようなので、しっかりした原作のある作品か、さもなければしっかり脚本が練られた完全オリジナル作品で勝負した方がいいのだろう。本作のような、短編を膨らませた半オリジナル作品には向いていない。「ドラえもん」のキャラを使って「ドラえもん」で無い映画を作るくらいなら、ご自分のオリジナル企画で勝負して欲しいと思う。
そう言えば、今回も芸能人出演者が多かったが、前作ほどには気にならなかった。各人が演じるキャラとイメージがかけ離れてはいなかったし、キー坊以外は全てオリジナルキャラで思い入れがないので前作のように声でキャラのイメージが壊される事もなく、その点では不快にはならなかった。
むしろ、芸能人よりも森の民で多数出演していた子供の声の方が耳障りだった。てっきりテレビで発表された二人だけだと思っていたら、やたらと多くてびっくりした。
と、言う訳で、今回は非常に厳しい事を書いてしまったが、これでも下書き段階と比べるとかなりソフトな表現に書き直している。それほど、私にとって今回の映画はひどい作品だったのだ。今後、これを下回る作品が出てこない事を祈りたい。
最後のおまけ映像によると、来年は「のび太の宇宙開拓史」リメイクになるようだが、個人的に原作も映画も一番好きな作品なだけに、今から非常に不安だ。ロップルやクレムに下手な芸能人が声をあてて欲しくはない。とにかく、今年よりはマシな出来であってほしいものだ。