ゲゲゲの鬼太郎[第5作] #54「吸血鬼エリート」感想

・ゲゲゲの鬼太郎[第5作] 第54話「吸血鬼エリート」
(脚本/成田良美、演出/角銅博之、作画監督/伊藤智子)


 今回は、とうとうOPで2番の歌詞が流れた。40年の歴史を持つアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」史上で始めての事で、実にめでたい。1番と3番を歌える人は多いだろうが、2番はテレビサイズでは常に飛ばされてきただけに、今回初めて聴いたと言う人も結構いるのではないだろうか。
 それにしても、最近はおばけでなくても「会社も仕事もなんにもない」人も増えており、歌詞がシャレにならなくなってきている気がする。3番はともかく、1番と2番の歌詞はニートにもそのまま通用してしまい、その反面、第5作ではねこ娘をはじめとして妖怪ががんばって働いているのだから、世の中も変わったものだ。


 さて、今回は「吸血鬼エリート」。この前「墓場鬼太郎」で原型の「霧の中のジョニー」をやったばかりの上、今回は予告の段階で「吸血鬼エリート ジョニー」と紹介されており、同じ題材を使った「墓場」と「ゲゲゲ」の競作になるのかと思いきや、脚本・演出は「墓場」の主要スタッフだった。
 放映時期に一ヶ月半のズレがあるとは言え、制作時期はある程度重なっていたと想像できるから、現場のスタッフに混乱はなかったのか、などと余計な事が気になってしまう。

 今回の特色として、まず第一に「吸血鬼エリート」こと、霧の中のジョニーの髪型が衝撃的だった。
 「墓場」と差別化するにはビジュアル面から変えなければ、と考えたのだろうか。今回のジョニーは整髪料で頭を固めまくったみたいで、何があったのかと突っ込みたくなった。
 ジョニーの声は「墓場」の江原正士ではなく、石田太郎が担当。重みのある渋い声がかっこいいだけに、あの髪型との落差が激しかった。髪が少しでもなびいてくれれば、印象は違っただろうに。

 ストーリー面では、鬼太郎が溶かされる展開をしっかり押さえてくれたのはよかった。骨が残らないのはお子様への配慮かも知れないが、全部溶けている方がかえって怖いような気もする。
 その後、恐山の妖怪病院へ鬼太郎の液体を持って行き、後半に鬼太郎とジョニーの対決となる展開は、アニメ第1作とほぼ同じ流れだ。原作では目玉親父とねずみ男がエリートを倒して、その後鬼太郎を妖怪病院に運んで再生させて終わるが、さすがにアニメで主人公の鬼太郎を活躍させないわけには行かないから、どうしても途中に恐山行きの場面を入れる事になるのだろう。
 今回は、その恐山での治療風景が始めて描かれていたが、妖怪医者のオソレがいい味を出していた。治療費に一億円要求するあたりは、ブラック・ジャックみたいだが、かと思えば魚でもOKだというのも面白い。また、久々に鈴木清信の声が聞けたのも嬉しかった。恐山行きは原作でも度々登場する展開なので、今後アニメでオソレにも再登場を期待したい。

 そして、肝心の戦闘シーンだが、ここは少し物足りない感じがした。
 ジョニーが体内電気も髪の毛針も通じない強敵だと言う事はしっかり描写されていたが、一つ一つの攻防の場面が短くて、何となくダイジェスト版を見ているような気になってしまった。
 せっかくの今までにない強敵との戦いなのだから、このエピソードは前後編の2話を使ってもよかったと思う。実際、第1作では前後編でほぼ原作の展開を描ききっているのだし、今回は原作ネタ+第5作独自要素で構成されているのだから、なおさら尺を長く取るべきだった。全11話の「墓場」と違って「ゲゲゲ」なら、その気になれば2話使えたのではないだろうか。
 最後、ジョニーが「ころりぽん」(薬の名前だとは驚きだ)で溶かされてしまう展開は読めなかった。しっかりとどめをさしており、このオチはよかった。
 展開の早さに不満はあるが、鬼太郎の仲間たちも戦いに協力して、きちんと「ゲゲゲ」らしいエリートの話になっていたので、悪くはないと思う。


 なお、念のために書いておくと、名前が「吸血鬼エリート」でなく「霧の中のジョニー」だという設定は、別にアニメ独自の解釈ではない。原作でも「千人吸血プラン」の表紙にしっかり「霧の中のジョニー」と書かれている。だから、今回の「ジョニー」登場は、より原作に突っ込んだ結果と言える。
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墓場鬼太郎 #11「アホな男」(最終話)感想

・墓場鬼太郎 第11話「アホな男」
(脚本/成田良美、演出/地岡公俊、作画監督/山室直儀)


 かなり遅くなってしまったが、「墓場鬼太郎」最終話感想&シリーズまとめを書いておく。

 最終話は「アホな男」。これほど最終話らしくないサブタイトルも珍しい。原作タイトルは「-怪奇オリンピック- アホな男」だが、「怪奇オリンピック」を取ってしまったせいで、余計に間の抜けた感じがする。


 本話では、例によって原作を省略したりアレンジした部分は色々とあったが、1話完結としてよくまとめられていた。第1話と同様に「売血」描写はテレビアニメではNGだったようだが、ねずみ男の作る毛はえ薬の成分としてヒゲを入れる事で血の代わりにしたのは上手いアレンジだった。
 映像面では、怪奇オリンピックの部分は本作独特の色遣いによって、幻想的かつ毒々しさもある絶妙な絵となっていたし、OPでも登場していた「千年に一度歩く鳥」も、いい味を出していた。この怪奇オリンピック部分だけでも、アニメ化した意味はあったと思う。

 気になったのは、頻繁に使われた、辞典をイメージした感じのカットの挿入だ。
 「永世丸」など作品に関わるキーワードの説明としては、とぼけた感じで面白い効果を上げていたと思うが、特に説明の必要が無さそうな食べ物にまで使ったのは、少々くどく感じた。
 あと、「単霊生物」「複霊生物」の解説がなかったのは残念だった。あの胡散臭くももっともらしい説明が、水木作品の味の一つだと思うのだが、アニメでの長ゼリフは避けられる傾向にあるので、もったいなく思う。


 さて、ここからはシリーズ全体としての感想。
 最終的に全11話を観終わってから振り返ると、一つのテレビアニメシリーズとして、よく練られた構成になっていたと思う。
 原作の貸本は何度も出版社を変えて描き続けられただけに、作品ごとに鬼太郎や目玉親父、ねずみ男などの性格に結構ブレがあるが、アニメ版では鬼太郎は寝子さんだけは特別扱いで、人間はどうでもいい「見ていて面白い」だけの存在と考えている事がはっきりしていたし(その最たるものは、第6話で水木を見捨てる場面だろう)、ねずみ男も初登場の第2話から既に、夜叉とドラキュラ四世の対決を見物する場面などが描かれることで、怪奇研究家としてしっかり位置づけられていた。
 また、鬼太郎とねずみ男の付かず離れずの関係も適度に描かれており、それは最終話のラストシーンに象徴されていると言えるだろう。

 シリーズ構成に言及するならば、最終話に「アホな男」を持ってきた点に、特に注目したい。
 本作はシリーズ全話を通して非常に多くの死人が出ていたが、最後の最後に、現実の人間世界よりも実は死後の世界の方が暮らしやすくて楽しい所だったと言うオチの話で締めた事で、それまでのエピソードで死んだ人達も、案外楽しい死人生活を送っているのではないかと想像する余地が出来て、ある意味最高のハッピーエンドになったと言えよう。だからこそ、本来最終エピソードではないこの話を最終話にしたのだろう。なかなか面白い趣向だ。
 もっとも、寝子さんが暮らしていた世界と、怪奇オリンピックが開かれていた世界が同じ所なのかどうかは、正直言ってよくわからないのだが。


 ともかく、スタッフが原作をきちんと理解した上でアニメならではの映像・アレンジも上手く盛り込んでいる事が伝わってくる出来で、「アニメ化されてよかった」と言える作品だった。
 個人的には、第2話の超ダイジェスト展開だけは今でも納得できないのだが、本作は全11話で、1クール深夜アニメの中でも話数の少ない方だったので、これに関しては諦めるしかないか。せめて、DVD版ではもう少しエピソードが追加されていればいいのだが。
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ゲゲゲの鬼太郎[第5作] #52「恐怖!夜道怪」感想

・ゲゲゲの鬼太郎[第5作] 第52話「恐怖!夜道怪」
(脚本/三条 陸、演出/貝澤幸男、作画監督/藪本陽輔)

 今回より鬼太郎第5作も、2年目に突入した。最近「ゲゲゲ」の感想は書いていなかったが、新シリーズ突入の感想もかねて、ここで取り上げておきたい。


 さて、2年目に入ったと言っても、100話を越す長期シリーズとなった第3作・第4作の両方にリアルタイムで付き合ってきたせいか、「鬼太郎」は最低でも2年は放送して当然の作品と考えるようになってしまっており、2年目があるとはっきりした時も「やっぱり」くらいにしか思わなかった。それに、昨年秋以降の展開は、明らかに一年でケリが付く構成にはなっておらず、第39話「ぬらりひょん最期の日」で、ぬらりひょんの逃亡が成功した時点で、当分決着は付きませんと言っていたのも同然だろう。
 しかし、今年も変わらず日曜朝に「鬼太郎」を観る事が出来るのは、素直に嬉しい。12月に劇場版の公開が決まっているので、少なくとも来年3月まで1年間の継続は間違いないだろうが、「その後」があるかどうか、気になるところだ。第4作のように「3年目か?」と思ったら2年と1クールで終了する場合もあるので、とりあえずファンとしては放映を観ていくしかない。



 前置きが長くなったが、今回は第52話と言うよりは第2シーズン第1話として作られている印象を受けた。実際、公式ブログにもそのような記述がある。
 妖怪横丁の住人達の紹介がいつもより丁寧だったし、小学生の男の子の周囲で暗躍する妖怪と言う話の構図は、一年前に観た第1話「妖怪の棲む町」を想起させられる。

 そして、今回登場した妖怪は「夜道怪」。先週、次回予告でその容貌を観て、年寄り臭い声を勝手に想像していたら、中田譲治の渋い声で喋っており意表を突かれた。このキャスティングは予想外だ。
 この妖怪の特殊能力は闇を操ることだが、闇=影は少しの光さえあればどこにでも出来るだけに、厄介な相手だと言える。今回は2年目の第1話という特別な回だからか、久しぶりにシリーズディレクターの貝澤氏が直接演出を手がけていたが、第4作の「ギターの戦慄!夜叉」でも印象的だった「闇」の描写は健在で、「引きずり込まれる」という言い方がぴったりな夜道怪の攻撃が、様々なアングルからいかにも怖そうに描かれていた。

 それに対する鬼太郎達の攻撃は、なぜかねずみ男の「屁」。
 これが、日曜朝9時の時間帯によく放送できたものだ。原作ほどではないものの汚く描かれたねずみ男の尻や、鼻を必死におさえて屁を吸わないようにする鬼太郎の描写が妙にリアルで、観ていて臭いにおいがただよっているような気分になった。食事中の人は困ったのではないだろうか。
 しかも、別に夜道怪の能力に対抗してねずみ男の屁を持ってきた訳ではなく、単に強力な武器になるからと言うだけの理由なのが笑える。さすがに、毎回これをやられたら困るが、前半が怖く描かれていただけに、戦闘シーンのこれらの描写で上手くメリハリがついたように感じた。

 鬼太郎をはじめとして、ねずみ男など妖怪横丁のメンバーを話に絡めながら紹介しつつ、アバンタイトルで鬼太郎が強調していた「妖怪の怖さ」を存分に見せていたエピソードであり、「鬼太郎」の新たなスタートとしてふさわしかったと思う。


 また、今回よりOPとEDも新曲に変更された。
 OPは当然、歌は今まで通り「ゲゲゲの鬼太郎」だが、歌手が「ザ50回転ズ」に変わり、3パターンのOPが用意される形式となった。今回はさっそく「夜は墓場で運動会」の3番が登場しており、この分だと近いうちに2番の「昼はのんびりお散歩だ」が聞けそうで、非常に楽しみだ。テレビサイズで2番の歌詞が使われるのは、これがはじめてになる。
 OPのアレンジも悪くない。第4作の憂歌団バージョンOPにも言えるが、「鬼太郎ファン」を公言する人達がOPを担当すると、熊倉一雄が歌った初代OPの特徴的なイントロを自分流で再現しようとする傾向がある。今回も、さあどう来るかと聞いていたらロック調であのイントロが聞こえてきたので、嬉しくなった。
 新OPアニメは先代OP以上に様々な妖怪が登場して、非常に賑やかになった。まだ本編に出てきていない中国妖怪チーが結構目立っているので、いずれ強敵として姿を現すのだろう。また、妖怪チンポらしきシルエットが見られるのも気になる。まさかこいつまで「妖怪トムポ」とかに名前を変えられたらどうしよう。
 ただ、「ゲゲゲの鬼太郎」とタイトルの出る場面は、これまでで一番「狭っ苦しさ」を感じてしまった。あのレイアウトは明らかに16:9画面優先で作っているとしか思えず、地上波アナログのサイドカット4:3画面で見ると無理に画面内に押し込めたようにに見える。こんなに無理するなら「墓場鬼太郎」のようにレターボックスにしてしまえばいいのに。

 EDは、「鬼太郎」史上初の純然たるタイアップソング。
 悪い曲だとは思わないが、妖怪アニメのEDとしては爽やかすぎる感じで、どうも聞いていて落ち着かない。それでも、EDアニメで人間と共存する妖怪達がいい感じなので、個人的にはギリギリ番組のEDとして許容できる範囲だ。
 しかし、どうせEDを変えるなら、そろそろ満を持して「カランコロンの歌」登場!といってほしかった。OPと同様にザ50回転ズに歌わせたら、面白い「カランコロン」になったのではないだろうか。


 あと、自分とは直接の関係はない話だが、第52話より岡山放送・テレビ新広島の2局が同時ネットに移行した。昨年の放映開始時にこの枠を同時ネット化したのが東海テレビ一局だった事を考えると、大きな進歩だ。
 その一方、不可解なのが関西テレビで、枠移動はしたが日曜9時-9時28分と中途半端な枠で一週遅れ。視聴しやすい枠になったのはいいが、わざわざ28分枠で遅れさせる意図がわからない。番組表を見ると9時56分から「こどものうた」なるミニ番組が入っているが、どうしてもこの枠でやる必要があるのだろうか。昔、テレビ愛知で中部電力が提供していた「ちびっこ展」のように、よほど強力なスポンサーでも付いているのか。ともかく、理解しがたい編成だ。
 また、テレビ愛媛も日曜9時枠になったものの、2週遅れの放送。こちらはフジテレビと同じく9時30分までの枠になっているだけに、尚更もったいなく感じる。せっかくだから追いつけばよかったのに。

 ともかく、同時ネット局も増えて、今後ますます勢いを増した作品になる事を期待したい。
 次回はあの白山坊先生が再登場する。「墓場鬼太郎」終了直後に大塚周夫氏の軽妙な喋りがまた聞けるとは、非常に楽しみだ。



追記
 テレビ愛媛の放送について文章を修正しました。

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墓場鬼太郎 #10「ブリガドーン」感想

・墓場鬼太郎 第10話「ブリガドーン」
(脚本/堤 泰之、絵コンテ/佐藤順一、演出/羽多野浩平、作画監督/袴田裕二・窪 秀巳)


 原作は「ボクは新入生」。「ゲゲゲの鬼太郎」の「朧車」の原型となった作品だ。

 「ゲゲゲ」アニメ版では、第3作の劇場版「激突!!異次元妖怪の大反乱」が最も有名だろう。カロリーヌちゃんとねずみ男の物語は感動的だったが、後から原作のカロリーヌちゃんを見て、感動よりもっと大きな衝撃を受けてしまった。
 その点、本話のカロリーヌちゃんはきちんと原作に忠実なデザインで登場しているので、初見の人もそんなショックを受ける心配は無さそうだ。


 さて、今回は漫画家「水木しげる」先生とその一家の描写に特に注目していたのだが、こちらは正直なところ、それほどパッとしなかった印象だ。原作は、(登場人物の)水木先生が主役と言っていい物語だが、今回のアニメ版ではあくまで登場人物の一人として扱われている感じだった。
 それでも、「人だまプロパン」「お化けタイムス」の勧誘など、原作で好きなネタは入っていたのは嬉しかった。できれば、「まるでアルキメデスのような人だなア」も入れて欲しかった。水木先生役は島田敏だったが、気弱そうな感じがなかなかよかった。

 そして、今回一番印象的だったのは、怪気象=ブリガドーンの描写だった。
 怪しげな雲、それをとりまく周囲の状況、そして雲の中のいわゆる「白日夢の世界」と呼ばれるお化けの町など全てが実に念入りに描かれており、日常が変質して現れた異世界の不気味さを味わう事が出来た。アニメ「鬼太郎」で、ここまで原作寄りの「ブリガドーン」の描写にこだわったのは初めてではないだろうか。さすがに、サブタイトルに「ブリガドーン」を持ってきているだけの事はある。

 ブリガドーンを調べるために呼ばれた千里眼の僧は、トムポ。うーむ、馴染んだ名前と違うので、違和感がある。やはり、テレビアニメで人名に「チンポ」はまずいのか。こうなったら、ディレクターズカット版となるDVDに期待するか。できれば、「チンポ」「トムポ」両バージョンの収録を希望する。
 なお、トムポは京極夏彦が演じると聞いていたので、「言霊使いの罠!」の一刻堂のイメージで想像していたのだが、それとはがらっと違い、重々しい感じの発声でちゃんと高僧らしく聞こえており、感心した。他にトムポ関連では、雲の内部を解説するだけで去っていく役立たずっぷりが、去った後の一同の「ぽかーん」とした場面で強調されていて面白かった。

 今回も、尺の関係からか色々と省略された部分はあったが、ブリガドーンの描写は見応えがあったし、他にも原作の面白い部分がいくつも映像化されており、楽しめた。「ゲゲゲ」第4作以来、久々に佐藤順一が「鬼太郎」に参加した点も嬉しい。今度は、「ゲゲゲ」の方にも登場して欲しいものだ。


 とうとう、次回は最終回。これまで東海テレビはフジテレビ、関西テレビに続く三番手で放映してきたが、関西テレビは3月25日の放映が休止なので、最終話のみ東海テレビが二番手になる。どっちにしても、フジテレビではもう最終話まで放映が終わっているのだが。
 なお、後番組「図書館戦争」でも、東海テレビが二番手を維持する予定になっている。
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墓場鬼太郎 #09「霧の中の ジョニー」感想

・墓場鬼太郎 第9話「霧の中の ジョニー」
(脚本/長谷川圭一、絵コンテ・演出/うえだひでひと、作画監督/岡 辰也)


 今回は「「霧の中のジョニー」初のアニメ化」と言うよりは、アニメ版「吸血鬼エリート」(「ゲゲゲの鬼太郎」第1作・15~16話)の素直なリメイクという印象を受けた。

 原作の描かれた年代を考えると順番が逆なのだが、私自身は原作もアニメも「吸血鬼エリート」を先に観ているので、どうしても「エリート」の印象が強いのだ。特に、アニメ版「ゲゲゲ」第1作の「吸血鬼エリート」は、昨年に初めて観たところなので、まだ頭に強く残っている。
 なお、「ゲゲゲ」第4作でも「吸血鬼エリート!」としてエリートの話がアニメ化されているが、こちらは大幅にアレンジされて原作とは異なる展開になっており、少なくとも私は原作版「エリート」や「霧の中のジョニー」と混同する事はない。


 とは言え、今回は「墓場鬼太郎」の1エピソードとして作られているので、さすがに単なる「吸血鬼エリート」の引き写しには終わっていない。「墓場」ならではの描写を楽しむ事が出来た。
 特に、体を溶かされて骨になった鬼太郎の描写は、特にインパクトが強かった。ジョニーのギターに合わせて鬼太郎のしゃれこうべと壺が踊る場面は、不気味な中にも滑稽なところがあり、なるほどこれが「モノノケダンス」なのかと、今更ながらOP主題歌に納得してしまった。
 ちなみに、「ゲゲゲ」第1作では、しゃれこうべの役割はゲタに置き換えられている。前話のリモコン手にも言える事だが、アニメ版「ゲゲゲ」では鬼太郎の象徴としてゲタが重宝されていたようだ。

 また、今回は鬼太郎がライスカレーをたべている場面が妙に印象に残った。
 「墓場」独特の色遣いと相まって、あのライスカレーは微妙にまずそうに見えてしまうのだが、だからこそ鬼太郎が美味そうにたべている様子が面白い。
 そう言えば、後半で目玉親父がくみ取り式便所に捨てられていたが、あそこに溜まっていた「もの」も同じような色だった。こちらは、しっかり汚く見えてリアルさが感じられた。


 それにしても、「ゲゲゲ」の方で印象的だった「コロリポン」や「けんかはよせ。腹がへるぞ」などのセリフが「ジョニー」の方で既にあり、それを「ゲゲゲ」第1作のトリオがまた演じているのだから面白い。
 ただ、今回は霧の中のジョニーのキャラクターが、期待していたほど強烈ではなかったのが、ちょっと残念だ。1話完結なので描き込めなかった面もあるのかも知れないが、原作からの印象と比べると、思ったよりおとなしい感じがした。声の江原正士氏は好演していたと思うのだが。
 そう言えば、前話の茶風林に続いて、今回は西村知道がゲストで首相役として出ていた。この人も、「ゲゲゲ」に百々爺役で出たばかり。やはり、両作品のアフレコはまとめて行われているのだろうか。


 さて、次回は「ブリガドーン」。EDでの予告映像を見る限り、カロリーヌは原作準拠の顔で登場するようだ。
 「水木しげる」一家の描写が非常に楽しみなエピソードだ。はたして、水木先生役は誰が演じるのだろうか。
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墓場鬼太郎 #08「怪奇一番勝負」感想

・墓場鬼太郎 第8話「怪奇一番勝負」
(脚本/堤 泰之、演出/角銅博之、作画監督/窪 秀巳・袴田祐二)


 前回同様に、1話完結で上手くまとめられていたと思う。
 そして、今回はようやく原作と同じサブタイトルが使われた。やはり、これが一番しっくり来る。なぜ、これまでは原作と違う題にしていたのか不思議だ。


 今回は、アニメで鬼太郎の「リモコン手」がしっかり描かれていた点が良かった。
 「墓場」時代にはまだ「リモコン手」という呼び名は出てこないが、「ゲゲゲの鬼太郎」にも受け継がれる鬼太郎の有名な身体能力の一つだ。にもかかわらず、これまでの「ゲゲゲ」アニメ版では第2作の「ダイダラボッチ」を除いて、テレビで鬼太郎の手が動くところはほとんど観られなかった。「手首だけが動き回る」という描写がまずかったのか、ゲタなどの無難な描写に置き換えられていたのだ。
 まあ、今回描かれたリモコン手の描写を観ると、子供向けの「ゲゲゲ」ではまずいだろうと言うこれまでのスタッフの判断は間違ってはいないと思った。今回は特にスタッフに気合いが入っていたのか、手の造形も動きも非常にリアルに描かれており、動いている様が実に不気味だった。よくここまでやってくれたものだと、観ていて嬉しくなってしまった。
 あと、細かい描き込みと言えば、案内人の描写も気持ち悪くてよかった。スネ毛がしっかり描かれているところが、ポイントが高い。

 それにしても、改めてこの話を観てみると、人間が鬼太郎達に家を乗っ取られた上に殺されてしまうのだから、実に理不尽な事だ。鬼太郎が地下の霊をなぐさめていると言っても、金丸達には関係のない話だろう。
 鬼太郎は、人間にとっては、ただただ不気味な存在だと言う事があらためて描かれており、前話までの水神に怯えている姿と見比べると同一人物(?)とは思えないが、それが面白い。
 作品の成立事情から考えると、「顔の中の敵」で三洋社版が終わって、「怪奇一番勝負」で再び兎月書房からの刊行になったので、ここから先は1話完結の新シリーズとなっており、そのため鬼太郎も水神の件は全く引きずっていないのだが、続けてアニメで見ると、いい意味で鬼太郎の多面性が描き出されていると思う。


 今回のゲスト声優には、「ゲゲゲ」でバックベアード役を演じている柴田秀勝が金丸役で登場。貫禄たっぷりのベアードとは全く異なる、情けなく怯えている演技が面白かった。
 また、案内人役の茶風林と、前話にガマ令嬢役で出た川浪葉子は「ゲゲゲ」の第43話にピーとモンローとして出ていたが、二作品同時に録音しているのだろうか。両作品に出ている田の中氏が高齢なので、まとめて録っていても不思議ではない。
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墓場鬼太郎 #07「人狼と幽霊列車」感想

・墓場鬼太郎 第7話「人狼と幽霊列車」
(脚本/成田良美、演出/芝田浩樹、作画監督/大西陽一)


 本話は、「顔の中の敵」が概ね原作に忠実にアニメ化されていた。これなら、サブタイトルも素直に「顔の中の敵」でよかったのではないだろうか。ミステリアスな感じで、いい題だと思うのだが。


 今回注目していたのは、ニセ鬼太郎の最期と幽霊列車の描写だったが、どちらも「いい感じ」だった。
 ニセ鬼太郎はちゃんとコーヒーであっさり溶けており、鬼太郎も一瞬驚きはするが引きずって悲しんだりはしない。寝子さんの時とはえらい違いだ。水木を見捨てた件といい、今回といい、アニメ版で寝子さんだけは鬼太郎にとって特別な存在として別格扱いにされている事がよくわかる。
 ニセ鬼太郎は可哀想だが、「とけたっ」の一言で片付けられた原作と比べたら、溶ける場面が描かれただけアニメ版の方が扱いはよかったのではないだろうか。
 鬼太郎の態度に関しては、むしろ水神に対する怯えっぷりが念入りに描かれていて、「素で弱い鬼太郎」が新鮮だった。結局、水神は人狼が始末する訳だが、前話の感想で触れた「ゲゲゲ」第2作の「地獄の水」でも鬼太郎がほぼ同じ方法で水神を倒しており、いずれにしても鬼太郎の霊力だけでは敵わない相手なのだろう。

 Bパートは、人狼とねずみ男のコンビが面白く、本話限りなのがもったいなく感じてしまった。
 この二人が「幽霊列車」に乗る展開は、言うまでもなく「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な「ゆうれい電車」の原型。現在放映中の「ゲゲゲ」第5作で「ゆうれい電車 あの世行き」が放映されてから一年も経っていないので、事情を知らない人が観たら、混乱したのではないだろうか。
 「ゲゲゲ」の方の「ゆうれい電車」は「怖いエピソード」だと認識しているのだが、逆に「顔の中の敵」は人狼とねずみ男の恐がり方が面白く、滑稽なエピソードだと思っている。今回のアニメ版も観ていてニヤニヤしてしまった。特に、駅弁を食べるねずみ男と人狼のやりとりが、いい味を出していた。
 終盤で、人狼が列車から飛び降りる場面も、その行動のマヌケさについ笑ってしまった。「打ち所が悪かった」は、あまりにあっさり死んでしまった人狼をフォローしているつもりなのだろうか。水神をあっさり退治した人狼よりも、鬼太郎親子の霊力の方が更に勝っており、単純に強さに不等号が付けられないところがいい。
 結末では、鬼太郎とねずみ男の立場が冒頭から逆転して、ここから先の二人の関係は「ゲゲゲ」で世間に良く知られているものに、より近くなる。


 一連の長編エピソードが完結して、次回は「怪奇一番勝負」。個人的に、鬼太郎の人間に対する理不尽さが一番強く出ていると思うエピソードなので、特に楽しみだ。



補足

 「ゲゲゲ」第2作の「地獄の水」は、鬼太郎シリーズ以外の短編「地獄の水」を原作としている。私は原作を未読なのだが、この「地獄の水」は、さらに貸本で原型となる話があるようだ。
 水神絡みの水木作品の発表年代を調べてみると、「地獄の水(貸本版)」(1958年)→「水神様が町へやってきた」&「顔の中の敵」(1961年)→「地獄の水(雑誌版)」(1966年)→「鬼太郎夜話(ガロ版)」(1967~69年)となる模様。
 なお、アニメ版「地獄の水」ではコーヒーを飲んで溶けるのは警察署長の役目。何度もリライトが繰り返されているにも関わらず、このような場面が「ゲゲゲ」アニメでも残っているのが面白い。

(参考文献:ゲゲゲBOX 70's ブックレット「幸福の書」)
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墓場鬼太郎 #06「水神様」感想

・墓場鬼太郎 第6話「水神様」
(脚本/成田良美、演出/石黒 育、作画監督/清水昌之・曾我篤史)


 今回は、Aパートは原作のとぼけた味わい、Bパートは水神様の「怖さ」がそれぞれ上手く描かれており、「一話で二度おいしい」感じだった。


 まず、Aパート冒頭の「家賃二倍に値上げ」で異様にシリアスな顔をする水木からして面白すぎる。
 そして、ずっと楽しみにしていた鬼太郎の「ぼろい!」もいい感じだった。借金取り立ての勘定をしている場面を観ていて、「そろそろ来るぞ」とワクワクしてまっていたが、野沢さんの演技は十分に期待に応えてくれた。
 演技と言えば、本話でのねずみ男は、これまでと比べると「ゲゲゲ」第1作・第2作に近い感じの声になっていたように感じた。「ゲゲゲ」の方で好きだった「ンーフッフッフー」と言う特徴的な笑い声を再び聴けたのも、嬉しいところだ。
 また、物の怪とのやりとりもテンポ良く進んでおり、原作準拠の会話は聴いていて心地よい。鬼太郎のハチマキの日の丸は「め し」に変えられていたが、これはこれでとぼけた味わいがよく出ている。

 続くBパートは、水神様の襲来で一気に大スペクタクルとなった。
 今のテレビアニメで水神様に人間が溶かされる場面を描けるのか心配していたのだが、大空ひばりも警視総監もしっかりと溶けており、満足した。個人的好みを言えば、「足跡の怪」並みにグロく溶かして欲しかったところだが、水神様の怖さは十分に描けていたから、まあいいだろう。
 そして、Bパートで特に印象的だったのは、原作ではいつの間にかいなくなった水木に退場の場面が与えられていた事だ。それも、水神に捕らえられようとしている水木を、鬼太郎があっさり「じゃあ」と見捨ててしまうのだからインパクト満点だ。一応金蔓なのだから少しは助けようとするのかと思ったら、完全に自分の命重視なところが「墓場」の鬼太郎らしい。
 また、水木の最期も実にあっさりと水神に溶かされており、序盤で命からがら地獄からかえってきた事を考えると非常に哀れだが、このような人命の軽さも原作の味が出ていたと思う。


 ところで、個人的に「鬼太郎と水神」の話に初めて接したのは、アニメ「ゲゲゲ」第2作の「地獄の水」だった。
 この話でも、容赦なく多くの人達が水神に溶かされて犠牲になっており、人死にの多い「ゲゲゲ」第2作の中でも怖い話として小さい頃から印象に残っていた。
 「墓場」では、よりによって鬼太郎が水神様の被害を引き起こしてしまうところ、初めて原作を読んだ時に衝撃を受けた部分だった。アニメ「ゲゲゲ」の「地獄の水」と、今回の「水神様」で、まったく性格の異なる鬼太郎を両方とも野沢さんが演じているのだから、凄い事だ。

 さて、このまま行くと次回はニセ鬼太郎も退場か。水木をあっさり殺したのだから、こちらも同様だろう。ニセ鬼太郎の最期が楽しみだ。
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墓場鬼太郎 #04-05 感想

 最近、「墓場鬼太郎」を放送当日に観られない。
 東海テレビでは木曜深夜に放映されているので、最初のうちは金曜日の夜に録画を観ていたのだが、2月に入ってから忙しくなり、特に金曜日は帰宅した後ぐったりしてしまう。「墓場」はじっくりと観たい作品なので、疲れている時には30分間気力と体力がもたないのだ。
 そんな訳で、第4話以降は土曜日か、事によっては日曜日に「ゲゲゲの鬼太郎」第5作と続けて観る状況になってしまっている。どうやら3月一杯まで忙しそうなので、最終話まで週末に観るスタイルは続きそうだ。

 前振りが長くなってしまったが、遅まきながら第4話・第5話の感想を書いた。本作については、全話の感想を書くつもりだ。



・墓場鬼太郎 第4話「寝子」
(脚本/高橋郁子、演出/中村哲治、作画監督/袴田裕二・窪 秀巳)


 前話の吸血木に続いて、今回は原作から寝子に絞って話が再構成されている。
 もちろん、今回は寝子にたくさんセリフがあったわけが、悪くはなかったと思う。普段声優の仕事をしていない芸能人がアニメに出演すると、「声」として聴けるレベルでない人も多いが、中川翔子はアニメレギュラーの経験があるだけに、きちんと聴ける「声」になっていた。

 ストーリーの構成については第5話の感想で詳しく触れるが、本話限定では、自分が幽霊族である事を打ちあける鬼太郎や、「君にメロロン」を歌う寝子の場面が印象的だった。「君にメロロン」は、アニメ版の寝子の持ち歌としてなかなかいい曲だと思った。さすがにmegrockが手がけているだけあって、アイドルソングとしてもアニメソングとしてもしっかりツボを押さえた歌になっている。
 また、ニセ鬼太郎が寝子と川に身投げするところでは、異常なまでの強引さと必死さが笑えた。自殺するならもっと落ち着けと突っ込みたくなってしまった場面だ。




・墓場鬼太郎 第5話「ニセ鬼太郎」
(脚本/高橋郁子、絵コンテ/地岡公俊、演出/羽多野浩平・地岡公俊、作画監督/橋本敬史・窪 秀巳)


 前話で飛ばされた部分や特に説明されなかった場面を、ニセ鬼太郎とねずみ男の回想で補完したのは面白い構成だった。アニメ版「墓場鬼太郎」は原作と比べて各話の独立性が高くなっているが、この2話分に関しては合わせて前後編で一つの話として観るべきだろう。

 今回は、チャンチャンコを奪われた鬼太郎に「ただの子供だ」と言い放ったり、地獄のニセ鬼太郎に「わしゃお前の親父じゃない」など、「ゲゲゲ」では絶対に観られない厳しくて怖い目玉親父がしっかりと描かれていたのがよかった。声はいつもの目玉親父と変わらないだけに、余計に怖さが感じられる。
 また、一体どう描くのだろうかと興味津々だった、ねずみ男の「黄金の実弾」についても、テレビ放送で可能な限り原作の味を残したと思われる会話が聞けたのでよかった。最後の放屁はアニメオリジナルだが、これもねずみ男らしい。

 そして、本話のクライマックスは寝子とニセ鬼太郎との対面。ここでは、対面前にニセ鬼太郎が寝子の恨みを恐れている描写が念入りで、迫力があった。さらに、地獄に残る決心を語る寝子の場面は原作以上にもの悲しいものだった。
 ただ、原作を読んでいると、ニセ鬼太郎がこの後どのような運命をたどるか知ってしまっているので、寝子が「ニセ鬼太郎さんには将来があるわ」と言う場面では、つい「どうせこいつはあっさり死ぬんだし、寝子さんが戻った方がいいんのでは…」と思ってしまった。本話については、原作の知識なしで観た方が、より泣ける作品に感じられたのではないだろうか。
 それはそれとしても、2話分合わせて原作と構成が違うだけに、かえって新鮮に観られて面白かった。
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ゲゲゲの鬼太郎[第5作] #42-44 感想

 「墓場鬼太郎」第4話の感想を書くつもりだったのだが、前回に続いて構成がかなり原作と違っており、さらに1話完結でないため第4話単体では評価しづらい。
 そこで、今週の「墓場」感想はお休みにして、代わりと言っては何だが久しぶりに「ゲゲゲ」最近3話分の感想を書くことにした。最近の「ゲゲゲ」は、個人的にツボにはまったエピソードが多いのだ。



・ゲゲゲの鬼太郎[第5作] 第42話「オベベ沼の妖怪 かわうそ!」
(脚本/三条 陸、演出/土田 豊、作画監督/浅沼昭弘)

 「おべべ沼の妖怪」も、これで4度目のアニメ化。本シリーズでは、かわうそが妖怪横丁の住人としてレギュラー出演しているので、この話の登場は意外だった。もしやるとしたら、しばらくかわうそを登場させず、更にかわうそがグレる伏線を張っておくぐらいの事はしないと説得力はないだろうし。
 それだけに、原作版の「おべべ沼の妖怪」にあたるエピソードを過去の話にして、かわうそが鬼太郎達の仲間となった思い出を描いた本話の展開には「こんな切り口もあったのか」と、いい意味で意表をつかれた。鬼太郎が昔から存在して妖怪達と戦っていた設定の本シリーズならではのアレンジだ。
 昔のかわうそのいたずら者ぶりもしっかり描かれていたし、そのいたずらによる悪評が他の妖怪にも迷惑を及ぼして現在の新たな事件を引き起こす原因となったという展開も上手い。鬼太郎・ねずみ男の名コンビぶりもしっかり描かれており、つい最近まで第1作を観ていた身としては、「鬼太郎」の原点に返ったような作りが特に嬉しい一編だし、オベベ沼と村が昔も今も変わらぬ佇まいを保っているのも好印象だった。

 それにしても、「鬼太郎」の第3作以降はサブタイトルが原作と違う物になる事が多いが、「おべべ沼の妖怪」に関しては、第3作「オベベ沼の妖怪」、第4作「オベベ沼の妖怪!」、そして今回が「オベベ沼の妖怪 かわうそ!」と比較的原作に沿ったサブタイトルが続いており、興味深い。



・ゲゲゲの鬼太郎[第5作] 第43話「妖怪ミステリー列車!」
(脚本/吉村元希、演出/角銅博之、作画監督/藪本陽輔)

 とりあえず、ピーの弱さには笑ってしまった。もしチャンチャンコを手に入れられなかったら、どうするつもりだったのだろう。モンローの方がまだ強そうな気がする。
 今回、ピーが吸血鬼として登場したものの、吸血描写は全くなし。原作「まぼろしの汽車」では吸血鬼化した鬼太郎や人間が襲ってきたが、それが「ぬいぐるみ化」に変えられており、ちょっとヌルい印象は否めなかった。ただ、「目が死んでいる」感じの無表情なぬいぐるみ化には、吸血鬼化とは別の方向性での不気味さはあったと思う。かわうそのぬいぐるみなどは、素直に可愛いと言える感じだが。

 本話でのモンローは川浪葉子が演じていたが、そもそもこのキャラの元ネタはマリリン・モンローであり、そのため第3作ではマリリン・モンロー声優の向井真理子が担当していた。それを今回は川浪さんが引き継いだわけだが、「ドラゴンボール」シリーズでもブルマの母役は向井さんから川浪さんに交代しており、面白い縁だ。
 茶風林演じるピーも、胡散臭さがよく出ていてはまり役だった。ピー役も鈴木泰明、大竹宏、屋良有作と個性のあるベテランが演じてきており、どのシリーズでも味のある敵だった。



・ゲゲゲの鬼太郎[第5作] 第44話「チョイ悪! 目玉おやじ」
(脚本/吉田玲子、演出/勝間田具治、作画監督/八島善孝)

 サブタイトルに「目玉おやじ」と付いているものの、目玉親父本人ではなく毛目玉の一人舞台という感じ。声を担当した田中田の中真弓も楽しんで演じているのが伝わってくるノリのよさだった。冒頭のぼやきは「おそ松くん」のチビ太だろうか。
 髪さまとの戦いはオマケ扱いになっていたが、今回は毛目玉の「チョイ悪」ぶりの描写が十分に面白かったので、戦闘はあの程度の尺にしておいてよかったのではないだろうか。戦闘と言えば「やりにくい」と言いつつ思いっきり本気で毛目玉に攻撃する場面が面白かった。

 本シリーズでの「目玉おやじ」シリーズは「働く!目玉おやじ」「レスキュー目玉おやじ」に続いて3回目だが、どんどんテンションが高くなっている。田の中さんも「墓場鬼太郎」の方のインタビューで「結構大変なんですよ、この歳では」とコメントしているが、無理もないだろう。視聴者側としては、目玉親父のはっちゃけぶりが楽しいので、どんどんやって欲しいのだが。
 目玉おやじシリーズに限らず、吉田玲子脚本回は「妖怪コマ回し勝負!」など、バカ話やぶっとんだ話が面白いので、今後も楽しみだ。
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