『ゲゲゲの鬼太郎』第5作、再放送開始

 7月22日より、東海テレビの「夏休みアニメ劇場」枠で、『ゲゲゲの鬼太郎』第5作の再放送が始まった。
 もちろん、第5作は東海地区では初めての再放送だし、もしかしたら全国レベルでも初めてなのかも知れない(もし他の地域で既に再放送していたら、教えてください)。
 放映枠は、月~木曜日の11時~11時30分。お昼前の時間帯で、言うまでもなく夏休みで家にいる子供向けの放送だ。そもそも「夏休みアニメ劇場」なんだし。


 さっそく、第1回の放送を観てみた。まずは、11時ジャストに「夏休みアニメ劇場」の枠を示すフリップが出る。







  第5作どころか、どのシリーズとも違うタイトルのフォントが、いい味を出している。このチープさが、地方の再放送らしくてなかなかよろしい。これで、以前のように第3作や第4作の鬼太郎の絵が入っていたらもっと笑えたのだが、さすがにそれはなかった。

 私はアナログ放送で観ているが、このフリップが既にレターボックスになっている時点で予想できるように、本編は第1話からのスタートで、しっかりレターボックスで放送してくれた。







 上下のお知らせは7月からどの局でも出て鬱陶しいが、アニメ本編を邪魔していないので許容範囲だ。
 それはともかく、アナログでは本放送が4:3サイドカットだっただけに、今回のレターボックス再放送は実にありがたい。
 ただ、EDと次回予告は丸々カットされてしまっている。地上波のアニメ再放送ではありがちだが、やはり残念だ。本放送の録画があるので、スタッフがわからなくて困るような事はないが、日曜9時枠のアニメは元から尺が短めなのだから、再放送でもせめてEDは流して欲しかった。それとも、元々11時の枠はCMが多く入る時間帯なのだろうか。普段観ていないので、それはわからない。

 それでも、本編だけでも左右カット無しの状態で観直せるのはありがたいので、今後も録画は続けたい。
 それに、なにより『鬼太郎』の再放送をやっていると言う事実が嬉しい。メインターゲットの子供たちに観直してもらって、続編への気運が高まってくれれば、と思う。
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『ゲゲゲの鬼太郎』第5作、再放送決定

 先日発売された「TV Japan」で、7月22日より東海テレビで『ゲゲゲの鬼太郎』再放送が始まる事が分かった。
 時間帯は11時からで、毎週月~木曜日の帯番組として放送される。いわゆる「夏休みアニメ劇場」枠だ。「声 高山みなみ」と載っていたので、第5作で間違いない。


 東海テレビは、1990年代までは毎年夏休みの10~11時台にアニメ再放送枠を設けていたが、最近は夏休みも朝のローカルワイド番組を休止せず放送する事が多かったので、今回は久々の夏休みアニメだ。
 しかも、それが『鬼太郎』だと言うのが嬉しい。以前から東海テレビは『鬼太郎』を贔屓しており、夕方の再放送も多かったし、1990年代には夏休みアニメ劇場の常連だった。夏休みアニメ枠自体が途切れていたため、最近は『鬼太郎』の再放送も行われず寂しかった。手元にあるビデオテープでは、1997年か98年頃の放送と思しき『ゲゲゲの鬼太郎 地獄編』の録画が残っているので、これが20世紀最後の『鬼太郎』再放送だったとすれば、今回は約10年ぶりの復活だ。

 ただ、再放送は嬉しいが、平日の11時からではリアルタイム視聴は無理だ。とりあえず、録画しておこう。
 「TV Japan」にはサブタイトルの記載がなかったので何話からやるのかは不明だが、もし第1話から放送するのであれば、注目は本放送が実写映画の宣伝仕様になっていた第5話だ。これを再放送するとすれば、おそらく遅れ放送局やDVD用のウエンツ瑛士が出ないバージョンになるのだろうが、本放送と異なるのは貴重だから、これもおさえておきたい。
 あとは、画角がどうなるかも気になる。第1話からなら、本放送通りにアナログは4:3サイドカットになるのか、それとも上下帯付きレターボックスで放送してくれるのか。後者なら、本放送とは別に保存しておきたい。
 夏休み中の放送だから、話数としては2クール分で終わりだろう。夕方にエンドレスで『こち亀』をやる(最近、最終回まで行ったが、その後また第1話に戻ってしまった)くらいなら、こちらの枠で『鬼太郎』を続けて欲しいところだが。

 今夏は、東海テレビだけでなくお隣の静岡県でも再放送が始まる。ぜひ、他にも全国各地で再放送を続けて『鬼太郎』第5作の「燈籠の火」を燃やし続けていって欲しい。そして、「オトナアニメ」Vol.12で語られていた、既に構成済みの第101話以降2クール分だけでもいいから、いつかシリーズが再開されれば、と思う。第5作の締めくくりは、どうしても観たい。



 ところで、『鬼太郎』と言えば、先月に劇場版『劇場版 ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!』のDVD&BDソフトが発売された。
 私は、迷った末に限定版BDを買ったが、まだ封すら開けていない。今のところBDの再生機器がないので、開けても観られないのだ。付属の特典ディスクはDVDだから、まずはこちらを観ておいて、本編はとりあえずレンタルDVDで観ることにするか。何だか、本末転倒な感じだが。
 BDソフトを観るだけなら、ROM専用のドライブを買ってPCに付ければいいのだが、さすがにソフトが1枚だけでは意欲がわかないし、どうせなら書き込みもできる方がいい。BDプレイヤーやレコーダーも含めて、もうちょっと様子を見て、考えていきたい。
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ゲゲゲの鬼太郎[第5作] #100「さらば父よ! 脅威の天狗王」感想

・ゲゲゲの鬼太郎[第5作] 第100話「さらば父よ! 脅威の天狗王」
(脚本/三条 陸、絵コンテ/西沢信孝、演出/小牧 文、作画監督/藪本陽輔)


 とうとう、『ゲゲゲの鬼太郎』第5作が終わってしまった。
 後番組として4月から『DRAGON BALL KAI』が始まる事が分かって、まだストーリー半ばの『鬼太郎』がどうなるかと心配し始めたのが2月の頭だったが、枠移動などの措置はなく『鬼太郎』は3月いっぱいで終了となった。


 だから、第100話が放送上での最終回となったが、中身はどう観ても3年目が続く事を前提として作った、単なる妖怪四十七士覚醒の1エピソード。この回をもって放送が終わる事についてのフォローは、本編には全くない。それどころか、冒頭で鬼太郎に「妖怪四十七士もようやく半分」と言わせているくらいだ。
 あえて、最終回っぽいところを探すとすれば、これまでに見つかった四十七士がある程度集まって再登場した事くらいだろうか。これにしても、一年目の締めとなった第51話と同様に、あくまで「一区切り」としての四十七士のおさらいのために出したのだろうが。また、EDで鬼太郎の挨拶があるが、いかにも無理矢理入れた感じだ。

 すでに「オトナアニメ」の三条陸インタビューで言及されているように、劇場版が第100話と第101話の間を想定して作られているため、たとえば無理にぬらりひょん一味や西洋妖怪を倒して最終回としてまとめる事は事実上不可能だったが、それにしてもここまで完全に「普通の話」で、誰が見ても明らかな打ち切りだと、かえって清々しい気分にさえなってくる。
 アニメ版『DRAGON QUEST』(アベル伝説)のように、奇跡的に第2期として再開するケースもあるのだから、下手に最終回っぽくまとめるよりは、普通の話で終わった方が自然に第101話としてシリーズを再開できるだろう。そう考えれば、終わり方はこれで良かったのかも知れない。


 話は黒鴉の覚醒エピソードで、単体で観ればなかなかいい話だった。冒頭はもだえる黒鴉のシーンから始まって、そちら方面の需要も満たしている。
 それはともかく、今年に入って陰が薄かったねずみ男に、過去の回想を交えた美味しい場面があったのがよかった。これがなかったら、8クール目のねずみ男は、ほとんど印象に残らなかったと思えるほどに出番も活躍も少ないまま終わっていたところだった。

 また、黒鴉の父、黒雲坊役は大塚周夫氏が務めた。
 大塚氏は今期、白山坊役で既に出ていただけに、最終回になって別の役で出番があるとは予想できなかった。これは、嬉しいサプライズだ。本シリーズの白山坊が今までになくコミカルなキャラになったのと対照的に、黒雲坊は完全な悪役キャラで、前シリーズ・第4作での白山坊を想起させられた。強そうなのに、最後はあっさりやられたところも含めて。

 しかし、放送から五日が経って、ある程度落ち着いたので冷静に話を観直す事が出来たが、放送当日は「一体どうやってオチをつけるんだ」と気になって、どうしても話に集中できなかった。
 これは、今回だけではなく打ち切り濃厚となった2月以降の話全てについて言える事なので、いずれじっくりと観返したい。



 それにしても、3年目に続くはずだった伏線の数々が放置されたままでの放送終了となったので、気になる点が多い。


 ・ぬらりひょん一味との決着
 ・西洋妖怪との決着
 ・中国妖怪との決着
 ・四十七士全員完全覚醒


 このあたりのエピソードは、テレビシリーズ再開が無理なら、OVAでもいいから描いて欲しいものだ。

 このようにあらためて気になる点を挙げてみると、本当に全然話に片が付いていない。映画と絡めた四十七士展開はともかくとして、敵勢力をあんなに多く出したのは、今更ながら大風呂敷を広げすぎたのではないかと思う。チーなんて真の姿を現す事すらなかったし、相当に長期にわたって展開させる構想があったのだろう。
 放送が続いていれば、それらを観る事が出来たと思うと、本当に残念だ。

 テレビシリーズの放送が終了したのだから、シリーズ全体を振り返っての感想を書きたいところなのだが、内容的に完結していないせいで、今は全然そんな気分になれない。いずれ、気が向いたら「2年目まとめ」と言う形でのまとめを書くかもしれない。
 ともかく、スタッフの皆さん、2年間お疲れさまでした。楽しい作品をありがとうございました。



 次の日曜、4月5日からは後番組『DRAGON BALL KAI』が始まる。『鬼太郎』と同様に、東海テレビもフジと同時ネットだ。これで同時ネットも3年目となり、どうやら定着したのは喜ぶべき事だろう。関西テレビなんて今年に入ってから28分枠を30分枠に拡大したにも関わらず、未だに一週遅れだ。
 元の『DRAGON BALL Z』は本放送で観ていただけに、今回の『DRAGON BALL KAI』でどの程度変わるのか興味のあるところだ。セリフが新録なのだから、音声が元のままだと話がつながらなくなるくらい思い切って編集するのだろう。

 ただ、30秒版の新番組予告で流れた悟飯の声を聴くと衰えが感じられて、ちょっと不安だ。悟空はあまり気にならないのだが。他のキャスト陣も、当時の声が完全には出せない人もいそうだし、気になるところだ。亀仙人のように別人になっているキャラもいるし。

 キャストと言えば、郷里大輔氏は『鬼太郎』に引き続いて閻魔大王役を演じる事になる。他にも『鬼太郎』の出演者が結構多い。どちらも東映アニメーション制作で青二プロがキャスティングを仕切っているから当然なのだが。
 ただ、今回の場合は野沢さんが元祖鬼太郎なだけに、妙な因縁を感じてしまう。『鬼太郎』を押しのけての後番組が、純粋な新作アニメでないのは寂しい。フジテレビも、いよいよ余裕がなくなってきたのだろうか。それでも、気になるから観てしまうのだが。
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続・どうなる『ゲゲゲの鬼太郎』

 ここ数日、アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』が終了するかも知れない件が気になって仕方がないが、現時点では『鬼太郎』の今後についての公式発表はまだ無い。

 ファンのブログや掲示板を巡回してみると、東映やフジテレビに電話してみたと言う人もいるが、その返事の内容がバラバラなので、どれも信頼性には欠ける。第一、ファンが一個人として電話して、テレビ局が簡単に情報を漏らすとも考えにくい。
 個人サイト以外では、「アニメ!アニメ」の記事に「『ドラゴンボールZ』開始に伴い『ゲゲゲの鬼太郎』は終了」と書かれているが、本文を読むと情報源はジャンプの記事のみで、『鬼太郎』が終わる事は単なる推測のようだ。このような紛らわしい記事は困る。


 週刊少年ジャンプに『ドラゴンボールZ』再編集版開始の記事が載った時点で、「じゃあ『鬼太郎』はどうなる?」という話になるのは目に見えているのだから、そろそろ公式で何らかの発表があってもいい頃だが、本日更新された公式ブログも、いつも通り次回の話にしか触れられていない。
 終了にせよ、枠移動にせよ、早くはっきりした発表をして欲しい。そうでないと、残り少ないかも知れない『鬼太郎』の放送を、落ち着いて楽しむ事も出来ない。


 ちなみに、今月のアニメ雑誌各誌では第98話までのあらすじが掲載されているが、それを読んだ限りでは、2年で終了に向けてのまとめに入る気配は全く感じられない。まとめどころか、新たな四十七士の覚醒すら無さそうな感じだ。
 このまま、ネット上で当分公式発表がないとすれば、まずは24日発売の月刊テレビ情報誌を待つしかない。3月29日放送分に「終」マークが付いていれば、終了決定だ。

 ただ、月刊テレビ情報誌は締め切りが早いせいか、記載内容が当てにならない事もある。
 その例としては、他ならぬ『ゲゲゲの鬼太郎』の前シリーズ、第4作終了の時が思い出される。このシリーズは1998年3月いっぱいで最終回を迎えたが、テレビ情報誌では最終回に「終」マークは付いていなかった。この時は「絶体絶命!死神の罠」とサブタイトルも載っていたが、それを見ても「ようやく死神が出てくるのか」くらいにしか思わず、その二週間後に発売されたアニメ雑誌各誌で放映終了を知って、驚いたものだ。

 1998年2月下旬の時点で後番組『ひみつのアッコちゃん』第3作の情報が既に出ていたかどうかは記憶にないが、私は「『鬼太郎』が終わる」と思っていなかったのだから、おそらくまだだったのだろう。この頃、すでにインターネットは利用していたが、まだアニメ改編の情報を得ると言った使い方はしていなかった。今と比べると、のどかな時代だった。
 当時と比べると、今の自分は情報に振り回されてしまっており、我ながら情けない。ネットから色々な情報が得られるが、そのルートも情報量も多数あるだけに、真偽を見分ける目は今後ますます重要になるだろう。


 また、今回の改編で気になるのは読売広告社の立場だ。
 仮に『鬼太郎』が終了だとしても、東映アニメーションは『ドラゴンボールZ』で枠を維持できるから問題ないのかも知れない。しかし、長年フジテレビ日曜9時の枠に関わってきた読売広告社はどうなるのか。『ドラゴンボールZ』の本放送には関与していなかったが、今回の再編集版は製作に関わるのか。それとも、本放送と同じく読売広告社は関係しないのか。
 後者だとすると、もし『鬼太郎』が終了になった場合、読売広告社は「不思議コメディシリーズ」の頃から30年近くも維持してきた枠を失う事になる。それを考えると、『鬼太郎』が単純に放映終了するとは考えにくいのだが。まあ、案外そのまま『ドラゴンボールZ』の製作に参加するのかもしれないが。



 思いつくままに気になった点を挙げてみたが、公式発表を待つしかない状況には変わりはない。
 とにかく、はやくはっきり結論を出して欲しい。
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どうなる『ゲゲゲの鬼太郎』

 『ゲゲゲの鬼太郎』第5作の放映2年目も大詰め、さて3年目はどんな展開を迎えるのだろうと楽しみにしていたら、4月からフジテレビ日曜9時の枠で『ドラゴンボールZ』再編集版の放送が始まると言うニュースが入ってきた。


 正直言って、最初はガセネタだと思った。
 もし『ドラゴンボールZ』に枠を譲って『鬼太郎』が3月一杯で終了するのであれば、本日2月8日放映分の第94話を含めて残り8話しか無いが、今年に入ってからも特に本編がまとめに入った様子はなく、鬼太郎は普段通りに活躍しており、その中でたまに四十七士が覚醒する状況が続いている。

 『鬼太郎』の展開については、シリーズ構成・三条陸が「映画はテレビシリーズ第100話と第101話の間に入る話」と発言している(「オトナアニメ Vol.10」より)し、以前に触れたように、映画パンフレットにも3年目を示唆する記述がある。
 それに、映画がテレビ版100話の後に来るなら、2年目終了の時点でぬらりひょん一味とも西洋妖怪とも決着が付いていないのは確実であり、ここで終了ではあまりにも中途半端すぎる。


 『鬼太郎』での敵対勢力との争いについて振り返ってみると、第3作では最終シリーズの「地獄編」でぬらりひょんとの戦いに決着を付けており、第4作でも第96話~第100話の「妖怪王」編で、ぬらりひょんとの最終決戦に近い内容が描かれている。
 実際には「妖怪王」編の後にもぬらりひょんは登場するが、これは京極夏彦が第101話「言霊使いの罠!」で「妖怪王」編の展開を知らずにぬらりひょんを登場させたためであり、当初は「妖怪王」編でぬらりひょんが最期を迎えるはずだった。
 もっとも、ぬらりひょんが「妖怪王」編で生き残ったお陰で、末期のギャグ傑作「鬼太郎対三匹の刺客!」が生まれたわけで、怪我の功名と言えるだろう。

 ともかく、第3作・第4作共に終盤で敵勢力(両作ともぬらりひょん一味)との戦いには決着を付けており、もし第5作が3月一杯で終わりだとすれば、今回は敵勢力をたくさん出しているだけに、決着が付かないままでは打ち切り感が否めない。
 敵勢力や映画との関係を抜きにしても、四十七士として覚醒しないまま旅に出た一つ目小僧や、ろく子さんと鷲尾の恋愛の行方など、今後の展開が気になる要素はたくさんある。


 このような理屈を抜きにして、全く個人的な気持ちとしても、今の『鬼太郎』は2年目に入っても面白いエピソードがたくさん生み出されており、毎週楽しみに観ているので、まだまだ終わって欲しくない。
 今年の放映分に限っても、先週の「おばけビルの 妖怪紳士!」や、前述の一つ目小僧が登場した「妖怪筆師! 一つ目小僧」などは特に面白かった。一つ目小僧や妖怪水車の話は鬼太郎が完全に脇役に回っているが、それでもゲスト妖怪が魅力的に描かれており、スタッフが今作の『鬼太郎』世界をしっかり作り上げている事が伺える。もし、3月一杯で終わってしまうのであれば、あまりに勿体ない。

 枠移動してでも『鬼太郎』は続けて欲しいが、枠移動するとしても曜日と時間帯によっては東海テレビが同時ネットできない可能性は十分に考えられるし、最悪の場合、フジテレビでは継続でも東海テレビは3月で打ち切りと言う事態もあり得る。
 3月で終了にしても枠移動にしても、不安要素がある事に変わりはない。



 たった二日前までは、こんな事で悩むようになろうとは、夢にも思わなかった。
 枠移動と言えば、読売テレビの「アニメ7」枠で放映中の『名探偵コナン』『ヤッターマン』の移動が正式に発表されて話題になったが、私は現在この2作品とも観ていないので、完全に他人事として「『コナン』や『ヤッターマン』のファンは大変だな」くらいにしか思っていなかった。
 まさか、『鬼太郎』にも終了or枠移動の問題が発生しようとは、寝耳に水としか言いようがない。それどころか、4月からの継続が決まっている「アニメ7」2作品の方が、現状では『鬼太郎』よりもマシな状況だろう。


 今のところ、フジテレビや東映アニメーションからの公式発表がないので、当面は心配しつつ3年目突入&東海テレビの放映継続を願うしかない。
 テレビシリーズで、妖怪四十七士の勢揃いを観てみたいものだ。
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新年に『ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!』二度目の鑑賞

 新年、あけましておめでとうございます。
 今年も当ブログ&「はなバルーン倶楽部」を、よろしくお願いします。



 さて、昨日から関西の実家に帰省中。
 都合よく近所のシネコンで『劇場版 ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!』を上映していたので、関西エリアバージョンを観てきた。
 話の筋は全て分かった上での二度目の鑑賞なので、一度目とはまた違った見方で楽しめた。前回の感想で書き漏らした点も含めて、感想を思いつくままに書いてみる。



・「ゲゲゲまつりだ!! 五代鬼太郎」を改めて観てみると、各期鬼太郎の描き分けが面白い。特に、三期鬼太郎はやたらと元気で動きが目立っている。
 逆に、一期・二期鬼太郎はちょっとおとなし過ぎる感じがした。もうちょっと少年らしいやんちゃさがあってもよかったのでは。四期鬼太郎はやはり「君の後ろに黒い影」のセリフがあるのがおいしい。
 結局、実現できた事自体が奇跡のような映像なので、二度目もやはり興奮して観てしまいました。『ドラえもん』で同じように初代・富田耕生から現在の水田わさびまで勢揃いしたらすごいだろうけど、無理か。もし実現したらこちらにも野沢さんが出られるのだけどなあ。


・先生の正体を知った上で序盤のねずみ男との追いかけっこを観たら、「急いで化けたり、場所を動いたりと、大蛇女も忙しかったんだなあ」と、ちょっと同情してしまった。
 真面目な話、大蛇女は本作で一番可哀想なキャラだったのではないか。ヤトノカミによって生み出され、太古の昔から人間社会に紛れ込んで、結局最後はヤトノカミ復活の捨て石にされてしまった。完全にヤトノカミだけのために動いた一生だったわけで、安らぎもなく報われていない。
 彼女が妖怪横町で華に「ずっとここで暮らしていたい」と言ったのは、単に作戦だけでなく本心も混じっていたのではないだろうか。


・鬼太郎が触ってしまったらしい、華の「変なところ」がどこなのか気になったので今回は画面を注意して観たのだが、鬼太郎の手の位置は結構低い。もし、華が立っていたとしたら鬼太郎が触ったのは下半身だろう。下半身で「変なところ」となるとかなり絞られるが…まあ、これくらいにしておくか。
 もし、華が座っていたとしたら、姿勢によって違ってくるから、どこを触ったのかの特定は難しそうだ。


・妖怪たちがヤトノカミの妖力で酔っぱらっての百鬼夜行は、第4作の初代EDアニメを彷彿とさせるイメージ。また、人間界と妖怪世界の境界が曖昧になり始める場面は、ブリガドーンのエピソード(『ゲゲゲの鬼太郎』の「朧車」や『墓場鬼太郎』の「ボクは新入生」)を想起させられる。
 冒頭の鬼太郎登場シーンでの銀行強盗が出てくるのは、ちょっと「地獄流し」っぽいし、過去作品を意識的に取り入れたのだろうか。


・妖怪たちの百鬼夜行では毛目玉とバリバリが喧嘩(?)していたが、中の人(田中真弓)つながり?


・初見時の感想では、「横町レギュラー以外の四十七士では、夜道怪しかセリフがない」などと書いてしまったが、これは間違いでした。アカマタもしっかり喋っていた。
 また、改めて観てみると、今回は呼子の見せ場が結構多い。ビルのガラスを全部割ったり、鬼太郎に四十七士パワーを送ったりと、大活躍だ。テレビでも主役回があったし、間違いなく今期はアニメ鬼太郎史上もっとも呼子にスポットが当たっているシリーズだろう。
 第2作は敵妖怪で富田耕生声のおっさんだったし、第3作はEDの絵がやけに怖い割には本編での活躍は少なく、第4作に至っては妖怪アパートのその他大勢でしかなかったからなあ。本当に出世したものだ。


・関西地区バージョンのねこ娘は、京都太秦映画村で忍者コスプレを披露。中部地区版のチア姿もよかったが、こちらもなかなかいい。まあ、中部地区版はドアラに目がいってしまったせいで、ねこ娘はあまりちゃんと見られなかったのだけど。



 と、思いつくままに列挙してみた。
 展開を知った上で観ると、特に京夜と先生の役者っぷりは別の意味で楽しめる。それに、ねずみ男もなかなかの役者だ。鬼太郎側・ヤトノカミ側および、両陣営を行ったり来たりするねずみ男、それぞれによる「騙し」合戦が、この作品の醍醐味の一つだろう。

 さて、中部・関西エリアは観たが、他の地区はどうしよう。
 比較的手軽に行ける地区は、関東くらいしか残っていない。昨年末の上京時に観ておく手もあったのだが、結局時間がなかった。あと一地区くらいは観ておきたいものだが、時間・予算と相談してみるか。
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映画「ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!」感想

 本日、映画「劇場版 ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!」を鑑賞してきた。
 13・14日にすでに「先行上映」されているものの、正式には今日が公開初日。最近の映画「ドラえもん」は公開翌日の日曜日に観ており、映画を初日に観に行ったのは実に久しぶりだ。



以下、感想。ネタバレあり要注意

 さて、映画本編の感想だが、素直に「面白い」と楽しめる出来だった。
 今年秋から、テレビアニメ本編で「妖怪四十七士」探しの新展開が始まっており、この四十七士が映画にも登場して鬼太郎と共に戦う事が大々的にアピールされていたので、もしかしたら今回の映画は四十七士それぞれに適当な見せ場を与えるだけで中身のない作品になってしまうのではないかと、ちょっと心配していたのだが、無駄な取り越し苦労だった。

 今回の映画は、「ゲゲゲの鬼太郎」という作品の基本に立ち返って、鬼太郎&ねずみ男の二人をメインとして描いており、四十七士も全員登場してはいたが、役目は鬼太郎に力を送る事であり、特に四十七士メンバーにスポットが当てられてはいなかった。それどころか今回は妖怪横丁のレギュラーメンバーですら、出番はそれほど多くない。
 もちろん、劇場版は一種の「お祭り」だから、お馴染みの妖怪達にそれぞれスポットが当てられる場面はあったが、あくまで中心は鬼太郎とねずみ男であり、それが全編通して徹底されていたために、一本芯のある作品になっていたと思うし、それで作品にのめり込む事が出来た。

 主人公の鬼太郎が活躍するのは当然だが、テレビでは現シリーズで過去作より多少出番が減った感のあるねずみ男がいきいきと動いているところが観られたのは、実に嬉しかった。
 例によって、敵になったり味方になったりと変わり身の早いところは健在だし、その行動原理も単にいい加減なのではなく、観ていてねずみ男に共感できるように描かれており、上手い作り方だ。また、お馴染みの屁攻撃に加えて、テレビ版ではお目にかかれない痰攻撃(観ていて、たんたん坊先生を思い出してしまったが)まで披露するなど、戦闘面でもしっかり活躍していたのもポイントだろう。
 それにしても、骨女・寝太りに続き、ねずみ男が女性にもてるとろくな事がないお約束は、映画でも健在だったか。まあ、今回はそれが話の軸の一つになっていたわけだが。


 本編のストーリーは、前半・後半と大きく二つに分ける事が出来るが、プロローグも含めた前半部分の描写の多くが後半部分への伏線になっており、特に前半・後半のつなぎとなる部分での伏線の回収が鮮やかで、構成がよく練られている事が伺える。
 ヤトノカミの一味全員が正体を現す場面は、観ていて本気で「やられた、騙された」と思ってしまった。
 後から考えれば、先生だけ華の事を覚えているのは変だし、華が家に戻った時の京夜の態度は明らかにおかしいのだけれど、まさか二人とも人間でないとは思わず、「京夜も後から記憶を操作されてしまったのだろう」くらいに考えていたので、京夜=ヤトノカミの正体を現した時には、「そうきたか」と唸ってしまった。
 もっとも、この辺の展開はパンフレットにしっかりと書いてある。なので、今回はパンフレットを上映前に読まなくてよかったと、心から思ってしまった。


 また、戦闘面の描写もさすがに劇場版だけあって、見応えある場面が多かった。
 学校の場面で登場した半透明巨大鏡爺は、見た目が新鮮でユニークだったし、序盤での「つかみ」として不気味さをよく表現できていた。また、クライマックスの地獄究極奥義の場面は炎の迫力が満点で、冬なのに観ていて暑苦しくなるような、妙な臨場感を覚えた。
 この場面で、雪女の葵ちゃんが「暑い、暑い」と胸をはだけていたのは「大きいお友達」へのサービスだろうか。

 細かいところでは、「土に埋めて毒を抜く」ネタが出てきた時には、第4作・第9話「爆走!鬼太郎機関車」を思い出して懐かしくなった。
 本放送当時にこの話を観た時には、「「まぼろしの汽車」が元ネタなのに、土に埋めるなんて全然原作と話が違うじゃないか」と、半ば呆れてしまったものだが、それから12年経って、また毒を抜く為に鬼太郎を埋める場面を観る事になろうとは思わなかった。今思えば、「爆走!鬼太郎機関車」の唐突な毒抜きも、いかにも雪室俊一脚本回らしくて味わい深い。


 ちょっと話がそれてしまった。
 この他にも色々とネタが仕込まれていたし、気付かずに私がスルーしてしまったネタもあるかもしれない。じっくりと画面の隅々を見返す為に、また劇場に足を運びたい。それも、なるべく「別の地域」の映画館で見たいものだ。現実として、一番手軽なのは関西地区か。

 地域別のネタは、中部地区ではよりによってご当地ゲストが中日ドラゴンズの「ドアラ」だった。九州バージョンだと東国原知事本人が登場して声もあてているそうだが、こちらはドアラなので、当然セリフはなし。
 ナゴヤドームでドアラが登場する場面は、テレビでも予告で流れていたので事前に分かってはいたが、実際に観てみると、この部分だけ妙に浮いている。しかも、BGMは「燃えよドラゴンズ!」なので、名古屋と言うよりはどこか異世界に迷い込んだように見えてしまった。

 他に、妖怪横丁へ帰る灯籠を探す場面も中部地区版になっていたが、前述のドアラ登場部分も含めて、「地域別」のつなぎ目部分は「ああ、ここからここまでが中部版だな」と、結構わかりやすかった。
 6地域、どのバージョンをつないでも前後の話が繋がるようにとスタッフが苦心したのだろう。他地域バージョンも全て観たいものだが、ソフト化された時は全地域版が収録されるのだろうか。関東や関西ならともかく、北海道や九州までは観に行けないから、収録してくれないと困る。



 最後になったが、本編前に流れた「ゲゲゲまつりだ!! 五大鬼太郎」についても触れておこう。
 と言っても、特にストーリーはない超短編だが、歴代の鬼太郎が一堂に会してしゃべっているのを観るだけで十二分に楽しい映像だった。「父さんは変わりませんね」なんてセリフは、この「五大鬼太郎」ならではの重みのある一言だ。
 セリフと言えば、四期鬼太郎が次回予告の決めゼリフ「君の後ろに黒い影!」を言ってくれたのは嬉しかった。せっかくだから「扉の向こうで何かが起こる」も聞きたかったが、さすがにこのセリフを組み込むのは流れとして無理があったか。
 最後は五人揃っての「リモコン下駄!」で締めていたが、一期・二期の鬼太郎がセリフとして「リモコン下駄!」と叫んだのは初めてではないだろうか。その点でも、貴重な映像だ。



 繰り返しになるが、今回の「日本爆裂!!」は素直に楽しめた面白い作品だった。
 ストーリーも盛り上がりのある内容だったし、ゲストキャラに「声優初挑戦!!」などと言う芸能人を使っていなかったのもよかった。ベテラン・中堅の実力ある声優が多数出演していたので、作品本編に没入する事が出来たし、声の演技も十分に楽しめた。
 少なくとも、今もテレビ版「ゲゲゲの鬼太郎」を毎週楽しんで観ている人には、迷わずお薦めできる作品だ。
 ただ、四十七士の活躍を期待して観に行くと、ちょっとがっかりするかもしれないが。個人的には、出番はのくらいでもよかったと思うが、横丁レギュラー以外で夜道怪にしかセリフがなかったのは残念だった。葵ちゃんに期待していたのだが。

 あと1クールほどでテレビの2年目も終わるが、もし「3年目」があるのなら、映画の新作もまた作って欲しいものだ。
 まあ、時系列的にテレビ版第100話の後に来ると言う今回の劇場版で四十七士が揃っておらず、パンフレットに「映画で覚醒していない妖怪はこのあとテレビで覚醒するぞ」と書いてあるので、ほぼ「3年目もあります」と言っているようなものだが。
 とりあえず、来年3月までに確実に描かれるであろう、アカマタや輪入道の覚醒回が楽しみだ。
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「ゲゲゲの鬼太郎」東海テレビと関西テレビの違い

 昨日書いたとおり、今日は初めて関西テレビで「ゲゲゲの鬼太郎」を観た。4月に帰省した時もチャンスがあったのだが、この時は起きたのが10時過ぎだったので観られなかった。

 関西テレビは一週遅れなので、放映されたのは東海テレビで先週観た「さら小僧 妖怪ヒットチャート」の回。関西で毎週観ている人には悪いが、再放送を観ている気分になってしまった。
 まあ、それは最初からわかっていたことだが、関西テレビでの「鬼太郎」は、東海テレビ(=フジテレビ同時ネット)と比べると、番組の細かいフォーマットに色々と違いがあって、その点で新鮮だった。以下、関西テレビと先週の東海テレビとの違いを挙げてみる。



・9時00分30秒に番組スタート

 東海テレビは30分枠で余裕があるせいか9時02分から番組が始まるが、関西テレビは28分枠のため早めに始まっている。また、東海テレビでは番組終了直後に流れた「二十面相の娘」DVDのCMが、関テレでは番組開始直前に流れていた。


・時刻表示あり

 東海テレビでは同じ9時台でも時刻表示が出ないので、結構邪魔に感じた。もっとも、キー局のフジテレビも時刻表示は出しているので、東海テレビの方が少数派なのかもしれない。


・CMタイムに番宣CMあり

 OP・本編の間と本編・EDの間にCMが挟まるが、両方とも最後に「熱血!平成教育学院」15秒番宣が流れていた。東海テレビはCMタイムは全てスポンサーCMで埋まっており、スポットCMや番宣はない。
 関テレもスポンサーCMの時間自体は東海テレビと変わらないが、同時ネットでないので独自にCM時間を調整して番宣を入れているのだろう。


・予告の前半(ED前の分)が通常版

 これが、一番驚いた。東海テレビではここ3回ほど実写映画の宣伝のため、映画の出演者が予告前半に登場して短いコメントを述べていたが、関テレでは通常通りの予告(DVDはこちらが収録されるのだろう)になっていた。一週程度の遅れなら映画宣伝版を流しても問題は無さそうだが、同時ネット以外の局は全て通常版での放映になっているのだろうか。


・EDフリップあり

 キー局フジテレビでは後提供に続いて「ONE PIECE このあとすぐ!」の次番組告知(いわゆる「5秒クロス」)が流れるが、東海テレビでは9時30分からローカル番組「a life」を放送しているので、この「a life」の5秒クロス等に差しかえている(切り替えのタイミング上、東海テレビでも2,3フレームは「ONE PIECE」5秒クロスが映る事が多い)。恐らく、9時30分から「ONE PIECE」を放映していない他の同時ネット局でも同様の差し替えを行っているのだろう。
 しかし、関西テレビでは上のいずれのケースでもなく、後提供画面がそのままEDフリップとなり、画面右下に「次回もおたのしみに」の文字が出て、番組終了。おそらく本来の放送素材では最初からEDフリップまで用意されていて、同時ネットでない局はそれをそのまま流しているのだろう。



 と、関西テレビと東海テレビの違いは、こんなところ。
 時刻表示やEDフリップはいいとして、本放送ならではの映画宣伝が観られないのはちょっと損な気がする。昨年も実写映画一作目絡みで第5話本編及び第5話・第6話予告でウエンツ瑛士が声の出演をしていたが、DVDでは差しかえられて無かった事にされている。こちらも関西テレビでは流れなかったのだろうか。当時の関テレは一週どころか13日遅れだったから、十分にあり得る事だ。

 今の関テレ「鬼太郎」は枠が同時ネット局に限りなく近いのに、こんなに違いがあるとは予想外だった。あらためて、東海テレビは同時ネットになってよかったと思ってしまった。
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ゲゲゲの鬼太郎[第5作] #60「働け!! 妖怪バリバリ」感想

・ゲゲゲの鬼太郎[第5作] 第60話「働け!! 妖怪バリバリ」
(脚本/吉田玲子、演出/土田 豊、作画監督/藪本陽輔)


 ここ一ヶ月ほど、このブログはすっかり週一更新ペースが定着してしまった。
 ブログを書く時間がない…わけではなく、どちらかと言うと不足しているのは体力の方。時間はあっても、体が疲れていては、気合いを入れてのブログ更新には、なかなか手が出せない。
 そんな訳で、どうしても週末の休みにしか更新できないようになってしまう。当面は、この状況が続きそうだ。


 さて、今回の「鬼太郎」は、第2作・第21話「心配屋」をリメイクしたエピソード。
 第2作の非鬼太郎原作話をリメイクするのは、現シリーズでは初めての試みだ(第35話「死神の極楽ツアー」は第2作の最終話「死神のノルマ」のリメイクと言って差し支えない気もするが、他の死神話の要素も入っており、単独エピソードとしてのリメイクは今回が初だろう)。元祖「心配屋」と併せて観てみると、展開の違いが時代の違いを表しており、実に興味深い。
 ボンクラな息子を心配した父親が、ねずみ男のすすめで妖怪バリバリの卵を息子に飲ませる基本展開は共通しており、息子のキャラクターデザインも、両作とも出っ歯メガネのいわゆる「山田顔」で、同じ。

 異なるのは、父親が息子に対して抱いている「思い」だ。
 元祖「心配屋」では、父親はあくまで息子を自分の会社の跡取りとして、会社の将来を重視していた印象がある。だから、息子が非凡になった事が、かえって会社の為にならないとわかったら手の平を返しており、親としては冷たい感じだった。
 それに対して、今回は鬼太郎親子との対比させることで父と子の愛情が効果的に描かれており、息子がダメだったのも父が息子を思うあまりに萎縮させていたとする事で、話全体に優しい雰囲気を感じた。

 ほぼ原作に忠実な元祖「心配屋」も好きな話だが、今回の話もモーレツ化する人間達や、最後までドライなねずみ男の描写など原作テイストを盛り込みつつ、今の時代ならではの親子の愛情を描いており、よくできていた。
 また、今回は息子そっくりの山田顔の亡母や、ごく自然に商店街にいる目玉親父、それに鬼太郎役・高山みなみの出演作を意識したと思われる「日之出食堂」など、細かいネタも面白いものが多かった。
 それにしても、いかにも少年漫画の王道と言った感じでベアードと大バトルを繰り広げた次の回に、鬼太郎の戦闘がなく目玉親父がバリバリを説得するだけの話をやるあたり、第5作は歴代「鬼太郎」の中でもっともバラエティ豊かなシリーズだと思う。

 ちなみに、今回の第60話放送日の夜に、元祖「心配屋」を観返したのだが、「薬の副作用で、また病気が増えるというような事が、新薬の開発となって我々の産業の発展になるのだよ」なんてセリフは、危なすぎる。薬害が大きな問題となっている現在では絶対に使えないだろうが、本放映当時は特に問題はなかった訳で、これも時代を表している部分だろう。


 第2作の非鬼太郎原作話のリメイクは、第3作でも「妖怪やまたのおろち」「津波妖怪 猛霊はっさん」「マンモスフラワーと山男」「雨神ユムチャック伝説」など何本か試みられているが、シリーズの個性を反映してアクション描写が強化された印象を受ける。
 もちろん、それはそれで面白く出来上がっており、「妖怪やまたのおろち」では呼子の「山彦の術」で分身した鬼太郎とやまたのおろちとの戦闘は見応えがあったし、「マンモスフラワーと山男」での怪獣映画っぽい山男と妖怪戦車との対決も迫力だった。

 それに対して、今回の話は戦闘がほとんど無く人間の描写を中心としており、どちらかと言うと第2作の路線を踏襲した印象を受ける。これは、バラエティ豊かで話によって雰囲気の変わる本シリーズだからこそ出来たのだろう。
 この調子で、他の非鬼太郎話もリメイクしたら、面白いエピソードが出来るのではないだろうか。人間の醜さを描く話としては、「縁切り虫」や「幸福という名の怪物」などを観てみたい。
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ゲゲゲの鬼太郎[第5作] #56「禁じられた岬! 磯女」感想

・ゲゲゲの鬼太郎[第5作] 第56話「禁じられた岬! 磯女」
(脚本/吉村元希、演出/勝間田具治、作画監督/出口としお)


 放映2年目に突入してから、「鬼太郎」の感想が1話おきになっている。
 別にこれには意図がある訳ではなく、特に感想を書いておきたいと思う回を取り上げたら、このようになってしまった。


 さて、今回は「磯女」の回だが、このエピソードについては「空気ポンプの術」の描写がどうなるかが楽しみだった。先週流れた予告ですでに「空気ポンプの術をくらえ!」と言ってしまっているだけに、特に気になっていた。

 わざわざ予告で強調するくらいだから、さぞ盛大に赤ん坊を破裂させてくれるのだろうと期待していたのだが、結局膨らませるだけで終わってしまい、少々拍子抜けだった。「もっと膨らむ事も出来るぞ」と磯女を脅す場面は、一気に膨らんで破裂させるよりも意地が悪い感じで、ここを上手く描けば緊迫感のある場面になったかもしれない。
 だが、赤ん坊の体が徐々に膨らんでいくところで、間に別の場面を挟むものだから、前後でどの程度大きさが変わったか、わかりにくかった。そのため、赤ん坊の苦しみ方の変化が見て取れず、イマイチな印象だ。ちょっと残念な回だったと言わざるを得ない。


 ところで、今回はアニメ化における「リメイク」をどのように行うか、過去の「磯女」エピソードと比較すると、なかなか興味深い。
 今回を含めて、これまでに「磯女」は4回アニメ化されており、それぞれに独自のアレンジがある。相違点を簡単にまとめると、


 ・第1作「磯女」:磯女と赤ん坊は親子、空気ポンプの破裂描写はなし
 ・第3作「子連れ妖怪 磯女」:磯女と赤ん坊は親子、空気ポンプの破裂描写あり
 ・第4作「荒海の伝説! 磯女」:赤ん坊が磯女の本体、空気ポンプの破裂描写あり


 と、言ったところか。
 意外にも、第4作でなってようやく、ほぼ原作に忠実な内容でのアニメ化が行われている。

 ここにあげた以外にも、第3作では磯女との闘いは中盤で終わってしまい、後半はリゾート開発を行おうとする人間&ねずみ男を懲らしめているし、第4作では一度破裂した赤ん坊が復活してしぶといところを見せてバトルが続くなど、各シリーズでそれぞれの特徴が出た展開となっている。

 第4作以外では、あえて原作での「赤ん坊が磯女の本体」設定をカットしているわけだが、それだけ磯女と赤ん坊の親子愛を取り上げると話が作りやすいのだろう。
 今回の第5作では、親子愛に加えて、原作にもあった「昔からの言い伝えはバカにするな」と言うメッセージも入っており、全体的に過去作を混ぜ合わせたような印象を受けた。本作ならではの特徴があまり見つからず、それだけに空気ポンプの術の描写不足が残念だ。


 同じ原作を4回もアニメ化しているのだから、原作と共通する部分は当然としても、アレンジで過去作とかぶる部分が出てきても、ある程度は仕方がないとは思う。
 「鬼太郎」は第4作からアニメオリジナルエピソードがかなり増えてきているが、同じ原作を何度も使っては、やりにくいせいなのだろう。
 完全なオリジナルではなく、妖怪のキャラクターのみ原作から拾ってきて、話はオリジナル展開というケースも多いが、こちらは妖怪をどう動かすかでスタッフの力量が問われる。第5作なら、白山坊は「妖怪との契約」の基本設定は活かして、キャラクターを面白い方向に変えた成功例だと思う。

 原作を使うにせよ、オリジナル話を作るにせよ、せっかく何度もアニメ化しているのだから、そのシリーズならではの味付け、面白さが出ているかどうかが一番肝心な部分だと思う。「鬼太郎」に関して言えば、今のところどのシリーズでもそれぞれ特色を出す事には、ほぼ成功していると言っていいだろう。
 第5作は、過去シリーズと比べて妖怪横丁の設定などオリジナル要素は特に多いし、かわうそをはじめとしてレギュラーの仲間妖怪も増えているだけに、原作のエピソードをどのように絡めるか、どの妖怪を登場させるかは、これからも注目して観ていきたい。
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